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林川眞善の「経済 世界の

第9回 国際社会に容認されたアベノミクス、と サッチャーリズムの遺訓

2013/4/29

林川 眞善
 

はじめに: アベノミクスが国際的に容認された日

 4月19日、この日は日本がいま進める経済政策、いわゆるアベノミクスが3D(3-Dimensions:三次元)演出で、国際社会の容認を得、久し振りにその存在感を高め、まさに日本経済新生への旅立ちの日と、極めて印象深い一日となった日と言えそうです。

 ここで言う3D演出とは、一つ目の `D’ は、19日、アメリカのワシントンDCで開催されたG20蔵相・中銀総裁会議です。勿論 当会議には麻生財務大臣、黒田日銀総裁が出席していますが、現下で進む‘異次元の金融緩和’について、日本の政策趣旨を説明し、参加国の理解を得たという事。二つ目の `D’ は、インドネシア(スラバヤ)で開催のTPP(環太平洋経済連携協定)閣僚会議への日本の参加について関係国の事前合意を取り付けるべく19日急遽、安倍首相の命を受けて甘利経財担当相が現地に赴き、20日に合意を得たという事。そして、三つ目の‘D’は、日本で、やはり19日、午後、安倍首相自ら、日本記者クラブで記者会見を行い、医療、女性を軸とした成長戦略を発表した、ことでした。

 つまり、米国(ワシントンDC)−インドネシア(スラバヤ)−日本(東京)、と世界の三極で、しかも4月19日という同じタイミングで行われた日本政府の対外発信が、国際的に受け止められたということで、それら事案はすべてアベノミクスに収斂するという点で、アベノミクスが国際社会に於いて容認されたと言うものです。そして、当該政策への関心が一層世界的なものとなってきたと言うものです。

 アベノミクスは国内経済再生に向けた国内政策ではあるのですが、近時グローバル経済システムにあって、これが国際社会での理解と協力なくしては、所期の目標達成は難しいと、これまで筆者は、指摘してきました。

 果たせるかな、アベノミクスはこうした国際的な理解を得て前進させることが可能となったと言うこと、つまりグローバル・コンテクストにおいて容認されたということで、その限りにおいて新たな次元にシフトしだしたと言え、同時に、これら政策展開に当たっては、国際社会との連携システムの再構築も要請されていくことになるものと思料する処です。

 これまで長期のデフレ環境にあって政治の軸足は、国家財政の赤字を巡り、国民に‘負の負担’をどのように求めていくかに移ってきました。これには日本という国が人口減少社会となっていくこと、従って、労働力人口の減少、経済の縮小で、国家財政の原資がおぼつかなくなっていく、との前提に立っての準備対応というものでした。しかし、こうした考え方に捉われているばかりでは、経済活動は萎縮していき結果として日本国経済は行き詰まることになりかねません。そうした事態を少しでも避けるべく、人口問題を巡る思考様式、例えば人口減少社会は成長ができない、といった思考様式に捉われることなく、事態をイノベーテイブな視点からとらえ直す、言うなれば発想の転換が必要と、予て筆者は指摘してきました。

通念の大転換を促す成長戦略

 果たせるかな、デフレからの脱却、そして持続可能な経済としていくためには‘競争と成長’をと主張するアベノミクスの登板は、こうしたデフレ下で定着した発想の転換を促すと共に、言うなれば新たな日本づくりを示唆する処となってきたと言える処です。

 因みに、4月19日、安倍首相が示した‘成長戦略’は、6月に取り纏めが予定されている成長戦略の第一弾というものですが、各種メデイアも伝えるように医療・女性を軸としたものでした。それは高齢化に備えた再生医療、人口減を克服し即ち、ロシアや中東に先端医療をノウハウごと輸出するためにトップセールに立つと宣言。国内向けには進行する高齢化にあって「健康」を成長戦略の柱に再生医療(注)関連などの世界に通じる成長産業を生みだし、内外需要の開拓を目指さんとするもので、また人口減、労働力減を克服するため、とりわけ「女性の活躍は成長戦略の中核をなすもの」とし、女性のより一層の戦力化を図るための環境整備を行うとしています。

