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第63回  『 右脳インタビュー 』  (2011/2/1)

種村 良平さん  
株式会社コア 代表取締役会長(CEO)

 

  
 
プロフィール

1940年東京都生れ、防衛大学校卒。日本ビジネスオートメーション株式会社(現東芝情報システム株式会社)入社後、1969年、株式会社コアの前身となる株式会社システムコアを設立。現在、株式会社コア 代表取締役会長(CEO)。また、教育事業として、コア学園各校理事も兼任。

 

片岡:

今月の右脳インタビューは独立系の情報技術グループ 株式会社コアの代表取締役会長 種村良平さんです。種村さんが起業したのは1969年、まだ大型汎用コンピュータ時代が始まったばかりでした。
 

種村

コンピュータが好きになり、この世界に入ったのは創業の更に10年ほど前、今から50年くらい前になります。僅か4キロバイトのメモリーが40万円もして、通信も当初は1秒間の伝送速度が200ビットでした。またコンピュータを利用しようとすると1時間当たり5万円程かかり、一方、技術者の時給は1000円くらいでした。それが今では、技術者の時給は3000円くらいですが、1ギガバイトのDRAMがラーメン一杯よりも安く、コンピュータも通信もタダみたいです。その上、あらゆるものがデジタル化し、音楽や画像もイチ・ゼロの世界になっていて、ある意味で自分の一生がコンピュータの中に入ってしまいます。
 

片岡:

記録という意味でもそうですし、また国内だけでも100万台を超える監視カメラがあり、誰もが携帯電話というカメラを身につけ、それがネットで繋がり、その上、画像とデータもリンクしてきています。そういう意味でも人生がコンピュータの中に入っていますね。
 

種村

名前や画像を入れれば、その人の人間関係までが画像の横にザーと出て…。弊社で扱っている商品には英国のテロ対策用のものがあって(注1)、既にそうした機能の一部を持っています。そして全てのコンピュータが繋がり、記録も送信もタダですから、個人情報を含め、あらゆる情報を隠す事が難しくなってきています。尖閣のビデオや公安の情報流失問題等は起こるべくして起こりました。そういうデジタル社会に否応なしに入ってきているのに、社会や人の意識、生活が追い付けず、ギャップが広がっています。
 

片岡:

ウィキリークスの問題等も起きていますが、それでも米国は本当の機密事項に対して遥かに厳重で、そしてアグレッシブなセキュリティー体制をとっていますね。
 

種村

その点、日本はまだまだです。弊社も監視体制を敷いて社内にクローズなシステムを構築していますが、それでも全てのコンピュータは物理的に外部と繋がっています。それにUSBメモリーを使えば…。セキュリティーを徹底的に重視するのであれば、極端にいえばアナログと手書きしかありません。少なくとも重要な処理をするのであれば、外部から遮断されたスタンドアローンのコンピュータで処理し、情報を外へ送る時は、その都度取り出して書き換えて送れば、何処に送ったかもはっきりします。便利さと安全は引き換えです。
 

片岡: 便利さの代償は、国内という視点でいえば、産業の空洞化にも繋がっていますね。
 

種村

貿易、資本、文化の自由化が進展し、その上に情報通信の技術革新が乗っていますので、変化が低コストで瞬時に広がり、国も個人もそれを手にします。この結果、産業はどんどん外に行ってしまいます。日本のITはここで踏ん張らないといけません。インフラはタダ同然となり、知恵の勝負だし、新しい創造の世界に入れるのですから…。
 

片岡:

インド等は労働力が安いだけでなく、技術力や経営力も極めて優秀ですね。
 

種村

中国やインドではIT技術者の給与がその地域内では高く、一方日本は医者や弁護士、金融マンの方が高い給与で、IT技術者ではありません。このため日本では優秀な人材がITのピカピカのところで勝負をしていません。ITは面積ビジネス、単価と人数をかけていくらの世界で、付加価値があまり評価されません。オフショアの動きは面積よりも更に安い価格を求めたものです。もっとも中国やインドも、平均コストは安いのですが、彼らだって美味しいものを食べたいし、良いものも買いたい…。そうなると一流の技術者のコストは2015年までに日本人と変わらなくなってくるはずです。また少し前までは日本が米国の下請けをしていましたが、円高や経済環境もあって米国で年収600万円も出せば、かなり高いレベルのエンジニアが何人でも確保できるようになってきています。こうなると米国が日本の下請けをする事も十分に可能です。反対に上海ではコストが合わなくなってきています。こうした流れは最終的には法人税の安い国に向かいます。ですから日本も法人税を引き下げ、またグローバルに戦えるような人材を育て、その人たちが世界に出て外国の人を使ってビジネスをして、その稼いだものを日本に持って来るような仕組みを作るしかありません。これは法人税だけでなく、個人の税金も下げ、またお金を持って来る人、稼ぎ出す人をウェルカムしなくてはいけないということです。例えば、友人の台湾人が日本の温泉に入るために家族と看護婦さんをわざわざ台湾から連れて来日しましたが、これは日本にはそういう仕組みがないからです。また私は競走馬やトローリングが趣味ですが、香港に行くと競馬場に外国人専用のVIP席があり、また主催者がかけ金から差し引く控除率も日本の約25%(注2)に比べるとかなり低く抑えられています(単勝、複勝、馬連、拡連は17.5%、それ以外の馬券は23%)。国内だけで良くても、世界から見ると競争力がありません。その上、日本では馬主やプレジャーボートに対して「成金」というような否定的な感情が根強くあります。こうした感情は富裕層向けのビジネスの発展を遅らせているだけではありません。例えば米国では経営者のゴールデン・パラシュートに対するイメージもそれ程悪くありませんが、日本では反感が強く、M&Aの活用や経営者の流動性も妨げています。
 

