第17回  『 片岡 秀太郎の右脳インタビュー 』        
2007年4月1日

郷原 信郎さん 
桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター センター長
 
 
 

郷原 信郎氏 プロフィール
 
桐蔭横浜大学法科大学院教授  コンプライアンス研究センター センター長
弁護士
 
1955年 島根県生まれ
1977年 東京大学理学部卒業
1983年 検事任官
公正取引委員会事務局審査部付検事、東京地検検事、
広島地検特別刑事部長、法務省法務総合研究所研究官、
長崎地検次席検事、東京地検検事(八王子支部副部長)
などを経て2003年から桐蔭横浜大学大学院特任教授を兼任
2003年 法務省法務総合研究所総括研究官兼教官
2005年 桐蔭横浜大学法科大学院教授(派遣検事)、
コンプライアンス研究センター センター長就任
2006年 検事を退官し、教授・センター長職の専任となる

 
著書

『法令遵守』が日本を滅ぼす 郷原 信郎 著 新潮新書 2007年
入札関連犯罪の理論と実務〜談合構造解消に向けて〜 郷原 信郎 著 東京法令出版 2006年
企業法とコンプライアンス〜“法令遵守”から“社会的要請への適応へ”〜
郷原 信郎 著 東洋経済、2006年
コンプライアンス革命〜コンプライアンス=法令遵守が招いた企業の危機〜
郷原 信郎 著 文芸社、2005年
独占禁止法の日本的構造−制裁・措置の座標軸的分析−
郷原 信郎 著 清文社、2004年


 

片岡:

第17回の右脳インタビューはコンプライアンスの専門家としてご活躍の郷原信郎さんです。本日はご多忙の中、有難うございます。それでは、ご足跡などお伺いしながらインタビューを始めさせて戴きたいと思います。
 

郷原

私の場合、20代までは何をすべきかがわからないというのが実情でした。何となく理科系の人間のような気がして理学部で地学を学び、鉱山会社に就職しましたが、一生の仕事ではないと感じて退社、独学で司法試験に挑みました。これは特に目的意識を持っていたわけではなく、それまで積み上げてきたものを全て捨てるわけですから、確かなポジションで皆と同じスタートを切る事ができる司法試験は効率的だと考えたからです。また理系出身の若い人材は珍しく、検察庁(注1)から積極的な勧誘を受けて検事の道を選びました。そして、もともと商法、会社法が好きで、司法研修生の頃は実際に株式の運用も行うなど経済に自信があったこともあり、8年目には公正取引員会に出向となりました。行政の仕事に関わったわけですが、司法との違いは鮮烈で、また検察との調整役となるアドバイザー的な立場だったこともあって双方を客観的な視点から見ることも出来ました。その後、検察に戻り、東京地検特捜部や法務総合研究所等を経て、長崎行きの辞令が下されます。
 

片岡:

長崎では県発注工事に絡んだ不正献金事件(注2)で自民党県連への捜査を指揮されたそうですが、一地方検察が政権与党の自民党県連に切り込むという事は大変なことだったのではないでしょうか。
 

郷原

実際、非常に稀なことでした。この時は大艦巨砲主義的だった従来捜査手法を、いわば機動部隊による近代的なものへと変更しました。しかし巨大で保守的な検察庁を内部から変革することは難しいものです。そこで検事の身分のままの桐蔭横浜大学(注3)の特任教授に就きました。こうする事で、検事としてではなく、大学教授としてものを書く、つまり個人として発言することができます。今の日本は、法令と社会の実態が乖離しており、制裁制度などを体系的な研究の基で変革していくことが必要です。そうした立場から官僚に訴えてきましたが、一向に動きません。ならば制裁を受ける側の企業のコンプライアンス(compliance)という立場から政策に反映させればいいわけです。そこで鵜川昇学長(注4)に提案してコンプライアンス研究センター(注5)を立ち上げ、検事を退任しました。
 

片岡:

『企業側から・・・』ということですが、日本では、民衆が勝ち取る権利としての法の側面についての議論が殆どなされてこなかったように思います。
 

郷原

日本では、法は輸入されてきたもので、民衆が自ら法律を創ってきたという経験がなく法への関心が薄い傾向があります。そうした事もあり、戦後の経済復興、高度経済成長を支えてきた官僚統制経済の中で、法律に基づかない行政指導によって企業活動がコントロールされ、法令と実態が乖離して違法行為が常態化するようになりました。例えば、談合は違法行為でありながら、非公式システムとして経済成長の中で入札や契約制度の不備を補い公共調達を円滑化し、また富を再分配するなど半ば公的な性格も持っていました。しかし経済が低成長に移行すると弊害のほうが大きくなり、談合システムの違法性ばかりが強調されて、制裁強化一辺倒に偏り、談合をやめさせることが自己目的化してしまいました。本来は日本の公共調達システムのあるべき姿を再検討することこそ必要なのですが、全国に蔓延した談合体質を制裁強化だけでなくそうとすれば、相当な年月がかかり、その間に国家のインフラを担う建設業界に過剰な混乱と弊害を招きます。また2000年には国家公務員倫理法(注6)が施行され、その遵守が徹底されることで官僚と企業人との関係が切断されました。米国でも公務員と民間人との交際に厳しいルールはありますが、同時に官と民の間に人材の流動性があります。終身雇用制の日本では状況が異なり、官僚が経済社会の実情をきちんと把握することが難くなりました。さらに、衆人環視の中で行われる勧善懲悪のドラマのような劇場型捜査と単純に法令遵守(順守)的に反応するマスメディアの報道によって弊害が広がり、法令遵守至上主義的な社会風潮が広がっています。
 

