本年4月初および6月初と2度に分けて、ASEANのバンコク、クアラルンプール、ハノイ、ジャカルタ、シンガポールを訪れ、日系中堅進出企業の実情および現地における金融機関の対応について若干調べて来た。素より限られた期間であり、全貌を理解しているとは言えないが、直近に訪問したハノイ・ジャカルタを中心に私なりに感じたことを報告する。
1. 訪問都市の印象
ハノイの印象が最も強烈であった。私にとって初めての訪問であり、日本とのギャップが大きくかつ政治体制(ベトナム共産党の事実上の一党独裁体制)が全く異なっていることがその背景にある。当地で驚かされたのはオートバイの洪水、多数の零細商人および気紛れな官僚主義の三つである。
先ず、オートバイ(ホンダ、ヤマハの原付バイクおよびそれを真似た現地メーカーの製品)の洪水は、公共の大量輸送機関がなく所得水準が低い(2009年の1人当り名目GDP1,170米ドル)ため当然ではあるものの、大通りから路地まで至る所で道幅一杯にまるでイナゴの大群の如く走り回る姿は壮観である。郊外の高速道路では、インターチェンジが少ないこともあって多くのバイクが路肩を逆走していた。さらに驚かされるのは、このオートバイの洪水のなかをノンラー(ベトナムの葉笠)を被り、天秤棒で野菜・果物を担いだオバさんが平然と横切っていく姿である。交通信号は大きな交差点にしかなく日本のような横断歩道はない。地元の人に聞いた安全に大通りを渡るコツは“走ったり立ち止まったりせず、一定の速度で進む”ことで、オートバイの方が歩行者の動きを予測して適当に避けてくれるので事故は起きないとの説明であった。しかしこれには相当の慣れと勇気がいる。
次に小さな商店の多さであるが、街中至る所に露天商をはじめ、水道の蛇口だけあるいはオートバイのマフラーだけを扱う小商売が溢れている。圧巻は公設市場のマーケットマミーである。鉄筋コンクリート3階建ての中央に吹き抜けのある大きな建物の中で、生鮮・加工食料品、紳士・婦人衣料品、雑貨、携帯電話等電機製品など、ありとあらゆる商品が間口1〜3mの店舗で売られている。なかには、間口1mのスペース一杯に商品を並べ、店主はその上に板を渡して座っている店もある。売り手の95%は女性であり、男は家で麻雀に興じているとのことである。
三つ目の驚きは気紛れな官僚主義である。我々もベトナム国家銀行(中央銀行)国際局長とのアポが直前になって翌日に変更を申渡されたり、国有(持株比率91%)大手商業銀行幹部との面談についても前々日になって繰り延べを余儀なくされるなどの経験をした。通関等において、密接な関係を有する二つの官庁のうち、一つはITシステム化しハンコは不要と言い、もう一方は他の官庁のハンコがないと受付けないとされ、日系企業がこの間に立って右往左往するなどは日常茶飯事とのことである。さらにベトナムの人々は長期的な視点に立って思考することが苦手と見えて、金融政策、対外経済政策等がほとんど予告なく、急に変更されることが度々あるようだ。こうした立ち遅れた側面も多くあるが、ベトナムは1986年のドイモイ(刷新)路線の採用により、市場経済に移行し高水準の対内直接投資を原動力に成長を続けている。人口(86百万人)も平均年齢が若く(推定26歳)、増大を続けていることから国全体として活気が漲っている。
ジャカルタは1988年以来23年振りの訪問であるが、この間に中心部は、オフィス・ホテル・ラグジュアリグッズのショッピングセンターが入った高層ビルが林立する現代都市に大きく変容していた。もっとも水道の水は飲めず、人口1千万人のジャカルタで、公共交通機関は専用道路を走るバスのみで地下鉄も高架鉄道もないなど、インフラの整備は大きく遅れたままである。そのためジャカルタ中心部では朝夕のラッシュアワーには3人以上乗る乗用車しか走れない“スリーインワン”という交通規制が導入されている。もっともこれを回避するための“ジョギ”と呼ばれる相乗りアルバイトの子供が道端に立っており、規制の有効性は甚だ疑問である。
2004年に就任したユドヨノ大統領の規律ある治政により、かつて悪評の高かった“汚職と役人仕事(corruption
and red
tape)の国”という状態は改善しつつあるように見受けられた。こうした政治の安定は、人口が多く(2億4千万人)天然資源も豊富なインドネシアに対する期待を大きく高めている。
