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右脳インタビュー      (2006/10/1)
 
山田 勝さん
 
 

山田 勝氏 プロフィール
 
1944年 岐阜県生まれ、明治大学商学部卒
FELCA (世界留学事業者協会連合会)注1 会長
海外留学協議会(JAOS)注2 前会長 現国際担当理事
株式会社ICS 国際文化教育センター(現:留学ジャーナル)注3創業者
IEI Foundation ( Washington DC ) 理事、日本代表
IEI 留学総研 代表
ACIIE(米国国際教育協議会)注4 理事
英国 王立芸術科学協会(RSA)注5 フェロー


 

片岡:

第11回の右脳インタビューは世界留学事業者協会連合会、会長の山田勝さんです。本日はご多忙の中、有難うございます。先ずは、ご足跡などお伺いしながらインタビューを始めさせて戴きたいと思います。それでは宜しく御願いします。
 

山田

最初から留学ビジネスを考えていた訳ではありません。若い頃、英語が得意だったこともあり、大学卒業後は企業の視察団をアレンジする会社に就職、カリフォルニア大学バークレー校注6に在籍しながら現地の駐在員を務めました。そして帰国を機に独立、銀座に国際コンサルティング会社を開きました。またその頃、帰国した留学生の仲間たちと、在日大使館員たちと英語で話すクラブを作っていました。留学経験者でしたのでみんな留学の仕方を知人等から必ず質問されました。そこで『留学手続きのすすめ方』という、8ページぐらいの案内書をつくり無料配布しました。これが評判となり、ボランティアーでは対応しきれない程の質問や問合せが寄せられるようになりました。こうして日本初の留学代行サービス業が自然発生的に生れ、1971年、ICS 国際文化教育センターを設立しました。
 

片岡:

そして、その手作りの案内書が『留学ジャーナル』へと発展して行くわけですね。まだベンチャー企業だったICSがまったく新しい雑誌を創刊するということは、資金面も含めて大変な事だったのではないでしょうか?
 

山田

内容には自信がありましたが、肝心の資金は乏しく印刷代もありませんでした。そこで『これからの日本に必要な雑誌です、まだ印刷代はありませんが、印刷して下さい。』と何社も回り、やっとある名門の印刷会社が引き受けて下さりました。次の関門は販売です。書籍取次ぎ会社注7には、前例がない、マーケットが小さい等と即答で断わられました。しかし、鹿島建設の鹿島守之助注8の意を受けてオープンした八重洲ブックセンターは『売れそうでなくとも、良い本なら、店頭に並べる』という情報を得て、店に駆け込んだところ、『店におきましょう』と言って下さったのです。その後、新宿の紀伊國屋書店等、他の店も取扱ってくれるようになりました。2年後には、書籍取次ぎ会社を通すことなく丸善、三省堂、旭屋等のチェーン店をはじめ、全国4,000店舗に並ぶようになりました。創業のこの時期を除いて20年近く増収増益を続け、私が社長を退任する時には売上高は55億円、140人のスタッフを抱え、年間1万人の留学生を送り出しました。
 

片岡:

企業派遣の留学も取扱っていたのでしょうか? 
 

山田

今ではMBAなど企業派遣の留学が発展し、制度も充実しましたが、以前は本当に限られたものでした。1980年頃、三井物産の水上達三注9らの依頼で、ビジネスマン向けの英語力が低くても入学できるビジネスコースをイリノイ大学注10と開設しました。この制度はその後20年間程続き、東京を中心に全国から集めた毎年20名程度のビジネスマンを派遣し続けました。面白かったのは暫くすると、韓国のサムスン注11が同じようなコースを作り、こちらは単独で20名を派遣していました。その結果かどうか分かりませんが、同社が米国流の経営を学んだ若い経営陣の下で急成長を遂げた事は有名です。
 

片岡:

少なくともそういった教育投資を惜しまないDNAがあり、また留学経験者を十分に活用できる組織体制も創り上げたわけですね。ところで、20名程度の取扱ではビジネスとしてみると単体では殆ど利益を生まないのではないでしょうか?
 

