第34回  『 右脳インタビュー 』        2008年9月1日

三澤 千代治さん 
MISAWA・international株式会社 代表取締役  ミサワホーム創業者 
 

プロフィール

1938年新潟県生まれ。日本大学理工学部建築学科卒。三澤木材株式会社を経て、1967年ミサワホーム株式会社を設立し、1971年東証二部に上場(当時33歳、史上最年少社長)。
2003年、名誉会長に就任。2004年、同社退社。同年、MISAWA・international株式会社設立、代表取締役就任。
同じく2004年、ミサワホームは産業再生機構に支援を要請し、同機構を経てトヨタグループの傘下に入る。


主な著書
200年住宅誕生―ゆりかごからゆりかごへ  三澤千代治 著 プレジデント社  2008年
2050年の住宅ビジョン 三澤千代治 著 プレジデント社  2001年
三澤千代治の土地神話・土地新話―日本経済再生への不動産評価
三澤千代治 著 東洋経済新報社 1999年
 

 

片岡:

今月の右脳インタビューは三澤千代治さんです。本日はご多忙の中、有難うございます。まずはご足跡などお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。それでは宜しくお願い致します。
 

三澤

大学4年の時に病気をして、1年半ほど入院していたので就職できませんでした。そこで、その頃考えたパネルの接着工法を売り歩きましたがなかなか売れません。それならば自分でやるしかないと、材木商を営んでいた父のスネをカジリながら販売を始めました。30歳の時に会社(ミサワホーム(注1))にして、1971年、33歳で上場(東証2部、当時、史上最年少)しました。またNASAがアポロ計画で月に人間を送るために入札を行ったことがあります。その頃の米国には日本の上場企業を全部合わせたよりも価値があるといわれた大企業があったのですが、あまりに技術が難しすぎると何処もできませんでした。どうなるかなと見ていると、分業にして実行しました。ならば住宅産業もそうすればいいと、生産、品質が優れた会社に工場を委託し、地元の会社に販売を…。そして1973年には住宅業界でトップになりました。一番というのは仕事が楽なんですね。しかし、石油ショックの時には管理が出来ていなかったために潰れそうになって、銀行管理となり、その後また会社を良くして…。ベンチャーですね。
 

片岡:

その過程で、早くからM&Aを活用されていましたね。
 

三澤

M&Aは上場会社だけでも5社、経験しています。アスベストの工場をリゾート会社に、鉄鋼の会社をITの会社に、ゴムの会社を住宅販売会社に、繊維会社を住宅工場に変えたり…いろいろやってきました。こうしたことは、そうとうに相手を立てないと難しい。例えば、鈴木鉄工所を買収した時には、会社から少し離れたところで車を降りて歩いて行きました。夏の暑い時期でしたので汗びっしょりです。何だか頼りのない社長が来たな…と。それでも乗っ取りが来たと体に視線が刺さります。また『この会社は鉄工会社ですが、ITの仕事か、金融か、住宅販売のどれにしますか』と3つの案を提示して彼らに選んでもらいました。更に組合の幹部も説得しなくてはいけないのですが、職工さんですから話も噛み合いません。それなら、まずは食事でもしましょうと。ところがうっかりしていてホテルのフランス料理店に入ってしまいました。彼らはフォークとナイフではあまり食事せず、それがハンディキャップになってしまいます。そこでホテルにさんざん無理を言って、箸で食べられる焼うどんにしてもらいました。また繊維会社を買収する時には話が漏れて兜町でも株が動き始めました。それ以上株価が上がってしまうと話が壊れます。そこで全員に小学校の体育館に集まってもらいビジョンを説明した上で、『今日の話を兜町に漏らせば株価が上がってご破算になります。皆さんが壊すことも簡単だし、一緒にやることもできます』と。結局、バレませんでした。社員が一緒にやることを選択したのでしょう。こうした儀式も大切です。
 

片岡:

買収のコストパフォーマンスについては如何ですか。
 

三澤

買収するのは業績が悪く、価格も安い企業が多いので、業績を上げれば株価も上がります。業績を上げるためには、経営者が先にリスクを持つことです。つまり先ず社員の給料を上げます。『皆さんの能力は高い。こういうことをやろうと思うから来年は業績が良くなるはずです。その自信があるから給料を先に上げます』と。そうすれば社員は付き合ってくれます。良くならなければ経営者がクビになるだけです。逆に『一生懸命やって下さい。利益が出たら給料を上げますから』というのではダメで、一年早いか遅いかでは大きな違いです。そういう自信がなければ止めればいい。もっとも、トヨタは経営者がリスクを取らずに、給料をカットしましたが…。夢を見る方法というのがあるのですが、それは厳しい現実、足元を理解するというのと、ビジョンを掲げることで、現実とビジョンの間が夢になります。今のミサワホームはそれをやっていません。厳しい現実はよく理解しているのですが、ビジョンがないので夢もなくなり、社員はついてきません。だからコンピューターシステムをやった人間がゴソッと辞めてしまいました。夢は語らないとダメです。
 

片岡:

日本的なリストラなのかもしれません…。ところでM&Aの情報はどのように入手するのでしょうか。
 

三澤

M&Aの情報も、また誰かに会いたいという時も同じで、頭にあれば、ペラペラと新聞を見ていると、記事が目につくことがあります。朝一番に新聞社に電話してその記事を書いた記者を探します。そうすると『記事には書けなかったけれどこんなこともあったんですよ…』と教えてくれます。そして、さんざん持ち上げた後に『ところでXXさんを紹介してくれませんか』と。M&Aでもそういう会社は記事に出ていますので、記者から紹介してもらいます。また案件が持ち込まれることも沢山ありますが、それは持ち込む人が商売しようということですからね…。とにかく、欲しいと思っていると情報は目の前を流れて行くものです。
 

片岡:

自ら仕掛けることはありますか。
 

三澤

それはけっこう面倒で、相手が困っているとか拡張したいとかそういう事情がある時の方がやり易いでしょうね。トヨタくらいの大企業になれば、政治やメディアを使うことも可能かもしれませんが…。実際、奥田碩氏(日本経団連会長 トヨタ自動車会長)の『ミサワホームは産業再生機構に行けばいい』『(ミサワホームの救済は)産業再生機構の活用が前提』といった発言で信用は落ち、さらに追い込まれていきました。
 

片岡: 外資ファンドを導入し、トヨタに対抗してミサワホームを買い戻す提案を行いましたね。1割近い金利で調達する計画だったようですが…。
 

三澤

カーギルですね。カーギルは食物業者ですので、買収のイメージは相応しくないと表に出るのを嫌がり、証券の人たちがやってくれました。いずれにしても、弁護士が集まって銀行に申し込むと、即、断られました。お金を返すといったのですが…。結局、トヨタとの問題は片付いたような、片付いていないような…。私は個人的に数百億円を要求され、払って終わりましたが、私の上に管理会社があって、今度はそこが請求するものが200億円ほどあり、話をしています。ただそれはお金の清算の話であって、それより大事なのは、挨拶がまだないということです。
 

片岡:

今回、新しく設立なさったMISAWA・international(注2)ではHABITA(注3)という200年住宅を手掛けられておりますが、そのコンセプトはミサワホーム時代には既にあったのでしょうか。
 

三澤

ミサワホームというよりは、財団が調査したものです。昭和60年代に販売資金が間に合わず、厚生年金のお金を住宅ローンに使おうということで、年金住宅福祉協会という財団法人を作り、2兆円が流れました。同様に財形住宅金融株式会社を作り、こちらはNTTや新日鉄など5000社が入りました。丁度その頃、耐久性のある住宅がいいというので、景気が良かったこの二つ組織が米国や世界の住宅を調査しました。そこで得た結論は、地産地消、つまり地元の木を使い、そして大断面で、乾燥材で、木に蓋をしないで呼吸できるようにすると長持ちします。そしてデザインが美しくないといけない。こうして生まれたのがHABITAです。ところで、今、国産材と言っていますが、ヒノキやスギなどのブランドには、偽装問題があって5年ぐらいするとウナギと同様の問題になるか、寧ろ問題にしたいと思っています。やはり地元の木を使うのがいい。またガラスは中国が圧倒的に安いのですが、日本からの技術を受けていますので、日本には入らない構造になっています。そうしたものは破っていくべきだと思います。その他アルミとか…。最初は木材だけですが、いずれ世界から良いものをという形にしたいと思います。
 

