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林川眞善の「経済 世界の

第2回 日中経済関係再考
                 ― いま中国 とどう向き合っていくか

2012/10/22

林川 眞善
 

 プロローグ:2012年9月、中国で大規模反日デモ発生

 日本政府は2012年9月11日、沖縄県尖閣諸島の国有化を決定しました。これに対して、中国では、9月15日、この決定に抗議する反日デモが、北京、重慶等、数十か所の主要都市で発生、その規模は1972年の日中国交正常化以来、いくつかのデモは起こってはいますが、まさに最大級というものでした。一週間後の9月22日にはデモは鎮静化の様相となっていましたが、これは中国政府が示唆したものと云われており、とすれば、この一週間の動きは、まさに中国の動員国家たるを赤裸々とする処だったと言えます。

 全世界のメデイアで放映される丸焦げになった建物、襲撃される日本企業、そして店頭から製品を略奪する暴徒、一連の映像を見せつけられるにつけ、中国のカントリー・リスクというものを改めて意識、痛感させられ、同時に、これまでの友好的とされてきた日中関係は終焉をみたか、との思いを禁じ得ない処です。今年は、国交回復40周年と記念すべき年でしたが、その記念行事は中止となってしまいました。

 これまでも、中国では靖国神社や尖閣の問題を巡り2005年と2010年に大規模な反日デモが起きた経緯はありました。(注) 

(注)2000年代に起きた主な反日デモ:
2003年10月: 西安市の日本人留学生によるワイセツな寸劇上演をきっかけに反日デモが拡大
2005年4月 : 北京、上海、成都などで大規模な反日デモが相次いで発生。日本の国連安保理常任理事国入りへの反対、加えて歴史教科書検定問題、更には.小泉首相の靖国参拝に反発しておきたもの。
2010年10月: 尖閣諸島沖での漁船衝突事件を受け、北京などで反日デモが広がる)

 しかし、今回のそれは、尖閣の国有化問題への抗議ではあったわけですが、今次の一連の暴動は、11月に予定されている政権移行を控えての中国共産党内での権力闘争、そして広まる国内での経済格差等を巡る国民の不満のやり場を、タイミングよくというべきか、反日デモにシンクロナイズされていった結果とみられる処です。今次の反日暴動は、70年代を通じて育まれ、日中関係の規範ともされてきた72年体制の枠組みを否定するまでに大きく逸脱するものであり、‘日中関係’に構造的な変化が起きたことを示唆する処と考えます。

 因みに、日中経済関係の象徴とも目されてきた青島のパナソニック工場が、今回、集団攻撃に会い、大打撃を喫した事は極めて残念なことと言わざるを得ません。というのも当該工場はいまから34年前の1978年10月、日中平和条約批准に合わせて来日したケ小平氏が当時の松下電器(現パナソニック)の松下幸之助相談役を訪ね、中国経済の近代化を手伝ってほしと、三顧の礼を以て協力要請をした結果、実現したTV用ブラウン管製造プロジェクトです。
 当初、松下イズムの下、品質管理、人材の養成に注力してきた結果として、いまや全中国で10万人の雇用を確保するに至っており、パナソニックは実に中国にとっての恩人とされる存在の一つです。それにも拘わらず、今回、中国市民が日中経済協力のシンボルとも言えるパナソニック工場を破壊したという事は、それが‘井戸を掘った人’への恩を忘れる事はないとされてきたはずの中国の所業かと、極めて残念な事件だった言えます。

 日中の関係は早晩、大きく冷え込んでいくこととなっていくでしょうし、まさに大きな転換点を迎えることになったと言えるのです。因みに、10月13日、中国側が発表した9月の貿易統計によれば、日本からの輸入は前年同月比9.6%減となり2カ月連続で1割前後の減少が続いているというのです。これは後述するような中国経済の減速に加え、今次、尖閣をめぐる日本への反発から広がった日本製品の不買運動が影を落とした結果と報じられています。

