知財問屋 片岡秀太郎商店  会員登録(無料)
  chizai-tank.com お問い合わせ
HOME 右脳インタビュー 法考古学と税考古学の広場 孫崎享のPower Briefing 原田靖博の内外金融雑感 特設コーナー about us  

 


第18回右脳インタビュー    
(2007年5月1日)

大塚 隆一さん
日本ラッド株式会社 代表取締役会長 
 
 

プロフィール

1939年生れ、東京大学理学部数学科卒。
日本レミントンユニバック株式会社(現 日本ユニシス株式会社)、株式会社ビジネスコンサルタント、日本シーディーシ株式会社を経て、日本ラッド株式会社入社。同社、代表取締役社長を経て、代表取締役会長に就任。


 

片岡:

第18回の右脳インタビューは日本ラッド株式会社(注1) 代表取締役会長の大塚 隆一さんです。本日は、ご多忙の中、有難うございます。それでは、ご足跡等お伺いしながらインタビューを始めたいと思います。宜しくお願いします。
 

大塚

私が学生だった1960年頃は、安保問題などもあり学生運動が非常に盛んでした。その当時の日本共産党は、1950年のコミンフォルム(共産党・労働者党情報局)による日本共産党批判(注2)を発端に内部分裂が起き、組織内闘争を繰り返していました。そうした中、香山健一氏、森田実氏そして島成郎氏(注3)(ブンドの初代の書記長となる)らが共産党と袂を分かち、1958年、ブンド(共産主義者同盟)(注4)を結成、それまで共産党の下部組織的な役割を担っていた全学連(全日本学生自治会総連合)(注5)を取り込みます。共産党側は当然反発して、全学連を『極左冒険主義のトロッキスト(注6)集団』と激しく攻撃し、全自連(全国学生自治会連絡会議)(注7)を対抗組織として育成しました。私はどちらかというとブンドのほうが気にあって全学連支持派でした。
 

片岡:

当時は学者、教育者やインテリ層にマルクスの信奉者が多く、また安保問題などもあり、多くの学生が自然と共産主義へ傾倒していったものと思います。全学連への参加者はどれくらいいたのでしょうか。
 

大塚

30万人くらいです。そのうち積極的な活動をしていたのは数千人だと思います。『ブンド―全学連』の新左翼はトロッキストと言われていましたが、石を拾って投げたり、国会へ突入したりする程度のものです。本郷に進学すると、活動を率いてきた諸先輩は投獄されたりして、いなくなっていましたので、東大理学部自治会の委員長を手始めに全国自治会代表者会議の議長など様々な活動を4年間続けました。樺美智子さん(注8)や西部邁氏(注9)などもその頃の仲間です。樺さんは、60年安保の折に国会南通門に突入した際、機動隊と衝突して亡くなりました。その時は、私も彼女のすぐ近くにいて、機動隊に後頭部を棍棒で殴られて頭蓋骨が陥没し、病院に運ばれました。その後、四分五裂の時代を経て、革マル派や中核派といったより過激な派閥の内部抗争の時代へと続くわけです。
 

片岡:

若者が政治の中核に肉迫する、ある意味でとても濃密な時代であったものと思いますが、その後、運動が急速に静まり、保守派に転向する人も多かったようですね。
 

大塚

もともと社会主義革命を目指した運動ですから、結局こういうやりかたでは革命は起こせないという限界を感じたことが大きかったと思います。また現実問題としては労働組合の書記等に転身するのであれば別でしたが、就職という問題も大きかったようです。私も就職活動では、学生運動(理学部委員長、全学中央委員、社学同執行委員、全国自治会代表者会議議長等)をやっていたおかげで、結局入社試験は何社受けてもすべて最終審査で断られました。いわゆるブラックリストに載っていたのでしょう。唯一採用してくれたのが、米国系の日本レミントンユニバック株式会社(現 日本ユニシス株式会社)(注10)です。
 

片岡:

