0.はじめに
ノーベル・経済学賞のP.クルーグマン氏は、長引く先進国経済の停滞について、`For the fact is that
we have both the knowledge and the tools to get out of this
depression. Indeed, by applying time-honored economic
principles whose validity has only been reinforced by recent
events, we could be back to more or less full employment
very fast, probably in less than two years. All that is
blocking recovery is a lack of intellectual clarity and
political will.’ と。つまり、
現下の不況から脱出するための知識も道具もあり、長年の実績で評価の高い経済学原理を適用すれば、おそらくは2年以下でおおむね完全雇用に戻れるはず。しかし、それを阻害しているのは知的な明晰さと、政治的な意志の欠如だ、と断じています。
(Paul Krugman,` End this Depression NOW! ’,P.229, 2012)(注)
(注)http://www.nybooks.com/articles/archives/2012/may/24/how-end-depression/?pagination=false
さて、この夏、筆者はフランス、イギリスに出かける機会がありました。その出発準備のさなか、手にした英経済誌、ザ・エコノミスト(2012/8/4)は‘再び’、`Global
crash – Japanese
lessons’ という衝撃的なタイトルの下、日本経済の教訓を今一度とユーロ経済に於ける深まる財政危機、そして、そのグローバル経済への連鎖の危険性に警鐘を発していたのです。(注)
(注)http://www.economist.com/node/21559952
当該危機とは言うまでもなく、ギリシャを震源地とした欧州全域に亘る財政危機であり、通貨危機であることは言うまでもありません。これまで、ギリシャ財政危機への対応、アイルランドへの対応として国際的な金融支援が行われてきていますが、ここに至って更なる信用不安が懸念されることから、9月6日開催された欧州理事会では、その対応の切り札とも言うべく、ECB(欧州中銀)による南欧諸国の国債買い支えの方針が合意され、これによりユーロ圏の危機対応シナリオが一歩前進という事で、取り敢えずの小康を保つ処となっています。
今後、スペインやギリシャの危機をどう封じ込めていくか、因みにギリシャ政府が求めてきた財政改善計画(期限)の2年延長がありうるのか、等々、9月、10月に亘って一連の会議が予定されており(注)、具体的な成果を得るまでにはまだまだ時間を要する処です。
(注)今後の日程:
これら推移の如何は、欧州はもとよりグローバル経済のあり方にも大きく影響を与えていくであろうこと、言うまでもありません。そして日本経済にとっても対岸の火事では済まされない環境です。
そこで、今回の欧州訪問を機会に、事態は依然流動的ではありますが、以下、現地情報、ビジネス関係者の意見をも聴取し、これまでの欧州危機の実状と、その危機の本質につき改めてレビューすることとし、欧州経済の今後を考えていく上での視座とすべく、以下シナリオで取り纏め、報告する次第です。
[シナリオ]
1.2011年、‘大西洋の危機’
2.‘日本の教訓’と米欧の対応
3.危機の本質
4.EU経済再考
5.ギリシャのユーロ離脱問題
6.おわりにかえて ― いま日本経済が考えねばならないこと
1.2011年、‘大西洋の危機’
処で、ここで‘再び’とは、ちょうど一年前のこの時期、大西洋を挟んで米欧経済はまさに緊張の瞬間にあったのです。
米国の場合、景気の減速から税収の減少で、当時、期限(8月2日)が迫っていた連邦債務への求償に応えられるか、そこでは財政法を巡る政権与党民主党と共和党の逆転劇が作用することで、つまりはデフォルトの可能性が囁かれる非常事態にあったのです。
