目 次
はじめに: The two moons ― 二つの‘月’
1.中国経済の減速、そして新興国経済の変調
(1)中国経済減速のリアル
・中国経済が抱える構造問題の所在
・進まぬ国営企業の構造改革
(2)中国経済の減速が齎す資源安と、新興国経済の変調
2.非同期化を辿る国際金融環境―米国は金融引き締め、日欧は緩和
(1)米FRBは金融引き締め政策
(2)日銀 初のマイナス金利政策導入、そして日本経済は今
・マイナス金利の導入
・日本経済は今―2015年第4四半期GDP(年率)マイナス成長
おわりに:N.ルービニ教授の警鐘
・The Global Economy’s New Abnormal,
FEB.4, 2016
・いま、日本の政治も?
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はじめに: The two moons − 二つの‘月’
先だって友人のアドバイスもあり、シンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院学長、キショール・マブバニ教授(
Prof. Kishore Mahbubani) の「The Great Conversion 、2013」
(大いなる収斂)を読みました。コンバージェンス理論とは、高所得国の成長率は低く、低所得国の成長は高いため、いずれ両者の所得は収斂し、均衡すると言うものですが、ただ、その時期は50年先か、70年先か、あるいは100年先か、と考えられてきました。が、マブバニはそこに異を唱え、今、人類はかつて経験したことのない速度で進む、コンバージェンスに直面していると説くのです。それは中国の成長であり、インドの成長であり、いわゆるBRICSを典型とする新興国の成長の現実です。この本が出た2013年には、ベストセラーとなったとの由です。
然し、それから3年、2016年に入ってからの世界経済はそうしたトレンドを否定する如き様相となっています。その要因は、昨年来の中国経済の減速、急速に進む原油をはじめとする資源価格の低落、そして12月の米金利の引き上げ、とまさに不確実要因3連発です。
近時、新興国の多くは中国市場を最大のマーケットとして、成長トレンドに入ってきました。とりわけ、石油を含め多くの資源産出国は中国の資源需要を受け、その成長トレンドを高めてきましたが、それはまさに経済大国、中国が世界経済の原動力としてのポジションを確固なものとしていくプロセスでもあったと言うものです。 然し、その中国経済の成長モデルの行き詰まりから中国経済は減速、それが齎す資源輸入需要の減退が世界的広がりで資源価格の急速な低落を進めたことで、当該生産国はもとより、他途上国を含め新興国経済の後退が顕著となってきています。そして、それらに引きずられる形で世界経済も迷走の感を深める様相にある処です。
加えて、去る12月、米国は金利の引き上げを決定しましたが、それにより新興国に流れていたドル資金の米国還流が始まったことで資源安に加え、新興国は大きなダメージを余儀なくされる等、新興国バブルはまさに逆回転の様相にあり、上述マブバニ説も一時棚上げと言った処です。
そうした中、先進各国が進める金融政策の方向に相違が顕著となってきたことで、世界経済の運営を難しくさせる処となってきています。つまり、前述指摘の通り米国は12月、米経済は安定軌道に入ったとして、それまでのゼロ金利政策を取り止め、つまり金利を引き上げました。然し、日本では経済の回復未だしとして、日銀は初のマイナス金利政策の導入を決定、また欧州では金融市場の混乱や低金利による運用難等で、ドイチェ・バンクや仏ソシエテ・ジェネラル等業績不安を高める中、欧州中銀は更なる金融緩和を進める方針を伝えています。つまり国際金融政策の非同期化が顕著となってきたことで、世界経済はこれまでになく、不透明感を深める環境にある処です。
近時、体現されるこうした世界経済の動向について、2月11日付Financial Times は‘Comment’欄
で ` The two moons pulling the dismal financial tides’
