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第74回  『 右脳インタビュー 』  (2012/1/1)

出井 伸之さん
クオンタムリープ株式会社 代表取締役ファウンダー&CEO
ソニー アドバイザリーボード議長

  
 

プロフィール 
1937年生まれ。早稲田大学卒。ソニー会長兼グループ CEO、内閣官房IT戦略会議議長、日本経済団体連合会副会長などを経て、現在、クオンタムリープ株式会社代表取締役ファウンダー&CEO、ソニー アドバイザリーボード議長、Accenture plc 社外取締役、Baidu, Inc. 社外取締役、レノボ・グループ 社外取締役、早稲田大学 評議員、清華大学 アドバイザリーボード、等を兼務。
主な著書
『非連続の時代』 新潮社 2002年
『迷いと決断 』 新潮新書 2006年
『日本大転換―あなたから変わるこれからの10年』  幻冬舎新書 2009年

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは出井伸之さんです。それではご足跡をお伺いしながらインタビューをはじめたいと思います。
 

出井

 私の人生はソニーとともに成長してきました。企業の成長と対等につき合っていこうと思っていました。入社した時のソニーの売上は凡そ100億円弱で、十数年間は緩やかの成長でした。その後は倍々で早いのなんの…。退任するときにはグループで約9兆円を超えていました。企業というのは自己増殖的に大きくなる部分があって、それが更に日本の成長やエレクトロニクスの成長に乗りました。そういう意味で、私はクオンタムリープ(非連続の飛躍)を何度も体験しています。それが面白くて…。
 

片岡:

 なぜまだ無名に近かったソニーに就職されたのですか。
 

出井

 これからヨーロッパで伸びるメーカーで技術力もしっかりしているところを探しました。当時、東洋経済社に調査に行って「ソニーが高い技術力を持つ。そして人材がいない」と聞き、これはしめた…と。そうしてソニーに入ってみると同期は皆英語がうまく…。その頃、ソニーはADR(American Depositary Receipt:米国預託証券)での起債を準備していましたが、英語が大変堪能なICUを出た新入社員が担当していました。自分はもっと語学や仕事で必要な知識を身に付ける必要性を感じて、一年務めてから休職させてもらって、ヨーロッパに留学しました。当時は誰もが米国一辺倒で、ヨーロッパには見向きもしていませんでした。
 帰国後暫くしたころ、盛田さんが突然、ヨーロッパの人員を入れ替えさせ、日本から私を含め4人が派遣されました。担当者全員が帰国したのですから、何もかも分らなくなって、結局一から作り直しでした。そのうちにソニーフランスの設立に携わることになり、ここで一番、苦労しました。今ならばソニーの進出は大歓迎だと思いますが、当時のフランスはいわば鎖国で海外からの投資をなかなか認めませんでした。それで、当時フランスに駐在し、後に通産事務次官となった熊野英昭さんが色々助けてくれました。熊野さんとはこれが縁で生涯の友人となりましたが、進出の方はなかなか進まず、結局、金融的なスキームを活用して現地の銀行とソニーが合弁を作り、3年後に株を買取るという契約を結んで現地での事業を作ることになりました。そのディールをやったので金融とは面白いな…と。
 日本に帰国すると、ソニーフランスの件で本社とコンフリクトがあったこともあり、倉庫に左遷されました。ただソニーが丁度、根幹をIT化するときで、ITのシステムの人と付き合うようになり、また裏側からロジスティック等を見ることができました。ところで私のような人は倉庫に左遷されると落ち込むと皆思っていたのでフェアレディーZ の緑の2シーターに乗って通勤しました。嫌な奴だったかもしれませんね…。またオーディオ事業部長の時、訪問先の企業で盛田さんが「なぜコンピューターを作らないか」と迫られていたので「コンピューターなんて簡単です」と言ったら、1週間後、「君がコンピューターをやれ…」と。それでビル・ゲイツや孫正義、西和彦らと知り合うことになります。ところでビル・ゲイツは当時、靴下に穴がいているような青年で「母が上場しろというんだが、どういう意味だろう」と聞くから、「それはお金持ちになるという意味だよ」なんて冗談を言っていたら今は…。その他にもスティーブ・ジョブスや、スコット・マクネリ(米サン・マイクロシステムズ社の共同設立者の一人)などがいて、そのインサイダーに入ることができました。しかしソニーとしては、結局、その時のコンピューター事業はうまくいきませんでした。
 その後、本社に戻り、広報や宣伝とデザインの担当役員となりました。タクシードライバーからバスの乗客になったような感じで、何か新しい事をはじめなければと思い、企業内シンクタンク機能を立ち上げて、メディアとコンシューマーが接触する時間等を研究しました。1994年にアル・ゴアのスーパーハイウェイのスピーチを聞きにいって「ソニー10年先」という三部作のレポートを書きました。これは今のインターネット時代を予測したもので、10年後のソニーは売り上げ8兆円、その時の商品はオーディオビジュアルとIT関係とみており、現実にそうなっています。その後、突然、社長に指名されたのは、このレポートがあったからかもしれません。
 

