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林川眞善の「経済 世界の

第6回 アベノミクス再論 ―アベノミクス効果と通貨戦争、そして‘日本を取り戻す’ために

2013/2/27

林川 眞善
 

  1. アベノミクス効果

     安倍政権が誕生したのが昨年末の26日、それから僅か2か月、安倍政権が掲げる‘三つの矢’からなる経済政策「アベノミクス」はまず、大幅な金融緩和策の実施という一本目の矢がはなたれ、二本目の矢、財政出動については大幅補正予算(13兆円)が成立したことで、経済の活性化が確実視される状況となったことで、これまで日本経済の足かせともなってきた円高の修正が一挙に進み、同時に企業の業績予想も上向き修正されるなど、日本経済の景色はまさに一変してきています。

     因みに、直近(2月25日現在)での円相場は94円77銭まで円安に、又これを受けた日経平均株価の終値は1万1662円52銭と2008年9月29日(1万1743円)以来の最高値となっており、今年に入ってからの日本株の上昇率(12.2%)は世界で突出したものとなっています。そして2月12日発表された消費者態度指数は43.1と前月から4.1ポイントも改善を示しており、消費者のデフレ心理も和らいできたと見受けられる処です。あとは‘第三の矢’である‘成長戦略’の如何が待たれると言うものです。

     こうしたアベノミクスが齎している変容ぶりについては、巷間‘信頼される期待が経済に与える影響の大きさを実証した世界経済史に残る事例’(日経、2月16日)とまでに評される処で、久しく疎んじられてきた日本の存在感の急上昇を実感させられる処です。

     しかし、日本経済復活への期待が高まる一方で、大規模金融緩和は、円安を誘導し、日本企業の競争力の回復で輸出競争の激化を起し、それが、世界的な通貨切り下げによる通貨安競争を誘発することになる、との批判が海外、とりわけ中韓、更には欧州輸出国周辺からも起こってきています。

     勿論、日本政府としては、あくまでもデフレ脱却のための金融緩和であり、円安はその結果であると、その非難に応えていますし、先の2月15日〜16日、ロシアで開かれたG20会議では「通貨の競争的な切り下げを回避する」ことで一致した処ですが、依然、自国通貨高を懸念する新興国諸国はもとより、先進国の輸出産業界からの反応も併せ、通貨摩擦の再燃、曰く‘通貨戦争’の再燃、が拭いきれない状況にある処です。ただ、こうした非難の背景には、今日的な世界経済が生業とする変化が見えてくると言うものです。

     そこで、以下では、アベノミクスが世界経済とのコンテクストにおいて対峙する問題、‘通貨戦争’について、しばし、その問題の現状とその本質について考察していく事とします。

  2. 通貨戦争を招く?アベノミクス

     近時、世界が‘貿易戦争’の言葉を意識させられたのは2010年9月のブラジル財務相ギド・マンテガ氏の発言でした。
     当時、米国自身、リーマン・ショック以降、経済の回復を目指し、米連邦準備理事会(FRB)が当時の「量的緩和(QE)」、つまり、新たに刷ったお金で国債を大量に購入したことで、大勢の投資家がより良い利回りを求めて新興国に殺到し、新興国の為替レートを上昇させ、その結果新興国経済は苦境に追いやられたとして当時、ブラジルを筆頭とする新興国は、最初の仕掛人として米国を非難したのです。そして、当時ブラジル財務大臣のギド・マンテガ氏はこのプロセスを‘通貨戦争’と表現したことで、一気に「通貨戦争」の言葉が流布され、当時の危機感を深める処となったと言うものです。

     更に、今年1月にはロシア中央銀行のアレクセイ・ウリュカエフ第一副総裁が通貨切り下げ競争の再発について警告する為に再びこの表現をもちだしています。言うまでもなくそれは、日本の大幅な金融緩和政策が齎した‘円安’を意識したリアクションというものですが、新興国のみならず、先進国からもその批判が伝わる処です。