と題し、新興国の潮の満ち引きを決めてきたのは「二つの月」だと言うMichael Power、strategist at
Investec,
のコメントを紹介した上で、その一つの‘月’が中国で、その月が欠けたことで、つまり中国の需要が減退したことが新興国の不調を齎しているが、それはもう昔の話で、今、市場を驚かせているのが、もう一つの月が齎す干潮の変わり目だが、その‘月’を代表しているのが、米国のFRBだというのでした。とは言え、二つの月の現実は今や重なり合って進む状況にある処です。
尚、1月下旬、スイスで開催のダボス会議での討論は、こうした世界の経済環境を反映してか、例年有力な政治家、経済人が集まり活発な議論が行われてきていますが、今年は総じて各国の国内事情の話が中心で、言うなれば内向きにあったと伝えられ,
又、何よりもリーダーの不在を感じさせるものだったとメディアは伝えていました。
因みに、常連であったドイツのメルケル首相は国内での難民問題対応で欠席となっていたのです、一方、昨年まで常に全面に出ていた中国については、近時の経済成長鈍化で、世界経済に与える問題児と指摘される事はあっても、彼らが積極的に出張る様子は見られなかったとメディアは伝えていました。
そこでこの際は、この二つの‘月’を巡る動き、つまり中国経済の成長減速の現実、そしてそれを取り巻く実相について、併せて、米国を始めとした先進国の金融環境の異変の現実について、メディアの伝える情報をベースに、整理、解析すると共に、かかる環境下、日本の取組むべき方向について考察することとしたいと思います。
1. 中国経済の減速、そして新興国経済の変調
(1)中国経済減速のリアル
昨2015年の中国経済の成果はどうだったのか。中国政府が今年1月19日、発表したGDPは、実質で前年比、6.9%増と、天安門事件の影響で経済が停滞した1990年以来、四半世紀振りの低成長でした。特に第4四半期だけを見ると、6.8%となっており、中国経済が減速状況に入っている事が読み取れると言うものです。そして注目すべきは、名目では6.4%と、名目と実質が逆転していることです。 この名実逆転はデフレ圧力が強まっている事を示唆する処で、それだけにそのデフレ圧力の伝播が気がかりという処です。
言うまでもなく中国はGDPで世界第2位、3位の日本の2倍をゆうに越す経済大国であり、この巨象の動きの如何が、いまや世界経済の動向を規定する状況に在る処です。それだけ中国経済の減速は、実は新興国の経済成長をも揺るがし、そして今、世界経済の先行きを曇らせる処です。こうした中国経済の姿を、習近平主席は新常態と称し、高成長から安定成長への移行の姿として捉え、新たな成長戦略を構築していますが、成長鈍化の背景には構造的とされる問題が多く、またそれがデフレ効果を生み出してきている点で問題と言うものです。
前述、ダボス会議に出席したIMFのラガルド専務理事も、中国経済の現状について、いま三つの変遷の途上にあるとしながら、次のようにコメントしていたのです。つまり、いま中国経済は‘輸出から国内に、製造からサービスに、そして投資から消費に’向かう途上にあるが、実態は輸出が出なくなり、また製造が弱くなり、投資が落ち込んでいる。つまり構造的問題の顕在化で、そう簡単に変遷とはいかないだろうとし、それはグローバル経済にとって、差し迫っている危機だとも言うのでした。
・中国経済が抱える構造問題の所在
その中国経済の構造的問題とは、基本的には過剰投資です。
リーマン後の投資主導の成長戦略の下、政府が示した年7%成長達成をめざし、相応の消費需要の拡大を見ることのないままに設備投資を進め、これをGDPベースで言えば、固定資本をGDP比率で45%も積み上げてきた(日本の場合は30%程度でその差は顕著ですが)と言う事ですが、結果として、非効率な投資、過剰投資を生む処となってきたと言うものです。 つまり、鉄やセメントなど中国の主要な製造業はいま深刻な生産能力の過剰にあり、その結果として製品価格が下落、生産も伸び悩み、経済の減速を齎すといった悪循環に陥っているというものです。
