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布川 ゆうじ氏 プロフィール
1947年生まれ 1967年、アニメーション会社朋映プロ入社。その後、虫プロ、スタジオジャック、竜の子プロダクション等を経て独立。1979年、株式会社スタジオぴえろ(現 株式会社ぴえろ)設立、現在に至る。
東北芸術工科大学大学院教授。 |
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片岡:
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第5回の右脳インタビューは、株式会社ぴえろ(注1)の代表取締役 布川ゆうじさんにご登場戴きます。本日は大変お忙しい中有難うございます。それではエピソード的な自分史をお伺いしながらインタビューを始めさせて戴きたいと思います。宜しくお願い致します。
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布川:
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実は、元々は絵の道に進みたいと思っていました。しかし非常にお金がかかりますのでマネキン制作の仕事をしながらグラフィックデザインの専門学校に通い、デザイン会社に就職しました。そこそこ実力があったのだと思いますが、夢を掴んでしまった気がして物足りなさを感じるようになりました。たまたま新聞で『絵の好きな人募集』という求人広告に目を止め、入ったのがこのアニメの世界でした。天職だったのか、それ以来続けています。とても楽しかったですね。職人として幾つかのプロダクションを経験し、竜の子プロダクション(注2)を経て独立しました。当時『みつばちマーヤ』という日独合作の作品等を下請けしたのですが、そのドイツ側の企業がNHKの『ニルスの不思議な旅』の制作に私を推薦してくれました。アニメの制作では一人で出来る仕事の大きさは決まっていますので、それを期に事業を法人化して会社を設立しました。元々クリエイターですから全体の予算等といったものが全く分からず、良い作品さえ作れば・・・と頑張りました。実際に評価は高かったのですが、終わってみれば4000万円という赤字を出していました。この時は学研さんが融資をして下さり何とかなりました。そういったこともありまして制作だけではいけないという意識を持ち、1983年にはオリジナル作品の『クリィミーマミ』で権利を持つことのできる仕組みを作りました。これが弊社のビジネスの原型です。
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片岡:
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権利ビジネスといいますと、昨今の資金調達手法の多様化が大きな影響を与えているものと思いますが・・・
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布川:
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2000年には業界に先駆けて、富士銀行より著作権を担保にした5億円の融資を受ける等、積極的に取り組んできました。今は制作委員会方式での調達も多いのですが、以前は番組のスポンサーに完全に依存していました。そのため彼等の意向に左右され、番組を作っているのかCMを作っているのか分からないような事もありました。またTV局の力も強く、契約はいい加減で、契約書などないことや作品が出来てから結ぶということもありました。最近は制作会社も少しずつ力が付き、またTV局自身の上場などもあってでしょうか、きちんとした契約を結べるようになって来ています。
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片岡:
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制作委員会方式ではどういう出資者が多いのでしょうか。
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布川:
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やはり二次使用などの権利を得ることを目的にした会社が多いようです。以前はバンダイやトミー、タカラといった玩具等の直接的なスポンサーが多かったのですが、昨今はイメージとしてキャラクターを利用する間接的なスポンサーも増えています。
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片岡:
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キャラクター市場は国内だけでも2兆円を超えると言われ、世界中で日本のアニメの競争力に注目が集まっておりますね。
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布川:
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実際、アニメの人気は非常に高くて、米国では逆に一種の自主規制(日本のアニメの輸入に対し)のようなものがあるほどです。また先日上海に行きましたが、『NARUTO』(注3)が大人気でした。海賊版を通じて既に普及しているわけです。海賊版の問題は大きく、その国だけでも問題なのですが輸出まで行なわれています。今後は政府に対する働きかけが必要です。また海外展開(注4)も含めて二次使用のウェイトが高まりプロデューサーの役割が特に重要となってきています。この面では日本は非常に遅れていますので、その養成のお手伝いをしています。そして海外で売る場合には間に入る人間(エージェント)の役割が重要で、閉鎖的なハリウッドの社会に入り込める日本人の存在が必要となっています。
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片岡:
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マーケットを大きく開くと言う意味では、逆に現地の人や会社をうまく利用していくことも重要です。結局、お寿司のように日本人の客の多くは日本人の職人を好むのと同じなのかもしれません。
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布川:
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その通りですね。
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片岡:
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ところで、これまで数々のヒット作品を生み出して来られた訳ですが、なにか秘訣のようなものはあるのでしょうか。
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布川:
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作品の良し悪しには原作の力が非常に大きく影響します。長年の信頼と実績、そして作り上げてきたネットワークで優れた原作を獲得しています。また弊社の場合、良くも悪くもほとんどの作品の放映期間は2年以内で3年を超える作品は少数です。従がって常に危機意識を強く持って企画や営業力の強化に努めています。
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片岡:
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『NARUTO』のように海外で熱狂的なファンを獲得している作品も多いものと思いますが、制作段階から海外を意識しているのでしょうか。
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布川:
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今のところ日本での成功が海外展開の指標となっているのが現状で、制作段階から海外を意識することはありません。そもそも『キャンディ・キャンディ』がヨーロッパに入った時は目のお化けといわれ、『アルプスの少女ハイジ』はオテモヤンのようなほっぺで、また口が顔の半分もあると酷評されました。しかしながら実際に入ってみると大人気でその絵が書店等の店頭に並びました。日本のキャラクターがそのまま受け入れられた訳です。
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片岡:
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ディズニーなどの巨大な資本を投入する手法についてはどのようにお考えでしょうか。
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布川:
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ハリウッド映画はバジェットも桁が違い(注5)マーケティングの手法も根本的に異なります。そういう観点でいえば日本のエンターティンメントはB級です。しかしながら、ある意味でディズニー等はマーケティングされすぎていて自由な創造力が奪われています。その点、日本のアニメはスピード感があり、勢いがあり、社会の状況を直ぐに反映することが出来ます。またアニメ番組を週に70本も作っている国は日本の他にありません。そして元々日本のアニメ業界は手塚先生(注6)の影響もあり、漫画文化の発展型として漫画を映像的にしてきた面があります。これはハリウッドにはない文化です。また、もう一つの流れとして日本の映画産業が斜陽になった時期に映画を志望する人たちがアニメ業界に入って来ました。こういった人たちは実写を目指す傾向があり、押井守監督(注7)等もそうした一人で、大人の視覚の作品を生み出しています。
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片岡:
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日本のアニメの独特の強さがそこにあるわけですね。ところで押井守監督もCGを多用しておりますが、ITの発展についてはどのようにお考えでしょうか?
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布川:
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10年以上前に米国視察を行なったのですが、部門毎にテーブルにコンピューターが置いてあるのを見て衝撃を受けました。そういうこともありIT化には積極的に取り組んでいますが、まだ手作業の方がコスト的にも優れており、部分的にはいいのですが、本格的な導入となると難しいのが現状です。
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片岡:
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そうなりますと海外へのアウトソース化等で全体的な人材育成力が弱体化するのではないでしょうか。
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布川:
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それが一番の問題で人材育成には本当に苦労しています。専門学校の生徒さんは2年程度技術を学んで来るのですが、即戦力にはなりませんので十分な金額で雇うことが出来ません。技術を2年間学んだあとに更にもう2年間、実際の経験を積むようなシステムを作っていく必要があります。また一人前になるのは、とにかく時間がかかります。今活躍している宮崎駿監督(注8)もナウシカで注目されたのは40代ですし、押井守監督は現在50代、大友克洋監督(注9)も50代です。というのは、アニメ制作にはある程度のテクニックが必要で、その蓄積があってはじめて創造性が生み出されます。また、常に創造的であり続けることは難しいわけですから、ある程度技術力でカバーできるようでないと何かのきっかけで簡単に地位を奪われることになります。時代を動かし、人に感動を与えるためにはそうした日々の積み重ねが必要です。
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片岡:
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それでは最後に布川様の挑戦心の源泉をお教え下さい。
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布川:
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テレビの創世記に活動していて、テレビの面白さを創って来たと思っています。またテレビは当たった時には、それが文字通り日本全国隅々まで行き渡ります。この感触を忘れることが出来ません。
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片岡:
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実は、私も『ニルスの不思議な旅』の大ファンで、長崎で毎週楽しみに見ておりました。本日は有難うございました。
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−完− |
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インタビュー後記
「日本のエンターティンメントはB級」と言い切る布川さんは、個性的な表現力に満ちた作品が多種多様に次々と作り出される日本独特のアニメ文化を愛し、ハリウッドとは一線を画しながら新しいビジネスモデルの創造に挑戦し続けております。このような大衆的アニメ文化も、宮崎駿監督に代表される芸術性の高い劇場アニメと並び、日本のアニメ文化の源泉を力強く担っているものと思います。また布川さんは映画鑑賞が趣味で、それこそ「B級」作品であれ、とにかく沢山の映画を見て楽しんでいるそうです。
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聞き手
片岡 秀太郎
1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。 |
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脚注
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注1 |
日本を代表するアニメ制作会社の一つ。布川ゆうじの他、鳥海永行、案納正美、高橋資祐、押井守等、竜の子プロダクションのメンバーが数多く設立に参加した。主な代表作は、『ニルスのふしぎな旅』『うる星やつら』『クリィミーマミ』『天才バカボンシリーズ』『NARUTO』『BLEACH』等。