片岡:

種村さんはアパートの一室で起業し、コア社は今や東証一部に上場、大変な成功を遂げておいでですが、その分、多くの失敗を糧としてこられたものと思います。
 

種村

例えば海外ビジネスでは、弊社は現在、中国に3つの関連会社を持っていますが、これは韓国での失敗があったからこそ出来た事です。韓国には1989年に資本金1億7250万ウォン(3450万円)、内40%を出資して「ソウルコア」を設立しました。技術料金が日本よりも安いという事もあって韓国をコアグループのソフト工場にしようと韓国人技術者を日本に呼んで研修したりもしていましたが、せっかく育てた技術者が直ぐに転職してしまいました。当時の韓国で行われていた日本に関する教育もあって、国民性や文化のずれも大きく…、また韓国に進出した別の日本企業の人は「韓国では早く日本に追い付け追い越せをキーワードにしている。技術で仕事をすることは難しい」と言っていましたが、その通りでした。その点、中国はアメリカ流の契約社会です。もっとも、それは中国ビジネスの怖さにも繋がっています。また1994年にはCADの図面や文書を管理するソフトの開発を米国のベンチャー企業と進めましたが、この相手の会社が倒産しました。この時、ソースコードはエスクロー制度(開発ベンダーの持つソフトウェア・ソースコード等を第三者が保管し、一定の条件が満たされた場合、ユーザー企業側に情報を開示するようなサービス制度)で補完させていたのですが、それでも裁判を米国で戦わなくてはならず、結局、投資回収を諦めました。また製品の販売権も競売にかけられることになり、午前2時、3時まで弁護士とやりとりしながら自社が共同開発をした製品を、自社で落札しました。海外とジョイントでビジネスをするときの一番のキーワードは「契約」だと感じました。
 

片岡:

国内では如何ですか。
 

種村

もともとベンチャーは営業が非常に難しく、大企業と同じレベルの製品・技術では話になりません。2倍3倍優れてはじめて相手にしてもらえます。さら「系列」の壁もあります。では大手と組めばいいかというと、それなりに難しさがあります。例えば1991年に運送会社、鉄鋼会社、総合商社といった錚々たる企業と組んで、自治体が固定資産税を徴収するときのデーターベースを作る会社を設立、資本金は1億円で内62%を出資しました。それまで自治体とのビジネスや第3セクターでの会社経営等を行い、この分野にニーズがあることは分かっていて、会員制でユーザー会を募る仕組みを作ったのですが結果として失敗でした。肝心の地図のノウハウを外注に頼ってしまって、自分たちに基軸がありませんでした。また大企業は口で言っている程には力を貸してくれず、悪い時はさっと引いてしまい、そして商談する相手はキャリアの人ばかりで現場の人が少ないという点も問題でした。その上、自治体ビジネスでは既存の業者が新規の参入が難しいような環境を作っていて、結果的にコストがかかって大幅な債務を抱え撤退しました。損失額は5億8000万円ですが、資本金、その他途中の開発予算を含めると10億円近い金額をこの企業に投入していました。その他にも沖縄でのメロンを作ったり、M&Aに失敗したり…。ベンチャーとは、失敗の歴史といっても過言ではありません。しかしながら、失敗を恐れて何もしなければ、当然、成功もありません。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

〜完〜

 

 

インタビュー後記

コア社の会議室には美しいバショウカジキの剥製が飾られています。フィッシング・トーナメントはチームワークの戦いですが、一旦ヒットすると、時には300キロを超えるような巨大カジキを相手に、一人でロットを握り続けなければならないという過酷なルールが定められています。種村さんはこれまで数々のトーナメントに出場、輝かしい釣果を残してきました。そして70歳を超えた今もカジキとの熾烈なファイトを楽しんでいます。

 

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注  
注1 http://www.core.co.jp/news/2010/press_100122.html
http://www.core.co.jp/nsp/analysis/index.html
注2 http://www.jra.go.jp/faq/faq02.html#q1_9
   

 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/10/30