片岡:

不祥事を起こした企業も『今後は法令遵守を徹底して参ります・・・・』といった謝罪会見を繰り返しております。
 

郷原

そこが問題です。例えば、パロマ工業の問題(注7)では、少なくとも『法令遵守』の観点から言えば、その対応には殆ど問題がなかったと言えます。『不正改造を行った修理業者の問題』という主張は法的対応としては正当なもので、刑事・民事の訴訟を回避して和解金の支払い程度にとどめてきており、企業法務のベスト・プラクティスと言ってもいいものです。しかし多くの死者が出ているという事実の本質を見ずに、こうした法令遵守的対応を取り続けてきたことで、メーカーとしての社会的責任を果たすこととの間に大きなギャップを生み、結果的に大きな社会的非難が集まり、経営的にも大打撃を受けました。
 

片岡:

それでは、司法制度については如何でしょうか。先日、ライブドア事件(注8)に東京地裁の判決が下されました。証券市場の中で起きた象徴的な経済事件だっただけに、判決にはやや肩透かしのような印象があります。
 

郷原

今回の判決は『雰囲気に支配された情緒的判決』といってもいいものでした。本来、この事件は今日的なさまざまな問題を含んでおり、その一つひとつの判断が今後の企業の経済活動に大きな影響を及ぼすため、経済社会でのルール違反行為に対する制裁としての客観性が求められていました。例えば『自社株売買益を売上計上することが違法だと堀江被告が認識していたかどうか』は今回の判決で判断が示されませんでしたが重要な問題点です。刑法の一般的な考え方としては、その行為が違法だと認識していることは犯罪成立の要件ではなく、今回も裁判所は違法と認識していることは必要ないと判断したのかも知れません。しかし、これは常識的な倫理観・道徳観をベースにしている殺人や窃盗などの刑法犯に対してはいいのですが、政策的要素で頻繁に変わっていく経済法令に関して同じような考え方をとると、経済活動を不当に制約することになりかねません。経済犯罪、企業犯罪においては、違法性の認識を刑事処罰の対象とするための重要な要件と考えるべきです。
 

片岡:

こうした判決の考え方は、どのような問題を齎すのでしょうか。
 

郷原

例えば、日興コーディアル証券の粉飾決算の事件(注9)では、特別目的会社(SPC: Special Purpose Company)を連結の対象とせず損失を計上しなかった会計処理が違法であることを社長ら会社幹部が認識していたと言えるかどうかは微妙だと思います。今回の判決が違法性の認識は必要ないという考え方をとっているとすると、日興コーディアル証券の事件も刑事事件として立件可能ということになり、同じ粉飾決算で、金額も遥かに大きいのに、刑事処罰の対象とされない最大の理由もなくなってしまいます。
 

片岡:

司法が企業活動の実態に即しておらず、また適切に機能していないわけですね。
 

郷原

今の証券市場は昔と比較にならないほど社会的、経済的機能が巨大化し、その実態に法令の執行体制が追いついていません。このような『法治国家でない』日本で、実態と乖離した法令と柔軟性を欠いた司法・行政のままで、『法令遵守』を徹底しろと言うだけでは本当の意味で法が機能することにはなりません。法令の限界を乗り越え、その背後にある社会的な要請に柔軟に応えながら目的を実現していくことが、真のコンプライアンスです。よく新聞やTVでは『コンプライアンス=法令遵守』と単純に置き換えられる事が多くありますが、この『組織が社会的要請に応えること』こそ、定義として相応しく、そうした観点から組織のあり方を見直す事が必要と考えています。その具体的な手法は、第一に、社会的要請を把握し、基本方針の確立・宣言する。第二に、そのための組織を構築する。そして刻々と変化する社会状況に対応していく事も必要です。第三に、組織を方針実現に向けて機能させる(予防的コンプライアンス)。第四に、そうした方針に反する行為が実際に行われたり、その疑いがあるときに原因を究明し再発を防止する事(治療的コンプライアンス)。そして第五に、組織が活動する環境自体に問題がある場合に、環境自体を改めていくこと(環境整備コンプライアンス)です。この5つをあわせたものが『フルセット・コンプライアンス』です。
 

