知財問屋 片岡秀太郎商店  会員登録(無料)
  chizai-tank.com お問い合わせ
HOME 右脳インタビュー 法考古学と税考古学の広場 孫崎享のPower Briefing 原田靖博の内外金融雑感 特設コーナー about us  
 

第81回  『 右脳インタビュー 』  (2012/8/1)

遠藤 章さん
 
東京農工大学特別栄誉教授、(株)バイオファーム研究所長
http://endoakira.jp/ 

  

プロフィール
1933年秋田県生まれ。東北大学農学部卒。三共株式会社発酵研究所 研究第3室長経て、東京農工大学農学部農芸化学科助教授、同教授を歴任。現在、(株)バイオファーム研究所長、東京農工大学特別栄誉教授、金沢大学大学院医学系研究科客員教授、東北大学農学部特任教授、早稲田大学特命教授、一橋大学イノベーション研究センター客員教授。

主な受賞歴等
農芸化学賞(日、1966年)、日本国際賞(日、2006年)、ラスカー臨床医学研究賞(米、2008年)、科学アカデミー外国人会員(米、2011年)、文化功労者(日、2011年)、米国発明家殿堂入り(米、2012年)、ペンシルバニア大学名誉博士(米、2012年)

主な著書
『自然からの贈りもの - 史上最大の新薬誕生』 メデイカルレビュー社 2006年
『新薬スタチンの発見 - コレステロールに挑む』 岩波書店 2006年 その他、論文多数
 

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは、遠藤章さんです。遠藤さんが発見したスタチン注1は史上最大の新薬といわれ、今では冠動脈疾患と脳卒中の予防と治療の特効薬として、毎日世界で4000万人近い患者に投与され、2005年にはスタチン製剤全体の年間総売上高は250億ドルに達しています。その研究のきっかけなどお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

遠藤

 三共株式会社に入社後、1966年から1968年まで米国に留学する機会を戴きました。研究だけでなく、米国の富の力、科学力、市民生活、ありとあらゆるものがびっくりするような時代でした。その米国が抱える大問題が肥満からくる心臓病でした。当時の日本では肥満の問題なんて考えられない時代でしたが、コレステロールにはもともと興味がありましたし、何より、そういう大きなテーマに一度は挑戦してみたいと、帰国後、研究を始めました。
 

片岡:

 大きな問題であれば当然、米国での研究は相当進められていたはずです。また新薬の開発は膨大なコストもかかります。日本企業にとって、米国の巨大企業との競争に参戦するという決断は難しかったのではないでしょうか。
 

遠藤

 勿論、研究は進んでいましたが、まだ良い薬はできていませんでした。通常、新薬は天然物質か合成化合物から候補となる物質を探しますが、欧米の研究者は合成化合物をターゲットにするだろう…、そこで私は以前から研究していたカビとキノコから候補物質を探す事にしました。当時は試験管を洗うのも大変で、私のようなアプローチはとても面倒だから、欧米のスマートな研究者は誰も手を付けないだろう…だからこそ、やりました。米国の人たちと同じことを同じやり方でやったら勝てません。
 当時、日本の製薬会社が世界に向けた薬を開発するなんて、考えられません。私の能力に期待してくれたのか、それとも、一人くらい好きなことをやらせてもいいじゃないかというようなゆったりした時代だったからか…。候補物質の研究までは、そんなにお金のかかるものではありません。土の中にいる微生物等を集めて調べるのですから原料はタダで、また人件費も安い時代です。2年間はやってみよう、それでダメならやめよう…。とにかく会社はそれを許してくれたのですから感謝しています。1971年から6000株のカビとキノコを調べ、1973年、青カビから新物質コンパクチン(メバスタチンとも呼ばれる)を発見しました。
 

片岡:

 大変な可能性を持つ物質が日本で発見されたにもかかわらず、当初、日本の動きは弱かったように思いますが…。
 

遠藤

 弱かったですね…。日本人の習性の一つで、日本人がやったことは余り…。また本物かどうか、その判断もできなかったのでしょう。結局、世界最大の製薬会社だったメルク(同社でスタチンのプロジェクトを率いたP.Roy Vagelos博士は、その功績等から、後に同社CEOに就任した)が製品化、そこで初めて日本でも火が付いた感じです。その後はしっかりやっていて、スタチン系の薬は現在7種類、そのうち4種が日本生まれです。ただ、途中までやって息切れして、薬になったのは、ずいぶん遅かったという印象はありますが…。ところで、薬は安全で、よく効かなければなりません。この2つが必要で、それを調べ、確かめるのに10年くらいかかり、薬が出来た時には特許期間が4,5年しか残っていないということもよくあります。周辺特許等を抑えたりしますが、それでも限界があります。
 

片岡:

 新薬開発では日本の治験の問題が、よく指摘されますね。
 

遠藤

 新薬の開発は、誰も登ったことがない山を登るようなものです。どんなに調べても、どんなに緻密な計画を立てても、登ってみないと分かりませんし、雪崩もあったり…。新薬の開発も同じで、予想もしなかったことが必ず起こります。その時に、待つのか、退却するのか、前進するのか、そうした判断を積み重ねていくことが必要で、そこが日本はまだ弱い…。これは国民性の問題もあります。日本はしきたりや慣習、伝統を大切にする国で、米国は古いものを壊して新しいものを、という国です。新薬の開発ではそうした違いが随所に現れます。先ほど、薬には、安全か否か、効くか効かないかの2つの要素があるといいましたが、新薬の開発段階では、見かけ上、必ずしも安全でないのかもしれないという事態が必ず起きます。その時に、安全だと考えて前に進むか、それとも撤退するのか。日本はその判断に消極的な部分がでて、前に進む突破力が弱いと思います。新幹線で3時間かかるものを2時間半に短縮するというようなことは、日本は得意です。しかし、新薬の開発はいくら調べても調べつくせず、問題をたくさん抱えていて、結果が何もでないかもしれない…、その時々に、どういう決断をするか、その積み重ねが力であり、それによって成功率が変わってきます。
 また悪いことが起きた時に、日本人は自分たちだけで解決しようとする傾向が非常に強いように思います。特に製薬会社は問題が起きると、都合が悪いことは一切社外に出さず、内部で解決しようとしました。今でもそうでしょう。私はそれではダメだと思っています。薬は医師が使うもので、良し悪しは医師が決めます。だからなるべく早い時期から医師を巻き込んだ方が良いし、医学は米国がダントツに進んでいるので、米国のそういう人たちと組みたいと思っていました。
 

片岡:

 例えばどのような事が実際にあったのでしょうか。
 

遠藤

 1977年、ラットにコンパクチンを大量投与した実験で肝毒性の疑いが出て、開発中止の危機になりました。その直後、Joseph L. Goldstein博士から「テキサス大学病院で治療中の8歳の女の子と39歳の男性の2例が非常に危険な状態にあり、最後の選択肢としてコンパクチンを使用したい。テキサス大学の倫理委員会とFDA(米国食品医薬品局)の承認も得られると思うので是非協力して欲しい」と連絡がありました(その後、Goldstein博士と共同研究者のMichael Brown博士は、1985年、コレステロール代謝とその関与する疾患の研究により、ノーベル生理学・医学賞を受賞注2)。大変なチャンスでしたが、結局、会社は踏み切れませんでした。この時は、その3ケ月後、阪大の山本章先生から同じような依頼があり、このままでは開発が中止となることはわかっていましたので、会社に内緒で協力しました。山本先生のお陰で素晴らしい結果を得て、進むことが出来ました。
 さて、その少し前の1976年、メルクから三共にコンパクチンに興味があるとアプローチがあり、我々は2年以上、実験データや薬の提供を続けました。ところがメルクは、その一方で、三共に黙ってコンパクチンとよく似たロバスタチン(メビノリン)を発見して薬の開発を進めていました。
 1980年、コンパクチンの開発が突如中止となり、イヌによる長期毒性試験で発がん性の疑いが出たという噂が広がります。コンパクチンに発がん性があるのなら、誰でもロバスタチンにもあると思います。しかしメルクは膨大なコストをかけて、大量の動物実験を行い、ロバスタチンに発ガン性がないことを証明、FDAの認可を取り、1987年に「スタチン」として発売しました。ここが力の差ですね。
 ところで、私は紅麹菌というカビからロバスタチン(モナコリンK)を発見、1979年2月に出願しました。メルクのメビノリンの特許出願は1979年6月ですが、発見は1978年11月だと主張しました。この結果、米国ではメビノリンの特許だけが成立しました。米国は自国内では先発明主義をとっているのに、他国からの出願には先願主義を採っていたからです。
 

