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第76回  『 右脳インタビュー 』  (2012/3/1)

岡部 陽二さん 
医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構 副所長
元住友銀行(現 三井住友銀行)専務取締役

  
 

1934年生まれ、京都大学法学部卒業後、住友銀行(現 三井住友銀行)入行。取締役ロンドン支店長、専務取締役を歴任後、明光証券(現SMBC フレンド証券)代表取締役会長、広島国際大学医療福祉学部医療経営学科および同大学院教授を経て、現在、医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構 副所長。

主な著書・訳書
米国医療崩壊の構図―ジャック・モーガンを殺したのは誰か?
レジナ・E. ヘルツリンガー (著) 岡部 陽二 (監訳), 竹田 悦子 (訳)
活齠博ノ 2008年
消費者が動かす医療サービス市場―米国の医療サービス変革に学ぶ
レジナ・E. ヘルツリンガー (著) 岡部 陽二 (監訳), 竹田 悦子 (訳)
シュプリンガーフェアラーク東京 2003年
医療サービス市場の勝者―誰が医療サービス市場の勝者となり、敗者となるか
レジナ・E. ヘルツリンガー (著) 岡部 陽二 (監訳), 竹田 悦子 (訳)
シュプリンガーフェアラーク東京 2000年

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは岡部陽二さんです。岡部さんは住友銀行でロンドン支店長、専務取締役(国際部門担当)を歴任後、現在は医療経済研究機構の副所長としてご活躍です。本日は日本の医療の現状についてお伺いしたいと思います。
 

岡部

 日本の医療制度は世界と比較するというと、すべてが違うといってもいいほどユニークです。例えば日本では風邪をひいてもすぐ病院…となりますが、世界では、病院はどうしても行く必要があるときに一般医(GP, General Practitioner、かかりつけ医)を通して予約を取り、最低でも3日くらい、時には2〜3ヶ月以上も待たされてから診てもらえるところというのが一般的な認識です。日本のようなフリーアクセス(受診する医療機関を自由に選べる制度)は患者個人にとってはよいことかも知れませんが、実はそれだけではありません。どの病院に、いつ行ってもよいので、ただの風邪でも大病院に行く人が沢山出てきます。英国でも米国でも、まず一般医が診て振り分けますので、風邪で東大病院に行くというようなことはあり得ません。東大病院は風邪などで時間を取られれば、他の高度な治療ができず、日本の医療全体から見れば大きな損失です。一般医と専門医(病院)の住み分け問題は大切な事で、OECDは各国の一般医と専門医の比率を発表していますが、日本はその区分すらなく報告もできていません。
 

片岡:

 例えばオーストラリアの一般医の給与は年収数百万円程度と低く、給与の高い専門医は専門医療に集中させて効率的です。日本はそもそも医者を養成する段階で、専門医を多く輩出する東大や慶応の医学部の授業料は安く、普通の医大はその何倍もコストがかかる…。一般医の制度は医療費の高騰に伴うコスト削減という観点から生まれたのでしょうか。
 

岡部

 欧州の幾つかの国ではもともと一般医のような制度がかなり以前からありましたが、米国では医療費抑制の手段として発達してきました。フリーアクセスだと一般医と専門医の区別もなくなります。患者が勝手に病院を選ぶのですから病院としてもあれもこれもできるようにしようとします。勿論、医療費や医療資源の効率的運用の点からも問題です。一方、医療者サイドから見れば、この無政府状態はある意味で心地がいいともいえます。日本の医療の問題を一言でいえばガバナンスが働いていないということです。本来は、一般医と専門医の住み分けにしても、欧米のように医師が学会などを通じて自らを律するルール作りをするのが理想でしょうが、日本のように政府依存が高い国では、政府がその役割を果たすのもやむを得ないことかも知れません。ただ、「原子力村」と同様に、一種の「医療村」意識で、一般社会の通念とは違った価値基準があるのであれば、それはよくありません。
 

片岡:

 他の諸国と比較して日本の医療費の伸びは大きいのでしょうか。
 

岡部

 どの国でも医療費はGDPの成長率を超えて伸びていますが、日本は名目GDPが過去10年間下がり続けている中で医療費だけが伸び、しかも高齢化が世界一速いのですから大変な問題です。抑制するには公的保障の範囲を狭めるしかなく、例えば、今使っている薬より進んだ薬には公的医療保険を適用せず、使いたければ自分でお金を払うか、民間の医療保険に入って下さいという方法です。オーストラリアも国民皆保険ですが、民間の医療保険を奨励し、民間保険料の3割を国が出して奨励しています。また、日本の医療保険制度はドイツに倣ったものですが、ドイツでは富裕層と公務員は民間保険に加入しています。一般の人たちが病院で長蛇の列を作る中、民間保険の人たちは優先して診療を受けていますが、これがごく自然に受け容れられているようです。一方、日本はつい最近まで民間保険を認めず、日米交渉などによって一部が解放させられ、第三分野ということで、がん保険等の限定的な保険が作られましたが、公的保険を補完するものには育っておりません。
 