 こうした日中二国間の対立は、いまや世界ナンバー2の経済大国となった中国と、ナンバー3の日本、この両国間の問題だけに、そのままグローバル経済の在り様に直接的にインパクトを与えていくことになること、言うまでもありません。

 近時、中国経済は、リーマンショック以降、不振にある欧米経済を下支えする形で世界経済を牽引する存在として評価されてきました。しかし、国内需要を上回る生産能力を積み上げ、輸出をテコに高成長を遂げてきた中国経済ですが、その中国経済の現状はと言うと、これまで成長要因とされてきた欧米向けの輸出が、財政問題を抱えた当該諸国の不振の煽りを受けて伸び悩みを強めてきており、国内経済においては、これまでの高速成長が経済格差を生むなか、消費活動の減速傾向が鮮明となってくるなど、景気減速に直面しだしています。

 加えて、今回のデモ騒動を受け、これまで中国経済の発展をサポートしてきた日本をはじめとする進出外資が撤退、あるいは他アジア市場への移転に動くなど、急速に中国離れの動きが出てきており、中国経済の減速はより鮮明な様相にある処です。つまり、先進国経済が停滞感を強めるなかにあって、中国経済の減速は、いまや世界経済にとって大きなリスク要因となってきているというものです。つまり、反日デモを巡っての日中関係の推移の如何は極めて深刻な事ですが、今回の事件が浮き彫りとした‘中国リスク’への対応の如何がより重要な問題となってきているのです。

 そこで、事態は極めて流動的ですが、とりわけ11月8日には中国共産党大会が開催され、習近平氏をトップとする党新指導部の発足が予定されてはいるものの、これらに絡む不確実な様相は多々とされる処ですが、この際は、改めて1972年の「共同声明」を経て今日まで構築されてきた日中経済関係の実状、つまりは‘72年体制’をレビューし、日本の誤算とされる背景と中国の思惑のレビューを通じて‘中国リスク’を検証し、グローバル経済という環境の下、日本は中国とどのように向き合っていく事が然るべきなのか、いうなれば今後の問題解決の道筋を考えたいと思います。
  

1.日中関係「72年体制」

 1972年9月29日、中国の周恩来首相と日本の田中角栄首相との間で「日中共同声明」に調印がなされ、日中間での国交関係が樹立しました。(日本は1972年まで歴史上、中華人民共和国と外交関係を持ったことはなく、その点で、「日中国交再開」の用語は不正確ということになります。)

 日中経済関係は、この合意を枠組みとして、爾来40年間、紆余曲折を経ながらも相互依存を強める形で拡大を続けてきました。とりわけ、その拡大に‘火’をつけることとなったのが1978年8月12日の「日中平和友好条約」の締結(日本側:園田外相、中国側:黄華外相)でした。
 そして、その年の10月、政治復権を果たしたケ小平氏が条約批准の為,来日したのを機会に、彼は「偉大な日本人に学びたい」として日本の主要企業を熱心に視察したのです。冒頭、松下幸之助氏への協力要請の話について紹介しましたが、新日鉄の君津製作所を見学したケ小平氏は、その場で「これと同じものを作ってほしい」と、当時の新日鉄幹部に懇請、上海の宝山製鉄所の建設が始まった(注:日経「私の履歴書:今井敬」、2012/9/23)というもので、宝山製鉄所は80年代の新しい日中関係のシンボルとされるものでした。

 また、1979年9月には谷牧副首相らが訪日し、大平首相との会談で、初めて円借款供与の要請をしています。これに応えて、同年12月大平首相が訪中しインフラプロジェク向けに政府ベースの資金供与、円借款を約しましたが、これがこれまで否定してきた資本主義国からの資金の導入という事で、共産党政権としては画期的な変化とされるものでした。これらは、ケ小平氏が復権後に打ち出した「四つの近代化政策」、1992年1月からの南巡講話で示された「改革開放」に向けた動きに繋がっていくものでした。

 かくして‘日中平和友好条約の締結’、そして‘ケ小平の訪日’は、その後の日中経済関係構築に向けた重要なステップとして位置づけられる処です。そして、こうした日中経済関係の基本的枠組みを中国では「72年体制」と呼ばれてきたのです。

