第55回  『 右脳インタビュー 』                   2010年6月1日

渋谷 弘延 さん

社団法人 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 理事・事務局長

 

  
プロフィール

1946年佐賀県生れ。Baldwin-Wallace College卒、School for International Training修了。国際連合 広報センター所長、国連大学 ニューヨーク連絡事務所長、米日財団専務理事・事務局長、電通・バーソン・マーステラー社(ニューヨーク)代表取締役社長、国連環境開発会議「地球サミット」事務局長特別顧問、国際連合児童基金(ユニセフ)事務局長上級顧問、東アジア太平洋地域事務所特別顧問等を歴任。2006年より現職。

片岡:

今月の右脳インタビューは渋谷弘延さんです。まずはご足跡等お伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

渋谷

高校の時に米国に交換留学、そのまま奨学金を得て米国の大学へ進学しました。大学では反戦運動や学生運動にのめり込み、ヨーロッパに渡って国際連合学生連盟の事務局次長等を務めながら南アのアパルトヘイト解放運動やアフリカ開発運動等に取り組みました。その後、国連に入り若い人たちへ開発協力の意義を啓蒙する活動に従事、29歳の時に広報センターの所長、32歳で国連大学のニューヨークの代表となりました。
 

片岡:

国連大学は誘致合戦が話題となりました。
 

渋谷

実は東京に国連大学を設置するということが定款に元々入っていたのですが、それでも全国の知事から多くの誘いがあり、特に神奈川県は国際村を創る構想があったこともあって熱心でした。この時は学長顧問の永井道雄(元文部大臣)が尽力し、東京と湘南を天秤にかけながら、東京都から99年リースで土地を取得、建物は日本政府に建ててもらいました。そうして日本に来る機会も増えましたが、国連大学の理事の前田義徳(注1)(元NHK会長)には大変可愛がられました。前田は外務省の顧問で、同省の人事にまで大変な影響力を持つ人でした。その後、その前田の抜擢で米日財団(注2)の専務理事に就任、同財団が100億円の基金を持ち、寄付する側だったこともあり、米国を動かすような要人たちとも親しく接する機会を得ました。彼らは年齢も気にせず、話し合って価値ある人間と思えば付き合いが広がります。
 

片岡:

そうした米国の要人は、日本についてどのような興味を持っていたのでしょうか。
 

渋谷

バブル期だったこともあり、端的にいうと、日本の文化は別として、経済的に米国にどういう影響を与えるかということにしか彼らの興味はありませんでした。また彼らが日本と付き合って一番苦労したのは顔が見えないことでした。財界、経団連という凄いビジネスグループがあることは分かっていましたが、では一体経営者はどういう人か、それがわかりませんでした。そうした中、米メディア界の重鎮が「君は将来、日米関係にとって重要な人物となるだろう。それにはビジネスを知ることが必要だ」といって色々な要人を紹介してくれ、その一人がYoung & Rubicam(注3)の会長でした。当時はソニーがColumbia Picturesを買収した時期でジャパン・バッシングが起き、米国では普通になっていたいわゆるCSR(Corporate Social Responsibility)(注4)の日本企業にとっての必要性をひしひしと感じていました。そこで日系企業が米国の地域社会に溶け込む手伝いをしようと、Young & Rubicam傘下で世界最大のPR会社であるBurson-Marsteller(注5)に入りました。その時、Harold Burson会長には「電通と組まない限り、働く気はない」ともお伝えしました。電通を絡めることで日本の実態も掴めるし、私自身、電通を勉強したいと思っていました。というのは、日本はなかなか変わらないという議論がありますが、私は電通が情報を握り自由にする強大な力を持っていることも理由の一つだと思っていたからです。そして電通は非常にドメスティックな考え方を持った会社でした。しかし、その電通も、国際化の波が日本へ押し寄せてきた結果、国内でのシェアが減ってきて、そこで海外でも日本企業の面倒を見ることが出来るようにと海外進出や提携を始めたところでした。
 

片岡:

電通Burson-Marsteller(ニューヨーク)では、日本企業の米国でのPR活動を数多く支援なさりましたが、今回のトヨタの問題はどのようにお感じでしょうか。
 

渋谷

これはトヨタだけでなく、日本の多くの企業が持っている大きな問題です。日本企業は、ある意味で責任感とも言えますが、現地法人をコントロールしたがります。また何かが起こった時に、日本の文化にはさらけ出すことを嫌う傾向があります。今回のように戦略的にやらないといけない場合は逆で、最初に最も悪い情報をさらけ出し、最悪の状態からだんだん良くなるようにするのが危機管理の鉄則です。またトップは最後まで出してはいけません。最後の最後までこだわって、結果的に、隠したと言われてしまい、それでトップが出てきて謝りました。収まったと言っていますが、まだまだ難しいでしょう。これは文化の違いです。また現地に赴任する日本人社員の多くは、郷に入れば郷に従えという姿勢が出来ていません。例えばある会社が米国の片田舎に工場を建てました。信じられないような文化のギャップがある上に、日本人は東京(本社)だけに目を向けていて現地の社員とのコミュニケーションが出来ていません。一方、現地採用の人は初めから社長になる可能性がないので、日本人に対する偏見を強めるばかりです。また日本でものを売る場合、会社の理念や存在意義を説明する必要がなく、日本人はそうした説明が苦手です。その結果、米国で、良い製品を造り、雇用を生み、税金を払っているのに何が悪いのか…という意識から始まってしまっています。また日本から来た工場長の下には日本から来たスタッフがいますが、彼らが何をしているかというと、会議中は発言もせずに座っていて、会議が終わると一生懸命に書類を集めます。そしてそれを日本にFaxして上司に説明し、深夜まで会社で指示を待っています。米国人から見ると滑稽でしょうがありません。
 