一方、欧州については2009年11月に成立したパパンドレオ新政権がそれまでの財務統計を修正報告をしたことで、2010年5月にはギリシャの財政が危機的状況にあることが判明、これが他欧州諸国の金融機関にも打撃を与えれば欧州経済への影響は避けられずとして、ドイツ主導の下、IMFの協力を得て2010年5月、ギリシャへの金融支援が行われたのです。更に、11月にはアイルランドの財政危機が発覚、同様に金融支援が行われたのです。
ただし、このアイルランドへの支援はギリシャのそれとは様相を異にするものでした。というのも、ギリシャ支援はユーロ圏内の問題としてユーロ諸国がIMFと一緒になってギリシャを支援する構図でしたが、アイルランドの場合、欧州委員会がEUを代表するがごとくに支援に参加しており、このことで非ユーロ国も間接的にアイルランド支援に関与することになったこと、加えてギリシャ支援ではユーロ圏の問題として支援を拒んだ英国が支援に参加したことで、ユーロ圏の一国の財政危機が全欧のリスク問題に転じていった、というもので、今日、語られる欧州財政危機の構図を創りだす処となっているのです。
かくして大西洋を挟んだ米欧経済の非常事態は、まさに‘大西洋の危機’を演出する処となっていたのです。と同時に、かかる事態に至った米欧経済のあり姿が、長期停滞にある日本経済のそれと同じ様相にあるとして、当時のザ・エコノミスト(2011/7/30)は、米欧経済の日本化(Turning
Japanese) と評すると共に、日本の長期停滞の経験を教訓に財政再建へ早急に行動を起こすよう強く指摘していたのです(注)。
(注)http://www.economist.com/node/21524874
尚、米国については、ぎりぎりのタイミング(8月1日)で連邦債の‘上限引き上げ’が議会で認められ、デフォルト騒ぎは解消され、また欧州での財政危機は欧州及びIMF等の金融支援を得て事態の沈静化が図られ今日に至っていたというものです。
しかし、冒頭‘はじめに’で触れたように、一年後のこの夏、再び、ザ・エコノミストは、とりわけ欧州経済の収まらぬ財政危機がグローバルな危機に繋がると、警鐘を鳴らすと共に日本の教訓を踏まえて速やかな対応を、と指摘したのです。
2.‘日本の教訓’と米欧の対応
その教訓とは、日本経済の長期停滞は何事も決断できず、ずるずると問題の先送りをしてきた結果であるとして‘行動を速やかに起こすこと’、金融機関を始め主要企業の巨額損失が発生していることから‘傷んだバランスシートをきれいにすること’が不可欠と、そして、財政の立て直しの為には、財政の削減と言うよりは、景気を刺激することで歳入確保を図るべしと‘積極的財政の出動’を示唆するものでした。
それから一年、冒頭引用のザ・エコノミストは、この間の彼らの動きについては、これら教訓に応えるものだった、としながらもその対応結果については、次なる危機の招来は避けがたい状況と、次のような指摘をしていたのです。
まず、‘速やかな対応’と言う点では、米連邦準備理事会(FRB)と欧州中銀(ECB),そして英イングランド銀行は政策金利を引き下げており、その狙いは、企業や消費者が直面する債務コスト急増の悪影響を相殺せんとするものだったと評しています。
しかし、‘バランスシートの再生’と言う点では依然問題は多いというものです。つまりは、多くの場合、equity
buffer
(株主資本)が小さすぎたため、政府が介入して銀行株を取得することで、米国でも欧州でも、政府は金融部門の支援に回ったのでした。その結果、バランスシートは修復されたのですが、このバランスシートを綺麗にするという事は、問題を先延ばしにしただけだったと指摘される処です。つまり、政府はこの救済の為に必要資金の借り入れを進めてきたという事、従って銀行のバランスシートの改善は国のバランスシートの犠牲において強化された、と言うことで、これが問題だというものです。因みに、米国では銀行支援にGDPの5%、また英国では、経営難にある銀行への資金注入はGDPの9%に達している、というのです。
そして、三つ目の教訓とされる点ですが、つまりは‘強力な景気刺激策’を模索するということでした。というのも成長経済に於いては、多額の債務は問題になるとは限らないという事でした。それは一般家庭の家計を例にとれば理解できる処で、つまり、多額の住宅ローンも、家計の稼ぎ手の収入で利息の支払いができ、若干の余裕が残る限りは、問題にならず、インフレも助けになるというものです。(つまり債務はローン設定時の価値で固定されていますが、賃金はインフレに伴い上昇するからだということです)
そこで日本の経験に照らし、米国等の中央銀行は「量的緩和(Quantitative easing:QE)
