孫崎享のPower Briefing

情報に弱い日本

2010/06/23
孫崎 享
(twitter)

 CIAはワシントンの中心地から約8マイル離れ、258エーカーの広大な土地に、140万平方フィートの床面積を持つ七階建本部を持つ。ロンドンのテームズ川は観光スポットであるが、このテームズ川にかかる橋の一つ、ボクソール橋脇にバビロンの塔を彷彿させる要塞風の異様な建物がある。これがジェームス・ボンドで有名な英国情報機関MI6の本部である。韓国の国家安全企画部も広大な敷地を持つ。外部だけみれば大学のキャンパスの雰囲気を持つ。
 私は外務省の情報分野で仕事をしてきた関係で世界の主な情報機関を訪れた。米国、英国、ドイツ、韓国、カナダ、豪州、シンガポール、イスラエル、イラン、エジプト、ジョルダン、サウジアラビア等を訪問した。いずれの国も立派な情報機関の建物を持っている。
では日本にCIAやMI6に相当する建物があるか。ない。何故なのか。歴史的にみて、日本が諜報と無縁の国だった訳ではない。戦国時代や徳川幕府時代隠密が活躍した。明治維新後もある程度の規模で存続した。昔の日本人が学んだ孫子は「敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり」と情報の重要性を説いた。
今日の世界の諜報機関は膨大な組織になっている。2007年10月31日ニューヨーク・タイムズ紙は米国16機関の情報活動の予算は軍関係を除き、総額500億ドル(約5兆円、人員10万人、うちCIAは約270億ドル)と報じた
(注1)。他方、日本外務省の2007年度予算は6709億円、定員は5504人であり、米国の情報関係予算は、軍関係を除いても、日本の外務省予算の10倍弱にのぼる。
米国は、情報にお金を投ずることが結局、外交・安全保障分野での勝利につながり、結果として、財政、人的犠牲などの面で安上がりになることを熟知している。端緒はミッドウェー海戦である。ミッドウェー海戦はそもそも、日本軍がミッドウェー島を攻略し、米艦隊特に空母部隊を誘出、これを捕捉撃滅することを目的とした。山本五十六がこの作戦を強引に主張した。しかし、米国は盗聴で日本軍の動きを完全に把握していた。この海戦で失ったのはアメリカ側が航空母艦1隻、日本側は主力航空母艦4隻とその全艦載機という日本側の散々な状況に至った。この結果、日本が優勢であった空母戦力は均衡し、以後は米側が圧倒していく事となる。
こうした事例は何も、昔の話ではない。今日まで継続している。1995年10月15日ニューヨーク・タイムズ紙は「CIAの新しい役割―経済スパイ−」と題し、「経済的優位を求めて同盟国をスパイすることがCIAの新しい任務である。クリントン大統領は経済インテリジェンスに高い優先順位を与えた。財務省および商務省はCIAから大量のインテリジェンスを入手した」と報じた
(注2)し、CATO研究所(注3)では1992年12月8日スタンレー・コバー(注4)が「経済スパイとしてのCIA」を発表(注5)し「CIA長官ロバート・ゲーツは1992年4月13日デトロイト経済クラブで“国家安全保障のレビューはインテリジェンスの問題として国際経済問題の重要性に焦点をあてた。新たな要請の約40%が経済問題である。”と述べた」と指摘した。今日安全保障関係のみでなく、経済分野でも熾烈なスパイ活動が行われている。それは情報収集のみでない。人的働きかけを含む対日工作が行われている。
 この中、何故、日本はCIAやMI6に匹敵する対外情報組織を戦後作ってこなかったか。
それは、多分日本が戦後、独自の外交、独自の安全保障政策を真の意味で追求しなかった、ないし追求することを止めたことに起因する。春原剛は『同盟変貌』(日本経済新聞出版社:2007年)で、「日米同盟と言ってもこれまでは一方的に米国が決めてきただけ」という守屋武昌元防衛事務次官の言を紹介しているが、これは適切な表現だろう。外交分野もまた、1990年代に入り、対米配慮を極度に重視し、独自色を失った。ただし、この姿勢が今後続けられるかとなると疑問である。中国が強大化していく中で、日米中関係は複雑に絡み合う。従来のように対米一辺倒で日本の安全保障と外交を展開できる時代は過ぎ去った。その中、日本が真に国益を追求するなら、日本の情報機関をどうするか、真剣に考えざるをえない時代に入った。
私は1966年に外務省に入り、「悪の帝国」のソ連や、「悪の枢軸」のイラン、イラクで勤務した。ここには各国スパイが活動し、自然と彼らと接触した。また、外務省内では情報調査部分析課長や国際情報局長のポストを得て、各国の情報機関と接触した。この経験を通して情報マンとして如何なる考え方が必要かを「情報マンの鉄則10か条」にまとめ、『情報と外交』(PHP研究所:2009年)を出版した。2010年1月17日付朝日新聞の書評欄で「本書はビジネスマンにとっても、情報分析の手法を再考する上で示唆に富んでいる」
(注6)との紹介を受けた。一瞥いただければ幸いである。

脚注  
注1 http://www.nytimes.com/2007/10/31/washington/31intel.html (閲覧にはNew York Times紙への会員登録が必要となる場合があります)
注2 http://www.nytimes.com/1995/10/15/world/emerging-role-for-the-cia-economic-spy.html (閲覧にはNew York Times紙への会員登録が必要となる場合があります)
注3 http://www.cato.org/
http://ja.wikipedia.org/wiki/ケイトー研究所
注4 http://www.cato.org/people/stanley-kober
注5 http://www.cato.org/pub_display.php?pub_id=1045
注6 http://book.asahi.com/business/TKY201001190242.html
   
   
   


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