片岡: 現地の日本人トップへも含めて、権限を殆ど渡していないということですね。
 

渋谷

その慣習が今回のトヨタ問題にも繋がっています。これはトヨタだけではありませんが、情報は何でもいいから流させ、現地法人に実権を与えません。一方、韓国や中国企業は喜んで国籍性別を問わず、優秀な人材を採用し権限を与えています。苦労して提携しても、日本企業には違ったアイデアを持っている企業を使いこなす度量がなく、これはなかなか変わりません。日本人には目先の改善を行う賢さがあり、それがかえって抜本的な改革を起こり難くさせているからです。また異国で本当の苦労をしながら叩き上げてきた日本人もいるのに、日本はそうした人を活用しようとしません。国際化というのはただ単に海外に同胞を持つ、或いはコミュニケーションをどうするといった問題ではなく、その中で、日本の社会体制自体が今までのままでは維持できなくなってきていることです。そのためのオプションを考えなくてはいけませんが、国際社会で本当の苦労をした経験がない人が考えているので、オプションが見えません。その結果、現状の体制の中でどう変えていけばいいか、どう作用させていくかといったことしか議論できていません。
 

片岡:

国際化の中で、NGOはどういった役割を担っていくのでしょうか。
 

渋谷

元々日本には和を保つ独特の社会体制があってNGO等のセクターがなくても済んでいました。戦後の経済復興の後にバブル経済があり、そうした体質のまま改善されずに来て、自力で改善しようとした時には長い不況で進みません。そうしている間に先進国どころか、台湾、中国、ベトナムといったアジア諸国までもが戦略的考えをもって体制を進め、単に官に頼むのではなく、企業や個人、労働組合等が金、人材を出し合って、その国を発展させるために不可欠な手段としてどんどん第3セクターを育成し、ソシアルインフラを作ってきました。ですからボランティア精神だけでなく、組織のプロ化も必要だし、社会環境もそういうことを促進できなくてはいけません。これは欧米式だからというのではなく、それしか手段がないからです。今後、企業は益々国外に進出していくでしょう。それは中国、南米であり、新興国、途上国です。更にITの発展で民が情報を持ち、透明性が当たり前になっていく世界で商売していくことが必要です。もはや政府の役人と契約結んでダムをつくればよいというものではなく、海外進出は民のサポートを得ない限り出来なくなってきています。きれいごとではなく、民を絡ませ、味方にしなくてはいけません。そのためにはパートナーが必要で、それはNGOが最適です。なぜ、サムソンが強いか、ただ単に技術的なことではなく、マーケティング・アプローチが日本とは比べ物になりません。そんなことは皆分かっているはずです。それでもやらないのは、変えることに対する抵抗感です。日本の官僚などのエリートは大変優秀です。しかし、その人が自分なりにもっているものを出さないままであきらめてしまいます。それが変わらない実態です。過去はそれでよかったかもしれません。しかし、今はITが発達し、国際化も進展、否が応でも共通のフレームワークを使わなくてはならず、日本の常識をゴリ押しすることもできません。だからこそNGOのような組織に若い人を集め、経験を積んで貰いたいと思っています。将来こういう組織が本物、当たり前になってくるはずです。
 

片岡:

Save the Children(注6)の活動は理念や活動内容は勿論ですが、オペレーションの質や事業規模も含めて非常に高い評価を世界各国で得ています。
 

渋谷

世界のNGOの指導者には閣僚クラスや企業の経営者等、社会的地位を持った人々、自由と権利を勝ち取った人たちが数多くいます。そして金融業界で何億と稼ぐような給与はありませんが、一流企業と遜色のない給与を貰う人もいます。だからNGOから国連に転職した後に面白くないからといって再びNGOに戻ってくる人もいます。それは財政面のギャップがないからです。つまりNGOだから給与にお金を使わないということではなく、どう効率的に使うかが大切です。勿論、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンでもしっかりとした給与を出すように努めています。また現在、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの事業活動収入は11億円、世界全体では1200億円規模です。大部分は米国と英国で、全体の75%を占めます。そしてスウェーデン、デンマーク、ノルウェー…、韓国も日本より大きい規模を持っています。韓国は既存の財団を引き継いだということもありますが、伝統的に分権意識が強く、所謂NGOが確立され先端を行っていて、日本では厚生労働省が行っているような事業もNGOに委託されます。韓国には語学力だけでなく、メンタリティーも含めて、国際的な場で活躍できる人材が格段に多くいます。ベトナムだって物凄く進んでいて、日本が一番遅れています。その弱さが国際人道や国際開発協力の分野に良く表れてきます。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

〜完〜 (敬称略)

 

 

インタビュー後記

渋谷さんのオフィスには一人の老農場主の写真が飾られています。今年96歳になるその老人は米国の農協、共済運動の重鎮です。渋谷さんが留学した時のホストファミリーで、始めてあったその日に「ここに3日でも3年でも、30年いてもいい。でもお客としては扱わない」といって実の家族のように受け入れてくれたそうです。最も尊敬する人で、父のように慕い、40年以上たった今でも親しくなさっています。

 

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田義徳

 

注2

下記をご参照下さい。
http://www.us-jf.org/japanese.html

注3

下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤング・アンド・ルビカム
http://www.yr.com/ (公式ページ)

注4

下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/企業の社会的責任 

注5

下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バーソン・マーステラ
http://www.burson-marsteller.com/ (世界)
http://www.b-m.co.jp/ (日本)

注6

下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/セーブ・ザ・チルドレン
http://www.savechildren.or.jp (公式ページ:日本)
http://www.savethechildren.net/alliance/index.html (公式ページ:世界)

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー


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