」に乗り出し、新規発行の通貨で国債の買い付けを進めていますが、QEの狙いは、国債価格を押し上げて利回りを低下させ、債務を管理可能にすることにあったというものです。米国などのQEは日本のそれより大胆で、社債利回りは実際に低下したのです。しかし、こうした対応にも拘わらず、経済の先行き(向こう5年間)について、その不安は深まることはあっても、改善への見通しはいまだしと言うのが現状です。
なぜ?ということですが、ここでは二つの問題が指摘されるというものです。
その一つは、財政による刺激策が大胆さを欠くものであったと言うことです。特に英国では景気が回復する前に刺激策が打ち切られてしまっています。(注)
(注)2年前、英国キャメロン首相は政権発足時(2010年)、看板政策として財政の削減を掲げ、同年秋には810億ポンド(約10兆円)の歳出削減を含む複数年予算を発表し、2011年には付加価値税を17.5%から20%へ引き上げ財政の立て直しを進めています。この点、金融市場ではキャメロン首相の取り組みには一定の評価が与えられてきたのですが、先の5月地方選挙では与党保守党は大敗、厳格な財政原理主義と揶揄されるキャメロン首相は政権誕生2年を経て政策理念を問われるという事態に陥っているのです。そして、筆者の滞在中には同首相はこれまでの方針を修正、金融緩和、公共投資等、積極策に転じることが報じられたのです。
そして銀行を支援した各国政府は財政赤字を減らさんとするあまり、歳出に回せる資金がショートしてきており、タイムリーな財政対応がとりにくくなってきているという事です。
もう一つは、政府による救済には長期的にコストが伴うことになっているという事です。傷んだバランスシートは、当該ビジネス・モデルの破綻を示唆する処で、そうした場合、当該企業を破産させるのが適切な選択肢とされ、つまりは、そうしたことにより企業を取り巻く非生産的な経済要因が浄化されていくと言うことですが、現実はそうはなっていないと言うものです。つまり、これまで日本に対して、不健全な企業をあまりにも多く延命させてきたとの批判が向けられてきましたが、米英に於いても同様な状況にあり、問題を構造化しつつあるというものです。因みに、米国政府による救済は6010億ドルを上回り、銀行、保険、自動車業界で928社が救済資金を受け取っていると言われています。英国では大手銀行4社のうち、2社の株式を政府が大量保有していますが、その売却については、未だ明確な計画は示されてはいないのです。
一方、ユーロ圏についてみると事態は更に深刻な状況にあったのです。その点、6月28日のEU首脳会議では、「健全な財政に基づく強固で持続可能な経済成長」を目指すこととし、「成長・雇用協定」を採択するなど協力支援体制を確認はしていますが、そこでも具体的アクションとなると未だなしと言った状況が続いていたと言うものでした。つまりは、唯でさえ窮屈な台所事情にあって、他国の為に追加財政負担をとなると、それへのアレルギー(不満)が頭をもたげ、なかなか具体的行動のないままに事態が進む環境にあるという事で、言うなればユーロ圏に‘日本化の懸念’が出てきたと言うものでした。
因みに、8月14日、公表された本年第2四半期のユーロ(17か国)経済の成長率(実質)は、年率換算で0.7%減と、昨年第4四半期の0.3%減に続く2四半期ぶりのマイナス成長となっていました。とりわけこれまで牽引役のドイツ、フランスの減速も鮮明になってきており、こうした実体経済の悪化は、ユーロ圏の債務問題を一段と悪化させることを示唆するところで、これが経済システム全体にかかる不安を募らせる処と言えそうです
いま少し、その‘不確実’の周辺をレビューしておきたいと思います。
震源地となったギリシャについてみれば、既に二度(2010年5月、2012年3月)の財政救済があり一息ついた格好ですが、もともとギリシャ経済は自力で稼ぐ体力に欠けたままにあっただけに、同国の経済運営は極めて不確実な様相にあり、既に2012年の成長率は、マイナス7%に達する見通しと、サマラス首相はコメントするに至っています。(尚、本年第2四半期の実質成長率は年率でマイナス6.2%)
こうした経済の悪化に照らし、同首相は債務の持続可能性を回復し、経済成長を取り戻す為に最新の緊急プログラムの2年延長を要請すべく、この8月末にはリーダー格のドイツ、フランスの両首脳に事前説明の行脚をしたのですが、両首脳ともギリシャのユーロ圏残留を望むとしつつも、条件緩和は認めず、10月予定されている欧州委員会、ECB,IMFのトロイカ査察団によるギリシャ財政状況に係るリポートを待ち、10月8日のユーロ圏財務大臣会合、10月18~19日のブリュッセルでのEU首脳会議で議論するとしており、時間はかかると言う処です。