因みに、中国の粗鋼生産能力は約12億トン、世界の総生産能力の約半分と言われていますが、この内の4億トンが余剰、これは日本の生産量の4年分に匹敵する数字ですが、これが近時の元安とも相まって安値輸出に回っていることで競争環境は大きく変化する処となっているのです。 例えば、日本国内では新日鉄住友が日新製鋼を吸収合併という再編を進め、海外でも、ブラジルで仏バローレック社との合弁高炉の操業休止を決めていますが、言うまでもなく、中国の鉄鋼メーカーの安値輸出で収益悪化にある鉄鋼大手の戦略対応と言うものです。
こうした需要を上回る設備を抱える中国の現状にあっては中国人民銀行が利下げを繰り返しても企業の借金の実質的な返済負担は増すばかりで、生産の前年割れは必然となると言うものです。
景気を下押しする大きな要因のもう一つは、不動産在庫の急増です。
2015年末までに積み上がった不動産在庫面積は7億1853万平米で、2年間で5割も増えたと言う由です。内陸部の重慶市や四川省成都のオフィスビルの空室率は4割前後に達する、と伝えられています。(日経2016/1/20)新たな投資が動かずと言う処でしょう。
更に追い打ちをかけているのが金融市場の混乱です。
後述、米国が利上げに動いた事で、海外への資本の流出と人民元の下落圧力が強まった事で、金融政策が手詰まりとなってきた事です。そして年明けからの中国の株価下落は堅調な個人消費に冷や水を浴びせていると言った様相にあるのです。15年のGDPの半分はサービス業が占めていました。これは株取引の増加に伴う金融業の貢献が大きかったと言われていますが、仮に個人が株式市場から逃げれば、その分が成長率から剥げ落ちる恐れがあると言うものです。
・進まぬ国営企業の構造改革
習近平政権は、既に低成長に向かい出した現下の経済状況を‘新常態’として、まずは高成長の牽引役となってきた製造業の改革、高度化へ向けた行動計画「中国製造2025」を策定(昨年5月)、昨年9月、李克強首相は大連で開催された夏のダボス会議で「経済の安定のため、構造改革を進める」とは明言し、更に今年1月下旬、生産過剰の代表格の鉄鋼業界に対して、国内粗鋼生産能力の10%弱に相当する1〜1.5億トンを今後5年間で削減するよう指示を出しています。つまり業界の「救済」から「淘汰」へカジを切ったと言う事で、破綻処理を含め、これからは過剰設備解消に向け圧力を強めていくものと見られます。
然し問題は、その対象となる企業の多くが、国営企業である事のリスクです。つまり、国営と言う事で親方日の丸ならぬ「親方五星紅旗」よろしく、彼らの経営体質が保守的であり、新しい産業を切り拓くと言ったイノベーティブな思考が生まれにくいままに今日に至ってきたことで、要はゾンビ企業の整理も出来ぬままに、経済の鈍化を招来してきたと言う処です。
つまり、イノベーションを受け入れる素地に欠け、その点では国有企業が今や持続的成功を図っていく上での構造問題とされるのです。さて、自由を欠く社会でイノベーションが生まれ、投資家が求める質の高い企業は登場するか?ということですが、量の追求で高成長を実現してきた中国は、今その正念場にあると言うものです。言い換えれば‘政府が所有する経済’の行動様式の変革こそが不可避ということですが、同時に、それは政治課題として映る処です。その点では、中国政府は今、市場と国家統制の狭間に押し込められている様相にあると言うものです。
いずれにせよ、‘人民のための経済’を追求するとすれば、国営企業はもとより、効率経営、競争力の強化を図ること、そして企業と市場の法治主義を一から構築し直さないと、中国経済は信頼を取り戻せないと、思料するのです。さて、何処まで改革が進められ得るか。中国は今まさに、その本質的課題に向き合っている処であり、それだけに中国経済を巡る不透明感は暫し続くと見ざるを得ない処です。
(2)中国経済の減速が齎す資源安と、新興国経済の変調
言うまでもなく経済大国、中国の減速が中国の資源輸入需要の縮小を招き、それが世界的な資源需給のバランスを崩し、資源価格の低落を齎すと共に、当該資源輸出に依存してきた新興国は、財政が窮屈となり、国際金融機関に支援を求める状況となっています。また中国市場に依存してきた非資源国も中国の成長鈍化の煽りを喰って成長後退を余儀なくされてきています。つまり新興国経済の変調です。
