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第62回  『 右脳インタビュー 』  (2011/1/1)

ジェームス 三木さん 
 

  
 
プロフィール

1935年、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。大阪府立市岡高校を経て、劇団俳優座養成所に入る。1955年テイチク新人コンクールに合格、13年間の歌手生活を経て、1967年「月刊シナリオ」のコンクールに入選。野村芳太郎監督に師事、脚本家となり現在にいたる。他に舞台演出、映画監督、小説、エッセイなども手がける。

主な受賞歴等
1982年 「けものみち」テレビ大賞優秀番組賞
1986年 「澪つくし」平均視聴率44%、最高視聴率55%を記録
日本文芸大賞脚本賞
1987年 「父の詫び状」プラハ国際テレビ祭グランプリ
1988年 「独眼竜政宗」平均視聴率40%(大河ドラマ歴代最高) 最高視聴率48% プロデューサー協会特別賞
1996年 「八代将軍吉宗」日本文芸大賞
1997年 「憲法はまだか」「存在の深き眠り」放送文化基金賞脚本賞
1999年 NHK放送文化賞
2005年 「弟」第13回橋田賞大賞

 

片岡:

今月の右脳インタビューはジェームス 三木さんです。まずはドラマについてお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

三木

脚本を書くようになって自然と「人間とは何か」を考えるようになりました。尽き詰めていくとドラマというものには二通りしかありません。一つは「闘争系」、敵と戦って勝つか負けるかで、人間の生存本能にかかわります。戦争もの、犯罪もの、推理もの、サクセス・ストーリー、スポーツ根性もの、経済もの等です。ドラマには対立構造がないと見ている人が退屈してしまいますので、この種のドラマでは喧嘩やトラブル等、困った時に更に困った事が起こるように作ります。もう一つは「愛情系」、恋愛して結婚、愛は実るか、困難を乗り越えて…と。これは種族保存の本能にかかわります。結局、動物の食欲と性欲と同じですが、人間の場合は更に「神様」を作りました。ここでは、あくまでも人間が作った「神様」の意味で、今ならば憲法や法律、規律や常識等もその一種です。そういう「神様」と食欲と性欲の三角形が人間の行動原理を支配しています。勿論、人それぞれ、色々な三角形があり、その三角形を楽しむか、苦にするか…。そしてドラマも何千年も前から勝つか負けるか、愛が実るか、「神様」に背いていないかと同じ事を続けています。
 

片岡:

視聴者の心を捉えるために大切なことは何でしょうか。
 

三木

やはり「まごころ」のようなものでしょうか。相手の事を考え、楽しませようという気持ちが大切で、恋愛と似たような面があります。少し話が逸れますが、口説くときは一方的にしゃべるのではなく、聞き上手になった方が良い。また相手にも色々な事情がありますから、些細なことで断ってくる事も多いものです。私たちが調査した中で一番良い口説き文句は「この次は口説くよ」でした。これだったら次に会う時、相手は全ての準備をしてきますし、嫌だったら来ないわけですから…。最近のドラマはテンポ、テンポと言って、一方的にスピード感を重視するようなものも多くなっていますが、これでは視聴者が置いていかれます。例えば野球やサッカーを見ている時にドキドキして身を乗り出すような時間は5分か10分程度でしょう。それ以外は、ある意味で退屈な時間で、この間、視聴者が何をしているかと言えば、このピッチャーは次に…と想像をしています。ドラマも同じで、互恵関係が必要で、「こいつが犯人だろう」「次はこうなる、裏はこうなっているはずだ」というように視聴者が想像できる楽しみと余裕を与えるものでないと豊かなドラマとは言えません。そういう意味で、俳優はテレビや映画では演じている時に、どこでお客さんが笑うのか、感動するのか見えないので張り合いがありません。またリズム感とか、どこに力点を入れるのかなどの検討もつき難く、どうしても不完全になってしまいます。その点、演劇は舞台で反応を直に見ながら、翌日に変えていくことが出来ます。やはり人間と人間が触れ合って何かをやるということは大切だと思います。
 

片岡:

だからこそ、ハリウッドの大スターも舞台に挑戦するのですね。
 

三木

皆、舞台で呼吸をね、そしてお客さんがどういう反応をするのか、見たいし、勉強にもなります。映像だと、全て監督の感覚だけでものを言ってしまいます。

 

片岡: 人物像を如何に捉え、作っているのでしょうか。例えばリーダーについてお聞かせ下さい。
 

三木

まず、どんな欲望と劣等感を持つのかを見ることが大切です。例えば伊達政宗は母に愛されなかった。だからこそ弟を殺してしまいます。また天下をとれず、東北の田舎者と言われ、文化に一生懸命でした。伊達者という言葉は政宗から来ています。政治家であれば誰しも総理大臣を目指し、一度権力を握るとそれを維持し続けたいと思うものです。しかし、実際に総理大臣に登り詰めると、例えば野党時代や市民活動時代にやってきた事や思った事と違うことがたくさん出てきます。最大の要因は米国からの圧力かもしれません。情報機関に過去の発言や女性問題、金銭問題等々と分厚いファイルが幾つもあり…。あまりにその圧力が強くて言いたい事も言えなくなり、大きな劣等感となっていく。またリーダーは人生を持っている事が必要です。人生を描かないと人はついてきません。昔から、名君は数々のエピソードが後から作られました。秀吉が生れた時、秀吉の母が「太陽がお腹の中に入った夢を見た」とか…。今の政治家も、そういうエピソードを上手く作れる事も必要です。また情報化社会になっていますので、絵にかいたようなヒーロー、ヒロインは主役として成り立ち難くなっています。リーダーシップがあり、見た目も良いとかえって嘘に見え、寧ろどこかに欠点があるほうがリアリティーが出てきます。そしてドラマでも現実でも、リーダーにはトラブル解決能力が求められ、負けてもいいけど正面から向かっていくということが主役の条件です。そいう意味では小泉元総理大臣はリーダーの見せ方が良く分かっていて、「自民党をぶっ潰す」という言葉などはその最たるものだと思います。反対にトラブルに目を背け、逃げてしまうようでは痛恨です…。
 