 こうした双方の取り組みにも拘わらず、中国の対日批判は消えることはなく、前出のとおり、反日デモは繰り返されてきていたのです。こうした経緯を含む72年体制について、早大教授の毛利和子氏は自著「日中関係」(岩波新書、2011)において次のような指摘をしています。つまり、‘72年体制そのものは、中国がもっぱら戦略的配慮から対日正常化を敢行し、しかも道義性を対日政策の基礎においたことに伴う問題をはらんでいること、また日本側においても、戦略的判断や中国の状況に対する認識が基本的に欠けていたことが問題’というのです。そして‘これまでの二国間の歴史的推移に照らし、日中関係を貫く複雑かつ感情的な要素に対する長期的観点が双方の政府に欠けていることが基本問題として残る’と指摘していますが、極めて示唆的と言える処です。そして、今次、中国で暴発した尖閣問題をめぐる反日暴動は、まさにこのコンテクストにおいて理解できると言うものです。

 中国が初めて当該領有権を主張したのが‘71年と言われていますが、その前年の‘70年に国連は尖閣海底には埋蔵量1095憶バレルの石油が眠っていると、発表していますが(その後、埋蔵量予想については修正があったようですが)、それに触発された動きとも言われています。その点、72年体制にあっては中国側(ケ小平)の提案で尖閣問題は次代の英知に任せることとし、つまりは大人の知恵として先送りされ、今日までいわゆるwin-winの関係が維持されてきたというものでした。(まさに中国的戦略という処でしょうか)

 しかし、近時の両国を巡る内外の環境は大きく変化してきています。とりわけ中国は積極的な外資の導入をつうじて経済の活性化を図り、急速な経済成長を進めてきた結果、地域大国からグローバルな大国に躍り出てきたということです。つまり、2010年には中国はGDPベースで日本を超え、米国に次ぐナンバー2の経済大国として台頭するようになってきました。そして日本と中国とのこれまでの力関係が逆転したことで、日中の関係は構造的に変化してきたというもので、今回の尖閣を巡る大規模な反日デモは(この背景にあるのが日頃の反日教育と言われていますが)ある意味、‘自信をつけた中国’を映す行動とも言える処です。とは言え、日本からの進出企業に対する襲撃や当該店頭商品の略奪等の行為、しかもこれら暴力行為は警察官の目の前で行われているなど、中国政府が容認するものであったと報じられていますが、これが大国となった中国のすることなのかと、実に残念なことと思いは深まるばかりです。
 先述したとおり、かかる事態は必然として、これまで40年間、友好に支えられてきた72年体制の終焉を告げる処ですが、同時に、前述事件の構図は、そのまま今後の対中ビジネスを巡る‘中国リスク’として迫ってくる処です。

 つまり、領有権を巡っては、現状、日中双方とも、そう簡単には譲ることは考え難い処ですし、とりわけ中国は‘尖閣’を歴史問題と絡めて宣伝しだしているだけに、日中関係は当分不安定な状況に置かれることとなるでしょう。つまりは、反日事件が起りやすい環境が続くということであり、企業としてはその都度リスクに晒されていくことになると言うものです。更には中国国内で続けられる反日教育がそうした動きを強めるというリスクもあります。そして、何よりも無法状態となった暴動の姿からは、法治国家として機能しない中国を見せつけられたことで、まさにカントリー・リスクを実感させられるというものです。

 今、日中関係は新たな次元に移ってしまいました。それもややネガテイブな次元に移ったようです。しかしグローバルな経済環境にあって両国の占めるポジションからは、依然その関係の重要性には変わることはなく、建設的に考えられて行かなければならないものと思料する処です。勿論、それは、これまでの思考の‘延長線上ではない’新たな環境での建設的な経済関係を目指すということです。

 そこで、改めて今次のデモが浮き彫りとした事情、つまり中国リスクを分析し、これらを踏まえ日本として対中問題をどう考え、どう対応することが然るべきか、更にはアジアという枠組みにおいてどう考えていくべきか、実践的に考えていきたいと思います。
 

