第26回  『 右脳インタビュー 』        2008年1月1日

岩見 隆夫さん 政治ジャーナリスト 
 
 

プロフィール
 
1935年旧満州大連生まれ、山口県防府市育ち。京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長、毎日新聞東京本社編集局顧問等を歴任。現在、毎日新聞客員編集委員。
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/ (コラム)

主な著書
『昭和の妖怪 岸信介』 朝日ソノラマ、1994年
『陛下の御質問-昭和天皇と戦後政治』 文藝春秋、2005年
『孤高の暴君 小泉純一郎』 大和書房、2006年
その他、著書多数

 

片岡:

第26回の右脳インタビューは政治ジャーナリストの岩見隆夫さんです。本日は、ご多忙の中、有難うございます。それではメディアの世界に足を踏み入れた切欠などお聞きしながらインタビューを始めたいと思います。宜しくお願い致します。
 

岩見

中学2年生の時ですが、校長先生が開明的な方で、学校新聞を出すというので手をあげました。印刷所で活字を組んだり、学校新聞のコンクールに出たり、門司の毎日新聞社を見学したり、新聞というものの匂いを嗅いでしまったのですね。それで、やみつきです。京都大学に入学するとすぐに京都大学新聞社(注1)に入りました。京大新聞社は株式会社ではありませんが給与も多少出ます。京大の学者を総動員して大判の新聞を発行し、全国の大学等へ配っていましたので、4年間は朝から晩まで取材と編集、広告取りなど、講義にでる暇もありません。3年の時には編集長を務めましたし、学者に原稿を依頼したり、京大にあった記者クラブ(注2)の人と交流したり、そうしたこともあってメディアへ行くことしか思い浮かびませんでした。
 

片岡:

毎日新聞社を選んだのはなぜでしょうか?
 

岩見

朝日や日経など手当たり次第に受け、新聞では毎日新聞だけがなんとか引っかかりました。当時は就職難で1000人の応募に対して記者採用が4人、くじ引きみたいなものです。その後は、ずっと毎日新聞だけできて、定年の時も連載中のコラムがあったので、そのまま続けることになりました。ただこの世界は難しく、先輩からは早く辞めろと言われていました。いつまでも毎日新聞の枠の中にいると『毎日新聞の男』という色がついて『岩見』で生きることができなくなるからです。幾度か社に辞意を伝え、その度にコラムが引っかかってきましたが、今年の3月末、丸49年を期に職を辞し、飛鳥U(100日間の世界一周旅行)(注3)に乗船しました。クルーズというよりは、すべてをご破算にするためでした。当然TVもコラムも辞めたのですが、帰ってみると少し元に戻って、まだコラムを続けています。本当のことをいうとマンネリで、やめた方がいいと自分でも思っているのですが、多少、読者もついているので、誌数が落ちることを社は心配しているようです。『辞める』と言えば『書け』と言ってくれるのですから、こんな嬉しいことはありません。また情報を集めて一つの読み物にするのは醍醐味のある仕事で、歳をとっても続けていられることは幸せです。ところで情報を集めるということは人に会わなくてはいけませんので、結局、夜会って酒を飲む。言ってみれば肉体労働ですね。
 

片岡:

岩見さんは、これまで多くの首相を直に取材されていますね。
 

岩見

戦後29人の首相(注4)のうち、佐藤栄作以降の殆どの首相、それ以前では岸信介(注5)を取材しました。多少、思い入れもありますが、岸は国家経営をするのに一番それらしい人物だと思います。吉田茂や池田勇人は立派なリーダーですし、幣原喜重郎もそれなりの人物だったと思います。佐藤も結果的にはスケールがあり、ノーベル賞を受賞するなど幸運な人ですが、同じ兄弟でも、ぜんぜん違う、圧倒的に岸です。岸は世界をきちんと俯瞰して戦略を立て、それを、体を張って実行する。当たり前のことですが、そういうことが出来た戦後唯一の総理ではないでしょうか。また吉田は英米派で、どこか偏しています。岸はタカ派には違いありませんが本当の国益主義でした。高杉晋作や坂本竜馬など、幕末の志士は命を惜しまずに国事に奮闘しました。岸は最後の志士という感じです。死なんてことを気にしない、つまり徹底してやるんですよ。そんなことができる人はめったにいません。他の総理大臣は、まだ自分も可愛いく長生きもしたい。岸には百万人といえども我ゆかんという凄さがあります。安保改定は大騒ぎになりましたが、今考えれば当たり前のことです。憲法改正についても、自分の生きている間に出来るとは思っていなかったようですが、必ずそうなる、ならば、やり続けなくてはいけない、俺がやらなくてはいけない。そういう人は政治家にはいません。他人がどう思うかは全く関係ありません。
 