勿論、新興国と言われるBRICSの間でも、インドはモディ首相の成長戦略が今や着実に進み、一方、ブラジルは景気低迷、政治の混乱で資金流失が加速する等、明と暗に分かれてきており、新興国内部でも経済のばらつきが進んでいますが、そうした状況をも含め、いまや新興国危機が云々される状況になってきています。又、これら新興国を有望市場として成長戦略を展開してきた先進国グローバル企業も業績の悪化から戦略の見直しが求められる状況に在る処です。
つまり、いま体現されている世界経済の姿とは、‘中国経済の減速’―‘資源安’―‘新興国経済の変調’の構図が進むなか、新興国進出のグローバル企業の‘業績の悪化’―‘戦略の見直し’に迫られる状況に置かれてきているというものです。
そうした環境変化を受け、新興国や資源市場に向かっていたマネーは先行き不安から、徐々に引き上げ始めていた折、これが12月の米金利引き上げで一層、加速する処となっています。それは言うまでもなく、新興国に向かっていたマネーは、再び米国へと逆流を始めたと言うことで、その結果、新興国では資金の枯渇現象が起こるなどで、経済が回らなくなってきているのです。
要は、問題は資源安の背後にある新興国経済の変調を甘く見ていた事と言えそうです。
世界銀行は既に、資源安が新興国経済を下押しする「負の循環」にあると指摘していますが、現状からは需要と供給のギャップが解消する均衡点は見出だせてはいませんし、これが見えてこない限り、相場の反転は期待来ません。かくして資源安などをきっかけとして、新興国=高成長、といった認識は、もはやお呼びではないと言った処です。
いずれにせよ需給均衡には、世界経済が勢いを取戻し、需要の伸びが回復するか、既存の過剰能力が淘汰される必要のある処、当面の需要拡大は見通せず、であれば残る道は過剰設備の解消や企業の淘汰しかないわけで、とすれば問題は再び、中国に帰することになる処です。
さて、その中国を議長として、今週末上海でG20財務相会議が行われます。現状打破のカギを握ると見られる中国は、それに向けた政策、戦略提案を、後述の米国と共に、纏め上げられるか、その成否が注目される処です。
尚、産油国の動向ですが、産油大国、サウジなどは油価の低落にかかわらず自国財政確保のため、供給は続けると言っていましたが、近時、メディアによれば、サウジとロシア等4か国が16日、条件付きながら原油増産の凍結で合意を見たと報じています。 原油価格低落にしびれを切らしての合意だと言う事でしょうが、さて利害が交叉する産油各国が足並みを揃え増産凍結を実行できるか不透明と言うものです。2月22日,IEA
(国際エネルギー機関)が発表した中期石油市場リポートでは原油は2016
年も110万バレルの供給過剰が続くと予想しているのです。((日経
2016/2/23)尚OPEC定例総会は6月の由ですが、その推移は気になる処です。
序でながら、1月23日付、The Economist の巻頭言 ` Who’s afraid of cheap
oil? ―Low energy prices ought to be a shot in the arm for
the economy. Think
again.’ では、中国やインドでは多くの場面で、原油安の恩恵を享受するだろうし、サウジやベネズエラ等の産油国では構造改革が不可避と自覚される処である、等々何れにしてもこの原油安を機会と関係各国は経済の構造改革を進めるべきとアドバイスしていましたが、まさにそのタイミングと言うことです。
2. 非同期化を辿る国際金融政策 ― 米国は金融引き締め、日欧は緩和
(1) 米FRBは金融引き締め政策
‘中国’発で進む世界経済の変化とは別の角度から、投資家に行動を迫る異変はもう一つの‘月’、つまり‘米国’の金融政策に負うものとされる処です。
昨年12月、米FRBは景気回復の軌道が見えてきたと、9年半ぶり利上げに踏み切りました。同時に、年4回の引き上げの可能性を示唆していたことから、この3月には再引き上げが観測されていましたし、その結果、マーケットではドル高、円安が進む一方、株式市場もそれ相応の反応を示していました。勿論、低金利を嫌ってドルから離れていた世界のマネーは再びドルに戻ったと言うものです。 まさに米利上げが世界のマネーの流れを変えることになったと言う処です。