2.反日デモ行動に映る中国リスク

 日本政府による尖閣の国有化が伝えられるや、中国はこれに強く反発、中国全土に及ぶ反日デモ、進出日本企業への襲撃等、日中間の緊張は一度に高まったことは、前述の通りですが、その後もその領有権の主張を強化し、今なお巡視船を繰り返し日本の領海に侵入するなど、なお日中関係は緊張の中にある処です。では、中国がかくも激しい反日行動を起こすに至った背景には何があったのか、改めてその実情をレビューしたいと思います。

 その一つには経済面での変化です。先にも指摘したように、2010年を境に起きた日本と中国の‘経済力の逆転’が大きく作用してきたと言うことです。つまり、日本は戦後、急速な経済成長を背景に60年代には先進国入りを果たし、1968年には米国に次ぐ世界第2の経済大国にとなっていきました。ジャパン・アズ・ナンバー・ワンです。そして、中国の経済発展の為に、日本から学びたいとしたケ小平氏の要請に応えて、日本はいろいろな形で協力支援を行ってきたことは前述の通りです。ただその協力姿勢には目線の高さを感じさせるものがあったとも言われていました。

 しかし、90年代に入ってからの日本経済は周知のとおり、長期停滞に陥り、加えて政治事情も不安定なままに推移したことで、失われた20年と言われる状況を余儀なくされてきました。この間の中国はと言えば、90年代後半からは地域大国からグローバルな大国に躍り出、前述、2010年には中国はGDPベースで日本を抜いて世界第2の経済大国となり、とりわけ対日関係に於いては‘対等’意識を強くして来たと言われてきました。

 つまり、‘力’をつけた中国、方や相対的地位の低下を甘受する日本、こうしたコントラストの構図が進むなかで、日中の力関係が構造的に変化し、以下で指摘する国内事情とも相まって、‘力任せの対日政策’に転じる姿勢が明確になってきた、というものです。これが先に触れたように72年体制が終焉を迎えるに至った経緯とも言える処です。

 二つ目は、中国をめぐる内外の政治環境の変化です。
 まず、国内的には市場主義型の経済運営で中国経済は飛躍的な成長を果たしてきたことは周知の処です。その結果として、負の成果、つまり経済格差が進行した結果、多くの国民の間では生活改善をめぐっての不満が広まってきているおり、これが共産党政権に向けられかねない状況が生まれてきたという事情です。一方、前述したように11月に予定されている政権交代をスムーズに進めるためには、国内的な不満をとにかく排除し、これを外に向かわせていくことが必要な事情があるのです。

 因みに、今次の反日デモでは、毛沢東の写真を掲げて暴徒化する場面が伝えられていました。それは、‘貧しくも平等を’と主張した毛沢東時代の政治への回帰を、とする動きとも受け止められる処です。であれば、言うまでもなく現政権批判につながる動きと思われる処ですが、現実はそのエネルギーを反日に向けさせていった、ということで、内政での不満を外に向けさせていくメカニズムがそこでは明らかに作用していたという事です。

 また、国際的な政治環境の変化も中国にとって有為に推移してきたという事があります。つまり、72年9月の日中国交樹立の半年前、米中国交が樹立されていますが、当時の中国としては米国とまた日本との協力関係を担保として経済発展を期さんとの戦略にあったわけですが、そこで強く意識されていたのが‘日米安保’だったと言われています。しかし、その日米関係が、民主党政権になってからというもの、国内政治の迷走を反映する形で大きく揺らいできていること、一方の米国は米国で、大統領選挙事情があって内向きの政治力学が働きやすいという状況にあるということで、そうした‘揺らぎの環境’が中国に付け入る隙を与えることになってきたと言うことです。

 つまり、中国は経済大国として自信を深め、政権移行にあったては自国権益に即した動きを堅持していくことが内政上不可欠とされ、その中で、これまで意識してきた日米の同盟関係が今、揺らいでいる、とみる地政学的な要因も加わってきたということで、これら要素が今次のデモ騒ぎの背中を押していたと見られるのです。