片岡:

 幾つかの検査機器の保有量が突出して多いのも日本の特徴ですね。
 

岡部

 特にCT(コンピュータ断層撮影 Computed Tomography)やMRI(核磁気共鳴画像法 Magnetic Resonance Imaging)は大雑把にいうと人口比でみて、日本はアメリカの倍、アメリカは欧州の倍、つまり日本は欧州の4倍あります。これもフリーアクセスが関係していて、皆で患者の取り合いをするのですから診療所にまでそうしたものが置かれています。PET(ポジトロン断層法 Positron Emission Tomography)という一台何億円もするような機器を病院ではなく診療所が持っている例もあります。それらをペイさせようとするわけですから…。
 ところで、よく病院崩壊といいますが、キャノングローバル戦略所の松山幸弘研究主幹のレポートよると、132の社会医療法人を調査した結果、これらの法人の大多数は十分に儲かっていて、医療崩壊というのは誤りだそうです。大変なのは親方日の丸の自治体病院などの公立病院ばかりです。勿論、自治体病院でも故 武弘道先生のように次々と立て直しに成功された立派な経営者もおられました(注1)。武先生の方針は、とにかく管理を強化して病院全体の生産性を高める、そのためには、一般にはお医者さんには不人気といわれる小児科や産婦人科を開けばよいという逆転の発想の持ち主でした。つまり改善の余地はいくらでもあるということです。ただ、実際問題とすると、武先生のような凄い人がおられて初めて改善できるのであって、全体でみると難しいでしょう。
 

片岡:

 医療保険で年齢による格差問題が指摘されています(注2)。例えば70〜74歳の人の一人当たりの医療費は60万円で、それに対する負担(保険料+自己負担)は18万円、90〜94歳だと、医療費103万円に対して負担が13万円、一方30〜34歳の人は10万円の医療費に対して22万円を負担していますね。
 

岡部

 ご指摘のとおりです。若い人は所得もそれほど高くなく、子供もいて色々と費用も掛かかります。ですから70歳以上の人は70歳以上の人だけで出来る限り処理し、どうしても足りなければ他の層から貰ってくる…そうしたことも考えることが必要ではないでしょうか。また日本では老人が老人ホームに入るか否かを介護保険に申請するとき、基準は介護度によるもので、書類審査だけで決めています。オーストラリアでも、もし寝たきりとなる人がいたら、当然、どこかに収容して面倒を見なければいけないのですが、その際にはミーズ・テスト(means test)といって、厳密な資産調査を行います。それに従って財産はすべて国に譲渡しなさい、毎月入ってくる年金も9割は国に…と、その代りに国が一生面倒を見ます。まさに100年安心です。日本では、そういう財産の事は一切言わない。一定の年齢になれば貧しくても、億万長者でも同じサービスを受けることが出来ます。これで公平なのでしょうか?  また、英国では65歳以上だと公的保障では心臓施術をしてもらえません。したければ自分のお金ですればいい。日本は90歳になっても保険で心臓手術をします。もちろん、どうしても必要な手術であれば、お金の無い方には保険で面倒を看ると言うのは、理に適っています。ただ、老人は弱者だからすべて一律に保護しなくてはいけないと言うのは、真の公平ではないと思います。実際には高齢者でも金銭的には決して弱者でない人がかなりの数います。高齢者は高齢者の間で、弱者は弱者ではない人が養うというのが本当の共助です。
 

片岡:

 最大の利用者である老人の負担率が少ないのですから、医療機関にとっては歯止めが効き難いですね。
 

岡部

 そうですね。また医療機関にとっては、もし心臓手術をしなければ訴えられるというリスクもあります。日本は社会保障が進みすぎました。アジアの国はまだそれが進んでいないので、今、彼らは日本を見て、日本がやったことだけはやらないようにしようと…。勿論、日本も何度も制度を見直そうとしましたが、その度に物凄い反発にあって見直せませんでした。ただ、医療改革が難しいのは、どの国でも同じです。鉄の女といわれた英国のサッチャー首相は産業や金融の大改革を成し遂げましたが、そのサッチャー首相でも医療改革には手を出せませんでした。医療というものはそういう世界です。しかし、日本の医療制度は、かなりの部分が借金で賄われていますので、国債が出せなくなれば維持できません。ですからこの制度はいずれ見直されざるを得ません。
 

片岡:

 TPP (Trans-Pacific Partnership又はTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement:環太平洋戦略的経済連携協定)についてはいかがでしょうか。
 