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注2 |
1970年代を中心に、数多くの人気作品を輩出したアニメ制作会社の老舗。オリジナルアニメを得意とし、作品の権利の9割以上を自社で保有している。 2005年に株式会社タカラの傘下となった。代表作は『宇宙エース』『科学忍者隊ガッチャマン』『マッハGoGoGo』『新造人間キャシャーン』『タイムボカンシリーズ』『みなしごハッチ』『新世紀エヴァンゲリオン』等。1965年に放送された『宇宙エース』はテレビアニメ第一作。
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注3 |
1999年から「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載されている岸本斉史の少年漫画で、2002年にテレビ東京系列にてテレビアニメ化された。Newsweek等でも紹介される等、国内は勿論、海外でも極めて高い評価を得て、先年世界中で爆発的な人気を読んだ『ドラゴンボール』の後継になるとも言われている。2005年9月には米国のカートゥーンネットワークで放送が開始された。
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注4 |
2002年の米国での日本アニメビジネス市場規模は43億6千万ドルと言われ、日本からの鉄鋼製品輸入額13億8千万ドルの3.2倍の規模(JETRO調査)。また1996年に発売開始され、小学生の口コミにより大ヒットした任天堂のゲームソフト『ポケットモンスター』は、翌1997年にテレビ東京で放映開始、その後世界各国で爆発的なブームとなり、世界68カ国でテレビ放送、46カ国にて映画上映された。映画の全世界の興行収入は2億8千万ドルに上り、その波及効果は3兆円に及ぶと言われている。また最初に輸出されたアニメは『鉄腕アトム』で、1963年アメリカ合衆国のNBC系列局で放送され、当時の金額で約3億円を稼いだ。
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注5 |
budgetの比較
ディズニー作品 |
budget |
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The Incredibles (2004) |
$92,000,000 |
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Finding Nemo (2003) |
$94,000,000 |
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The Lion King (1994) |
$79,300,000 |
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Aladdin (1992) |
$28,000,000 |
その他のハリウッド作品 |
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Wallace & Gromit (2005, Nick Park, クレイアニメ) |
$30,000,000 |
スタジオジブリ(宮崎駿監督)作品 |
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千と千尋の神隠し (2001) |
¥1,900,000,000 |
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もののけ姫 (1997) |
¥2,400,000,000 |
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魔女の宅急便 (1989) |
¥800,000,000 |
その他の日本の作品 |
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スチームボーイ(2004, 大友克洋監督) |
$20,000,000 |
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注6 |
手塚 治虫(本名:手塚 治) 1928-1989年。大阪府生まれ。漫画家、アニメーター、医師、医学博士。日本に於けるストーリー漫画の開祖といわれ、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『火の鳥』等、生涯に700を超える作品を残した。アニメ制作プロダクションを立ち上げ、日本初のテレビ放送用の連続アニメーション番組鉄腕アトムを制作した。手塚の手法だけでなく、ビジネスモデルも、後の日本アニメに大きな影響を与えた。
『ジャングル大帝』(1950年、漫画の連載開始。1965年、テレビアニメとして国内放映開始。また『Kimba the White Lion』として米国等世界各国でも放映された)は、ディズニー社による盗作疑惑があり、1994年に公開されたディズニーのアニメ『ライオン・キング』には、多数の類似点が指摘された。手塚治虫知財権利継承者側は「仮にディズニー社がジャングル大帝を参考にしていたとしても、ディズニー作品を敬っていた手塚は天国で光栄に思っていることでしょう」とし静観した。この手塚側の対応にも賛否両論が巻き起こった。
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注7 |
押井 守 1951年生れ。アニメや実写映画を中心に活動している映画監督、演出家。東京都出身。アニメとCGを融合させ、またレンズの概念を取り入れる等、実写的手法を用いた作品は多大な影響を与えた。1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を収録したビデオはアメリカで大ヒット。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロン等の絶賛を受ける。代表作は『うる星やつら』『攻殻機動隊』『イノセンス』等。
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注8 |
宮崎 駿 1941年生れ 日本を代表するアニメーション作家・映画監督・漫画家。1984年の『風の谷のナウシカ』の大ヒットが切欠となり人気を確立した。また、ベルリン国際映画祭金熊賞やアカデミー賞長編アニメーション映画賞等数々の賞を受賞し、2005年にはTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された。代表作は、『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』等。
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注9 |
大友 克洋 1954年生れ。漫画家。1983年、アニメ映画『幻魔大戦』参加したのをきっかけとして、アニメ制作に関わる。1988年の監督作品『AKIRA』は海外でも高い評価を得た。2005年、芸術文化勲章シュバリエ(仏)受賞。代表作は『AKIRA』『スチームボーイ』等。
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(敬称略) |
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片岡秀太郎の右脳インタビューへ
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