米国系企業であれば尚更厳しい審査があったのではないでしょうか。
 

大塚

実は理学部の学部長が身元を保証してくれて、やっともぐり込みました。入社後は、すぐに米国のミネアポリスへ研修目的で出張して開発チームに参画し、当初は80人中で最下位だったのですが、最終的には米の代表としてコペンハーゲンに派遣されました。非常にラッキーな経験でした。それに、人々を説得するのはお手の物でしたから。その後、三和グループから『グループ結束の象徴を作りたい』という話を戴き、情報システム会社を設立することを提案しました。当時は、まだ計算センター位しかなかった時代です。そのソフトウェア会社の設立にはIBMや富士通の仲間も誘い、技術部門のトップとして参画、銀行の人と一緒にグループ各社を回って6億円を集めました。それが株式会社東洋情報システム(現TIS株式会社)(注11)です。その後、初代社長の退任に伴って同社を辞し、コントロール・データ・コーポレーション(CDC)(注12)に移ります。ここはスーパーコンピューターの生みの親として著名なシーモア・クレイ(Seymour Roger Cray)氏(注13)が副社長をしていた会社で、スーパーコンピューターの経験を積む上で大変魅力的でした。
 

片岡:

御社(日本ラッド株式会社)の設立も同じころですね。
 

大塚

日本ラッドは、ユニバックの先輩がハード、私はソフトという役割分担で、1971年に彼が創業し、私は側面からソフト部門を支援しました。1975年には、私も正式に入社してソフト部門を拡大。ハード7名とソフト70名という体制となり、2人で代表を務めました。その後、ハード部門とソフト部門を分離し、現在の形となりました。
 

片岡:

大塚さんが会社を作ろうとしたのは、もともと就職できずに困っている学生運動の仲間たちを食べさせるためだったとか。
 

大塚

70人程の社員のうち、30人くらいは運動に参加した仲間たちでした。
 

片岡:

かえって面白く優秀な人材もいたのではないでしょうか。
 

大塚

そういう意味では5、6人、優秀な技術者がいました。
 

片岡: 御社は大変チャレンジングな技術開発に取り組んでこられたそうですね。
 

大塚

そもそもコンピュータは人間の労力を軽減するために利用するのですが、そのソフトウェアの開発には大変な労力を要します(注14)。そこで『ソフトウェアの自動合成』というテーマに挑戦しました。そのために基礎研究から開発までを行う研究所を京都に設立しました。その頃、通産省が1000億円を投じて行った第五世代コンピュータプロジェクト(新世代コンピュータ開発機構《 ICOT 》)(注15)に対抗して、そのソフトウェアの自動合成技術で、推論エンジンにより形式的仕様からプログラムコードを生成する段階までは完成させましたが、ナチュラル・ランゲージとリンクさせる段階まではできていません。こうした技術は論理的に正しいバグのないソフトウェアの開発を可能にします。そうした開発資金を捻出するために、ベンチャーキャピタルから資金を調達するだけでなく、会社の規模を大きくして700人近い体制まで拡大させたこともあります。
 

片岡:

半導体業界の重鎮で米LSI Logic 社CEOの、あのウィルフレッド・コリガン(Wilfred J. Corrigan)氏(注16)が、御社の技術情報を聞いて飛んできたそうですね。
 

大塚

2006年には、米国のETI社(Evolutionary Technologies International Inc.)(注17)と資本提携を含むジョイント・プロジェクトを開始しました(注18)。同社のInman会長(Admiral Bobby Ray Inman) (注19)は、太平洋艦隊の参謀長付諜報担当補佐、NSA(国家安全保障局)長官、CIA(中央情報局)副長官、海軍提督等を歴任した方ですが、Inman会長も以前から私どもに注目してくれていたようです。
 

片岡:

太平洋艦隊というと、エシュロンが有名ですが、諜報や暗号の分野もまた膨大なデータを種々の最先端技術に対応しながら処理することが必要ですね。それにしても、日本の国内以上に御社の技術を早くから、深く認識しているのですから、米国の情報力と言いますか、その情報センスには驚かされます。
 

大塚

ETI社はデータ統合のソリューションを米国国防総省やNSAなどの政府機関や企業等に提供するIT企業で、私どもとはアプローチが異なりますが、ソフトを自動合成する技術を完成させています。安全にかかわるシステムなどでは絶対にミスが許されませんので、大変重要な技術だと思います。私は、そうした米国の最深部に関わるようなプロジェクトに対して、日本企業がしっかりと関与していくことは、今後の日本にとって大切なことと考えています。
 