片岡:

 シンクタンクはその後も続けたのでしょうか。
 

出井

 続けていればよかったのですが、さまざまな原因で独立した部署としてのシンクタンクは長く続きませんでした。それに社長になったら問題ばかりで…。DVD戦争には負けそうになったし、売上げ成長率の低下、重い有利子負債、キャッシュフローの課題、更には米エンタテインメント事業の経営問題、円も高く…と悪材料がそろっていました。経費削減を進め、アメリカのマネジメントも立て直し、またDVD規格で対立陣営と喧嘩している余裕はなかったのですが、これは東芝の佐藤裕治さんがうまくまとめてくれました。しかしアジア通貨危機で円高、ウォン安が更に進み、ITブームも終焉、こちらの改革のスピードよりも世界の変化の方が早く進みだして業績が悪化していきました。大企業に働いているということは生命体に属しているようなものでCEOが動かせる範囲は思ったより限られています。自分の心臓や胃袋を自由に動かせないのと同じで、また体重を減らそうとしても、時間をかけて減らすことはできてもすぐには落とせません。ですから環境の変化が速いと、大きな生命体であればあるほどマイナスに働きます。今、日本がそれに直面し、自動車業界もこれから直面しようとしています。そういう意味で、如何に会社の改革が難しいか、そして成功体験を含めた過去の体験がどれほど強烈な規制となってしまうか、身をもって体験しました。
 

片岡:

 まだ変革に苦悩していますね。
 

出井

 1993年に私はレポートで「原価率で考えるハードウェア部門と、映画のように100億円を投入し5年で回収するような部門の売上げは足せない」と述べました。例えば、今はグーグルのような会社が出てきましたが、同社の売上げは殆どが広告収入で時間軸です。その月の売上げで原価率が出てくるような製造業が、時間軸の金融やハリウッド映画、これも一種の金融ですが、これらと競争していくのは大変です。大胆にいうと、日本のメーカーも事業によっては個別原価率制の考え方を改めてもいいのでは。例えばテレビ事業が個別で赤字だろうがそうでなかろうが、それよりテレビ事業がその企業の今後の展開に必要か否かを考えた方がいい。アマゾンがキンドルの値段を安くして配りましたが、個別原価率では赤字でも他で儲ければいい…。ネット社会では個別原価率の積み上げの製造業は考え方を変える必要があって、そこを徹底しないといけません。そういう意味ではセグメントを切って、例えば1兆円毎に10個、或は5000億円毎に20個作って、そこの仮想的なバランスシートを出してどのようにカバーしているかを見る…、そうしたものの計算の方式を変えるような本質的な改革が必要です。そうして日本全体も変えていかないといけません。
 

片岡:

 ソニーではどのような取り組みをなさったのでしょうか。
 

出井

 EVA(Economic Value added)、つまり仮想バランスシートを導入しようと考えました。コカコーラが7年かけて導入した、ならば3年でできるだろう…と、しかしそれは大きな間違いで、社員には理解し難く、またそういう考え方が数字になると、今度は数字に捉われてしまう。それでEVAの導入はなかなかうまく進みませんでした。EVAをもう少し進化させて、バランスシートを割り振れば分かりやすかったと思います。日本の経済を変革するのも評価法、管理会計を見直すべきです。そう考えるとリジットな経済産業省がやっている日本の仕組みは凄く古いものに見えてきて、日本の中でOSを切り替えたいという気持ちになります。
 

片岡:

 誰が新しいOSを作るのでしょうか。
 

出井

 そこが問題で、日本には本当のシンクタンクが必要だと思います。民主党が在野にいた時にしっかりしたシンクタンクを作るべきだと提言しましたが、動きが見られませんでした。その時に取り組んでいればこんなに準備不足が出てくることはなかったはずです。今は自民党がそのチャンスです。時間がありますから…。
 

片岡:

 米国はシンクタンクが政策の整合性、一貫性をある程度担保し、また強大な影響力も持っていますね。
 

出井

 東大は国立大学法人を辞めてアジア発の世界一のシンクタンクにする。そういう発想で考え、他の大学も集約して九州、関西、東北にそれぞれ1つ、東京には2つといった具合にする。そこで学部生ではなく、初めからスーパー官僚、エリートを養成して…。そういったことをしていけば日本はもっと元気になります。
 

片岡:

 未曽有の大災害にあった今は、変革という意味ではチャンスでもありますね。
 

出井

 3月11日もそうですし、原子力問題も地域独占を崩すチャンスですし、今はクラウド時代ですからITシステムを変えるチャンスですし、海外に向かって日本がこう変わっていくということを示すチャンスです。例えば我々は今、東京で利益の上がるプロジェクトをいくつも起こして、それに海外から投資させようと提言しています。これは「東京」でなければならない。お金、プロジェクト、リターンのないところに投資はできません。東京はお金を集めるセンターになればいい。日本が10年がかりで変革していくときには、相当にフィードフォワードの目標を立てないといけないのですが、そんな時に増税ありき、TPPに参加…など、交渉に参加することは構いませんが、それが話題の中心になること自体が問題です。
 

片岡:

 その改革を担うのは誰でしょうか。
 

出井

 今の民主党も自民党も限界を感じています。やはり政界再編成でしょう。そうなればこの乱世で、来年には日本は素晴らしい安定した国だと世界から称賛される時期が一時期あると思います。欧州はこんな状態で、米国もそうです。中国も減速しています。だから日本がいいじゃないかという時期がくるでしょう。ただし、そのあとには奈落の底が待っていて、称賛された時に、いい気になってしまったらおしまいです。そういう危ないところに来ているのだということを分かって欲しい。今後は人口が減り、円高で追い詰められ、海外に工場が逃げて空洞化し、残るのは官営のサービス産業ばかりで、今は上海行きが5000円という時代に、大阪に行くのも高い新幹線ばかり、日本はデフレといいますが、コストが高いだけです。
 

片岡:

 中国といえば、出井さんはレノボの社外取締役に就任されたそうですね。レノボについては如何お感じでしょうか。
 

出井

 アクセンチュア本社の社外取締役、ソニーのアドバイザリーボード等をやっていなかったらレノボに行っても何をやっているかわからなかったでしょう。それくらいレノボのコーポレートガバナンスは進んでいます。レノボは香港で上場し、香港のシステムを勉強し、IBMのPC部門を買うことで、米国の企業統治を学びそれを中国化しています。M&Aをやっても学ばない企業は多いものです。レノボにはもともと優れた創業者がいて柔軟で、トップダウン、ボトムアップの気風を入れ、また工場やコールセンターの運営も真面目に日本企業よりも進めようとしています。私が考えていたより数倍進んでいて、中国企業の中では断トツ、グローバル企業で自由奔放、ある意味ソニーと似ていています。勿論、ソニーも色々苦労していますので、ガバナンスはより進んでいるかもしれん。ソニーが進んでいるとこもあれば、レノボが進んでいるところもあり、いい勝負でしょう。そういうレベルにまで来ています。
 ソニーの人にもよく言うのですが、レノボとソニーの関係については部分的な競争関係のみにとらわれるのではなく、より高い次元で共通してところにも目を向けるべきではないかと。昨今、ものを作ってバリューをあげるという企業は少なくなってきているなかで、グーグルやアップル等いわゆるプラットフォームやフォーマットを抑えてくるようなところが本当の競合ではないでしょうか。そういう面で企業改革をし、どうやったら企業が競争力を持ってものづくりができるか…等とレノボと同じような陣営にいるという考え方を持つ度量が必要ではないでしょうか。私はやっぱりアジアはものづくりだと思います。そこでトップのノウハウをお互いにシェアするくらいでないといけません。
 私は中国の会社がこのレベルまで来ているとは、レノボに行くまで考えていませんでした。勿論、中国はまだまだ発展途上で全てが完璧ではなく、さまざまな課題を抱えている企業も沢山あります。日本にだって優れた企業が沢山存在する一方で、昨今、企業のガバナンスをはじめいろいろな課題も露呈しています。
 近年、中国やインドなどいわゆる新興勢力が急成長を遂げる一方で、韓国、シンガポールなど国家資本主義的な経済モデルを持つ国々も目を見張るほど進化を続けています。これまでアジアの最先端を走り続けてきた日本は従来の20世紀型のモデルを再定義し直して21世紀型への大転換が必要だと思います。来る2012年がアジアで輝く国作りに向けた一歩を踏み出す年になればと切に期待します。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

 

~完~

(一部敬称略)

 

インタビュー後記

 1995年、「14人抜き」と異例の大抜擢で社長に就任した出井さんですが、出世は遅れ気味、もともとソニーでは珍しく、私大、学卒、文系で、それを活かすには逆張りの連続だったそうです。さて、出井さんにお薦めの本をお伺いしました。
  『 ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質 』
   ナシーム・ニコラス・タレブ (著), 望月 衛 (翻訳)  ダイヤモンド社  2009年
 今の時代にピッタリだそうです。


  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。クライシス・マネジメントとメディアに特化したアドバイザリー事業を展開

 
 

   
   
   
   
   
   
   
 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2016/03/29