岡部

 医療分野に関する限りは、そもそもTPPの対象分野としては議論する余地もないのではないかと思います。よく話題となるのは混合診療と株式会社経営の問題ですが、これらはTPPとは関係なく、むしろ純粋に国内問題として議論を尽くすべき課題です。株式会社は営利だから医療に向かないとの主張が強いですが、大切なのは営利・非営利の問題ではなく、ガバナンスの問題です。一般の医療法人はガバナンスの面からみると決して褒められたものではなく、寧ろ、医療法人が株式会社並みのガバナンスになればよいと思います。しかしそうならないのであれば、株式会社を使えばよい。例えば東大から病院だけ切り離して株式会社東大病院にする。その典型がジョージワシントン大学病院で、米最古の病院である同院が20年前に実質的に倒産、米国の三大チェーン病院の一つに買収され、大学の中にあって外部による株式会社経営となりましたが、今は隆々としています(注3)。医学の臨床教育もその株式会社の病院を使って行うというだけです。混合診療は、そういう仕分けをすること自体が問題です。日本以外の国には、そもそも混合診療という概念がなく、むしろ混合しているのが当たり前です。だからと言って、米国がTPPの交渉の場で混合診療の撤廃や株式会社の参入を本気で要求してくるとは思いませんが…。
 

片岡:

 規制が緩くなったとしても米国企業にとって日本市場は参入が難しく、利益も上げ難いということでしょうか。
 

岡部

 それを米国はよくわかっています。そんなことで日本の世論を逆なでしても何のメリットもありません。それに日本の病院経営が彼らにとって魅力のあるものとは到底思えません。数年前、日本の製薬会社も合従連衡していかないと立ちいかなくなるという議論が盛んに行われていました。それで世界との関係はどうなっているか調べて欲しいといわれて欧州で調査を行なったのですが、結論から言えば、欧米ではM&Aが盛んに行われていますが、その欧米の製薬会社が本気で武田薬品工業や第一三共を狙っているかといえば、それはありません(注4)。彼らのターゲットは欧米の企業であり、価格の問題もありますが、当時から日本企業の買収にメリットを感じていませんでした。実際に中外製薬や万有製薬などの例はありますが、中外製薬とRocheは(注5)、フーマー会長と永山会長の個人的な信頼関係があってのことですし、万有製薬は販売網を一から作るよりは買収した方がということであり、研究開発型や大手の買収ではありません。日本での研究開発はコストがかかりすぎて魅力がありませんから。
 

片岡:

 国として日本の技術、研究開発力を生かす仕組みが出来てないということですね。
 

岡部

 国の審査にも非常に時間がかかっていますし、審査する側の対応能力が不十分です。治験は時間もコストもかかりすぎ、臨床研究は基礎研究に比べて非常に遅れています。医薬品でも興味がないというのに病院経営には…。寧ろ外資は日本から撤退しつつあります。自動車だってそうですし、ファイザーも日本の研究開発拠点を売却しました。日本はコストが高く、規制が強く合わない市場です。魅力のない市場の開放を本気で要求するのでしょうか。そんな戦略はあり得ません。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

 

~完~

 

インタビュー後記

 岡部さんに注目の経営者をお聞きました。エーザイの代表取締役CEOの内藤 晴夫氏で、ワンマンで長期政権な面もありますが、しっかりとした仕組みを整え、社外取締役も半分以上いて、それがキチンと機能していて、企業のガバナンスの観点から見て卓越しているそうです。さて、岡部さんは個人でホームページ(http://www.y-okabe.org/index.html)を開設、沢山の素晴らしいコンテンツを発信しております。是非、ご覧下さい。

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。クライシス・マネジメントとメディアに特化したアドバイザリー事業を展開

 
 

脚注  
   
注1 下記をご覧下さい。(最終検索2012年3月1日)
http://www.y-okabe.org/interview/post_10.html
 
注2 下記をご覧下さい。(最終検索2012年3月1日)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/database/zenpan/dl/nenrei20.pdf  (P4)
 
注3 下記をご覧ください。(最終検索2012年3月1日)
http://www.gwhospital.com/About-the-Hospital
 
注4 下記をご覧下さい。(最終検索2012年3月1日)
http://www.y-okabe.org/medical/post_133.html
 
注5 下記をご覧ください。(最終検索2012年3月1日)
http://www.chugai-pharm.co.jp/hc/ss/ir/kojin/roche_alliance.html
http://www.chugai-pharm.co.jp/hc/ss/downloads/pre00131.pdf?blobheader=application%2Fpdf&blobheadername1=content-disposition&blobheadervalue1=inline%3Bfilename%3Dpre00131.pdf&blobwhere=1259614745921&ssbinary=true

 
 


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更新日:2012/10/30