 

(注) 「再生医療推進法」が4月26日、参院本会で可決成立しました。これにより企業の積極関与が可能となり、再生医療の産業化も進むと期待される事になりました。

 いうなれば、全員参加型の社会をつくり、生産性を高めることを目指すと言うものです。これらは長年にわたり実現が求められてきた課題ですが、となれば、後は実行あるのみという事になる処です。そして、そのプロセスは、日本経済の構造改革のそれであり、同時に長年のデフレ下にあって固定化されてきた経済通念の大転換を促すプロセスと映る処です。

 4月13日付の英経済誌The Economistは既に、そうした変化について‘Revolution in the air’(革命の兆し)として評価すると共に、黒田金融革命が進む中、次の一手である成長戦略について、人口減少(労働力)への対応として、女性の労働市場への参加促進、そして移民労働者の促進をと、指摘すると共に、縮小する国内需要を誘発していく為にも企業が退蔵する資金の活用を促すため企業減税をと、そして成長産業として、これまで規制で保護されてきた農業、医療等産業の規制緩和を通じて競争力の強化を図るべしと、言っていましたが、まさにアベノミクスはこれら提言にも応える形で進みだしていると言うものです。

 その姿は、米コロンビア大学教授、ジェフリー・サックス(注)が経済の目標としてあげる、efficiency(効率)、fairness (公平)、sustainability (持続可能性)に向けた、新たな日本づくりのプロセスとも映る処です。

 

(注) ジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)は近著 `The Price of Civilization’ 2011 において、経済の目指すべき目標とは‘Efficiency‘, `Fairness’, そして`Sustainability’を達成していく事、と指摘します。そしてefficiencyとは経営資源(労働者)を効率的に活用し経済の繁栄(prosperity)を期すこと、fairnessとは労働者に対して経済活動の機会を広く提供していく( opportunity for all )ということ、そしてsustainability とは将来に亘り国民生活の安全環境を確保する( a safe environment for today and the future )すること、とするのです。
そして更にこれら目標達成の為には、市場経済と共に政府が前向きかつ創造的な役割を果たすことが必要とするのですが、この点になると多少、議論の残る処です

 So-far内外共に評価の高いアベノミクスですが、では、問題はないかと質せば、その現実はデリケートな問題多々という処です。そこで改めて三つの‘矢’を中心に問題の所在を確認すると共に、グローバルなコンテクストに於いてそれぞれの対応の現実について検証していきたいとお思います。

1. リスクオンに向かい出したグローバル経済とアベノミクス

  1. リスクオンの流れに寄与するアベノミクス

     この数年、世界経済はすっかりリスクオフ(リスクを取りにくい状況)になってしまっていました。つまり資金が、リスクの高い新興国市場や欧州市場からドルや円に逃げ、株式市場や不動産市場が低迷する中で安全を求めて日本や米国の国債に逃げ込んでいたという事で、いうなれば円高、ドル高の背景となるものでした。
     しかし、昨年の秋口頃からは、そうした資金が金融緩和で景気浮揚を図る日本、米国に向かい出し、リスクオフからリスクオンの方向への変化が見え始めてきました。要するにリスクをとってでも高いリターンを確保しようとする資金の動きが出始めてきたと言うことです。(「投資マネー 先進国回帰」、4月8日付 日経)

     そして、4月4日、日銀が異次元の金融緩和を決定した以降、一挙に円安に向かい(4月26日、現在 98円)、円高に苦しんだ企業の業績は大幅な改善を見せ(注)、同時に株式市場も大きく賑わす(4月26日、現在13,700円)状況にあることは周知の処です。

     

    (注) 3月期決算の上場企業の連結経常利益は、現時点(4月29日)の集計で2012年度が5%増、今年度(2013年度)は2桁増益となる見通し。業績の回復が鮮明になってきたと。(日経29日付、電子版)