片岡:

このような技術は、軍は勿論、同じく米国のパワーの源泉となっている市場経済においても重要で、M&Aも含めた組織の統廃合や改編など、組織のダイナミズムを支える上でも情報システムの円滑な統合(特に金融機関等)は不可欠です。まさに今後の国家の基盤を支える技術の一つですね。本日は貴重なお話を有難うございました。
 

(敬称略)

−完−

 

インタビュー後記

ブンドのリーダーを務めた島成郎氏によると、書記長としての最大の貢献は非公式の金作りで、実際、田中清玄氏(注20)ら大物右翼等あらゆる筋から資金を集めたそうです。革命を目指した新左翼の若い活動家たちが、瞬間的にしても、確かに時代の中枢に食い込んだのには、そうした清濁併せのむ力強さと起業家的なセンスがあったことも大きな要因だと思います。その後、大塚さんは、更なる40年の挑戦の蓄積をもって、今また、企業家として世界の深奥に食い込む新しいチャレンジを始めました。そのような情熱的な大塚さんですが、実は物静かな方で、趣味は囲碁、アマ5段の腕前です。多忙な合間を縫って月一度の碁会を何よりも楽しみにしているそうです。

  

 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注
 

注1

日本ラッド株式会社
設立 1971年6月
資本金 7億7,283万円
売上高 単体: 37.6億円(平成18年3月期)
連結:42.6億円(平成18年3月期)
従業員数 287名(平成18年3月末現在)
本社 〒160-0004東京都新宿区四谷4丁目16番3号
TEL:03(5919)3001(代)
代表取締役会長 大塚 隆一
代表取締役社長 大和 喜一
事業概要 システム設計・開発 : 
クライアントサーバーシステム、 インターネット及びネットワークに関連するシステム、監視・制御システムを中心に、それらの全体システム設計、業務アプリケーション、ミドルソフトウェア、ファームウェア、必要に応じてハードウェアを含む設計・開発。 
SI、プロダクツ開発・販売 : 
大型マルチスクリーンシステム、ネットワーク管理システム、OLAPソフトウェアプロダクト、セキュリティシステムの開発及び関連する国内、 国外製品の販売、コンサルティング、システム構築及び支援。
http://www.nippon-rad.co.jp/
 

注2 

コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コミンフォルム
コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)による(日本共産党)批判については下記をご参照下さい。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/24/rn1952-711.html
 

注3 

島成郎 (1931−2000)東京都出身
東京大学教養学部入学と同時に日本共産党入党(共産党の50年分裂で除名となる)。東京大学医学部入学後、ブンドを結成し初代書記長に就任、1960年の安保闘争において国会突入を指導する。東京大学医学部を卒業後、精神科医となり、沖縄・本部記念病院(現 ノーブル・メディカルセンター)医療顧問、ノーブル・クリニックやんばる所長等を務めた。
http://www.mc-noble.or.jp/top1.html
『ブント私史―青春の凝縮された生の日々ともに闘った友人たちへ』 島成郎著 批評社 1999年
『ブント書記長島成郎を読む―島成郎と60年安保の時代〈1〉』 島成郎記念文集刊行会 (編集)  情況出版 2002年
『60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む―島成郎と60年安保の時代〈2〉』 島成郎記念文集刊行会 (編集)   情況出版 2002年
 

注4

ブンド(共産主義者同盟)については下記ページをご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/共産主義者同盟
参考 ブンド初代書記長 島成郎氏の著書(上記)
 

注5

全学連(全日本学生自治会総連合)については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/全日本学生自治会総連合
以下は、現在の全学連のサイトで、当時とは異なる面も多い。
http://www.zengakuren.jp/ (中核派系)
http://www.zen-gakuren.jp/ (民青系)
http://www.zengakuren.org/ (革マル派系)
 

注6

トロッキストについては下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/トロツキズム
 

注7

全自連(全国学生自治会連絡会議)については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/全日本学生自治会総連合
 

