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第47回  『 右脳インタビュー 』        2009年10月1日

孫崎 享(まごさき・うける)さん

孫崎享のPower Briefing
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  プロフィール
1943年旧満州生れ。東京大学法学部中退、外務省入省。英国、旧ソ連、米国(ハーバード大学国際問題研究所研究員)、イラク、カナダ勤務等を経て、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大学校教授などを歴任。

主な著書
【カナダの教訓―「日米関係」を考える視点】
 ダイヤモンド社 1992年
【日本外交 現場からの証言−握手と微笑とイエスでいいか】
 中公新書 1993年 (山本七平賞受賞)
【日米同盟の正体~迷走する安全保障】
 講談社現代新書 2009年3月
【外交と情報】 PHP研究所 2009年10月
 
 

片岡:

今回のゲストは外交官として旧ソ連や英国そして北米滞在を経験された孫崎さんをお迎えしました。日米関係に独自の論陣を展開する一方、その鋭い分析と洞察は近著【日米同盟の正体】で見事に論証されております。先ず、旧ソ連時代のエピソードから対談を進めたいと存じます。
 

崎:

私が外務省に入った当時、情報活動について「中に入る」、つまり単独で動き情報を得ることを勧めていました。ですから私が任地のモスクワ大使館に着くと「裏にバス停がある。そこからバスに乗って大学へ行け。そして一年間ここには来なくていい」と命ぜられました。冬は零下30度にもなりますので「車を買いたい」というと、「それではロシア人の本当の生活が分からない」と却下されました。勿論、旧ソ連側からの接触工作もありえますが、自分でプロテクトできないようでは初めから使える人間ではないと。ところが1980年代になると守りに入り、防諜の観点から、ロシア人に会う時は必ず2人で会うようにとなりました。1970年代には「ロシア人は情けない。2人で活動している」と笑っていたのですが…。
 

片岡:

実際に旧ソ連側からの接触はありましたか。
 

崎:

彼らは近づく時には落とせる人間から始めます。かなりの工作をするからです。一般に、外務省の人間に対して工作する時、旧ソ連では大臣の決裁が取られていると言われていました。つまりそれだけ多額の予算を掛けるということです。ですから落とすのが難しい情報関係の人間ではなく、落とし易い不満を持つような人から当っていました。当時のモスクワには日本から来た新聞記者、商社、外務省等の関係者が200~300人程いたと思いますが、5人程が毎年ターゲットにされていたようです。ところで東京にも海外の諜報員がいて、英国の諜報員等は外交団の中で身分を明らかにしていることがあります。というのは特に冷戦時代は共産圏の人間を寝返らせることが彼らの重要な任務であり、そうした人たちがコンタクトし易くするためです。一方、米国の諜報員は対日工作を行うこともあり、その場合、決して身分を明かしません。
 

片岡:

特に経済関係に力を入れていますね。
 

崎:

1992年頃には米国の安全保障にとっての一番の脅威はロシアの軍隊ではなく、日本の経済力でした。当時のCIA長官のゲイツ(現国防長官)が「これから米国の安全に脅威を与えるのは経済問題だ。予算の40%は経済分野に充てる」と発言しています。つまり日本です。そうして特に盗聴に重点的に予算配分されました。
 

片岡:

エシュロン(注1)もそうですが、米国は伝統的にハードにお金をかける傾向があります。
 

崎:

ハードの重要性をはっきりと認識したのは第二次大戦における日本との戦いでした。彼らは1920年頃には日本の暗号をだいたい解読し、戦争が始まってからは殆どの暗号を解読していました。その最たるものがミッドウェイ海戦で、日本の無線を全て盗聴、勝利を得ました。この結果、盗聴にお金を費やすることが、人命や武器の節約になると重要性を確信するようになりました。一方、英国はどちらかというと中に入って活動します。嘗て英国の諜報員にスパイを送り込む理由を尋ねたことがあります。その時の返事は「分析をしようとすればAという方向とそれと正反対のBという方向がある。Aという方向で情報を集めようとすればそうした情報が集まる。ところがBという方向であっても、情報が集まる。では一体どちらなのか…。だから中に入って情報を入手することが必要だ」ということでした。公開情報が発達すればするほどミスリードされますので、中に入った情報が必要となってきます。これは今も同じです。
 

片岡:

日本経済への諜報活動は相当なインパクトだったはずですね。
 

崎:

例えば、省庁毎に内部に協力者を作ったり、盗聴をしたり…。日米交渉がある日には、その交渉会議の前に毎朝会議を行って、盗聴ではこんな情報がある、協力者からはこんな情報が寄せられた…といった具合だったようです。日本側でも何かおかしい…、ウォッチされているのでは…というような感覚が各省庁にはありましたが、国全体として米国の情報攻勢に対して何とかしなくてはという意識はなかったと思います。勿論、日本にも警察の外事課や公安調査庁等の防諜機関はありますが、これらは共産圏からの働きかけには敏感なのですが、米国に対してはあまり動いていないと思います。ところで日本には米国研究というものがありません。例えば、東大法学部には米国外交史という講座が一つだけあり、米国の内政を専門に勉強するようなものはありません。ですから米国関係の学者というのはあまりいないはずです。政府になるともっと酷い…。
 