     こうした急速な変化は、日本経済に対する国際的な高い関心を呼ぶ処となっていること、周知の処です。因みに、BRICsの名付け親で有名なゴールドマン・サックスのエコノミスト、J.オニール氏は、4月の退任挨拶のため訪日した際の日経(4月14日付)紙上インタビューで、次のようなコメントをしていました。つまり「現下の‘アベノミクス’がこの‘リスクオン’の流れに寄与しており、これが世界経済と市場に好ましい材料を与えている。その点で、日本が世界第3の経済国という事実を欧米は忘れていた」と。

     さて、現下で進む異次元の金融緩和策は、いまやアベノミクスのシンボル的存在となっているのですが、大量なマネーの供給はバブルを惹起し、長期金利の上昇、ハイパーインフレを起こすのでは、といった懸念も伝えられる処です。しかし日本経済の現実にとって、円高は、日本企業が近年不満をこぼしてきた「6重苦」の一つであり、未だ、高い税率、貿易、労働、環境の厳しい規制、そして、エネルギー消費の抑制が残っている、ことなど、バブルに繋がる地合いにはないといえそうです。

     実際、マネーの動きを見るに、米国経済が回復軌道に乗ってきたこと、欧州債務危機の支援枠組みがまとまったことで、欧米国債への投資リスクが軽減され、一方、日銀の超緩和策期待で日本の長期金利が下げ歩調にあることで、日本の投資家による外債投資が続く傾向にあるのです。そしてこれが円安に持続力を与え、従ってデフレ脱却に大きな役割を果たしつつある処ではあるのですが、それが経済活動の活性化を即、促すかとなると、いまだ確信が持ち得ないと言うのが現実と言えそうです。

     つまり、経済が活力を発揮し、成長を進めるには企業の設備投資が動き出すことが不可欠です。その点、上述企業の回復が鮮明となってきたとはいえ、企業がさて、雇用の拡大や、設備投資に動き出すか、未だその気配が感じられない事が基本的な問題と映る処です。

     近年、日本企業はコストの合理化、成長需要の取り込みを目指し対外投資を急速に進めてきました。2012年の対外直接投資(純額ベース)は1220億ドルと、2008年の過去最高記録とほぼ同じ水準までに達しています。ただ、ここで、重要なことは、これら投資を牽引してきたのが、あまり企業収益が為替相場に敏感ではない鉱業であり、小売、通信などの非製造業です。そして、これら業種はリーマンショック以降、日本企業の対外投資のおよそ6割を担っているという事です。近時、JETROの調査では、7割の企業が今後3年間で海外事業を拡大させるとしており、そのトレンドに変化の様子は認められません。そして海外で稼いだ利益がそのまま現地に留まり、或いは再投資されていくとしたら、期待されている円安効果で国内経済の復活を、とは、なかなか結びつきにくいという事で、そうなると益々、内需喚起に繋がる成長分野の開発を、そして投資をという事になるのですが、となるとそれなりの時間が必要という事になる処です。
     
     序でながら、4月19日付、英フィナンシャル・タイムズ紙は、IMFが鳴らした超金融緩和のリスクについての警鐘国際金融安定性報告書について、次のような指摘をしています。つまり、政策当事者は、資産バブルのリスクを懸念する事はあっても、少なくとも先進国では、資産価格が過大評価されている兆候はほとんどなく、むしろ最近の株高は、資産効果などを通じて、景気回復を促す効果があり、個人や企業が豊かになったと感じて支出を増やすことになると、指摘しています。ただ、そこで注意をすべきは「現状に満足」してしまう事で、即ち、超金融緩和策の結果、金融機関が必要な対策を先送りする余地が出てきており、その状況への監視を欠かすな というものです。

     つまり、かれらは現状、金融緩和を維持していく事は容認するとして、ただ資金が潤沢に回ることで退場すべき企業が市場に残ってしまうことになり、言うなればゾンビ企業を生むことのないよう監視機能を忘れるな、と警告しているというものです。2年前のThe Economist誌が`Turning Japanese’と題して、当時の欧米経済に対して日本化を避けるべしと警鐘を鳴らしていたことを思い起こす処ですが、穿った見方でしょうか。

