第49回  『 右脳インタビュー 』        2009年12月1日

花村 邦昭さん
株式会社日本総合研究所特別顧問・大妻学院理事長
元住友銀行専務取締役

  
プロフィール

1933年福岡県生まれ。1957年東京大学経済学部卒業。住友銀行(現在は三井住友銀行)に入行。同行専務取締役を経て退行。1991年株式会社日本総合研究所社長に就任。会長、相談役を経て特別顧問。2008年、大妻学院理事長に就任。

主な著書
『知の経営革命』 東洋経済新報社 2000年5月
 

 

片岡:

今月の右脳インタビューは花村邦昭さんです。花村さんは住友銀行の専務取締役を退任後、株式会社日本総合研究所(注1)の初代社長に就任、シンクタンクとしての発展の礎を築き、昨年からは大妻学院(注2)の理事長としてもご活躍です。まずは金融についてお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

村:

現在の金融機関の抱える最大の問題は審査能力が極端に落ちていることです。昔は地道に案件を発掘して厳正な融資を行っていましたが、いつの間にかそうした能力を失い、マネーゲームに資金を供給、金融危機に巻き込まれるどころかそれを自ら演出するようになっていました。それは大規模な国際金融も町の中小企業に対しても同じで大変な問題です。例えば不動産を買いたいので融資をして欲しいと言われた時に、何のための不動産投資か、それがその会社にとってどういうプラスがあるのか…親身になった相談をすることなく、担保があればいい、融資の残高さえ増えればいいと融資をします。これが不動産バブルでした。米国のサブプライムローン問題も同じで、結局自分でバブルを生み出しています。銀行は本来、経営者の人物、企業の素質を見て、そしてその投資がその企業にどういう意味があり、今後の豊かな産業社会の方向に合致しているかを見極めて融資すべきです。本質を見抜く目を持つことなく、単純な融資マニュアル方式(数値指標審査)で融資を行うと、全てのことがどんどん形式化していきます。そもそもメジャーに合わせた財務諸表を作ることは容易に出来ます。そうして見境なく融資してきたところに市場と金融機関の悪い意味のもたれ合いが起きて悪循環を生みだしてきました。またバブルがはじけた時に本物のバンカーの多くが銀行界を去り、残った人も年齢ともに辞めてきて、今では、目先の辻褄合わせをするのではない、オーソドックスな銀行業を継承した人たちが少なくなっています。
 

片岡:

金融危機とは、結局どういうものなのでしょうか。
 

村:

金融危機は今回だけのものではありません。資本は常に余剰を産出し、溜まった資本は何処かに投資しなくてはなりません。本来であれば、次の産業の創出という形で再投資されるのが良いのですが、技術革新やマーケットが閉塞状態になると余剰資金が向かうべき投資先を見失います。そして結局、マネーゲームが起こり、バブルが生れます。勿論、それを原因と決めつけることは出来ませんが、これは資本主義の発生の時から必ず起きており、今後も姿を変えて起こることは避けられません。我々のように産業界にいる人間は次の世代にその経験を活かすべき使命があります。
 

片岡:

金融機関の報酬体系についてはどのようにお考えですか。
 

村:

本来、金融機関には成果報酬は馴染みません。見掛け上の成果というものはいくらでも作ることができます。中には顧客と手を結ぶといったことも起きるでしょう。人材獲得や流出防止のために成果主義が必要という主張もありますが、ノーベル賞を取るような人材ならば別なのかもしれませんが、バンカーとしての本質を忘れて成果だけを追い求めるような人材は流出してもかまいません。それに年功序列といっても、誰にでも一律ではなく、能力主義の側面もしっかりと機能しています。
 

片岡:

マーケットの中で、金融機関自身への圧力も強いのではないでしょうか。
 

村:

金融機関は電力会社の様な社会インフラです。多くの株主もそうしたことを理解していて、金融機関の株式を目先の利益で購入するような投機的なマネーの割合は、実際はそれ程高くないものと思います。しかしPR力がまだまだ不十分であるのも事実で、経営者は理念をしっかりと語り、実際にそういう経営を行っていくことが求められます。今、それが出来ている経営者がどれだけいるのか…。
 