片岡 機械的な法令遵守とはまったく異なる発想ですね。本日は、貴重なお話を有難うございました。
 

(敬称略)

−完−

 

インタビュー後記

郷原さんはコンプライアンス研究センターのセンター長として活躍する一方、自ら法律事務所を立ち上げ、大手監査法人のあらゆる業務をコンプライアンスの視点から徹底的に見直すプロジェクトなどにも取り組み、また現在、不二家(注10)が設置した信頼回復対策会議の議長を務めるなど多方面から積極的にコンプライアンスの普及に取り組んでいます。さて、コンプライアンス研究センターは、何かと話題の多い六本木ヒルズにあります。日本の新しいコンプライアンスの波が、ヒルズを中心に広がることもまた象徴的です。

  

 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

検察庁
http://www.kensatsu.go.jp/
検事総長 但木 敬一
検察庁には、最高検察庁(1庁)・高等検察庁(8庁)・地方検察庁(50庁)・区検察庁(438庁)の4種類があり、裁判所に対応して置かれている。検察官2400人、検察事務官9000人より構成されている。検察庁は検察官各人の独任官庁としての性質を持つが、行政機関として検事総長を長とした指揮命令系統に従う。法務大臣は下部組織である検察庁に対し、必要以上の政治的介入等を防止する観点から、具体的事案に対する指揮権の発動は検事総長を通じてのみ行い得るとの制限が規定されている。
東京地検・大阪地検・名古屋地検には特別捜査部(通称:特捜部)が設置されており、ある。ます。特捜部は,東京・大阪・名古屋の地方検察庁にだけ置かれている部で、警察の関与なしに検察庁自らが検挙摘発を行う独自捜査を主体とし、政治家などによる汚職事件や法律や経済についての高度な知識を必要とする企業犯罪・多額の脱税事件などを扱う。
  

注2 

自民党長崎県連の違法献金事件 
自民党長崎県連(自由民主党長崎県支部連合会)の当時の自民党県連の幹事長と事務局長が、県の発注工事を受注していたゼネコンの福岡市内にある支店を2002年の知事選前に訪問、知事選の資金名目で献金を要求した。長崎地検は、公共工事の受注企業に対する、発注元の自治体の選挙に関する献金要求を禁じる公職選挙法を適用して2人を逮捕した(長崎地裁は2人に有罪判決を言い渡した)。政党組織への献金を公選法違反で摘発した全国初のケースとして注目された。
 

注3 

学校法人桐蔭学園
http://www.cc.toin.ac.jp/index.html
『真のエリートの育成』を目指して1964年に設立された幼稚園から大学院、総合病院を擁する大規模な学校法人。
理事長 鵜川 昇
住所 〒225-8502 神奈川県横浜市青葉区鉄町1614 
専任教員 482人 専任職員 180人 

桐蔭横浜大学 共学 収容定員数  1,772人 
    工学部 450人 
    医用工学部 150人 
    法学部 870人 
    工学研究科(修士)48人 
    工学研究科(博士) 18人 
    法学研究科(修士) 20人 
    法学研究科(博士) 6人 
    法務研究科(専門職) 210人 
桐蔭学園高等学校 共学 収容定員数  4,260人 
桐蔭学園中学校 共学 収容定員数  1,650人 
桐蔭学園中等教育学校 男子校 収容定員数  960人 
桐蔭学園小学部 共学 収容定員数  720人 
桐蔭学園幼稚部 共学 収容定員数  140人 

その他、ドイツ桐蔭学園、桐蔭生涯学習センター等を有する。
 

注4

鵜川 昇
1920年生まれ。東京高等師範学校卒業。都立小山台高校教諭などを経て、1964年桐蔭学園を開校、高校長に就任。現在、学校法人 桐蔭学園 理事長・校長。
自民党かながわ政治大学校 校長
http://www.kanagawa-jimin.jp/k-daigaku/index.html
医療法人社団緑成会横浜総合病院 理事長
http://www.yokoso.or.jp/
 

注5

桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター
センター長 郷原 信郎
http://www.cc.toin.ac.jp/crc/center-head.html
〒106-6117 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー17階 私書箱98号
TEL: 03-5775-0654  FAX: 03-5775-0652 E-mail: crc@cc.toin.ac.jp
http://www.cc.toin.ac.jp/crc/index2.html
 

注6

国家公務員倫理法
2000年4月1日施行
http://www.jinji.go.jp/rinri/detail1/index2.htm
 

注7

パロマガス湯沸かし器事故については下記サイトを参照。
http://www.asahi.com/special/060717/
 

注8

ライブドア問題については下記サイト等を参照。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/wadai/news/20070317k0000m040168000c.html
http://www.asahi.com/national/update/0316/TKY200703160052.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070316it04.htm
 

注9

日興コーディアルグループ不正会計問題については下記サイトを参照
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/nikko_cordial_group/
 

注10

不二家問題については下記サイトを参照。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fujiya/
http://www.asahi.com/special/070115/
 


(敬称略)

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー


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