  2. 規制緩和こそアベノミクスの一丁目一番地

     ところで、アベノミクスの三本目の‘矢’、成長戦略は6月に発表の予定ですが、既に発表されている第一弾については、本稿‘はじめに’の項で紹介していますが、これがアベノミクスの真価が問われる処とされるだけに、市場主導型での成長分野、成長産業が創られていくように配慮されていく事が一層求められると言うものです。つまり、成長分野を国が特定し、そこに意図的に誘導するといったことでなく、飽くまでも‘市場’が見つけていくべきものであり、またそれができるよう政府は環境整備に徹していくべきものと思料するのです。

     と言うのも、現状においては、多くの潜在的成長分野と目される分野は‘官による独占状態’にあり、民間の自由な参入が容易でないといった状況にあるのです。そうした状況を生んでいる背景にあるのが色々な規制の存在です。従って、これら弊害を打破し、企業が自由に参入していけるようにするためには規制緩和の徹底を図ることが必定というものです。つまり、いま求められる成長戦略の本質は規制緩和にあり、という事なのです。先の論文(注)に於いても触れていますが、米レーガン政権下での経済政策、レーガノミクスの最大の貢献として、規制緩和を徹底的に進めたことを挙げていますが、その結果として官から民への技術移転が進み、新規事業の開発が進み、米国経済の再生を期す処となった経験が、その戦略性を実証していると言うものです。

     

    (注) 林川眞善「‘アベノミクス’と日本経済の進路」(2013/3/17 )

     また、この7月から始まるTPP交渉は貿易、投資等に係る諸制度、21項目を対象とした多国間の通商自由化交渉ですが、その本質は参加国がお互いに‘国を開き’、自由な経済交流の場を広くし、それぞれ成長を図っていかんとするものです。もとより国を開いていく上では、国内産業の保護育成を旨としていた規制の緩和は不可欠であり、また競争条件の整合といった視点からも規制の緩和は不可避となる処です。一方、TPPが対象とする経済圏は世界のGDPの40%近く、世界貿易の3分の一を占めることになるとされており、従って、日本としても、この広大な需要市場を取り込み、優位な経済活動を展開していく為にも、自由化の障害と目される規制の緩和を積極的に進めていく事が肝要となる処です。そしてそれは予て主張してきたように、日本国内の産業構造の再編を促し、経済全体の効率化を促す処となる筈です。つまりは日本という国を‘開き’そして‘拓く’という事で、まさにアベノミクスの本当の一丁目一番地は、規制緩和にあり、と言う事になるのです。

  3. TPPは世界経済の枠組みづくり          

     さて、TPPについては前述の通り、これまで主に日本経済の再生、成長とのコンテクストでその参加の妥当性を語ってきました。勿論、TPPは基本的には多国間自由貿易の枠組み作りというものです。しかし米国が主導するTPPが登場してきたことで、実は、世界経済の枠組み再編を促すものとなってきているのです。

     近時、貿易の自由化を進める枠組みとしては、主に2国間で自由貿易協定(FTA)を結ぶ方式で進められてきています。もともと世界貿易機構(WTO)を舞台とする多国間協議が主流でしたが、加盟国が増えるにつれ先進国と途上国の対立が激しくなり、2008年以降は交渉が進んでいません。今ではWTOに見切りをつけてFTAに走る国がほとんどというのが状況です。因みに、JETRO調べでは、2012年7月現在、各国・地域が結んだFTA(発効済み)は221件の由です。

     処が、こうした世界の流れは、このTPPが俎上に乗ってきたことで、急速に変わり始めてきたと言うものです。 つまり、TPPはアジア太平洋の自由貿易圏というだけでなく、安全保障の枠組みという色彩を帯びるものとなってきたと言うことです。というのも、これに対抗する中国は韓国や東南アジアの取り込みを狙うようになってきた事情がある為というものです。
     そうした中、欧州連合(EU)はこうした動きに反応し、日本のTPP交渉参加を踏まえ、昨年11月には日本との経済連携協定(EPA)交渉に入る方針を決め、また今年の2月には米国とのFTA交渉に入るとことを発表しています。つまり、TPPの登場がトリガーとなって日米欧の自由貿易の合従連衡への新たな動きが出てきたと言う事です。それだけにGDPベースで世界経済の約55%を占める日米欧がFTAを組めば世界経済は大きく変容することが予想されると言うものです。