山田

こういった取組みは寧ろ広報効果やシナジーを期待したものです。他にもジョージタウン大学注12、コロンビア大学注13といった米国の著名大学が日本で受験できるような仕組みを作り『米著名大学が日本で青田刈り』と大きく報道されたり、また海外の大学を実際に呼んで相談会を開催する留学フェアーという仕組みを創ったりしました。勿論、『名』だけでなく『実』の面でも年間延べ20人程度の社員を海外に派遣したり、IT投資を積極的に行なう等、開発や効率化にも多くの費用を掛けました。私の出張費だけでも億の単位になっているはずです。また海外送金業務を行なうために大蔵省認可両替商を取得しました。留学生は大雑把に言って授業料や生活費で年間200〜300万円のお金を必要とします。ですから日本全体で約1兆円のお金が流れます。ICSの取扱だけでも結構な金額となり、その手数料は重要な収益源となりました。
 

片岡:

こうした積み重ねで他社の追随を許さないブランド力や収益力が創り出されたわけですね。ところでICSは日本初のMBO(Management Buy-Out) としても紙面を飾っています。
 

山田

店頭公開を目前に控え、既に準備等も終えていた時期に、富士銀行等からのMBOの提案がありました。創業社長の私や機関投資家は、富士銀行、東京海上火災、ジャフコがシンジケートを組み、想定される上場価格を上回る金額で株式を買取るという提案を受け入れ、1998年12月にMBOが実現しました。これはジャフコ(75%出資)と新しい経営陣及び従業員(25%出資)が持株会社を設置し、富士銀行と東京海上火災がICSのキャッシュフローを担保に買収資金の半分を協調融資するというスキームです。それに伴い私も予め社長を退任しました。
 

片岡:

社長の交代は大きな影響を及ぼしたのではないでしょうか?  
 

山田

そこが日本のベンチャーキャピタルの弱いところで、実際に会社に出資したり買い取ったりしても送り込む人材を社内に抱えていません。また人材紹介会社等を利用して外部から連れてくることも可能ですが、まだまだ米国のようなプロの経営者市場は発達しておらず、営業企画や事業を創造する力を持った社長を見つけるのは至難の業です。小さな業界でもリーディングカンパニーとなっていたような企業では尚更、後任選びは難しいものです。実際、ICSでは、私の退任後、5人のCEOが次々派遣され入れ替わりました。今ではアウトソースの文化も十分に発達してきましたから買収した機関の経営を専門機関が請け負うというような形もあっても良いのかもしれません。
 

片岡:

それでは次に、学校についてお話をお聞かせ戴きたいと思います。
 

山田

これまで、世界中の沢山の学校を訪れる機会に恵まれ、印象深い学校も数多くありました。やはりヨーロッパの大学では伝統の重みを深く感じます。例えば、英国のケンブリッジ大学注14にはアイザック・ニュートンのリンゴの木の子孫だとか、チャールズ・ダーウィンが甲虫の採集に明け暮れた庭などがそのまま保存されていたり、ハロウ校注15と言うパブリック・スクールにはウィンストン・チャーチルの落書きが残されています。米国にはモントレー国際大学注16という語学教育に優れた学校がありますが、入り口に銃を預ける場所があり印象的でした。ここは情報機関や軍関係者にも語学を教えており、まさに命がけですから世界一の語学教育機関といって良いかもしれません。またイリノイ大学のように大学内に空港があったり、敷地内に油田があるような大学もあります。スタンフォード大学注17はキャンパス内に湖がある美しい大学です。昔はそれ程レベルの高い大学ではありませんでしたが、寄付金集めに奔走し、その潤沢な資金を元に戦略的に若手の優秀な研究者を集めました。日本の産業界とも密接な関係を築き資金を導入しています。その結果、時間と共に世界を代表する大学へと成長しました。米国の大学にはこうしたFund-raisingや運用の専門家を抱えているところも多く、ベンチャー企業への投資なども含めて世界規模で運用しています。例えばハーバード大学注18も3兆円ともいわれる基金を持ち、その運用益で高い教育と研究のレベルを維持しています。今後、日本の大学もこうした面を強化していく必要があるものと思います。
 

片岡: 更に全入時代を向かえた日本の大学では学生の確保が問題となっていますが、マーケティングの面は如何でしょうか?
 