     具体的には、韓国の場合、日本と自動車、造船、鉄鋼の輸出で競合しており、円・ウオン相場が収益を大きく左右する構造にあり、従って、円安の進行は韓国の輸出企業や証券市場にも持続的な衝撃が避けられないとし、韓国銀行(中銀)の金総裁は必要なときには、為替市場に介入することを明言するのです。また、中国も同様、日本の金融緩和に神経をとがらしています。人民元相場の上昇圧力が増し、中国の輸出産業にとって一段の減速要因になりかねないとし、また3兆ドルを超える外貨準備に占める円資産を徐々に増やしており、円安になれば人民元建てでの円資金の価値が目減りしてしまうこと、更には余剰のマネーが香港などを通じて中国国内の不動産市場に流れ込むことで、不動産価格の一段の上昇を招くことともなり、成長の足取りが不安定な経済の混乱要因となりかねず、新興国の通貨高、資源価格の上昇と言った景気のリスク要因が増す可能性もあり、そんな「通貨安戦争」を中国は警戒していると言うのです。

     ドイツのメルケル首相は、先の1月、ダボス会議で、急速な円安の進行について、安倍首相が日銀に大胆な金融政策を求めた結果であり、「日本に対する懸念が出ている」と不満をあらわにしていたのです。欧州の中でも経済の低迷が目立つフランスは、明確にユーロの水準が高すぎると考えていると言われており、近時の円安傾向に厳しい姿勢を示しているとも伝えられており、まさに「通貨戦争」誘発を想起させるものがありました。

    G20財政相・中央銀行総裁会議

     2月15日・16日、モスクワで開かれたG20、財政相・中央銀行総裁会議は、まさにそうした環境の中で開かれましたが、それだけに当該会議での最大の関心事の一つが、日本の金融政策をどう評価し、それにどう取り組むことになるのか、その推移が注目されていました。しかし会議の結論として纏められた共同声明では、日本という国を特定することなく、要は「通貨の競争的な切り下げを回避する事」、そして「金融政策は国内の物価安定と景気回復に向けられるべき」として各国は合意をし、特段の日本への非難もなく幕を閉じたのです。

     その前段としては、日本代表の麻生財務大臣、白川日銀総裁は揃って、アベノミクスで目指す金融緩和は「デフレからの脱却を目指す景気刺激策」であり、同時に「日本経済の再生は世界経済にもよい影響を与えるもの」と強く訴えた、いうなればロビー活動の成果と説明されています。が、そこには、米国、英国の支援を得たと言う事情があったと言うものです。つまり米・英共に量的緩和で通貨安になっており、とりわけ米国については既に前述のような批難を受けている経緯もあり、この際は日本の立場に立つ要があったと言うものです。

     一方、新興国通貨は、先進国での金融緩和で溢れたマネーの流入で、再び上昇しだしていると言う状況にある処ですが、いまだ急激な通貨高の弊害を叫ぶには早い状況でもあり、また、近時ユーロ高に苦しむユーロ圏各国としては、債務危機は落ち着いたものの、内需の落ち込みを輸出でカバーするにはやはりユーロ安が続いてほしいとする処であり、従ってドル安、円安によるユーロの上昇が行き過ぎないよう配慮を求めるといった事情にあるなど、極めて国による立場や思惑の違いが交叉する中での会議という事で、日本は批判の集中砲火を免れる事なく終わったと言うものでした。(日経、2012・2・24)まさに無極化の様相を呈すると言われるグローバル経済の現実を実感させられる処であり、そこには地政学的配慮もうかがえると言うものです。

     勿論、現下、現状は「副産物としての円安」という建前論にすべての国が納得したという事ではないわけで、各国の利害がぶつかり合う通貨論争の火種が消えたと言うものでない点、常に留意されていく事が肝要となっているという事です。とりわけ、金融緩和策の一つとされる‘外債購入’は露骨な為替介入とみなされる点で、現状、避けるべきは言うまでもない処です。

    まやかしの通貨戦争

     処で、このG20会議と並行する形で、英経済誌The Economistは、2月16日号の巻頭言として‘Phony currency wars – The world should welcome the monetary assertiveness of Japan and America‘(まやかしの通貨戦争―世界は日本と米国の積極的金融政策の展開を歓迎すべき)と題した論評を掲げ、通貨戦争についての不安を煽るような発言を避け、互いを叩き合うのでなく、経済の停滞と戦うべきが本筋、と主張していたのです。