日本からは増大する内需を狙って自動車、オートバイ、日用品、食品等の大企業が数多く進出している。本邦大手総合商社や地元自治体が管理・運営する工業団地は日系企業で満杯となっており、ダイハツ工業およびニプロは大規模な工場用地を造成中で大型ダンプが砂塵を上げて走り回り杭打機が林立する様は、昭和40年代半ばの日本の光景を彷彿させる。
タイには日本の大手自動車メーカーが大規模な工場を構えており、タイヤ・ガラス等の関連企業に加えて部品製造の下請企業も1次、2次と幅広く進出している。バンコクの市内交通は高架鉄道、地下鉄等のインフラ整備が進んではいるが、人口増がそれを上回っており渋滞は一向に解決していない。
シンガポールとマレーシアは、それぞれリークァンユーとマハティールという優れた人物が長期間に渡って国家リーダーを勤めたお蔭でテイクオフに成功し、シンガポールは日本を上回る効率的で清潔な大都市に、クアラルンプールは自然と現代建築が調和した英国風の落ち着いた佇まいの都市に成長している。
アジア地域は、文化・宗教の多様性および経済の発展度合のバラツキから、ヨーロッパが欧州人意識の下にEUに結集しているのに比べ、アジア共同体の結成は難しいと言われてきた。しかし、近年の格安航空便(LLC
= Low Cost
Carrier)の大幅な発達によりアジア諸国相互間の往来のコストが格段に安くなったことから、草の根レベルでの相互交流が盛んになってきた。これは大衆レベルでのアジア人意識の醸成に大きな効果があるのではないか。先般の出張で私はクアラルンプール
―
香港間で初めてLLCを利用した。クアラルンプール空港のメインターミナルとは反対側の畑の中に建てられた巨大な体育館のような専用ターミナルビルは、小学生から70歳程度のお婆さんを含む大勢の旅客で大混雑の状態で、様々の人が気軽に近隣諸国観光を楽しんでいるようであった。
2. 日系進出中堅企業の実情
ベトナムとインドネシアで日系の進出中堅企業6社を訪問した。
進出を決断した理由として両国に共通するのは、何と言っても人件費の安さ(ベトナムの賃金水準は日本の5%程度。インドネシアは10%弱で、タイの1/2、中国の1/3)であると一様に指摘。これに加えてベトナムの場合には@日中関係の緊張、中国における天災・人災、中国の欧米におけるイメージの悪化等を考慮した対中依存度の是正の観点から“チャイナプラスワン”として選択された他、A人材の質が比較的高い、B法人税の減免等政府の支援がある、C宗教面でも仏教圏に属し親近感が持てる等を理由として挙げている。インドネシアに関しては、国内需要を目当てに進出した大手自動車メーカー等から現地における部品供給先として進出を要請されるケースが多い。一方ベトナムでは現状、産業の裾野も狭いうえ、人口も中規模で(86百万人)、一人当りGDPも低いため、進出企業の製品を購入してくれる企業は存在せず、日本・欧米に輸出している。
訪問した日系進出企業は全て製造業で、ジーンズ特殊加工、プラスチック押出加工、工作機械組み込み用自動化ユニット製造、半導体製造装置用搬送ロボット製造、自動車用プレス部品製造、フロアーカーペット製造と業種は様々であるが、全ての企業において本社から派遣された少数の日本人幹部(ほとんどが技術者)が数年にわたって一貫して現地従業員を親身になって指導し、高品質の製品を作り出している様は“我国製造業の底力”を見る思いで感動的である。特にプラスチック押出加工メーカーは日本国内では人件費高で採算が合わず一旦は廃業を決意したが、30歳台半ばの現法社長と専務が思い直してベトナムに進出したところ、人件費の制約なしに丁寧に製造・検査が出来るので品質が格段に向上したと喜んでいた。また、自動化ユニット製造会社では従業員とのコミュニケーションを円滑に行うため、入居している野村工業団地(ハイフォンに所在する野村證券の系列会社が造成・管理する団地)運営の日本語学校で日本語を学ばせながら機械工、溶接工として教育を10年を目途として行っている。最近ではQC活動も盛り上がりを見せており、カイゼン提案も多数出るようになったと喜々として話す姿が印象的であった。