     こうした環境の変化を踏まえたとき、これからのTPP交渉にあたっては、日本のインタレストはさることながら、世界経済の枠組み再編の動き、そしてそこに見る日本のポジションの推移を押さえ、言うなればグローバルな変化に響く形で、効果的な枠組み作りとするよう努力すべきものと思料する次第です。

2. Thatcherism と政権運営への遺訓 

  1. Freedom fighter

     4月8日、「鉄の女」の異名をとった英国初の女性首相、マーガレット・サッチャー女史(87歳)が逝去しました。周知の通り、彼女は1979年に英国首相に就任以来11年間、没落の淵にあった英経済を復活させた政治家であり、その政治姿勢は現状維持に反対し、‘自由’に賭けるfreedom fighterと言うものでした。そして強引とも言われる手法への評価は割れる処ですが、民間と市場の力を引き出す強い変革の意志はサチャーリズムとして広く世界に浸透していった事は周知の処です。もとより、英国政治に留まることなく世界政治に多大な足跡を残した政治家として、マーガレット・サッチャーの名は世界の政治史に燦然と残るというものです。

     40数年前、初めて英国に出かけたときは、依然経済環境は厳しく、よどんだ英国がそこにあったことを覚えています。しかし、その後、86年に赴任した時の英国の風景は実に明るい自由を感じさせるものでした。いうまでもなく、当時のサッチャー政権が進めてきた改革が齎した恩恵の真っただ中にあったという事で、サッチャーリズムを肌で感じる思いでした。

     そうしたサッチャーリズムの歴史、つまりは彼女の進めた不屈の改革は、デフレ脱却を掲げアベノミクスを展開する今の日本にとって極めて貴重な先例と映る処です。そこで、この際は、英経済誌The Economist(April 13, 2013)の‘Freedom fighter’ を下敷きにしながら改めて彼女の進めた改革の足跡をレビューしていきたいと思います。

     まず、彼女は1979年、首相に就任していますが、それまでの英国では、政府が労働組合と親しく付き合い、傾きかけた国営産業には助成金を出し、ケインズ主義的な需要管理によって景気を刺激していたのです。その当時、彼女は野心家の若き政治家と言われていましたが、それでもそうしたコンセンサスに同調していたと言われています。しかし、政治は、「衰退を管理するもの」(politics should be ` the management of decline’ )との考え方が広がっていくにつれ、彼女の怒りは募っていったと言われていますが、同時に、フリードマンとハイエクの理論から、違うやり方があるはずと考えるようになったと伝えられています。

     元々彼女が首相に就くようになった背景、つまり有権者がサッチャーの所属する保守党に票を投じた背景は、それまでの労働党政権の不手際に有権者はうんざりしてきたためで、従って、その結果はアンチ・テーゼというもので、もとより彼女の改革主義的考え方などは、ほとんど見えていなかったと言われています。 その限りにおいては、日本の民主党が自民党にとって代わって政権に就いた事情と酷似する処です。しかし違うのは、サッチャー政権は11年という長きに続き、しかも改革を信念として、やり遂げていったという事実でした。彼女が政界から引退後、来日した折の講演で、‘政治にはコンセサスは必要ありません。必要なのは意思決定であり、その実行だけです’と言い放ったのですが、これまで決められない政治の代表格とされてきた日本にとって印象深い言葉として今も残る処です。

  2. サッチャー革命

     さて、その後の英国で起きたのは、周知のサッチャーリズムとされる‘経済改革’でした。国営産業を民営化し、労働組合との交渉を拒み、国家管理を撤廃し、炭鉱労働者のストライキを打ち負かし、ケインズ主義に代えてフリードマンのマネタリズムを導入していきます。また、「開かれた国」も掲げ1979年には外為管理をやめ、1986年には「ビッグバン」と言われる証券取引所の手数料自由化など大幅な規制緩和を進め、海外の金融機関や企業の資金を呼び込み、市場主導で経済を伸ばす路線を目指しています。まさにサッチャーリズムの真骨頂という処です。