片岡:

ミサワホームとの関係を清算する時点で、金銭面以外に縛りはなかったのでしょうか。販売店網などにも食い込んでいらっしゃるようですが。
 

三澤

特にありません。大企業になればなったで、それなりに問題を孕んでいて、トヨタにとって痛いところも調べてあるつもりです。そうした事も押さえておかないとどんどんやられてしまいます。
 

片岡:

米国であれば、危機管理会社が買収の防衛策の一環としても活用することがありますね。
 

三澤

ただ株を買って云々というだけでなく、そういう方法もあるでしょうね。私も買収前に調べておけば良かったかもしれません。もっとも、事前にはなかなかそこまで気が回らないものですし、まだそこまで日本は進化していないでしょう。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。 
 

−完−

 

インタビュー後記

住宅を売るためにゴルフ場を開発したり、海外大学を誘致したり、また開発する宅地を手に入れるために企業買収をしたり…。家づくりだけでなく、その周辺も含めて、果敢な挑戦を続けた三澤さんですが、2003年、不良債権の責任をとり代表権を返上、2004年には自ら創業したミサワホームを追われ、同社は産業再生機構を経てトヨタの傘下に入ります。しかしながら三澤さんの冒険心は『70歳で新しい仕事ができ、元気を貰ったようなものだ』と、衰えることを知りません。さて、三澤さんがミサワホームでやり残した課題の一つに後継者の育成があります。それが出来ていれば、今回、切り崩されることも、どこかの傘下に入ることもなかったのかもしれません。新天地では、これからどのような答えを出すのでしょうか。

  

 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

ミサワホーム株式会社
http://www.misawa.co.jp

設立2003年*
代表取締役会長 水谷和生(三和銀行出身)
代表取締役社長 竹中宣雄(旧ミサワホーム出身、竹中平蔵 元大臣の実兄)
代表取締役専務執行役員 中神正博(トヨタホーム東京 元社長)
資本金 23,412,999,000円
会計監査人 新日本有限責任監査法人
従業員数 770名(平成20年3月31日現在)
本社 〒163-0833東京都新宿区西新宿二丁目4番1号 新宿NSビル
TEL 03-3345-1111

*2003年、株式移転によりミサワホームホールディングスを設立。2007年、ミサワホームホールディングスは、子会社となっていたミサワホームを吸収合併し、商号をミサワホームに変更した。このため現行のミサワホームの設立は、2003年となっている。

参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/ミサワホーム(wikipedia)
 

注2 MISAWA・international株式会社
http://www.m-int.jp

設立年月 2004年3月24日
本社所在地 〒163-0704東京都新宿区西新宿2-7-1 第一生命ビル4F
TEL:03-3348-8031 FAX:03-5326-8610
資本金 758,000,000円(2008年4月現在)
代表取締役社長 三澤千代治
事業内容
・200年住宅の研究・開発
・新住宅の研究・開発と普及
・住宅部品、部材の研究・開発と普及
・居住環境、街づくりの研究・開発
・住宅販売の研究・開発
・全国工務店の連携・シフト
・不動産・設計事務所の紹介
・「住まい文化研究会」協賛
・住宅標準工事費の調査・報告・研究
・住宅エンジニアの研修・育成
・財団法人住宅都市工学研究所との提携・研究
・国際メディア研究財団との提携・研究
注3 HABITA
http://www.m-int.jp/habita/



 


片岡秀太郎の右脳インタビュー


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