     同誌の論理はこうです。戦争のレトリックは、日米両国が輸出を増やし輸入を抑制するため、直接的に自国通貨を抑えていることを示唆しているとし、であればそれはゼロサムゲームであり、保護貿易主義や貿易の激減に繋がっていく。しかし日本と米国のやっていることはそうではない。この政策の主たる目標は国内の支出と投資を刺激する事で、低い実質金利は大抵、副産物として通貨も引き下げるし、通貨安は輸入を抑える傾向があるが、この政策が内需を回復させることに成功した場合、やがて輸入の増加を齎すと言うのです。

     そして、弱い需要と抑制された物価上昇率に苦しむ経済大国での積極的な金融拡張は、諸外国にとって良いことであり、悪い事ではないとし、併せてIMFが米国の第一弾の金融緩和は、米国の貿易相手国の経済生産を最大で0.3%増加させたと結論付けたこと、又ドルは確かに下落したが、ドル安は日本がデフレ対策を強化する動機になったと指摘するのです。更に、日米両国における金融刺激策の組み合わせは、世界の投資家の信頼感にとって強力な特効薬となったとし、各国は米国と日本の行動を非難するのではなくむしろ称賛すべきであり、ユーロ圏は日米両国に倣った方がいい、と主張するものでした。

     序でながら、UCバークレー教授のバリー・アイケングリーン氏は、通貨戦争という言葉が盛んに使われることについて、次のようなコメントを寄せています。
     「現状を通貨戦争と呼ぶなら通貨戦争はもっと必要だ。米国、英国、ユーロ圏、日本が金融緩和を進めれば、資産価格は上がり、景気回復が早まる。1930年代の通貨切り下げは世界経済に悪影響を及ぼしたとの誤解もあるが(金融緩和を伴い資金供給量が増えることで)金利が下がり、投資も増え、物価は上がった。英米仏は5年に及ぶ通貨切り下げを経てデフレが解消し、大恐慌を切り抜けられた。」(日経、2013/02/16 )

     かくして、‘アベノミクス’はsupportiveな論評を得る処ですが、仮に今回の円安が適切な円レートへの修正過程であったとしても、輸出依存の体制を変えていかない限り、いつかまた来る円高への恐怖を抱え続ける羽目にもなるわけで、又、実需の伴わない大規模な量的緩和は新たなバブルの温床ともなりかねません。こうした恐怖の呪縛から逃れる唯一の方法は、やはり成長性が高く、内需を刺激する産業を育てることであり、まさに成長戦略が待たれると言うものです。
     尚、この項を終えるにあたって今一度、いま言われる‘通貨戦争’とこれまで20世紀を通じて経験したそれとの相違について、James Rickardsの近著`Currency Wars’(通貨戦争)(2012)をベースに、レビューしておきたいと思います。

    20世紀が経験した二つの通貨戦争

     改めて、‘通貨戦争’とは自国通貨の価値を他の通貨に対して、下落させることで競争力を高めようとする敵対的行為とされるものであり、これが国際経済の最も破壊的で恐ろしい展開とされるものですが、20世紀を通じて、通貨戦争は二度、起きています。

     まず、第一次通貨戦争ですが、それは1921年、第一次世界大戦後の苦難の中で大々的に始まったとされるものですが、5つの大陸で何ラウンドにもわたって戦われ、1936年に決着のつかないままに終わったと言うものです。
     この戦争はまずドイツが1921年、ハイパーインフレを発生させています。当初は競争力を高めるためだったものでしたが、のちには制御不能になり、賠償金の負担にあえいでいた経済を破壊するまでに至ったのです。次にフランスが動きます。1925年にフランの切り下げを実施し、英米に対して優位を得ます。1931年にはイギリスが金本位制から離脱して、フランスに奪われた地歩を奪回します。1933年になってアメリカが行動を起こします。やはり金に対する通貨の切り下げを行い、イギリスに奪われた輸出優位を一部奪回したのです。1936年になってフランスとイギリスが再び通貨を切り下げ、フランスは同時に金本位から離脱するのです。

     こうした、通貨切り下げや債務不履行という形で世界の主要経済国が底辺に向かって競争していく自滅的とも見える姿を見るにつけ、世界が再び巨額の政府債務という問題に直面している今、第一次通貨戦争は究極の反面教師とも映るものとも言えそうです。