ただECB(欧州中銀)と、後述するように日銀は、共にもたつく景気を刺激する為に‘緩和’の姿勢に踏み込んできています。つまり、金融政策の非同期化と称される処です。
処が、ここにきてその様相が変わって来ています。つまりFRBのイエレン議長が、2月10日の米下院金融サービス委員会で、中国及び原油市場の不確実さへの懸念を示したことで、既定路線であった利上げシナリオが揺らぎ(注)、それがドル安・株安となって世界市場の不安を増幅する悪循環の様相を呈する処となったと言うものです。(注)「Yellen’s
economy warning dims prospects of near-term rate rise」
(Financial Times, 2016/2/11)
つまり、1980年代の中南米債務危機、
90代のアジア通貨危機にあっては、米国が輸出の受け皿となり、FRBは利下げなどで下支えしてきていましたが、今回は既に利上げに踏み切っているだけに、次の一手が難しくなっていると言う処です。いま、最大のリスクはFRBの利下げ、と言われる所以です。
もはや環境は一国だけではソリューションの得にくい、時にリセッションの可能性も云々される状況にあるだけに、前述した今週末のG20会議でどのような、不安の連鎖を食い止める果敢な策が打ち出されるか、その推移を注目したいと思います。
(2)日銀 初のマイナス金利政策導入、そして日本経済は今
・マイナス金利の導入
1月29日、日銀は日本の金融政策としては初めてとなるマイナス金利政策の導入を決定しました。言うまでもなくその狙いは景気期待を維持しながら長期金利を低めに抑える事で、景気を押し上げる効果を狙ったと言う事と思料する処です。円資金の市場投入を積極的に促し、消費、そして事業投資の活発化と、年初来の円高圧力の緩和と株安対策にある処です。実際、為替相場は決定前に1ドル=118円台だった円相場は一時121円台にまで下落しました。黒田日銀総裁は「中央銀行の歴史の中で最も強力な枠組み」と言うのでした。
然し2月9日、日本の債券市場では長期金利がマイナスを付けたことで、再び円は110円台にまで上昇しました。これは、前日の欧米市場での懸念材料が相次いだためで、米エネルギー企業の債務不安、欧州の銀行での不良債権への懸念、ギリシャの債務問題への懸念再燃等々で株を売って国債を買う(金利は低下)動きが強まった事を受けたものとされています。 更には上述の2月10日のイエレンFRB議長の米議会での証言もあって、円高株安は収まる様子はありません。これまでの円安・株高の原動力だった米景気の回復期待が揺らいだ為とされるのです。
つまり、「米経済の減速」、「リスク回避」がキーワードとなって円買いが進んだと言う事ですが、マイナス金利を導入したにもかかわらず、円高が進むような展開では、日銀の金融緩和の効果は十分に発揮できず、独り相撲に陥る懸念のある処です。
余談ですが、金利が初めてマイナスになった2月9日から一夜明けた2月10日、開催された衆院予算委員会での与野党議論は政治家の金融市場への意識の低さを象徴するものでした。
つまり、10日には日経平均株価が約1年3か月振りの安値を付け、世界的に経済不安が広がった、そのタイミングで開かれた国会予算委員会での議論のテーマはマイナス金利政策を巡ってと、なっていました。が、野党議員からの株安、円高批判が出たものの、安倍首相は黒田日銀総裁を信頼していると強調した上で、「足元の状況を注意深くみる。日本経済のファンダメンタルズはしっかりしている」と言葉短く答弁するだけ。一方の野党からはそれ以上の突っ込みもなく、つまりは両者とも足元の市場に関する議論を深める事もなく、近時続出する閣僚の不規則発言や閣僚の政治資金問題に終始するもので、彼らには市場動向など他人事のように映るのでしょうか、与野党の政治感性の乏しさに開いた口が閉まらないと言う処です。アベノミクスにとって市場動向の如何はfatalな問題である筈です。因みに、参考人として同席していた黒田日銀総裁の出番はなかったのです。そして、日銀は2月16日、マイナス金利の導入を実施したのです。