注8

樺 美智子 (1937‐1960)東京大学文学部に在学中、1960年の安保闘争に参加し、1960年6月15日、国会に突入した際、機動隊と衝突して死亡。この事件はラジオでも実況中継され、樺は『悲劇のヒロイン』として、その後の学生運動の象徴となった葬儀に際し、毛沢東からは『全世界に名を知られる日本民族の英雄となった』という言葉が寄せられた。
『人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集』 樺美智子著, 樺光子編さん 三一書房 2000年
『友へ―樺美智子の手紙』 樺美智子著, 樺光子編さん 三一書房 1969年
 

注9

西部邁(1939-)
北海道生まれ。東京大学経済学部卒業。横浜国立大学助教授、東京大学教養学部教授を経て、現在、秀明大学学頭。東京『発言者』塾塾長。隔月刊誌『北の発言』責任編集、同じく隔月刊誌『表現者』顧問。在学中東大自治会委員長・全学連中央執行委員として60年安保闘争に参加。学生運動から離脱後大学院進学。左翼から保守に転向。
1983年『経済倫理学序説』(中央公論社)で吉野作造賞、1984年『生まじめな戯れ―価値相対主義との闘い 』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。1994年、著作・言論活動に対して第8回正論大賞を受賞。その他、著書多数。
http://www.shumei-u.ac.jp/
http://www.hatugenshajuku.net/
 

注10

日本ユニシス株式会社 Nihon Unisys, Ltd.
設立 1958年
代表者 代表取締役社長 籾井勝人
資本金 54億8,317万円
本社 〒135-8560 東京都江東区豊洲1-1-1
売上高 3,174億86百万円(連結) (2006年3月期)
従業員数 4,460名(グループ8,839名 2007年4月1日現在)
主要株主 三井物産株式会社
事業概要 コンサルティングサービス、ITソリューション、アウトソーシングサービス、サポートサービスおよびシステム関連サービスの提供、ならびにコンピュータシステム (ハードウェア、ソフトウェア)の販売  
http://www.unisys.co.jp/

 

注11 

コントロール・データ・コーポレーションについては下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コントロール・データ・コーポレーション
 

注12 

シーモア・クレイ(Seymour Roger Cray)については下記をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シーモア・クレイ
http://research.microsoft.com/users/gbell/craytalk/sld001.htm
 

注13 

TIS株式会社 (TIS Inc.)
設立 1971年4月28日
代表者 代表取締役社長 岡本晋
資本金 230億8,475万円(平成18年3月31日現在)
本社 〒105-8624東京都港区海岸1丁目14番5号
売上高 3,174億86百万円(連結) (2006年3月期)
従業員数 2,475名(平成18年3月31日現在)
主要取引銀行 三菱東京UFJ銀行 三菱UFJ信託銀行
http://www.tis.co.jp/index.html

 

注14

日本企業における組込みソフトウェアの開発規模:新規開発行数で平均約31万行
(経済産業省調べ)
https://sec.ipa.go.jp/download/200506es.php
またWINDOWS VISTAは5000万にも及ぶ膨大なコード数と言われている。
 

注15

第五世代コンピュータ及びICOTについては下記をご参照下さい。
http://www.icot.or.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/第五世代コンピュータ
 

注16

LSI Logic Corporation (現LSI Corporation)の創設者 (2005年CEOを退任、現名誉会長)。米国半導体工業会SIA(Semiconductor Industry Association)の会長を歴任。
http://www.lsi.com/
http://www.sia-online.org/home.cfm
 

注17

Evolutionary Technologies International Inc.
設立 1991年
President &CEO Ron Baker
資本金 700万ドル
本社 テキサス州 オースチン
http://www.eti.com/
 

注18

日本ラッド株式会社とETI社との提携に関するプレスリリース
http://www.nippon-rad.co.jp/pdf/invest/20060612.pdf
http://www.eti.com/news/pr_ETI_NipponRad_06132006.pdf
 

注19

Bobby Ray Inmanについては下記をご参照ください。
http://www.eti.com/about/board.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Bobby_Ray_Inman
 

注20 

田中清玄(1906-1993)については下記をご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/田中清玄
 


(敬称略)

 


片岡秀太郎の右脳インタビュー

 

 

 

chizai-tank.com

  © 2006 知財問屋 片岡秀太郎商店

更新日:2012/10/30