     こうした改革を進めたことで、インフレ率は1975年には27%であったものが1986年の夏には2.4%までに下がり、ストライキで失われた労働日数は1979年には2900万日・人だったが、1986年には200万日・人まで減少しています。又最高税率は83%から40%に引き下げられていったのです。

     勿論すべてがOKといったことではありません。この間の市場主義、自由主義の下で、自由度を増した金融機関の暴走、福祉を一様に切り捨てたことによる不平等の拡大、等、反対する動き、反サッチャーの動きは絶えることはなく、更にはサッチャーリズムなければ金融ビッグバンもなければ、英国が今のようにもがき苦しむこともなかったとする批判も今なお聞かれる処です。因みに4月17日のサッチャー葬儀時、トラファルガー広場では、彼女の死を祝う集会までも行われていたのですが、その極みという処です。

     そうした主張の一部には納得のいくものもある処です。だが一方で、サッチャーリズムがなければ英国経済は今尚、国家の管理下で泥沼に嵌まり込んでいたであろうし、そこでは労働組合が一大勢力となり、由々しき状況が続くことになっていただろうことは十分に予想できるとこです。

    ‘ 国が栄えるためには、国民は国家の肥大化に抵抗しなければならない’とはサッチャーの基本信念と言われています。先進国では、いま経済に於ける国の比率が着実に上昇している事情に照らすとき、サッチャーリズムの必要性は、薄れるどころか、これまで以上に高まっていると言えるのでは、と思料する次第です。

     さて、日本でのアベノミクスは金融緩和や財政出動の手を打ち、国際社会の容認を得て推移しつつありますが、正念場となる構造改革はこれからです。持続可能な経済に再生していくためにはグローバル経済の今日的環境に照らし、自由貿易体制の早い確立が求められる処であり、官僚や既得権益の抵抗を跳ね返す規制緩和が急務です。サッチャー氏のこうした覚悟こそは手本になる処と思うばかりです。

おわりに

 金融、財政、成長戦略がアベノミクスの「三本の矢」というならば、政権運営にとって、経済、国会、外交が「三本の矢」とも言われています。さて、この内、‘経済’については、アベノミクスの下、順調に進んでいる処ですし、‘国会’については、この夏の参院選挙の予想も含めて、自民党を中心に安定した国会運営が予想される処です。問題は次の‘外交’ですが、とりわけ対中、対韓の関係が極めて不確実な様相にあることが気になる処です。

 本稿執筆中の27日、現職大臣を含む国会議員団による靖国神社参拝が行われたのです。昨年来、日中、日韓においては、いわゆる領有権問題が徐々に尖鋭化してきており未だその解決のめどの立たない状況にあってのことです。勿論、中国、韓国両政府は一斉に対日批判を高め、予定されていた二国間の大臣協議もキャンセルされる事態に至っています。加えて、同盟国たる米政府までも、ワシントンでの記者会見で、日本政府への直接批判は避けてはいるものの、日中、日韓に係る日本政府の動きに懸念を持っていると発言しており、ワシンポスト紙に至っては、「歴史を直視できない安倍首相」と極めて痛烈な批判を行っています。

 一方の安倍首相は国会で「我が国の歴史認識が外交問題になるとは考えていない」と発言しているのですが、外交と内政が響きあうのは昔からの常識とされる処です。どうも外交音痴の発言としか映りません。折角、アベノミクスが国際社会に受け入れられ、彼らの理解と協力を得て進みだし、久し振りに世界の中の日本を認識させ、新生日本を売り出そうとする矢先だけに、なんとも言いようのない日本政治の感性の乏しさを実感させられる思いです。

 画竜点睛を欠くと言うには、あまりにも大きな影響を齎す処であり、‘アベノミクス’を支持する立場からは、早急な改善をと、願うばかりですが、それは筆者だけの思いという事でしょうか。

以上

 

著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)

 

 

 

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更新日:2013/04/30