山田

私がビジネスを始めた頃は、米国の大学でも学生募集にマーケティングという言葉を使うとアレルギーを感じる方も多かったようですが、今ではマーケティングの担当者を置き、世界中に営業部隊を派遣し学生を集めています。また米英やオーストラリアの政府も教育を重要な輸出産業と捉えるようになり、熾烈な国際競争を行なっています。米国ではNAFSA注19という国際的なイベントが毎年開催され、米国内は勿論、100カ国近い国々から数千人の国際教育の関係者が集まり様々なセミナーや商談が行なわれています。
 

片岡: 自動車ショーのような感じですね。日本の教育界では想像も出来ません。質の面では尚更ではないでしょうか?
 

山田

残念ながら、日本の大学の国際化は名ばかりのところが多いのが現状です。受入の面で言えば、日本には英語で授業を行なえる教授がまだまだ不足しています。嘗てスタンフォード大学から交換留学で来た学生が全員引き上げてしまったということもありました。また送り出す面でも、海外の大学と単位互換制度や留学制度などを作り積極的にPRに利用している学校も数多くありますが、実際に留学できる語学力を持った生徒は極めて少なく、制度が形骸化しています。逆に成功した数少ない事例では、亜細亜大学は米国の語学学校を誘致して学内に株式会社を設立して語学教育も強化しながら本格的な留学制度を整備、年間数百人もの留学生を送り出し続けています。また最近では立命館大学も大変素晴しい成果を上げております。
 

片岡: 留学制度を作るだけでなく語学教育の整備やリクルーティングも含めた戦略的な国際化が必要というわけですね。最後に、山田さんは現在、教育機関の経営コンサルタントとして活躍する傍ら、世界留学事業者協会連合会(FELCA)の会長として公的な立場から世界の留学の発展に努めておいでですが、現在の潮流などお聞かせ下さい。
 

山田

どうしても留学の大衆化が進むと、それだけ海外との文化差による問題も発生します。そこで、業界で共通のサービスの定義や、業務倫理、留学手続き、留学用語等を明らかにして広く認知して戴くことが必要になり、海外留学協議会が生まれ、少しずつ規約を整えて来ました。また留学生を送る側、受け入れる側の問題意識の共有をはかるために、各国の大使や公使等に依頼し定期的に情報交換会を行なっています。同じ頃、同様の業界団体の設立が各国で見られはじめましたので、海外出張を重ね、少しずつ説得を繰り返しながら日本、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、韓国、タイ、ブラジル、といった留学生供給大国の業界団体を中心にFELCAを設立しました。ここでも留学生を受け入れる世界各国の学校連盟体の参加を求め、彼らと共同で世界共通のビジネスモデルと規約等の整備に奔走しています。
 

片岡: 貴重なお話を有難うございました。留学や国際交流の益々の発展を楽しみにしております。
 

−完−

 

インタビュー後記

英語が得意だったので・・・・と語る山田さんですが、その秘密は、『父から言われて学生時代から岐阜で唯一の外国人教授に個人レッスンを受けていたから』だそうです。日本初の留学代行サービス事業を創り、留学を大衆化した先見性はDNAに刷り込まれていたようです。

  

 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

FELCA (世界留学事業者協会連合会) 会長 山田勝 本部:ロンドン
現在、ブラジル、フランス、イタリア、日本、韓国、スペイン、台湾、タイ、トルコ、ベトナムが加盟している。
http://www.felca.org/
  

注2 

海外留学協議会(JAOS)理事長 林 隆保 本部:東京
http://www.jaos.gr.jp/
 

注3 

株式会社ICS 国際文化教育センター
1971年設立。留学カウンセリングサービス、留学手続き代行などを業務とする。
1983年発刊の『留学ジャーナル』は日本を代表する留学情報誌で、大学院留学から語学留学、お稽古留学まで幅広い留学情報を提供する。現在の株式会社留学ジャーナルは、2003年9月ICS国際文化教育センターを母体として、株式会社イーオンの出資により設立された。
http://www.ryugaku.co.jp/ 
 

注4

ACIIE(米国国際教育協議会)
http://www.aciie.org/
 

注5

英国 王立芸術科学協会(RSA)
http://www.rsa.org.uk
 

注6

University of California, Berkeley 1868年設立 カリフォルニア州。
全米屈指の教育レベルと研究実績を誇る公立大学の雄。フリー・スピーチ・ムーブメントの発祥の地としても著名で、その気質はリベラルな校風として今も息づいている。
http://www.berkeley.edu/
 