更に、ギリシャに始まったユーロ危機は、大国のスペインにまでも波及してきており、いまや財政は緊迫の様相にあり、スペインのギリシャ化が云々される処ですが、前述のECBによるスペイン国債の買い支えは信用不安への対応として評価される処です。もっとも、スペインの場合、地方‘州’が財政危機に陥っており、これらが中央政府に救済を求めている点で他国のそれとは異なる様相にある処です。一方、イタリアではモンテイ首相の下、8月7日には緊縮法を成立させ公務員の削減等で財政再建路線を堅持する構えにある処ですが、首相を支えてきた主要政党は来春の議会選挙を意識し、徐々に姿勢を変えだしていると伝えられており、また、イタリア経済の悪化が進む中、9月に入って公務員による緊縮反対の運動が一層強まってきており、依然、先行きへの不安は深まる様相にあるのです。そして、リーダー格のドイツ、そしてフランスの経済も前述の通りで、この機に至り急速に鈍化を呈しだしており、ユーロ経済には不安の連鎖が起こる可能性は依然否定できない状況にあると言えそうです。
かくして、ザ・エコノミスト誌は不十分な刺激策と産業のゾンビ化を受容するような日本流の決断力に欠ける政策が加わっていく事で、今後のヨーロッパ経済はgrim、一層きびしいものになると展望するのです。そして、今後、5年を見通すとき、ユーロ経済圏はeerily
Japanese(不可解な日本)の様相を呈するだろう、と断じるのです。
3.危機の本質
処で、‘危機’は起こるべくして起きた、と言えそうです。EUの経済統合は、戦後世界経済にあって競争力の強化という視点からは相応の合理性のある処です。しかし、現下で進む‘危機’の要因は、皮肉にも経済の効率的発展を目指して進められた通貨の統一、共通通貨‘ユーロ’の導入にあったと言わざるを得ないのです。つまり、各国は独自に予算(財政)を持ち、しかも独自の労働市場を堅持しながら、しかし、独自通貨は持たないで‘経済’が動いていく、そのことが結果として危機を生んできたという事です。今少し、その辺をレビユーしておきたいと思います。
欧州経済統合は周知の通り、1951年の欧州石炭鉄鋼共同体に端を発する経済統合でしたが、その統一の強力なシンボルとして統一通貨を導入し、国境を超える経済活動を合理的、効率的に推進することでユーロ経済の発展を期すこととし、1991年1月1日、夢の実験と言われた単一通貨ユーロの導入を決定したのです。その3年後の2002年にはユーロ紙幣が登場し、当時12か国(現在17か国)の通貨に置き換わりがはじまり今日に至っているものです。
ヨーロッパ諸国は貿易の6割がヨーロッパ域内にあることからは、通貨を共通化すれば効率性が高まり、事業費も軽減され経済の活動は大いに活性化されると言うものです。一方、対欧投資については、これまで通貨切り下げやデフォルトのリスクの高い国に対してはそれに見合うだけのプレミアムが要求されていましたが、ユーロの導入で南欧諸国の負債についてもドイツ並みに安全なものとして扱われることになっていきました。このことは南欧諸国にとっては借入コストの大幅な減少を齎し、従って資金の大量の流入が起こり、それが住宅バブルにつながっていったと言うものです。そして、南欧でのバブル崩壊が結果として財政危機に繋がっていったというもので、ギリシャ然り、ポルトガル然り、スペイン然り、イタリア然り、という事になるのです。そして元々自力で稼ぐ体力に欠けた(つまりは元々製造業を持たない)ギリシャについては財政手当が間に合わず、一気に危機に至ったというもので、ユーロ経済の財政危機の象徴的な事例としてあるという事です。
つまり、統一通貨の導入で、これまで信用力に欠ける南欧経済も、信用力のあるドイツ等北欧経済と同じに扱われていく一方で、南欧諸国は自らの財政規律を失っていく中で当該政府の信用も失われてきた結果がユーロ危機を誘発してきたと言うものです。
これまで、ヨーロッパは一体ではない、と言われてきましたが上述、危機の構図がまさにその実態を語る処と言えます。
4.EU経済再考
では、EU経済の運営はどう考えていけばいいのでしょうか。