片岡:

だからこそ、毒を飲むことも厭わず、ブレもしなかった。
 

岩見

必要な金は集めなくてはいけません。そのために、例えば、満州ではアヘンに関わったりもしましたが、そんなことは彼の世界からすれば当たり前のことです。それに自分のために蓄財をするわけでもありませんでした。
 

片岡:

戦後を大きく動かし、日米関係の基礎を作った方ですね。
 

岩見

岸は相当なマキャベリストでしたし、国家感や思想信条に全面的に同調するわけではないのですが、岸のグランドデザインは日米基軸で、アジアをどの様に料理するのかを絶えず考えていました。戦前の失敗もありましたので中国は触らず、あとは東南アジアをどう抱き込むか、南下政策です。だから率先してインドにも行きました。岸は確固としたものを持った戦略家でしたが、他の政治家は漠然とやっているだけです。また岸は商工省(注6)出身ですが、官僚時代から違っていて、革新官僚と言われて大暴れし、満州に渡りました。はじめから何の疑いもなく自分は総理大臣になると決めていたのだと思います。ある種の確信犯的なリーダーです。ですから巣鴨(注7)に入ってもすぐ出てきて、政治運動を始めています。手を打ったのだと思いますよ。岸には自分は戦争で悪いことをしたという意識はなく、東條英機が失敗したと思っています。東條は戦争を早く止めるべきだった。それで東條と衝突して特高に追い回されました。また岸にはダーティーな部分も相当ありますが、本当の指導者とはこうしたものだと思います。
 

片岡: そうような目から見た平成の永田町は如何ですか。
 

岩見

今の指導者たちは命をかけていない。総理大臣は命をかけるべき仕事なんですよ。命をかけた時から人間が変わり、他の人が圧倒されるようなパワーを見せる。程々にやっていたら、すべて程々です。今の政治家も一生懸命やっていて、毎日、体も神経もすり減らしていますが、どこか違います。先日、大連立構想というのがありました。福田康夫と小沢一郎が向かい合い、どういう真剣勝負が行われたのかわかりませんが、どちらかが本当に信念をもって、これは国のためになる、相手と刺し違えてでもやるという気迫で会談に臨んでいたら、必ず勝っていたはずです。ところが二人とも命をかけていない。福田は割合質の良いリーダーだと思いますが、そういうことから言えば、やはり違います。
 

片岡:

人柄についてもお聞かせ下さい。
 

岩見

相当に気配りの良い人で特に女性に優しく驚くほどです。例えば、ロングインタビューの後に料理屋で打上をしました。『お譲ちゃん、はい食べないさいよ…』と隅に座っていた名もない速記者を気遣うわけです。佐藤、岸兄弟は小さい時から郷里に帰っても圧倒的に岸がモテていたそうです。持って生まれた魅力、サービス精神があったのでしょう。女性は感がいいですからね。
 

片岡:

今の政治家で、女性にモテるのは?
 

岩見

亀井静香でしょう。彼は物凄くモテます。男気がある。ただ要領が悪くてコースに乗れません。また小泉純一郎は面白い人ではありますね。他のリーダーとは違う。岸とは比べるべくもないのですが、それでも世の中をひっくるめて乗せて、日本の国民全部を手玉に取るような、ある種の魔術師的な才覚を持っています。これは珍しく、戦後初めての総理です。だから5年半も続いたのであって、彼自身に国家経営の能力や外交戦略があったとは思いません。
 

片岡:

乗り易い国民性やメディアの問題については如何でしょうか。
 

岩見

政治のワイドショー化といいますが、政治現象を面白おかしく捉えてTVの視聴率につなげようとし、またそれにうまく乗るパフォーマンス型の政治が多数派を占めます。まさに小泉政治です。こうしたTVジャーナルの責任は重大で元には戻りません。今、ねじれ国会と言いますが、たった2年前の衆議院選挙で自民党は圧勝していました。その圧勝と惨敗の間で自民党や民主党は何か変わったのでしょうか。民意とはなんでしょうか。結局は参議院選挙も含めて小泉劇場の攻防の歴史のようなものだと思います。もし国民がもう少し冷めた目で見ていれば、こうした事にはならなかったはずです。国民の政治レベルも高いとは言い難いようです。勿論、システムにも問題があって、二大政党制の形をとっていますが、自民党も民主党も内部を見れば水と油、別の政党が内在していて党としての強い主張ができません。そういう政党どうしが戦っているのですから国民も選択ができず、『自民党には少しうんざりしてきたな…』といったエモーシャルな反応になってしまいます。
 

片岡:

国民を乗せるという面では米国のようなPR会社の活躍もありますね。
 

岩見

日本でもPR会社は相当に入り込んできていて、TVと同様に重要な問題で、政党からも大変なお金が流れていますが、本当に政治のレベルを上げるのに役に立っているのかは疑問です。
 

片岡:

最後に次世代の政治家やジャーナリストへメッセージをお願いします。
 

岩見

筋金入りという感じの人がいなくなりました。意見には賛成できないが耳を傾けないといけないな…というような鋭さ、怖さを持って迫り、それが世の中に大きな影響力を与えていくような人がいません。また昔の実力政治家は、人生の先輩、或いは少なくとも政治をよく知る者として記者を育て、記者も教わろうとしていました。そうして信頼関係が生まれ、秘書や政治家になったりするものもいるけれども、いい報道にも繋がっていました。そういった関係が少なくなっています。もう一つ危惧しているのは、携帯政治です。今の政治家は携帯電話で政治をやっていますし、またインターネットで記事を書く記者も増えています。しかし、直接会って、目を見て、相手のものの言い方や仕草をじっと見ることなしにはAランクの情報に繋がりません。いつでも直ぐに携帯を掛けるのではなく、事前にじっくり想定問答を考えたり、言葉を練りに練ったり、言葉の真剣勝負をする。そうしたまどろっこしいことをしないとジャーナリズムも政治も薄っぺらな、いわば、アドリブ政治になります。文明の利器なのですから活用の仕方を考えればいいはずですが、なかなかそうもいきません。便利なものを持ってしまったということ、そのメリット・デメリットをしっかり考えて欲しい。何もしていないとは言いませんが、ゆっくり考えたり、たまには文章を書いて練るような習慣を身につけ、また、自分はどうだと、偶には自分一人になって考えて欲しいと思います。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

(敬称略)

−完−

 

インタビュー後記

コラムに書籍にTVに…相変わらずご活躍の岩見さんですが、『TVに出ているとオピニオンを言いう人のように思われますが、新聞記者は本来、影文化。そうじゃないと意味がない』と、まさに新聞人の誇りとバランス感覚が凝縮しています。政局が混迷する今、そんな筋金入りのジャーナリストを魅了するような図太い国家経営者の登場が待たれます。

  

 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

京都大学新聞社
1925年創刊(京都帝國大學新聞)
現在は月2回発行、発行部数 10,000 部(定価100円)
〒606-8317 京都市左京区吉田 京都大学構内
TEL:075-761-2054 FAX:075-761-6095
http://www.ops.dti.ne.jp/~kup/  (公式ページ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/京都大学新聞社 (Wikipedia)
 

注2 

http://www.kyoto-u.ac.jp/access/05_jyoho/jyoho_1.htm
 

注3 

http://www.asukacruise.co.jp/
 

注4 

歴代内閣総理大臣一覧
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/内閣総理大臣 (Wikipedia)

注5 

岸 信介(1896〜1987)山口県生れ。東京帝国大学卒。農商務官僚出身。第56、57代内閣総理大臣。正二位大勲位。
http://ja.wikipedia.org/wiki/岸信介 (Wikipedia)
 

注6 

http://ja.wikipedia.org/wiki/商工省 (商工省:Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/農商務省_(日本) (農商務省:Wikipedia)
 

注7 

巣鴨拘置所(通称:巣鴨プリズン)
1945年GHQによって接収され、極東国際軍事裁判の被告人が収容された。

   
   


(敬称略)

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー


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