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第68回  『 右脳インタビュー 』  (2011/7/1)

山下輝男さん 元陸将 NPO平和と安全ネットワーク理事 
 

  
 
プロフィール
 
1946年鹿児島生れ。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊方面総監部防衛部長(伊丹)、師団司令部幕僚長(旭川)、副師団長(練馬)、陸自富士学校副校長、第五師団長を歴任後退官。第一生命相互会社 防衛庁総括顧問に就任(2011年6月30日退任)。


 

片岡:

今月の右脳インタビューは元陸将の山下輝男さんです。それでは自衛隊の災害派遣についてお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

山下

阪神・淡路大震災の時は陸上自衛隊の2府19県を統括する中部方面総監部の防衛部長として方面隊の主務幕僚を務めました。1995年1月17日午前5時46分災害発生、6時前には作戦室に入って方面総監部の要員を集めるために非常呼集をかけ、各部隊に情報収集も命じましたが、被害の概要が掴めてきたのは2〜3時間たってからです。7時前にはヘリコプター部隊に対し、災害派遣をかけることがまだできなかったので、訓練名目での偵察を指示しました。「神戸がかなり燃えている」という報告は受けましたが、不思議なもので、家が潰れていても上空からは屋根が普段と同じように見えるだけなので、状況を十分に掴む事は出来ませんでした。それで被災地に直接行こうとしてもやっとオートバイで入れる程度、渋滞もひどく、また自治体や警察、消防からの情報も統合しなければならなかったのですが、どこも機能マヒ、通信も思うようにならず、連携も取れていない…。情報収集は基本となる大変重要なものですが実際には非常に難しいものでした。こうした経験もあり、今では各機関との連携の体制を整え、情報収集のための部隊も待機させています。このため東日本震災の際には「福島、宮城、岩手の辺りが大変なことになっている」という情報だけで、陸上自衛隊は「前進目標東北」と定め、とりあえず前進を始め、その後詳しい情報が入るたびに具体的な命令を与えていく事が出来ました。
 

片岡:

衛星情報については如何でしょうか。今の偵察衛星はタバコの銘柄まで識別できると言われていますね。
 

山下

阪神・淡路大震災の頃は衛星に対する認識もまだあまり強くなく、震災直後に衛星からの情報を見た記憶はなくて、かなり後になって米軍の情報を少しもらった程度だったと思います。その後、衛星の性能も向上しましたし、そのような能力を自衛隊でも持たなくてはと、整備が進みました。ただ、まだ十分な基数がなく、故障が出ると融通性がなくなって…。東日本大震災では日米の連携は非常によく、米国も色々な情報を提供してくれています。また米軍は2万人とも言われる要員を導入、さらに空母まで派遣して支援してくれました。阪神・淡路大震災の時の自衛隊の最大派遣人員が1万8千人でしたから、この2万人という数字が如何に大きいか…。
 

片岡:

米軍のサポートは本当に心強かったですね。その米国のサポートの軍事的な意味合いについてお教え下さい。
 

山下

ある意味では空前の規模での日米共同訓練にもなったはずです。また災害時には周辺国がどのような動きをするかわかりません。本来、自衛隊のほぼ全勢力を災害現場に投入するというようなことは出来きませんし、残したとしても必要最小限ですから何かが起こると対応が難しくなります。つまり米軍には災害救援と日本の防衛のバックアップという2つの役割があったと思います。また米国としては日本が好ましくない方向に進んで欲しくないので日本を助けなくてはという意識もあったはずです。そして今回豪州も大変な支援をしてくれましたが、ここには対中国のために日米豪でトライアングルを作り、更に出来れば印度も加えたい、だから豪としても日本と良い関係を作りたいという意識があったはずです。そういう国家100年の計から考えて其々の事象に対処していかなければなりませんが、日本の政治家は目の前の事ばかり考えています。国家として何処に向かうのか、どうあるべきなのか、そういうグランド・ストラテジーをしっかり創らないといけません。例えば日米豪、或は印度を加えたグランド・デザインを描き、それを前提に政策を決めていく…こうしたことができていません。
 