まず、ここで、ユーロについての方針を転換し、独自通貨に戻ればいいのでは、という事が語られそうですが、それは‘経済統合を通じた統合と民主主義というもっとも大きなヨーロッパ・プロジェクトの壮絶な政治的敗北となる’(注)処ですし、それもヨーロッパだけでなく、世界全体にとって非常に重要なことと言うものです。
(注)前掲、P.Krugman,` End this depression NOW ’ P.184)
そこで、問題の所在が確認されてきているだけに、現状を克服し、システムとして持続可能な体制に再構築していく事が、改めて歴史的使命としても不可避と考える処です。
この点、既に、当面の困難を乗り切るための政府レベルでの各種政策会議が予定されていることは前出会議予定の通りですが、その際のポイントは時間軸を明確にしながら、短期的な対応と、中長期的な対応を具体的に明示していく事と考えます。
短期的な対応とは、この際は流動性対策という事です。つまりは、政府が市場パニックによる現金枯渇に陥らないという保証をする、ことが必要ということと言えます。この点については、前出、9月6日の欧州理事会で、各国が「欧州安定メカニズム(ESM)」(注1)に支援を要請した場合、ECBが国債を買い支える措置を承認しています。つまりこれで南欧国債の買い入れは決まったわけで、信用不安への対応枠組みが整ったことになるのですが、いつこれが実行されるかは不透明な状態にあります。というのもESMは現行EFSF(欧州金融安定基金)の業務を引き継いで2013年の稼働予定とされているが、ドイツ憲法裁判所がESMの合憲性を審査中(9月12日)であること、また各国政府がESMによる支援の詳細な枠組みを決めていく必要があること、など、課題、問題はまだまだという処ですが、ユーロの信頼再構築の視点から、迅速な行動が期待される処です。(注2)
(注1)
EFSFは2010年6月、当時のギリシャ危機を踏まえEU27か国の合意の下、ユーロ圏諸国の救済(資金支援)を目的として設立された基金。ESMはEUとして恒久的な危機対応の機関(欧州版IMF)として2013年に設立予定、同時にEFSFの業務を引き継ぐ予定となっています。
(注2)本稿執筆後の13日早朝、現地ドイツでは12日、ドイツ憲法裁判所は、ESMに合憲の判断を示した旨伝えられてきました。これでESMは10月には発足の見通しとなり、欧州の危機封じは大きく前進することになりました。
次に、中長期的な対応ですが、これこそは根本的な対策と言うべく、まずユーロ経済が対面している状況に照らし、国家に代わって市場を規律付け、市場の失敗を制御する、権威と能力を持つ超国家的システムの創出ができるかどうかにフォーカスされていくべきと考えます。
これが具体的、かつ現実的には次の三点に絞られる処と考えています。まずは「財政同盟次に「債務の共同化」、そして「銀行同盟」というものです。
「財政同盟」については、国家予算権限をブリュセルに委譲していくという話であり、「債務の共同化」とは、ユーロ債の発行を通じて南欧諸国に対する富の移転を図らんとするものであり、「銀行同盟」とは銀行免許付与、監督、預金保険、銀行救済、等、業務の管掌を一元化していくという事です。
実は、この根本対策こそは政治的決断でしか解決ができないと言うものです。その点では、今後予定されている各種欧州会議の推移を見届けていくことは世界経済の運営と言う感性に照らしても極めて重要なことと思料される処です。
かつて英国の大政治家ウインストン・チャーチルが世界大戦後の欧州について意見を求められ‘欧州が発展するためには統合を進めることの他ない’と言っていた事が改めて思い出されるのですが・・・、それにしても、実の処、ユーロ圏の危機は、政策決定者の連帯感の欠如に根ざしたものと、言えるのではと、思料するばかりです。
(注)本項は、9月5日、ロンドンでの欧州三菱商事会社取締役 小和瀬真司氏との意見交換の成果に負うものです。
5.ギリシャのユーロ離脱問題
さて、ここで目下、注目のギリシャ問題について触れておきたいと思います。本件については、10月のEU首脳会議で取り上げられることになっていること、また、ドイツ、フランスの両首脳はギリシャのユーロ圏残留を望んでいる旨が伝えられたこと、については先に触れていますが、ここでは、ギリシャのユーロ離脱の可能性について改めてチェックしておこうと言うものです。
現在なお、ユーロ諸国、とりわけ支援負担を主導するドイツの国内からはギリシャの離脱を示唆する言動が伝えられてきています。しかし、実は制度上、離脱を示唆する法令も了解事項もありません。加えて、実体経済の生業も時間の経過とともに単一通貨の下、各国経済との融合が深まってきている状況からは、もはや離脱の可能性を云々することの合理性は薄れてきているというものです。