こうした進出企業は最初の設備投資は持込資本金で、立ち上げ後の運転資金は親子ローンで賄っているとのことである。訪問した先は、各社とも良好な経済環境と経営努力によって進出後順調に業容を拡大しているため、増加運転資金は手許資金で賄えている状況。このことから、現地進出の3メガ銀行の支店には、海外送金、米ドルから現地通貨への転換等の金融サービスを依頼するのみで、現地銀行は従業員への給与振込み、国内調達資材費の支払(インドネシアの場合)の面で利用するに止まっている。このように現時点では、進出先で借入需要は生じていないが、国内親会社から独立して現地企業になった場合あるいは生産の急拡大・急減少で増加(あるいは減産)運転資金が必要となった場合には現地通貨建ての資金を現地銀行から調達することも想定されよう。
3. 我国金融機関の現地での金融対応
先行き我国中堅・中小企業のアジア展開が進むにつれて、現地通貨建ての融資・債券の引受に如何に対応していくかが我国金融機関の課題となるであろう。3メガ銀行はアジア各国に支店網を展開しており、取引先大手企業の資金需要および現地でのシンジケートローン組成には対応可能であろう。しかし中堅・中小企業向けとなると現行体制のままでは十分なサービスを展開することは出来ないであろう。
翻って我国地方銀行は、将来深刻な事態を迎える可能性が大である。上に述べたように我国中堅・中小企業は、国内人口が減少し高齢化していくなかで存続を果すためには、今後成長の見込まれるアジア諸国に展開していく以外に途は残っていない。彼らは、驚異的な企業努力を続け、内在する企業DNA(物づくりスピリット)を保持・拡大すれば多分生き残りは可能であろう。しかし地銀は、何もしないままでは生き残りは難しいかも知れない。個別の地銀が、アジア各国において店舗網を独力で構築することは人的資源を含んだ資源余力からみて不可能ではないか。こうした状況を眺め、タイ、マレーシア、インドネシアでは、現地の銀行中数行がJapan
Deskを開設するなどして進出して来た日系中堅・中小企業に対し、金融サービスを提供する体制を整え始めている。本邦地銀側でも、これらの銀行との間で業務連携協定を締結し、トレーニーを派遣するほか本部にアジア業務推進室等の部署を設けるなど対応を強化しつつある。業務連携協定には、地銀の顧客の進出支援のための現地情報提供や送金・外国為替・従業員給与の口座振込み等金融サービス提供が盛り込まれており、なかには進出企業に対する信用補完(スタンドバイクレジット)取極を含むものもある。進出の初期段階での支援はこうした体制で対応することは可能であろう。しかしこの体制では、進出中堅・中小企業の現地での業務が拡大し独立性を増した場合あるいは経済環境の変化に応じて現地業務体制を抜本的に見直さざるを得なくなった場合に、必要とされる資金を機動的に提供するなど、より高度な金融支援を行うことは難しいかも知れない。ギリギリの与信判断を的確に行うためには、地銀本部においてアジア諸国の経済・金融情勢に関する深い理解に加えて現地進出先および提携銀行との迅速かつ緊密な意思疎通が必要となろう。中途半端な理解と不十分な意思疎通に止まっていると、地銀は大きな与信リスクを抱え込む惧れもある。一方で、現地金融監査当局は、監督責任の遂行上で母国当局との調整が必要となる支店の開設には、現状消極的であると聞いている。これを前提とすると、現地銀行に対する本格的な資本参加あるいは共同金融子会社の設立が現実的な選択肢となろう。この場合には、地銀内部においてもアセアン地域本部の設立等の組織対応と現地におけるネットワーク・経験・能力が豊富な人員の充実が必要となってくる。現有の人的資源で十分な備えが出来ない場合には大幅な中途採用を実施する必要が生じるかも知れない。アセアン地域本部のスタッフは近年台頭が目覚しいLCCを活用するかたちで頻繁に現地出張を行う必要があろう。こうした抜本的な体制整備を全ての地方銀行が行うことは現実的とは言えず、アジア諸国進出の中堅・中小企業への与信を適切に行い得る地銀は、自ら限られてくることになろう。これは大手地銀による進出中堅・中小企業取引の独占を意味するものではない。中堅地方銀行においても、主体的選択に基づきこうした体制を整備し、他行取引先であるアジア諸国進出中堅・中小企業を融資先として取り込むかたちで機能を特化させることも可能であろう。これを契機として地方銀行グループ全体で質的再編成が進むとすれば、我国金融の効率化の観点からはプラスに評価すべきものと言えよう。
以上
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