 こうした分析結果は、言うまでもなく‘中国リスク’の本質を示唆する処と考えますし、それだけに中国国内での変化や流れを読み、それに対応できるシステムの整備が痛感されると言うものです。
 野田総理補佐官であった長島衆院議員がTVインタビューで尖閣の国有化を決定した際には、今回のような大規模の反日デモが起きるなどは想定外のことだった、とコメントしていましたが、それは、まさに政府としての変化に対する感性の鈍さ、情報力、分析力の無さを語る処であって、それこそは、日本政治の能天気さを示唆するばかりです。まさに、そこにある‘パーセプション・ギャップ’が、と言う処です。
 

3.中国とどう向き合っていくべきなのか

 これまで日本は少子高齢化、産業の空洞化に伴う停滞を打破するには中国の活力を取り込み、共に成長していく事が不可欠としてきました。日本の貿易額に占める対中貿易は20%のシェアーを占め、相手国別ランクではトップにあるのです。既に進出日本企業の数も2万社を超えています。つまり、日本経済は中国なしでは成り立たない状況としてきました。とは言え、予てより日中間には今回尖鋭化した領有権問題も含め、歴史認識を巡る問題が立ちはだかってきていることも現実であり、日本が単独で中国との経済関係を強化していくには限界があることは自覚されてきたところでした。そして、それは今回の事件で極まったと言う処といえます。

 今次の中国各地で起きた反日デモや破壊活動で、日本の進出企業は勿論、中国ビジネスを展開する日本企業は甚大な被害を受けました。かかる中国リスクを嫌気して、すでに日本企業においては、中国は危険地域として取引活動を見合わせる、あるいは事業の撤退を考える企業が増えだしきています。リスクを商売とする保険業界も、中国ビジネスでの保険を今後受けることは難しいと伝えています。
 そして中には、「原理主義的、功利的に動くのが中国本来の姿。中国が大国になったことで、それが強く表れるようになってきたと理解すべきで、過去40年間のビジネスは中国にとって必要な事であって、満たされた現状にいてはその限りでないはず。ましてや(筆者が法治国家としての中国のあるまじき行為に残念、としたことについて)法治国家としての中国などもともとない。日本人は実に甘い」、とまでに厳しく断ずる向きもあるのですが・・・。

 さて、中国ビジネスに多少ともかかわってきた筆者としては、それでいいのか、と自問するばかりです。72年の共同声明には「両国国民の利益に合致」し「アジアにおける緊張緩和と世界平和に貢献する」とうたわれています。つまり、日中が良好な関係を築くことは両国民のためであり、世界に対する責務でもあると言うものです。とすれば、今一度、その原点に立ち戻り、その精神の枠組みにおいて現状、どのように対応していくべきなのか、大局的な観点をも含め、当面の対応を実践的に考えていくことが不可欠と思料するのです。

 この点、英経済誌、ザ・エコノミスト(9月22日付)は早速に、巻頭論文で‘尖閣諸島を巡る争いはアジアの平和と繁栄に対する深刻な脅威だ’として、かかる事態の発生防止に向けた対策として、三つの提案を伝えています。(注)

(注)http://www.economist.com/node/21563316

 その一つは、船舶の行動にかかる行動規範(code of conduct)を導入せよというものです。それにより、海上での衝突に対処しやすくなるだろうし、地域的な機関で各国政府が定期的に協力し合えば緊急時の協力も得やすくなるはず、というのです。そして、二つ目の対策として、偏見を排して、主権を巡る争いを棚上げすることを再発見することと、言うのです。つまりは前述、1972年のケ小平氏が提案した‘次世代に委ねる’事を偏見なく再考することを示唆するのです。更に、三つ目として、協調だけでは解決は難しいがその点で抑止力(deterrence)を高めることが安全対策になると言うのです。つまり、尖閣について、米国は領有権については特定の立場をとらない方針ですが、当該諸島は現在日本の管理下にあるため米国の保護下に入る、としています。そして、このことで安定性が一段と増し、したがって米国がその外交手腕をもって紛争拡大を食い止めることになる、と同時に、中国も侵攻できないと心得ているからだと言うのです。

