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大塚正民の考古学と考古学の広場

 
内部告発者法(その6): 日本の内部告発者保護法

大塚 正民
大塚正民 法律会計事務所
 

すでに第1回で引用しました穂積陳重(注1) の「法窓夜話(注2) 」に「大儒の擬律」という題で次のような話が紹介されています。「正徳の頃、武州川越領内駒林村の百姓甚五兵衛とその倅(せがれ)四郎兵衛の両人が、甚五兵衛の娘「むす」の夫なる伊兵衛という者を・・・絞殺して河中へ投じた事件があった。娘は勿論それが何人(なんびと)の所為であるかを知らずに、これを官に訴えたが、だんだん取調の結果、自分の実父および実兄が下手人であったことが明白になったのである。ここにおいて、子がその父兄の罪を告発して、そのために父兄が死刑に処せられるという事態になって来た。しかるに、川越の領主秋元但馬守は、・・・この場合この女子を、尊長を告発したという罪に当てることの可否を決定し兼ねるというので、遂に幕府にその処置を伺い出たのである。そこで、幕府では、当時の儒官林大学頭信篤(鳳岡)および新井筑後守(白石)に命じて擬律(犯罪に対して法律を適用すること)せしめることとなった。林大学頭は、・・・などを立論の根拠として、父の悪事を訴えた者は死罪に処すべきであるという断案を下した。しかるに、白石はこれに対して、長文の意見書を幕府に上(たてまつ)り、かくのごとき場合には、父の悪行を知ってこれを訴えてもなお罪がないものであることを委細に論じた。・・・白石はなおこの他にも広く古典および支那の歴史などを引用して詳論するところがあったので、遂にその意見が採用せられることとなって、秋元但馬守は、甚五兵衛および四郎兵衛を下手人として死刑に処し、訴人「むす」は尼になるように宣告した。」
現在では想像も出来ないような話です。穂積自身も次のように述べている位です。「今日(「法窓夜話」が出版されたのは大正5年です。)より見れば、本件の「むす」なる婦人の罪なきことは、固より明々白々の事であって、鳳岡・白石の二大儒がかくの如くその脳しょうを絞って論戦するほどのことではないようであるが、当時支那道徳が形式上甚だしく尊重せられておったことと、且つは徳川幕府が総べて主人その他尊長に対する罪科を特に重大視してこれを厳罰する方針であったために、かくの如き論戦を惹起したものであろう。(注3)
たしかに現在では「内部告発」を「主人その他尊長に対する罪科」として処罰するなどいう古い考えは無くなっています。しかし逆に「内部告発」を好ましいとする考えもこれまでは無かった、と言えます。従って「内部告発者」に対する不利益取扱い(懲戒処分や解雇)を禁止する法律もこれまでは無かったのです。ほとんど唯一の例外が労働組合法7条4号でした (注4)。ところが最近になって「内部告発」を好ましいとする考えが広まり(注5) 、「内部告発者」を保護する裁判例 (注6)もいくつか出ました。かくして「公益通報者保護法」が2006年4月1日から施行されるに至ったのです。同法は、従業員が勤務先の違法行為をしかるべき機関に通報した場合に、そのような従業員(公益通報者)を解雇などの報復措置から保護することを主たる目的としています(注7)

 

 

脚注
 
注1 「ほづみ のぶしげ」1882年(明治15年)から1911年(明治45年)まで東京帝国大学法学部教授。富井政章、梅謙次郎とともに明治民法の起草委員。枢密院議長。1926年(昭和元年)逝去。
 
注2 1916年(大正5年)に出版され、現在は「岩波文庫」に収録されています。なお、「続法窓夜話」が同じく「岩波文庫」に収録されています。
 
注3 鳳岡・白石の二大儒の論戦については、白石の「折たく柴の記 下」(岩波書店、日本古典文学大系95の336頁以下)に白石側の事情が詳しく述べられています。また山口繁(元最高裁判所長官)、「新井白石と裁判」西神田編集室(2003年2月)51頁以下(正徳元年娘による父の殺人告発事件)は、今日的な観点から、この事件の法律技術的な分析(「本件では、娘が権限ある捜査機関に対し供述した時に、父兄の犯行であることを知っていたかどうかが問題なのである。」)を行っています。 
 
注4 これは前回で触れたアメリカの連邦法である1935年NLRA のSection 158(a)(4)を源とする規定で、労働者が労働委員会に対し使用者が不当労働行為を行った旨の申立てをしたこと、あるいは、労働者が労働委員会での手続において証言をしたことをなどを理由として、その労働者を解雇したり、その他不利益な取扱いをすることを禁じています。
 
注5 宮本一子、内部告発の時代、花伝社(2002年5月)、157頁以下(日本人の「内部告発」についての意識)
 
注6 最も有名なのが「トナミ運輸内部告発訴訟」です。その第一審である富山地裁の平成17年2月29日判決については、原昌登、内部告発を理由とする不利益取扱いの可否、法学教室305号(2006年2月号)8頁以下。なお、日本経済新聞平成18年2月17日朝刊42頁に「平成18年2月16日に控訴審名古屋高裁金沢支部でトナミ運輸社員である串岡弘昭さんと会社側とが和解した」旨の報道があります。
 
注7 公益通報者保護制度ウェブサイトhttp://www5.cao.go.jp/seikatsu/koueki/gaiyo/setsumei.html
この公益通報者保護法については、朝日新聞平成18年3月25日朝刊14頁にトナミ運輸内部告発訴訟の串岡弘昭さんが「公益通報者保護法を見直せ」という題での投稿をしています。
 

(敬称略)


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更新日:2012/10/30