片岡: 意図的なものでしょうか。
 

崎:

そうだと思います。戦後、大学を作る時にそのような関係の分野を作らせなかったということでしょう。大学というところは硬直した面がありますので、その影響が今も続いています。ですから日本外交史ということで米国を研究することがあっても、米国という括りで始める人はあまりいません。
 

片岡: 一貫性を持って全体像を俯瞰できていないわけですね。ストラテジーの分野も同様に抜け落ちています。
 

崎:

そうですね。シビリアンコントロールと言いながら、そのシビリアンは誰も安全保障を勉強していない。大変な問題です。素人にはできないから、結局、米国の戦略をそのまま受け入れることになりかねません。
 

片岡: 米国の大手民間企業では軍や諜報機関のスペシャリストをボードメンバーとして招聘し高い業績を上げていると聞いております。日本にはこうした環境も十分に育っていませんね。
 

崎:

残念なことです。そもそも日本の天下りにはOBが就職する際に個人の能力を問わないという鉄則がありました。例えば銀行が大蔵省の役人を欲しいと思っても、リストの中から個人の能力を見て選ぶことはなく、大蔵省の方がこの人をお願いしますと言いい、企業はそれを受け入れていました。ですから企業も役人の個人の能力を活かすという発想を持ってきませんでした。ところで米国ではシンクタンクも軍や情報機関出身者の有力な就職先となっていて大変な発言力があります。勿論、軍や情報機関にもシンクタンクがあります。一方、日本ではコンスタントに外交・安全保障の専門機関として機能しているシンクタンクはあまりなく、企業や防衛省からの受注で研究する程度です。外務省も国際問題研究所を持っていましたが、これも殆ど潰れているような状態です。皮肉にも、嘗て外務省を強くしたのはニクソン大統領やキッシンジャー大統領補佐官による日本の頭越し外交です。その危機感が外務省を強くし、1970年代に情報分析と政策企画をするところができ、この二つが次第に大きくなってきました。ところがブッシュ政権になって日米一体化が強まると情報調査部や分析課はなくなり、企画課は企画室と縮小、ここ数年でそうした機能が衰退しました。
 

片岡: なぜでしょうか?
 

崎:

政策が決まっているからです。つまり「米国の政策はこれだ」となると、それと一緒にやらなくてはいけない。違うものは困るわけです。ところでその米国では、今、利益の局地化が始まっています。つまり大きな国益から見るとマイナスであることが、局地化された利益集団である軍産複合体に誘導されて行われています。今、イラクには毎月120億ドルが費やされており、総額は3兆ドルに達するといわれています。今の米国には広い意味での国益を考えるシステムが機能していません。もしイラクに投入するお金が国内に回っていれば、今回の米国の信用危機もある程度補えたかも知れず、その算盤勘定がどうなっているかという議論も、この戦争で一体何を得ることが出来るのかという議論もなくなってきました。嘗て、「アイゼンハワー大統領は退任する時に軍産複合体は非常に強力だから、不必要な戦争に巻き込まれるかもしれない…」といった言葉を残しました。幸い、冷戦期には産軍共同体の利益と戦争とは必ずしも結びついていませんでした。というのは第2世代、第3世代の戦闘機と常に技術革新をすることによって設備の改編を行ってきたからです。ところがベトナム戦争以降、徴兵制がなくなって人数が限定される中で、軍は戦闘部隊のみを保持し、補給部隊を民間に任せるようになりました。その結果、戦争そのものによってロジスティックを担う民間企業が利益を得るようになりました。チェイニー副大統領(注2)の「テロとの戦いは20年、30年になる」といった発言とも一致していて、それは恒常的に戦争をすることに繋がります。これは米国全体にとっての利益とは異なります。
 

片岡: そうした構造をオバマ大統領は「CHANGE」出来ますか?
 

崎:

オバマ大統領は安全保障問題では軍人にアドバイスを求めると明言しています。その軍人である、国防長官、統合参謀本部議長、中央軍司令官といった人たちは基本的には戦争遂行派です。更にオバマ大統領は理念を実現するために既存勢力と戦いうる陣容も持っておらず、そういう意味でも「CHANGE」出来ないと思います。ところでオバマ大統領やクリントン国務長官が直接、対日関係を担うのであれば自ずと緩むはずです。彼らの目は中国に向いているからです。しかしキャンベル国務次官補等のレベルになると、日米は一体、もっと強く締め付けなくてはいけないということになります。ですから、いわゆるジャパン・ハンドと言われるレベルとできるだけ離れたかたちで日米関係を構築する方がリーズナブルです。そういう意味では鳩山首相が早い段階でオバマ大統領やクリントン国務長官に会ったのは良いことです。
 