片岡: 米国は日本を同盟国とみると同時に、当然、敵対するケースもスタディし、その上で戦略を考えていますね。
 

山下

戦略には表に出す分野も秘密にすべき分野もあり、そういうものを合わせて考えていかなくてはなりませんが、日本は戦略を考えていない…。ある国を仮想敵国として扱いながら同時に美辞麗句を並べてもいい。国家や国益というものは非情なものです。それをしっかと定めないといけません。例えば太平洋国家として生きるのか、或は大陸との関係を重視していくのか、大きく方向が異なります。中国は如何にして太平洋に進出するか常々考え、第一列島線、第二列島線を定め、今まさに突破しようとしています。地図を逆さまにして見ると日本が絶妙の位置にあるのが一目瞭然で、中国やロシアにとって日本は地政学的に邪魔でしょうがない…。日本が太平洋国家として生きるのであれば、そのラインを突破させないために日本としてはどうするか、米国とどういう関係を持ち役割分担をしていくのか…。現実に中国が世界のもう一極を担うようになると大変ですから、これ以上伸びないように中国を抑え込み、現状を維持させ、また日本から台湾、南沙諸島、東南アジア…と防衛ラインを作り…。米国やその他の国と協議しながらそうした戦略を作っていくという事があってもいいと思います。ですから米国としては、もし日本がこのまま政治的混迷を続け国力を落としていくと、米国がそこにより大きな力を投入しないと全体のバランスが取れなくなります。かといって日本が強くなりすぎても困る…。当然米国は日本が中国やロシアとあまりに仲良くする事を好まず、また日本が米国との一体感を抜きにして、独自の戦略を出そうとすると不快感を強めます。核兵器、米軍基地返還の動きなどは絶対にして欲しくなく、日本独自の情報収集システムや軍事衛星は米国の影響力の及ぶ範囲の中でしか認めたくない…。
 

片岡:

武器は高性能、小型化し、また世界のパワーバランスが変動する中で、テロによる国家規模の被害の可能性も高まっています。
 

山下

昔だったら考えられなかった危機が今はあります。冷戦構造はある意味で安定感がありましたが、その重石がなくなり、テロや大量破壊兵器の拡散、海賊などが目に付くようになり、或は米国がそれを押さえきれなくなってきています。また破綻国家のようなものが出てきて色々な脅威の温床となっています。テロというものは本当に怖いもので、対応するのは非常に難しい。江陵浸透事件(注1)では北朝鮮の工作員ら26人(内11人は集団自決)が韓国内に潜入したとされます。北朝鮮の工作員は非常に能力が高く、放置すると大変な事になりますので、韓国軍は5個師団、最大出動6万人を投入、約50日かけて捜索、そうして1人逮捕、13人を射殺、1人が逃走しました。これをあちらこちらでやられればとても対応できません。勿論、日本国内にもスパイが潜入していていますが、彼らは本国と連携して行動しますので今はじっとして…。ですから阪神・淡路大震災の時も日本海側の偵察部隊は動かしたくないというのが現地の師団長の意見でしたが、集中できる兵力が足りなくなりますので、やもうえず部隊を出すように命じ、足りないところは九州の部隊がカバーしました。
 

片岡:

今回、大規模な原発事故が発生しましたが、原発は一度問題を起こせば広範な地域を長期間蝕みかねず、またテロや軍事攻撃に対する脆弱性も指摘されていました。その原発がまるで日本を取り囲むように林立していますが、安全保障の面からはどのよう捉えてきたのでしょうか。
 

山下

原発に関しては、自衛隊は任務として割り当てられないのでやってこなかった…というのが現状だと思います。仮にやりたくても行政としては「警察の仕事」という事で終わってしまう。かといって警察は拳銃しか所持していませんのでとてもそれだけでは難しい。では自衛隊ではどうかというと、実際に54基ある原発全てを守るにはとても能力が足りません。最低でも1基当たりに1個中隊200〜300人は必要です。また中央特殊兵器防護隊という放射能や化学兵器等の問題が起きた時に対処する部隊がありますが、これらは除染やモニタリングといったことだけで、原発の中まで入って対処するような能力までは持っていません。現行法では原発を止めるような作業は事業者責任となっていて、主な作業は事業者が担い、自衛隊はサポートだけ…と法整備が全くできていません。つまり自衛隊も含めてこれまで日本は原子力に関して考えないようにしてきたという事だと思います。今回、日本の原発の脆弱性が白日に晒されましたが、この惨事を契機に変わってくるし、変わらなくてはいけないと思います。
 

片岡:

危険な環境下で原発事故の収束を担う懸命の作業を続ける、その民間の作業員が置かれている劣悪な生活環境が報道されました。
 

山下

軍隊ではありえません。人をその気にさせ、また危険な任務につけるにはそれなりの体制をとらなくてはならないと思います。まず指揮官と部下との信頼関係が大切です。次に、上司は自分を絶対に見捨てない、困ったらサポートしてくれる。そして最悪の場合は骨を拾ってくれる。そう信じられたら何でもやれ、死んでいけます。私たちも若いときから、部下に「山を獲れ」という命令を出せるか否か、それをやれば間違いなく死ぬ、それでも部下に命令できるかを自問自答してきました。そこまで自分を修練し、そして死なせないための修練をしながら、しかし部下を喜んで行かせる、それだけの関係がなければなりません。更に阪神・淡路大震災、PKO等の経験から、今では隊員に対する心理面でのケア、そして家族に対するケア等にも積極的に取り組むようになっています。
 

片岡:

政府の原発事故に対する対応については如何お考えでしょうか。
 

山下

初動から問題があったのはないかと思います。危機管理は「悲観・最悪の原則」、最悪の事態を考えて対処しなければならないのに、今回は逆です。最初に例えば「100km圏内は退避」と言わず、まず「3km…」、次は「20km…」と反対です。更に情報を小出しにするから隠しているのではないかと疑われます。彼ら自身の中に事故を小さくしよう、少なめに見せたいという意識があるからそうなったのではないでしょうか。また危機の時はトップダウンしかありませんが、今回の様にトップが沢山の専門家の意見を聞いて…というようなことばかりしていては混迷を深めるばかりです。話し合いで時間をかけて良い案を作ろうとするのではなく、2等案、3等案で良いから早く処置をする事が必要です。日本が戦後トップリーダーの教育をしてこなかった事が影響していると思います。またそれでも官僚は比較的危機管理の勉強をしてきましたが今回はその官僚も活用できていませんでした。勿論、内閣にも危機管理官がいますがそれだけではだめで、きちんとした組織が必要です。また国として何をしたいかという意思もはっきりしていなかった点は大問題です。地震・津波の被害に対しては従来の考えでも良かったのですが、原発に対しては当面の対処をやりながら、同時に原発の事故をどうやって収束させるのかを早く示さないと国民はどんどん不安になります。3月下旬になってやっと廃炉を決心、ロードマップを示したのも一月以上たってからです。
 

片岡:

何を守るのか、明確なプライオリティーを示さなければ、その分、本当に守らなくていけないものを危機に晒します。
 

山下

先人の言葉に「為さざると遅疑するとは指揮官として最も忌むべき所なり」とあります。今回の対応を見ていると、国民の安全・安心よりも原発を何とか守ろうとする意識がどこかにあったと思われてもしょうがありません。あれ程の事故を起こしたのだから「廃炉にするしかない」と決めれば、後は専門家の意見を聞けばすぐに出来たはずです。トップリーダーは不可能な事を要求するのではなく、現実を直視してその中で何が一番望ましいのか、極限の判断を迫られる場合があります。そして、その重圧に耐えなければなりません。今の日本の政治家が重圧に耐え切れるのか…。最後は個人の資質ですが、今の日本はそうした教育や訓練すら行っていませんし、緊急事態に対処する枠組みも整備されていません。例えば官邸を中心としたしっかりとした仕組みを作り、緊急時には首相は全ての行政権を統括して命令できるようにして、非常時立法を作る権限も与える…、そうした法的枠組みとそれに対応できる内閣の組織を作ることも必要です。また緊急時には、テロや暴動等が起きる可能性がありますので、ある程度主権を制限することもやむをえないと思います。関東大震災では暴動が起きました。阪神・淡路大震災では被災した地域が狭く、また非常に早い段階で支援物資も届きましたので暴動はおきませんでしたが、避難している方から実際に要望がありパトロールをしました。もし関東で大災害が起きた時には何百万人もの被災者がでてパニック状態になる可能性もあります。そういう時は治安の維持が非常に大きな問題となります。警察力だけでは足りず、自衛隊もその任務を担うと思いますが、救援活動もあり、今の能力ではとても足りません。国、地域として自らを守るというような事も考え、やれるだけの枠組みは作っておくことが必要です。その後はリーダーの決断です。
 

片岡:

貴重なお話を有難うございました。
 

  ~完~
   
   

 

インタビュー後記

「現役時代は思うように発言が出来ませんので、彼らのためにも、我々OBが積極的に発言していかなくてはならないと思っています…」と。山下さんはチャンネルニッポンやメディアを通じて積極的に情報発信を続けています。また山下さんの個人のホームページには率直なお考えやご経験の他にプライベートな面もふんだんに盛り込まれています。是非、ご覧下さい。

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。

 
 

脚注  
注1 http://ja.wikipedia.org/wiki/江陵浸透事件 (最終検索2011年7月1日)
 
   

 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/10/30