注7

日本の出版流通全体の65%を取次ぎ会社が担う。このうちの70%は、トーハン、日本出版販売の2社が寡占化している。取次ぎ会社は仕入れ、集荷、販売、配送、倉庫、店売、情報のPR、集金、金融の他、コンサルタント機能に至る機能を果たす等強大な影響力を持つ。
 

注8

鹿島守之助(1896−1975)東京帝国大学法学部卒、外務省を経て鹿島精一の長女卯女と結婚。鹿島建設社長に就任。国務大臣北海道開発庁長官等を歴任。
外交史家・法学博士・文化功労者。
 

注9

水上達三(1903−1989)東京商科大学(現一橋大学)卒。
三井物産社長を経て三井物産会長に就任。社団法人経済同友会代表幹事、社団法人日本貿易会会長等を歴任、貿易研究所(現財団法人国際貿易投資研究所)や財団法人国際大学の設立・運営に尽力した。
 

注10

University of Illinois (イリノイ州)
州立大学で、本部は2市(アーバナ市、シャンペーン市)にまたがるアーバナ・シャンペーン校。このほか、シカゴ市とスプリングフィールド市にもキャンパスを有する。特に会計学専攻は全米屈指の高い評価を得ている。
http://www.uillinois.edu/
 

注11

サムスングループ
会長、李健熙 本社 ソウル
サムスン電子を中核とする韓国最大の財閥。李秉普i1910- 1987 早稲田大学中退)が創業し、現会長の李健熙(米ジョージ・ワシントン大 MBA)が継承。グループ企業総数は64、総売上高は10兆円以上、資産規模は約7兆円を超える。中核企業のサムスン電子は半導体、液晶ディスプレイパネル、携帯電話等の世界的な大手企業。世界各地に27生産法人、37販売法人を展開。
2005年の売上567億ドル 純利益 75億ドル 。時価総額は700億ドル。
http://www.samsung.com/jp/aboutsamsung/globalnetworks/index.htm
 

注12

Georgetown University Washington, D.C. 
1789年イエズス会によって創立された名門私立大学。
設立以来、多くの政治家、外交官を輩出しており、国際関係や政治学、言語分野において米国有数の研究機関とされている。
http://www.georgetown.edu/
 

注13

Columbia University 1754年創立 ニューヨーク市マンハッタン イギリス(グレートブリテン王国)のジョージ2世の許可によりアメリカで5番目の大学として創立された。
http://www.columbia.edu/
 

注14

University of Cambridge 1209年創立。オックスフォード大学と共に英国を代表する名門大学で、31のカレッジによって構成される。ノーベル賞受賞者は81人(2005年12月現在)で世界の大学・研究機関で最多。
http://www.cam.ac.uk/
 

注15

Harrow School 
イートン校と並び賞される英国の名門のパブリック・スクール
1572年創立。クリケット場・ラグビー場・ゴルフコース・サッカー場・テニスコート等の他、農場や湖も敷地内に持つ。
http://www.harrowschool.org.uk/
 

注16

Monterey Institute of International Studies (カリフォルニア州)
http://www.miis.edu/lang-esl-about.html 
 

注17

Leland Stanford Junior University, 略称 Stanford University
1891年設立。カリフォルニア州。ハーバード大学と並び賞される名門校。
セントラルパシフィック鉄道の創立者リーランド・スタンフォードが早逝した彼の子息であるスタンフォードJr.の名を残すために設立した。キャンパスの広さは8180エーカーで甲子園球場約830個分。
http://www.stanford.edu/
 

注18

Harvard University 1636年創立 マサチューセッツ州。
アメリカ最古の私立大学で7人のアメリカ合衆国大統領を輩出する全米屈指の名門大学であり、またノーベル賞受賞者を多数輩出するなど世界トップの研究機関のひとつでもある。約3兆円弱という巨額の大学基金を運用している。その額は全米2位イェール大学の2倍近い。年間の寄付金は約800億円。
http://www.harvard.edu/
 

注19

NAFSA: Association of International Educators
留学生に質の高いサポートとアドバイスをすることを目的として1948年にNAFSA (the National Association of Foreign Student Advisers)として設立された。1990年に現在のNAFSA: Association of International Educatorsと改名し、留学生を送り出す側も加わった国際的な組織となる。毎1回大規模な国際会議を開催する。
http://www.nafsa.org/
 

(敬称略)

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー

 

 

 

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  © 2006 知財問屋 片岡秀太郎商店

更新日:2012/10/30