     次に、第二次通貨戦争ですが、それは1967年〜1987年に起きたとされるものです。つまり第二次世界大戦後の国際通貨制度を形作ることになったルールと規範と機関(IMFと世銀)が、1944年、米国のブレトンウッズに於いて米英を中心とする連合国の主要国間で合意され、これが、会議の行われた場所の名前を取って‘ブレトンウッズ体制’として、1973年まで続いたのです。この間、通貨の安定、低インフレ、低失業、高成長、等々、第一次通貨戦争時期の状況とは全く異なる状況にあったと言うものです。

     ブレトンウッズ体制では、国際通貨制度は1オンス35ドルの交換比率で、無条件で金に兌換できる米ドルを通じて金に固定され、他の通貨は米ドルに対する為替レートを固定することで間接的に金に固定されていたのです。かかるシステムの下では、ドルの切り下げは金のドル価格の上昇を意味することになり、従って、ドルの切り下げを予想するなら、金を買うのが理に適った取引だったわけで、投資家たちの関心はロンドン金市場に向けられていったのです。その点が、第一次通貨戦争の背景構図とは基本的に異なる処です。

     そんな中、1971年8月15日、米国は国内のインフレと大幅貿易赤字で、ドル防衛を前提に突然、ブレトンウッズ体制の根幹ともなっていた金・ドル為替制度の停止と同時に10%の輸入課徴金の実施を宣言し、1973年にはIMFは戦後の国際通貨制度、ブレトンウズ体制の終焉を宣言するのです。
     そして1985年9月、ニューヨークのプラザ・ホテルで米・英・仏・西ドイツ・日本の5か国による多国間通貨調整会議が行われ、プラザ合意を見、さらに1987年初めにパリのルーブル宮殿に、これまでの5か国にカナダ・イタリアを加えた7か国が集まり、ドルをその当時の水準で安定させるためのルーブル合意に署名し、しばし国際通貨問題に相対的な平和が訪れたと言うものでした。

     勿論その後も通貨危機は発生しており、ポンド危機(1992年)、メキシコ・ペソ危機(1994年)、アジアとロシアの金融危機(1997年~1998年)など、ドル以外の危機でしたが、これらどれ一つとしてドルを脅かすものではなく、むしろドルは概ね安全な避難先とされていました。つまり、米国経済の成長率の急降下か、新たな経済大国の台頭がない限り、ドルの優位性は脅かされるようなことはなかったのです。しかし、2010年にこの二つの要因がついに合流したことで、先に見たような危機が発生する事になるのですが、その広がりの構図は、多極化した今日のグローバル経済の姿を映すものであり、同時に、この事態が示唆するのは、これまでの行動様式では対応しきれなくなってきたという現実なのです。

  3. アベノミクス(政府) と、問われる‘日銀の独立性’

     安倍晋三氏は12月に首相に就任した際、中銀、つまり日銀に向けて二つのメッセージを届けたのです。一つは2%という明確なインフレ目標へと政策を移行すること。もう一つは、その目標と整合性のある行動をとること、でした。
     果たせるかな、先月、1月22日、政府・日銀はデフレ脱却と経済成長に向けて連携を強めていく事で共同声明が出されました。まさに上述二つに向けた日銀の政策対応を確約する処となるものです。つまり、2%の物価上昇率目標を導入し、その早期実現を目指す他、2014年から無期限の金融緩和に踏み切ることとし、政府も規制改革などで、成長力の強化に努めることとする、というものです。

     安倍首相は首相就任前からデフレ脱却に向けては、物価目標を導入し、大幅金融緩和を実施し、その目標を達成していく事、そしてそのためには政府・日銀の連携の強化が必要と、選挙戦を通じて主張してきたのです。その背景には日銀の臆病な金融政策が日本のデフレを長期化した一因、との認識があったとされています。

     2008年秋のリーマン・ショック以降、ほとんどの国では量的緩和策を取り、自国通貨を安く誘導することで製造業の競争力を高める政策を取ってきていますし、そうした状況は先に述べたところです。世界中が通貨供給量を拡大する中で日本銀行がその流れに逆らえば、円が高騰するのは目に見えていたはずです。つまり、日銀の極めて臆病な金融政策が日本のデフレ長期化の一因、との認識があったためで、その点では日本のデフレ解消に向けた金融緩和はそれなりに合理とされる処です。