片岡:

脇役は主役に比べ格段に情報も少なく、どうやって役を作り上げるのでしょうか。
 

三木

本当は、少し出るだけの脇役でも完全な人物像を作ってこないといけないのですが…。私が脚本を書くときには、反対に「この俳優の能力は5行くらいのセリフをしゃべれるな」とか「1行くらいの能力だな」と、役者の能力に応じて書いたりもします。やはり主役はそれだけの能力をもっていますし、脇役はそれが足りない…。そういうふうにキャストされています。
 

片岡:

米国のドラマ等を見ていると、脇役にも大変な力を感じること多々あります。
 

三木

層の厚さや人数が違い、そして予算の問題もあります。また日本人は伝統的に人前で感情をあらわにする事や相手の目を見て話す事を避けてきました。同じアジアでも韓国の場合はラテン的です。また日本語は音が少なく、発音が簡単で口があまり動かず、口の周りの筋肉もあまりつきません。そして芸事は下品だと見られていたこともあります。このように色々な事が繋がっていて、日本人は本来、演劇に向いておらず、ごく少数の人を除いて、表現力が弱い傾向があります。これは日本人の謙虚さや奥床しさにもつながるのですが…。ところで、日本人はあからさまにモノを言わず、ある意味で嘘が多く、お世辞でものをいいます。私がドラマを書く時に一番面白いのは、嘘を言っているセリフを書く時です。お客さんが「こいつはこう言っているが心の中ではそう思っていない」と感じられるような、例えば「有難う」と言いながら心の中では「バカヤロー」と思っているようなシーンです。これは日本独特のものです。
 

片岡:

キャスティングもなさるのでしょうか。
 

三木

主役は最初から決まっている時もありますが、キャスティングはプロデューサー、演出家、脚本家等で相談して決めています。好みの俳優を無理に入れると、現場でアップを取ってもらえなかったり、脚本家が気に入らない俳優を使うと、直ぐに殺されたりします。また「スポカノ」という言葉もあります。スポンサーの彼女を指すのですが、どんなに下手でも…。また最近はプロダクションが強くなっていて、俳優の抱き合わせ、つまり「うちのXXXを使いたければ、他の俳優も一緒に5,6人使え…」というような要求も増えています。また出演料の安さから、大河ドラマには出さないというところもあります。
 

片岡:

脚本を書く時の制約についてお聞かせ下さい。
 

三木

大きいのは予算で、お金がかかるようなドラマを書くと制作会社が潰れてしまう事もあります。大河ドラマ「葵 徳川三代」を書いた時には、最初に関ヶ原の合戦を大々的に行い、そこでお金をたくさん使ってしまいました。それで後半は登場人物やセットの数を減らし、しかもセットは三面ではなく一面だけにしたり、回想シーンを沢山入れ…と細々と続けました。よほど視聴率が高い時は別ですが、赤字を出すとプロデューサーの出世にもかかわります。また昔は35歳の主婦を対象に書けと言われました。その人たちが一番テレビを見ていたからです。今はまず購買力を考えます。年配の人は資産があってもモノを買わず、実際にモノを買うのは学生やOLですので、民放はそういう購買力がある人が喜んで見るような番組を求めます。また例えば自動車メーカーがスポンサーの場合、交通事故のシーンは出せず、どうしてもの場合は外車を使います。だからドラマの中ではアルバイトの店員が高級外車で交通事故を起こすというようなシーンができてしまいます。酒造メーカーであれば酔っ払いは絶対に出せません。酒場の店員にチップを渡すシーンもダメです。これは店員を馬鹿にしているように映ってしまう事を懸念しているからです。またある会社の新入社員がホールインワンをするという話を書いたら、その会社の社長がゴルフ嫌いだというので、ダメになった事もあります。こうなるとスポンサーの要求やTV局の遠慮というよりは、間にいる広告代理店等のチェックが厳しすぎるのかもしれません。その点、米国ではハイジャックされたジャンボ機が爆発するというようなシーンでも航空会社がスポンサーに就くことがあります。日本だったらあり得ません。もっとも制約が多ければ多いほど、選択肢が少ないので、脚本は短期間で書き上げる事が出来ますが…。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

〜完〜

 

 

インタビュー後記

「達成感は誰でもが得られるものではないけれど、期待感ならば自由に持つ事が出来る。“ぬか喜び”も喜びの内、当てが外れても、楽しんだだけ良かったじゃないか。世の中、ああでもないこうでもないと楽しみながら生きていけばいい…」と話す三木さん。若い時に大きな期待を背負い歌手としてデビューしたものの、売れず、ナイトクラブ廻りの日々、だからこそサービス精神旺盛で脚本もサービスし過ぎるくらいなのだそうです。

 

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

   
   
   
   

 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/10/30