片岡:

金融危機を契機に、金融機関も組み換えが進んでいます。M&Aについては如何にお感じでしょうか。
 

村:

日本のM&Aはこれからでしょう。投機的でなく、良い意味でのM&Aは社会的な資産を効率的に短期間で再配置します。本当なら企業が個別に新しい時代に即応していくべきものですが、とてもそれだけの時間は許されません。また昔は組合が強く企業内部に緊張感がありましたが、それも今は弱まり、株主など外部との緊張感も強いとは言えません。ですからM&A等において経営者への緊張感もあってもいいのかもしれません。組合の弱体化は組合自身にも責任があり、搾取者と被搾取者という古くて狭い観点で会社に立ち向かっても勝てません。そうではなく、会社というものは如何にあるべきかという一種の労働者の経営参加的な企業文化があれば組合も力を保っていたはずです。それは組合という形でなくてもいいと思います。このことはシンクタンクの経営にも繋がります。シンクタンクは従業員による個々の創発が全ての基本、収益の源泉であり、従業員の納得とやる気がなくては経営が成り立ちません。この様なところにこそ成果主義が有効に機能します。
 

片岡: シンクタンクの収益構造についてご教授下さい。
 

村:

日本総研の場合、安定的な収益源としてシステム部門とコンサル部門があり、これらは自前で稼ぎ、連動して動くことも出来ます。政策提言部門はその上に独立したコストセンターとしてありましたが、いわば看板で運営に20億円程かかっていました。これは全体の利益の20%強に相当します。勿論、政策提言部門でも講演や執筆等で若干収益があります。また新聞に記事が掲載された場合、それを広告に換算したらどの程度の価値となるのかといったことを計算させたこともあります。これは所員のモチベーションに繋がります。ところでシンクタンカーはあまり人をマネージすることを好まず、社長には向かないタイプが多くて最終的には転出して大学教授等になるのが心地よい落ち着きどころのようです。シンクタンクとしても所員全員が経営者を目指して結果的に会社が高齢化することは望ましくありません。コストも高騰しますし、若い方が猛烈に勉強し、新しい感性も持っていますので、出来れば平均年齢は35歳位に抑えるようにしたい…。一方、システム部門の人間は人をマネージするのに長けていて、また年齢を取るとこの仕事は難しくなってきますので自分で会社を作る人も多くいます。コンサル部門の人間は引く手あまたですが、最終的には大学教授等の職に進むことが多いようです。さて私は現在、大妻学院の理事長をしていますが、大学は一種のシンクタンクとも言えます。ただ大学には学部、学科、専門の壁があり、これを如何に解体し、シャッフルして、コラボレーションを起こさせるか…。私はその試みを人間生活文化研究所(注3)で始め、現在、専門の垣根を越えた22のプロジェクトを進めています。また大学としてではなく、研究所として企業の賛助会員を募っており、まさにシンクタンクと同じです。
 

片岡: 素晴らしい試みですね。ところでシンクタンクのポリティカル・パワーについては如何お考えですか。米国には強い影響力を持つシンクタンクも多くあります。
 

村:

日本の場合、政治文化の中にシンクタンクを使うというものがあまりありません。政策当局がシンクタンカー個人をスカウトすることはあっても、シンクタンクという集団を一つのアドバイザーとして活用するとか、政治的に意見交換をするということはありません。今回、亀井静香大臣が所謂モラトリアム法案を打ち出しましたが、日本総研はモラルハザードを生むと反対の論陣を明確に張りました。この法案が通ると悪用も一気に進みかねません。私が社長をしていた頃も日本総研が政策に反対するような発言をすると、政府から「ちょっと懇談をしたい…」と声がかかります。あからさまに辞めろとは言いませんが、議論をし、説得をしてきます。これは当然のことです。ただ、これでは終わらず、親会社である銀行に電話がかかる…。私は、「迎合するのであれば日本総研は潰した方がいい」と、親会社の意向を断固突っぱね、所員を黙らせることはしませんでした。それが社長の役割です。親会社も私の解任までは踏み込めませんでした。勿論、誰でもいいから好き放題言わせるというわけにはいきません。社長は人を見極める見識も必要です。
 