     日銀は安倍首相の執念に折れ、共同声明を出したと言うものですが、こうした経緯の中で問われだしたのが、日銀の中銀としての独立性が侵害されていく事になるのではとの問題でした。因みに、ドイツ連銀のバイトマン総裁は日本政府が金融政策に干渉していると批判をしています。勿論、財務相が金利を動かすようなことがあってはならない処ですが、中銀の金融政策が経済に有害であるとされる時には政府が中銀と意見交換することは極めて適切なことと思料される処です。因みに、米国の中銀たるFRBには雇用確保の問題にまで責任を負うものとされているのです。

     中央銀行としての日銀については、これまでインフレ的な運営を求める圧力がかかりやすく、この点、平成10年4月の改正法では、物価安定の確保を第一義とした日銀の独立性を担保するものとされていますし、これまでの日銀はこの趣旨をかたくなに守ってきたところです。それだけにデフレという事態への対応認識はそこには見出すことはなく、従って、デフレと言う新たな次元への政策対応が必要とされる処です。その点では、日銀が政府と連携しながら、より適切、かつ合理的な金融政策を進めることが望まれる処であり、今次の変化はそうした事態に臨むプロセスとも言える処です。因みに、内閣官房参与の浜田宏一エール大学名誉教授は日銀の独立性について「それは政策手段を自由に選べるという意味であること。従って、国民経済全体に影響を与えるような政策目標まで決めることを意味しているわけではない」と指摘しています。日銀の中銀としての独立性は尊重しつつも、環境によっては‘政策’に協力することが合理と、示唆する処と思料されます。

     現在、白川現総裁の後任人事が進んでいますが、後任総裁について「2%のインフレ目標を達成するために全力を尽くす意欲がある仁の任命を確実にすること」が安倍首相の最初の課題(英紙Financial Times、2013/2/25)とされており、実際その線で実現して行く事になるのでしょうが、ただ当該人事はかつてなく政治色の強いものとなっている点で、今後、政治とどう距離を置いていくか、が問われて行く事になる処です。

  4. 日本を取り戻す’ー 持続可能な成長への戦略課題

    TPP(Trans Pacific Partnership :環太平洋経済連携協定)参加

     2月22日、安倍首相は首相就任後の初の外国訪問先とした米国での講演で「Japan is back 」(日本は戻ってきた)と宣言し、かつての自民党政権時代の日米関係に立ち返ると、自信たっぷりに、その姿勢を強く打ち出しています。こうした自信はこれまでのアベノミクス効果を背景としたものであることは言うを待たない処です。

     さて、金融緩和と機動的な財政出動は、多くの期待を抱きながら、既に見た通り、いま成功裏に推移しています。過剰な円高水準を脱し、株価も上昇しています。次はこのトレンドをどのように成長路線に繋げていくかが、大きな問題であることは言うまでもありません。そのために必要な構造改革などの成長戦略に取り組んでいく事こそが最重要課題とされる処ですし、米国が注視するのも、まさにこの点です。そして、予て筆者は主張してきたことですが、そのリストのトップに来るべきは、この際は‘TPP’と考えます。

     円高を修正し、輸出促進を望むなら、自らも市場を開き貿易自由化に貢献する姿勢を示していかねばなりません。TPPに参加すれば、日本はよりよい輸出市場を確保するとし、その見返りに、国内市場を激しい競争に解放することになるのです。例えば、農業、医療、エネルギーなどの分野で、現在の厳しい規制を撤廃すれば、日本は生産性を向上させることができるはずです。(注)つまりは、TPPへの参加は日本の構造改革を促す起爆剤となる処であり、TPP参加と構造改革とはいまや一体の関係にあると言うものです。

    (注)日本政府内閣府では、日本がTPPに参加した場合の経済効果として、現在、輸出の増加を通じてGDPを3兆円超、押し上げると試算しています。つまり安価な農産品の流入で農林水産業の生産額は最大3.4兆円落ち込むことが予想される一方で、他の産業の伸びがそれを補うと試算するものです。

     これまで、産業の保護・育成を建前に多くの規制が敷かれ、それ故に国家として成長発展の成果をあげ、今日の経済大国を築くことが出来たのです。しかし、グローバル化が急速に進み、多国間の相互依存が進化する今日的な世界にあっては、そうした規制を必要として来た環境は一変してきており、それだけに成熟国家となった今これまでの行動様式に拘泥するような姿からは将来的な発展は期待すべくもないのです。