片岡: 日本では政権交代が実現し鳩山新内閣が次々に「CHANGE」政策を打ち出しております。今後、日米関係にはどのような変化があるのでしょうか。
 

崎:

小泉政権時代はあれ程、締め付けがきつかったはずなのに、今回のインド洋での給油問題で米国の動きが弱くなっているのが不可解です。昔だったら「絶対にやれ」となったと思いますが…。キャンベル国務次官補やジョセフ・ナイ博士(注3)等が昨年12月に来日し、民主党幹部と会談した折には相当に厳しいことを言っているはずです。しかし実際に政権が発足してみると、なんとなく岡田外務大臣のラインが通っています。これがすんなり落ち着くのか…。小沢一郎代表との会談の時はインド洋の給油を辞めてアフガニスタンに行くということになりました。米国にとって、それはかえって好都合だったのですが、今回はその両方を辞めると言っています。米国は黙っているのか、それとも工作をしてくるのか…。これからウォッチする必要があります。ところでナイ博士は情報のプロですが、若し日本大使に就任していたら日本はかなり厳しかったかもしれません。1993年頃から米国には2つの方針があって、一つは日本の経済力が非常に強く米国に害を及ぼすから日本の強力な経済力を削ぎたい。そしてもう一つは日本が経済に特化するのは困るので安全保障に引っ張り込み、そして軍で日本を米国と一体化させるというものです。その日本を一体化させるというのがナイ博士のラインです。
 

片岡: こうした場合、米国は一般にどういう手法をとるのでしょうか?
 

崎:

基本的には日本人にやらせるということです。相手の国民を使って落とし良い方に誘導する。そういう意味では今の自民党では役に立ちませんのでメディアでしょう。今後、メディアが政権に同調してくるのか、より大きな勢力とみられる米国にすり寄るのか…。今のところ民主党寄りの論調は少ないように思います。米国のメディア戦略は非常にうまく行っていて、「Japan, Inc.」(注4)と言われた政官財のトライアングルを壊す、その中の官を潰す、特に大蔵省を潰すといってメディアを動かし、この流れは成功しました。そして今ではテレビのコメンテーターで米国の望む政策と基本的に異なる論調を持つ人は少なくなっています。
 

片岡: どのようにしてコントロールするのでしょうか。
 

崎:

同じ価値観を持つ者に情報や便宜を与えるなど色々な形はありますが、今、メディアが危機的な状況にある中で、広告をコントロールすればメディアを抑えることが出来るとよく言われます。つまり広告代理店を抑えるということで、そういう構図が出来ていて、意に沿わない人間を外すような力があるということなのでしょう。そうした中でなされる「なんとなくの合意」というものは非常に強い力があります。2005年の「2+2(日米安全保障協議委員会)」で合意した「日米同盟:未来のための変革と再編」(注5)は日米安全保障条約にとって代るともいえるものですが、これに対するメディアの沈黙もそうしたものでしょう。この合意で日本は米国との協力範囲をグローバルに広げましたが、今、無理にアフガニスタンに行き、日本人の犠牲者が出たとします。米国に言われるままに応じると危なくなるというような感情論が台頭し、かえって日米関係が大変なことになります。今の日本には戦死者を出してでも米国に協力するという覚悟はありません。一方、アジアにおいては、日米は安全保障の面で利害が一致していますから、その一致しているところで協力すればいい。長期的に見るとその方が、日米両国にとって良いことではないかと思います。ですから、協力範囲を極東地域に限定する1960年の安保条約に戻した方がいいと思っています。
 

片岡: 貴重なお話を有難うございました。
 

〜完〜

 

 

インタビュー後記

孫崎氏の近著【日米同盟の正体】は2009年の3月に上梓されて以来、早くも7月には5刷をヒットする売上です。同氏の明快な論陣は森田実氏
(注6)や天木直人氏(注7)のブログでも高い評価を得ており、その草の根的なクチコミで隠れ読者に伝わったのかもしれません。また、プレジデント、東洋経済、エコノミスト等の各経済誌も挙って同著の書評を掲載しております。この種の本では異例のベストセラーに躍進中の同著も、鳩山新政権の誕生を辛口評価する主要メディアから無視同然の書評なしという状態が続いています。その反面、日米同盟の今後を占う意味でも同著は霞が関の官僚にとって気になる存在に違いありません。孫崎氏の次なる新書「外交と情報」のデビューが楽しみです。
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 

  
 

 
 

脚注
 

注1

エシュロンについては下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エシュロン

注2 チェイニー副大統領については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ディック・チェイニー
注3 ジョセフ・ナイ博士については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/産業再生機構
注4 Japan, Inc.については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本株式会社
注5 「日米同盟:未来のための変革と再編」については下記をご参照下さい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen_k.html
注6 森田実氏のブログは下記をご参照下さい。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
注7 天木直人氏のブログは下記をご参照下さい。
http://www.amakiblog.com/
   
   


片岡秀太郎の右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/10/30