・日本経済は今 ― 2015年第4四半期GDP(年率)マイナス成長
さて、2月15日、速報ベースながら発表された昨年第4四半期のGDPは年率1.4%減で、2四半期ぶりのマイナス成長でした。今回、大きく下げた要因は個人消費の不振、住宅投資もマイナスに転じており、設備投資を除くと内需はほぼ総崩れ状態にあります。このように、日本経済が頻繁にマイナス成長に陥ってしまうのは、経済の実力を示す潜在成長率が0%台半ば以下に落ち込んでいるためであり、これまでも当「論考で」指摘してきた処です。 言い換えれば、今のままでは日本経済は僅かな外的ショックででも成長率はマイナスに沈んでしまうという脆さにあると言うものです。 安倍首相らは、現下の経済混乱については飽く迄海外経済が要因と、他人の所為と言わんばかりで、積極的な手を打とうとする姿勢は見受けられません。
確かに、現下の世界経済の混迷は二つの‘月’が齎す処です。然し、今の日本経済に求められる要諦は、国民の生活を安定的に持続させていく事こそにある筈です。その為には、上述GDP数字が示唆する日本経済の実状に鑑み、この際は潜在成長率の引き上げを喫緊のテーマとし、それに即し短期、中長期の的視点から戦略的対応を進める事が必須と思料する処です。
具体的には、5月のサミットをも控え、議長国として世界経済の活性化を誘導していくうえからも、まず日本政府には財政政策の機動的対応を確かなものとすることが求められる処です。と同時に、中期的視点をも含め‘潜在成長率を地道に上げていく’べく構造改革を速やかに進める事としその点、企業活動の可能性を広げる規制改革の速やかな実施を図るべきと思料するのです。
尚、その際留意すべきは日本企業の行動様式の変化です。安倍首相はGDP数字を追いながら、企業に設備投資を、賃上げをと、要請しています。然し現下の企業の収益構造は海外市場で、となってきていますし、現地で上がる収益は現地での再投資に向けられてきています。と言うのも、国内で投資収益が見込めるような規制改革等、成長戦略の進展がないためで、国内への還流が考えにくいと言う事情です。企業の論理としては当然です。然し、人口減経済の日本経済が持続的に発展していく為には、彼らに通じる規制改革を断行すると同時に、先のダボス会議で熱い議論を呼んだとされる「第4次産業革命」での議論にも照らし、政府には、近未来に控える革新を視野に置いた構図とそれに向けた環境整備に取り掛かるべときと、思料するのです。
とにかく日本経済を支えるためには市場を広げていくことが必須であるとの理解を共有する事ですが、その点、格好の機会が今そこにあるのです。つまりTPPです。早急、政府は批准を果たし併せ、TPPが齎す‘新しい競争環境’に対応できるよう規制改革等、積極的に進める事、そして、上述、次代を意識した新しい発想で、行動すべきと思料するのです。
おわりに:N. ルービニ教授の警鐘
・The Global Economy’s New Abnormal , FEB 4, 2016
処で、今から5年前、米政治評論家、イアン・ブレマーは米国が世界の警察官としての役割りを降りた、その後の国際政治環境を「Gゼロ」と称し、新たな対応をと、警鐘をならしてきました。
今、それが経済にも映ると言うのです。 つまり、前述した‘迷走を映す世界経済’の状態を、米エコノミストでニューヨーク大学のNouriel
Roubini(N.ルービニ)教授は、New Abnormal
(新たな異常)と称し、この状態が暫し続くものと見られると、警鐘を鳴らすのです。
彼は2006年9月,ワシントンで行われたIMF
の会議で講演し、当時の好調とされた経済環境にあって、住宅バブルの破裂、厳しい石油ショック等その可能性を分析し、2008年のリーマンショックを予想したエコノミストとして有名で、ビル・クリントン政権時代、シニア・エコノミストとして大統領諮問委員会に加わった仁です。 勿論、彼の警鐘は、当時、馬鹿げたことと、多くは懐疑的であったと言う事でしたが、彼の警告が現実となった事は周知の処です。
いま経済のロジック、論理は、構造的な変化にある処です。そして、新たな環境は従来の行動様式にとらわれない発想と、そしてその論理と行動を求めているのです。
・いま日本の 政治も?