まず、法的制度として離脱を強制できないという環境にあって、仮に離脱があるとすれば、それは当事国、ギリシャ自身の意思によることになります。そこで仮に自発的にギリシャが離脱するとして、その場合、ギリシャは改めて自律的な政策運営が可能となることで、そのこと自体はメリットと言えましょう。一方、ギリシャの離脱はもともと信用力を欠いたメンバーの離脱であり、そのことでユーロ経済が崩れる云々、ということはなく、むしろ支援に回ってきたメンバー国の負担が軽減されユーロ圏としての経済運営はやりやすくなるという点では、ユーロ圏にとってもメリットと言えるのかもしれません。
しかし事態はそう簡単ではないのです。つまり、ギリシャは離脱することで、再びドラクマを復権させ、ニュー・ドラクマを持って国内経済の立て直しに向かうことになるでしょう。そして信頼の乏しいギリシャ通貨、ニュー・ドラクマは大幅な切り下げを余儀なくされる(注)ことになるのでしょう。このこと自体は、対外的には価格競争力を高めることになり、競争力の回復と位置付けられる処ですが、これまでの対外債務の返済となると対ニュー・ドラクマとの関係で、大幅に拡大することとなる結果、当該返済は一層困難なものとなる筈です。となると、ギリシャとしては、これまで以上の厳しい合理化は避けられず、国家としての基盤が問われて行くことにもなるというものです。
(注)The Merkel
memorandum:8月11日付 ザ・エコノミスト誌はメルケル独首相宛にスタッフが纏めたというユーロ危機対応プランBのメモを掲載していますが、その中でギリシャが離脱した場合、ドラクマはおよそ50%安になると指摘しています。http://www.economist.com/node/21560252
実務的にも、対外依存の高い企業はもとより、一般市民も、自国通貨が再評価される前に資金を国外に移転させてしまうことが想定され、国家経済の破綻を覚悟せざるを得ない状況が想定されるのです。すなわち、ユーロを離脱しそうだと思われた国では、すべて銀行に巨額の取り付け騒ぎが起き、また預金者は自分の資金をもっとしっかりしたユーロ諸国に移すことが想定されるというものです。
また仮にドラクマやペセタが復活したとしてもユーロベースで相互依存を深めてきた現実では法的にもすさまじい問題を作りだす、つまりユーロ建ての負債や契約の扱いなど、事態は世界的広がりで大混乱を招き、時に世界経済を大停滞に至らしかねないとも言うものです。
つまりは、以上の事情からみて、ギリシャのユーロ圏離脱は、べらぼうなコストを必至とし、想定しにくいということ、またギリシャがユーロを離脱するか否かを議論するには、そのタイミングを失したということで、もはや問題の次元は違ったところに移ってしまっているということなのです。とすればギリシャに求められることは、持続可能な国の形を創っていく事を旨として、関係諸国、国債金融機関等の協力を得て、更なる財政の合理化等、改革の約束を果たして行く事しかないのです。
ついでながら、仮に離脱が可能と言える国があるとすれば、それはドイツということになるでしょう。仮にドイツが支援に疲れたからといって離脱したとしても、再び強いドイツ・マルクを復活させ、独自路線での経済活動は優に可能です。実際、通貨統一で、メリットとしての経済効果をドイツは独り占めした格好にあるだけに、この結果はユーロ統一市場の崩壊は必至でしょうし、またドイツにとってもユーロ統一市場を失うことは大きな痛手ではあるはずです。更にはそのことで、世界経済の混乱を惹起することになりかねず、ドイツの世界的な立場にとっても致命的と映るはずです。
つまりは、いつまでも離脱問題を云々するのではなく、今次の‘危機’をきっかけとして、中長期的にユーロ圏経済を如何に安定させ、持続可能な姿にして行くためにはどうすることが必要か、各国の利害を超えた議論を徹底的に行うことが求められる処ですし、その具体的テーマについては前項、第4項で示した通りです。
そして、ギリシャ問題については10月の一連の会議の結果を待つことにはなるのでしょうが、現状に於いては、9月6日の理事会の合意に即した対応準備に集中していく事が必要と考えます。それだけに、現状における問題を整理し、それぞれについて合理的、戦略的枠組みを作り挙げていくこと、しかも時間軸を明確にし、対応していく事が必要と言うものです。勿論、その道は今以上に厳しいものとなるでしょうが、そのプロセスは同時に、相互支援への理解を深める道のりでもある筈です。