片岡: 日本郵政のトップ人事では政権の意向がすんなりと通ってしまった感じでした。
 

村:

日本は資本主義国家です。その原点に関する問題ですから財界を挙げて西川善文社長を守らなくてはいけませんでした。トップ人事は最大の権力行使です。それなのに政治介入を許したということは財界の汚点です。また彼も自ら辞めるべきではなかったと思います。取締役会で否決されたのではないのです。政治の圧力に屈することなく、資本主義の論理を貫き、その砦となって頑張るべきでした。それで解任されたとしても、名を残したはずです。本来、金融機関は官と緊張関係にあるべきものです。それがいつの間にか失われてきています。嘗ては日銀にも一般の銀行にも、政府の方針に非があると思えば堂々と議論し、断固として反対した人たちがいて、特に戦後の復興期には錚々たる人物が活躍しました。日銀総裁も政治権力には屈しませんでしたし、三井には佐藤喜一郎、三菱は宇佐美洵、住友は堀田庄三(注4)がいました。堀田は私が入行した時の頭取で、その頃の住友銀行は野武士集団、本当に凄いところでした。
 

片岡: 最後に趣味についてお聞かせ下さい。
 

村:

趣味は音楽や読書、山登り…色々とあります。しかし、今、興味があるのは人の営みにある三つの次元、暗黙次元(無意識の時)、明示次元(知の働き)、形式次元です。このうち暗黙次元には特に興味があります。この暗黙次元があるからこそ、知の世界も機能し、人付合いも出来るのですが、それでいて本人にも暗黙次元は分かりません。しかしそれがポッと表に出て来ることがあり、その瞬間に一番興味があります。今、大妻コタカ(注5)の伝記「母の原像」を執筆中ですが、この本もそこに焦点を当てています。ところで、私は3秒で人を判断するようにしています。人は会った瞬間、そして後ろ姿に暗黙次元が現れます。それに話を聞けば聞くほど、この人にも親がいて…」と情も移ってしまいます。銀行の人事部にいた時に高校生の採用も担当しました。彼らを東京まで呼ぶわけにはいきませんので、北は北海道から南は九州まで訪ねて回ります。その際、学生には「○月○日○時○分に○○駅に来て欲しい」と伝え、列車の停車時間に面接をして、その日の宿に着くまでには採否を独断で決め、宿から先生に電話して結果を伝えていました。当時は高度成長期で百数十人の高校生を採用しなくてはならず、人材の獲得競争も激しく、こうした方法をとるしかないという面もありました。勿論、その時の判断が全部正しかったかというと、そういうことはありません。しかし、住友銀行の高卒の人間は本当に素晴らしいですよ。初対面で「ヨシ!」と言わせるような人間が来るのですから。また顧客には中小企業の経営者も多く、そういうタイプの方が向いているという面もあります。
 

片岡: 貴重なお話を有難うございました。
 

〜完〜 (敬称略)

 

 

インタビュー後記

政府や市場に媚びることなく、徹底的に筋を貫く。まさに現代の侍。そんな花村さんにはやんちゃな一面があります。「銀行というところはどれ程厳しいのか、それを試さなくてはならない」という気持ちを常に持っていて色々とテストしていたそうです。それでも最後まで、花村さんにレッドカードは勿論、イエローカードすら出すことはなく、当時の住友銀行にはそうした懐の深さがあったそうです。

 

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

詳細は、下記をご参照下さい。
http://www.jri.co.jp/ (公式ページ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本総合研究所_(株式会社) (Wikipedia)

注2 詳細は、下記をご参照下さい。
http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/academy/index.html(公式ページ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/大妻女子大学(Wikipedia)
注3 詳細は、下記をご参照下さい。
http://www.ihcs.otsuma.ac.jp/
注4 詳細は、下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/堀田庄三 (Wikipedia)
注5 詳細は、下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大妻コタカ (Wikipedia)
   
   

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー


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