     改めて日本の置かれたポジションを見るとき、何としても従来からの延長ではやっていけなくなる事は十分に見えてきます。先のリポートでも触れていますが、同じレーガノミクスはいろいろな点で失政を余儀なくされていますが、それでも唯一、最大の功績は規制の撤廃を強烈に進めたことと言われています。実際、その結果は、R&Dの促進、新規産業の開発、推進等、アメリカ産業復活の基盤造りとその育成を達成したのです。いま日本に求められるのも、そうした産業の活性化に向けた戦略であり、新たな産業の育成強化なのです。

     市場の開放に繋がるTPP参加については、これまで関係業界の既得権益との調整問題が構造化してきた結果、具体的な進展は見えないままにありました。しかし、改めて日本経済の成長を支える柱は何かと考えたとき、それは日本企業と日本人の活動の舞台を広げる貿易の自由化に帰すると言うものです。今回の安倍首相の訪米で、オバマ米大統領からTPP交渉にあたっては、弾力的な条件が得られること確認されており(日米首脳共同声明)、それだけに日本としては成長戦略の一環として、早急に交渉参加を決断すべきと思料するのです。もとより参加の決定にあたっては、TPPを使ってグローバル戦略をどう進めるか、また影響を受ける分野のどこをどう守っていくか、具体的に示されて行くことが不可欠であることは言うまでもない処です。

     これまで農業団体や医師会など政界に影響力の強い勢力の反対運動があり、今もその流れには変わりません。彼らの反対とは、実は裏を返せば消費者の便益を無視したものと言えます。そうした消費者からの一票で選ばれた政治家が、限られた業界の反対で合理的な結論を得られないという事は、先のリポートで取り上げたように、まさに民主主義の危機とも映る処で、持続可能な経済を目指す立場からは、民意に応えらえる政治に変えていく事こそが、アベノミクスに求められる本質では、と思うばかりです。

     偶々、海外でコメ生産に乗り出す農業生産法人が相次いでいるとのニュースを目にしました。新潟県の‘新潟玉木農園’は2014年から欧州でコメ生産に乗り出すと言い、愛知県の‘新撰組’はタイでビール大手と組んで水田でコシヒカリを生産し、世界に輸出する、と報じられています。(日経、2013/2/16)そこには‘農業’とは言え、改革の匂いが感じられるというものです。

    日米関係の進化

     安倍首相は米国での講演では、自身が課題とするのは「日本を世界で2番目に大きな成長市場にすることだ」と断じていましたが、その為には、多くの協力者、理解者が必要と考えます。そして、そうしたコンテクストに於いてアベノミクスの成否のカギを握るのは何かと言えば、やはり日米関係の進化の如何にあり、と言えそうです。

     つまり、米政府としては日本のTPPへの参加を歓迎していると言われています。そもそも、日米関係にとっての最大の課題は、台頭する中国にどう向き合い、協力を引き出していくかにあります。TPPはそのための経済の枠組みと位置付けられており、米国として是非とも日本の参加を、という処です。従って、日本としても、こうしたいわゆる地政学的な側面への理解と協力対応は不可避となる処です。

     一方、中長期的な日本が抱える基本問題としてあるのがエネルギー問題です。いま米国では‘シェールガス革命’が急速な進展を見せており、これが米経済の今後に決定的な影響を及ぼすことになることは疑うべくもありません。このシェールガス革命は世界最大のエネルギー輸入国であった米国が輸出国に転じる事で世界の需給関係が大きく変化して行く事、しかも極めて安価とされるエネルギー、シェールガスで米製造業の再生が進むことになれば、米経済の復活が急速に進むことが予想されると言うものです。

     エネルギー資源の大量輸入国、日本にとっては、LNGの輸入を価格が5分の1の米国LNGにシフトできれば、貿易赤字を大幅に減らすことが出来ることとなり、産業の競争力の強化、持続可能な成長を担保してくれる要素とも映る処です。従って日本のTPP加盟は、安価なエネルギーを確保する上で極めて重要なことという事ですが、復権する米国との関係をより緊密なものとしていく事は、より大きな意味を持つことになると思料する次第です。

以上

 

著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)

 

 

 

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更新日:2013/03/01