コロンビア大学のJ.サックス教授は、近著、`The Price of Civilization’
(文明の対価)において、経済の担うべき目標は、Efficiency(効率性の確保)、Fairness(経済的公平の確保)、Sustainability(持続可能な経済の確保)であること、そしてその目標達成を支援していく意味において政府機能の活用も必要だ、としています。
今次ユーロ経済の再生とは、欧州経済として、まさにサックスが示唆する‘目標’の達成を目指したシステム作りを意味する処と考えます。
欧州通貨危機は、当分の間続くことになるでしょう。英誌エコノミストではありませんが、このことは欧州経済のみならず、世界的にもネガテイブな影響を齎すことになる処です。それだけにグローバル経済に組み込まれた日本にとってもこのユーロ危機の行方は他人ごとではないのです。
トリシェ前ECB総裁はFinancial Timesの紙上インタービューで以下のコメントをしています。
「先進国全体の問題であることを忘れてはならない。今日の市場が荒れていないからと言って明日もそうだとは限らない」(Financial
Times, Aug.7, 2012)
6.おわりにかえて ― いま日本経済が考えねばならないこと
本年8月10日、日本の国会では「社会保障と税の一体化改革法」の成立をみました。とりわけ、一体化改革法の核とも言われた‘消費税引き上げ法案’の成立は、日本が財政の健全化に本気であることを示すものとして、評価される処です。もっとも、日本の場合、増税は高齢化や人口減少という逆境を乗り越えて経済を再生するための条件の一つに過ぎないわけで、増税法案成立で、‘はい終わり’とは勿論なるわけではありません。重要なのは税収の増大を生み、財政の再建を図ることですが、その為には日本経済の持つ成長力を引き上げていく事が何としても必定なのです。
その点では日本の教訓に代わる‘欧州の教訓’があります。先に観たようにイタリアをはじめとした南欧諸国は歳出カット等財政再建策を進めていますが、それにも拘わらず市場の信用が戻らないという事が問題なのですが、その背景として成長力が弱いことが挙げられています。一方、ドイツはと言うと、ユーロ問題が進行する中、ドイツ経済への信頼は揺らいではいません。2000年代、彼らは労働市場の改革や法人税の引き下げを進め、成長力を高めてきたことが大きいと言われています。つまりは、成長力を高めなければ財政の改善も、暮らしもよくならないという事です。
前出の経済学者クルーグマン氏はNHK TV(8月15日)のインタービューで皆が困っているときになぜに財政の緊縮に軸足を移すのか、今は財政を出動させ、雇用機会を増やし、そして税収を上げていくと言うのが常道と、繰り返し主張していましたが、納得とする処です。
同時に日本としては成長市場、アジアの活力を貿易、投資、そして人の受け入れを加速させ、取り込んでいく事が今不可欠となってきています。そうした視点からはTPPの交渉参加を決断しなければならないでしょう。更には、社会保障枠の中で最も考えられていくべきは医療問題ですが、この医療ビジネスこそは次代の成長産業となる処です。となれば、医療を巡る諸規制を開放し、自由闊達に活動できる場を作り上げていく事が必定です。
さて、この7月、日本政府はかかる環境のなか、新規戦略産業を含む「日本再生戦略」を閣議決定をしています。しかし、新規分野の指摘はともかく企業が自由闊達にそれらに与していけるかとなると、現実は当該産業に係る規制が依然として立ちはだかり、企業として闊達に動けるような仕組みにはいまだなっていないのです。
いま日本経済に問われていることは、まさに世界的な産業構造が変化する中、企業の力をいかに活し、経済基盤の向上を果たしていく、という事ですが、はたして現状は、経済の活力の維持、将来的発展となるといささか問題含みと映る処です。既にみたユーロ経済の経験(教訓)にも照らし、改めて日本経済の立ち位置を確認すること、そしてグローバルな視点から、成長力の再生に繋がる施策の具体化を支援する実践的な枠組みを作り上げていくこと、が不可欠と考えます。そして、その際、求められることは、まさに小異を捨てて大同につく姿勢であり、これらを受容する思考様式の革新なのです。
以上
著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)