 これら提言は日中関係に限ることなくアジアの関係諸国への建設的なメッセージとして受け止められる処ですが、さて、こうした提案に応えていく為にも日中双方が互いに理解しあえる一定の状況を見出していく事が何よりも必要なことと思料するのです。

 その点では、デモ騒動の背景を分析していく作業の中で痛感されたのが、当事者間のコミュニケーションの足りなさという事でした。少なくとも日中間でいま何が起こり、何が問題となっているか、その事実の把握と、それに絡む意見の交換の機会が不足していたという事です。これなどまさに情報リスクと言えるものです。係る状況を克服する上からは、なんとしても必要な事は、当事者間、つまり、「リーダー同士が定期的に接触を行い情報交換を図るシステム」の構築です。

 もっとも現時点では、その実現は、双方の事情もあり、なかなか難しいことと思料されます。であればそれに代わるシステムとして域内で起こる多角的な問題に機動的に対応できるよう、今次の領有権問題にも照らし、いうなれば多国間レジームとしてのシステムの導入を関係各国と進めていくべきではと思料するものです。具体的には、ASEANのメンバー、例えば日本に友好的なインドネシアやマレーシア等の理解と協力を得て、この際はエコノミスト誌が提案するようなシステムの構築を目指すことと考えます。

 もうひとつ実践的なアプローチとして、考えられるべきは「政府レベルでの共同事業を立ち上げる」ことを目指すことです。これまでにも宝山製鉄所のような事例がありますが、中国側はともかく、日本は資金提供を行ってきたものの、政府が主導して中国と共同事業を取り上げた事例はありません。仮に当該プロジェクトが実現されるとすれば、それは双方の‘現実’に対する理解を図っていく‘場’ともなるはずです。

 一方、かかる提案の実現の為にも、日本として取り組まなければならない問題があります。
 その一つは何よりも日本の国力の回復を図っていくことと考えます。つまり、中国は先にも示唆した通り、経済大国としての自信を持ち、自国権益に照らした戦略の展開を進めるようになっています。一方、日本経済はと言えば、長いデフレ下にあって、いまや自らの地位の低下を甘受する状況にあります。中国経済とのこの落差は日本経済にとって競合上のリスクとも映る処です。となれば、この際は、当該リスクを克服していく趣旨からも、日本国の矜持において、とにかく「日本経済の活性化を図り、国力の回復を図ること」こそが、現実的な対応戦略と考えます。

 その点についてはこれまで、成長戦略の名の下、いろいろ経済政策が打ち出されてきており、この7月には新産業を目玉とした「産業再生戦略」が打ち出されています。しかし、例えば企業の活力を引き出す上で必要とされる規制緩和などは、既存権益との関係でなかなか動かない状況にあります。世界ナンバー・スリーの経済大国として、今こそ小異を捨てて大同につく姿勢が必要とされ、それこそは政治の出番という事です。

 もう一つは、エコノミスト誌が第3項として挙げている「抑止力」の強化という点です。一言でいえば、日米安保体制の強化であり、それに向けた政局の安定化、日本の政治力の強化ということです。日米ともに新政権が生まれることが予想されているわけで、その際は然るべきタイミングでの体制づくりを期待したいと思います。もとより、その際は、アジアにおける今後の日本の立ち位置を再確認し、日本としてのアジア政策の再構築を図っていく事も不可欠となる処です。

 これらは、日中関係についての中長期的な対応枠組み、と言うものですが、問題は時間軸をどこにおき、どのように取り組んでいくかという事ですが、それら作業の枠組みを支えていくのが政治です。そうしたことから、いま最も求められていることと言えば、前述の通り、日本の政治であり、政治力の強化に他ならないのです。