翻って、日本政治の現状ですが、そうした期待はお呼びでない、まさにアブノーマルな様相と、思えてなりません。
1月28日、甘利明前経済財政・再生相が政治資金問題で辞任しました。安倍晋三首相の盟友とも言われ、安倍政権にあってはアベノミクスの司令塔に立つ仁だけに、その政権に与えるダメージは、さぞかし、と思われていました。事の内容は既に報道で周知の処ですが、興味深いことは、その直後に行われた新聞各社(日経、共同、読売、毎日)の安倍内閣支持率調査の結果です。
つまり、昨年末のアンケート調査結果に比べ、全てが、支持率の上昇を示していたのです。
何故? つまり翌29日には、日銀のマイナス金利政策導入が発表され、円安・株高が進行したことで大方の関心がマーケットに向けられたこと、更には、当時、人気グループ、SMAPの存続など話題性の高いニュースが目白押しであったことで、甘利辞任ニュースなど影を潜めてしまったと言うものでした。電撃辞任劇はかくして功を奏したと評される処です。 とは言え、常に安倍内閣の支持率が下げ止まるのは、野党の低迷が「岩盤」となっている所為と言うものでしょう。 実際、その後の国会討論を見ていても野党は、甘利辞任問題を追い風とする事も出来ないままに、与党、自民党員の緩みを、甘受しているかに映るのです。
つまり、辞任発表直前のダボス会議に出席した甘利大臣は質問に応える形で、今回の金銭問題について‘安倍首相に申し訳ない事をした’と、まさに世界に向かって謝罪したのです。然しtax
payerたる日本国民にまず謝罪するのが順序と言うものです。が、彼が国民の前で謝罪したのはダボスから帰国してからの事でした。
そして、安倍内閣の目玉とされてきた女性大臣達の不勉強な、目に余る幼稚な発言の連発、スキャンダラスな議員の辞任問題、更には、2月17日の参院憲法審査会では、改憲派で弁護士出身の自民党丸山議員からはオバマ米大統領を引合いにだし「黒人、奴隷が大統領になる」とか、
人種差別を思わせる、まさにアブノーマルな発言が飛び出るなどで、極めて由々しき状況にあるのです。緩みっぱなしの現政権与党に、もう勘弁してよと、言う処です。
そんな中、2月8日、北朝鮮は、先の核実験に続き、長距離弾道ミサイルの発射を強行しました。
このミサイルは米国本土に届く性能を備えたものとされる点で世界にとって極めて脅威となる処、日本政府は、早速に米国、韓国と並び、独自の制裁措置を決定しました。 ただ、こうした国際環境の変化が、彼にとって渡りに船と言う事か、此処に至って安倍晋三首相は憲法改正をと、いよいよ国会でも発言しだしています。が、そこには国民の声を聴く姿勢は映りません。因みに、8日に発表されたNHKの調査(2月5~7日)では安倍政権は支持する、しかし改憲を進める安倍政権には賛成できない、とするのが5割を超えているのです。
今、数さえ確保できれば国政は意のままと、言わんばかりに安倍晋三首相はこの夏の選挙対策に傾斜した行動にある処です。そこで、この際は、彼の祖父、あの岸信介元首相ですら言っていた‘声なき声を聴く’、その言葉を彼には噛みしめてもらいたいと思うばかりです。
それにしても与党、自民党と明確な対立軸と価値観を以って論戦のできる野党はいつになったら現れるのか、心の晴れることはないのです。
以 上
著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)