 尚、一連の対応に於いて注意すべきは‘日中関係’は他の二国間関係よりひときわ危うい要素を抱えているという点です。その点では政治家もメデイアも論壇も十分な理性を以て行動することが欠かせないという事ですが、前出、毛利和子氏はこれを、‘日中関係の理性化’と称し、関係者への警告を発しています。
 

4.エピローグ

 この10月、48年振りに東京でIMF・世銀総会が開かれました。そこでの主たるアジェンダは、長引く停滞から未だ脱しえない世界経済の運営とその戦略についてでありました。勿論、今次の尖閣を巡る日中間の摩擦問題も取り上げられ、ラガルド専務理事は、議長報告として各国代表を前に「世界経済は両国の完全な貢献を必要としている。領土問題での混乱は避けてほしい」と早急な対立解消を求めたのです。
しかし、残念なことに、中国の代表たる周小川中銀総裁、そして謝旭人財政相の二人は、この総会への出席を見送ったのです。その理由は、勿論、尖閣問題で対立する日本がホストをしていることを挙げていたのですが、むしろ二国間の問題とはいえ事態の理解を得るためにも、また世界経済への影響にも照らし、この際はオープンな場で討議するという姿勢が欲しかったと思うばかりです。

 偶々、今夏、ロンドンに滞在中、Peter Marshの新著` The New Industrial Revolution’( 新産業革命論)を手にしました。そこでのポイントは、中国や新興国での生産が低廉な コストをベースに世界経済の大半を占めていく結果、グローバル化の流れとも相まって均質で、安価な製品が、どこででも手に入り、さらに生産が進むことで、言うなれば‘industrial democracy’ (産業の民主化)という状況が生まれていくと言っています。そして、そうした進化を主導していくのが経済大国となった中国だと言うものです。

 そうした期待を集めていた中国ですが、近隣諸国や遠く離れた国との間でもめ事を抱えており、今次の尖閣諸島を巡る対立はその直近の例と言うものです。中国の国家主席に予定されている習近平氏は9月、米国に対して日本との問題に口出しするなとも警告していますし、規模や軍備増強が近隣諸国を不安にしています。

 これら一連の中国の動き、そして、前述したIMF・世銀東京総会で見せた中国トップの会議への出席拒否とも併せ、みるとき、中国には経済大国としてグローバル経済の運営に責任を帯びるgood partnerとしての矜持をもって、衝に当っていくことを切に願うというものです。
 さて、こうした中国の姿勢をMarsh氏は新産業革命のコンテクストに於いてどう評価することになるのでしょうか。機会があれば問うてみたいと思うばかりです。

 ところで、本稿を取纏めていたさなか、ちょっと気になるニューズが、米ワシントン・ポースト紙、英誌ザ・エコノミスト(注)等、海外メデイアから伝わってきました。それというのも‘右傾化する日本’の最近の姿を伝えるというものです。
 とりわけ、ワシントン・ポースト紙 は、日本政府が今年の始めに行った国民の意識調査結果で、‘軍事力強化’を支持する比率が25%となったことに着目して、これが3年前の14%、更には1991年では8%であった事に比べ、この上昇傾向は、野田首相を含む日本のリーダーの思考を反映した数字として、日本の右傾化が気がかりと指摘するのです。そして、これが政治的にも、現象として先の自民党の総裁候補選で見せた候補者が共に尖閣問題に強い姿勢を示していたこと、更には、現防衛大臣の森本氏も最近のインタビューでは「南西諸島の防衛をどうすべきかが、いまや最優先の課題」と説明したこと等、シンボリックに取り上げてもいたのです。

 要は、今次の尖閣を巡る日中対立の背景にある中国側のナショナリズムに刺激を受ける形で日本にもナショナリズムが台頭しだした、という事なのでしょうが、極めて気になる処です。銘記されるべきは、ナショナリズムの台頭は必ずや戦争を誘発するということで、それは歴史の教える処なのです。

(注)With China’s rise, Japan shifts to the right、Washington Post, Sept. 21, 2012
   The Economist, July 28, 2012 / Oct.6, 2012


以上

 

著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)

 

 

 

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更新日:2012/10/30