片岡:

 新薬の開発は、新物質の発見は勿論、その周辺物質、そして治験…、更には特許制度の違いまで、熾烈な競争が繰り広げられているわけですね。ところで、当初、三共は市場規模をどのように見ていたのでしょうか。
 

遠藤

 会社は300〜500億円の市場と見ていました。当時、日本で開発した薬を海外に出すという例は殆どなく、海外のものを日本へ導入、国内で売るだけでした。当然、国内市場だけを考えていました。あの時代は、あれでしょうがなかった…。色々なものが積み重なり、それが石垣となり、スタチンは日米の共同作業です。
 

片岡:

 Wall Street Journalに「ラスカー賞(賞金30万ドル)を受賞した遠藤博士は、莫大な数の人命に関わるような偉大な発見をしながら、それまで1ペニーの報酬も得ていなかった…」といったコメント注3ありました。
 

遠藤

 私は科学者として歴史に名前を残したいと願ったことはありますが、お金は残らないと思っていました。そこには興味があまりなく、戦前、戦中の教育を受けていましたし、会社のお蔭で家族が食べていけるという価値観でした。サラリーマンが会社に勤めていながらお金を儲けるなんてことは考えられない時代でした。
 勿論、今の時代は色々あっていいし、若い人に科学に対する興味を持って貰いたいと思います。将来を担うのは彼らです。それには「科学者になるとこんな素晴らしいことがある」という夢がないと、困難にあった時に辞めてしまいます。またやり遂げるためには、使命感とか、国というものに対する意識、愛国心のようなものも大切です。これは研究にとっても重要なことで、結局、あらゆるものは国単位で動いているのですから…。
 ところで、日本の研究は、ある意味で過渡期にあります。今、医療だけでなく色々な分野で産業のイノベーションに大学が導入されてきていますが、まだ定着しておらず、軌道に乗るには時間がかかります。もともと産業界はあまり日本の大学を評価しておらず、米国からもって来ればいい…そんな意識もありましたが、今、そんな事はいってられません。しかし、今の日本の大学ではまだ期待に応えられないし、産業界も慣習から抜けだせていません。ここで諦めないで、実のあるものに育てていかないといけないと思います。これは非常に大切な事です。
 先日、ペンシルバニア大学から名誉博士号を戴きましたが、この時は劇作家や科学者、上院議員や現職のCIA長官が同時に授与されました注4。日本では、我々のような科学者が現役の大臣や長官と一緒にこうした場に並んで出席する機会はあまりありません。米国の大学には、それだけの重みがあるということです。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

 

〜完〜

 

インタビュー後記

 「産業のイノベーションに大学を導入していく」上で必要となるものの一つが大学の資金力です。ペンシルバニア大学は66億ドルの基金を擁し、大学予算の10%近くをその運用益で賄っています。またハーバード大学基金は320億ドルで、20年間の平均年利回りは12.9%です注5。例えば、この基金を運用するハーバード・マネジメント・カンパニーのCEO を務めたモハメド・エラリアン氏は同社を辞し、1兆ドルを運用する世界最大の債券運用会社ピムコのCEOに就任しました注6。このような人物を擁して巨額の資金を運用(だからこそ莫大な資金も集まる)、潤沢な資金で研究開発・人材獲得・育成を支える米国の大学と、我が国の大学は競争しています。戦略性と積極性を持って前に進む、まさに「ここで諦めないで、実のあるものに育てていかないといけない」でしょう。

  
 

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。クライシス・マネジメントとメディアに特化したアドバイザリー事業を展開

 
 

脚注  
   
注1

http://ja.wikipedia.org/wiki/スタチン (最終検索2012年8月1日)
  

注2

http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1985/(最終検索2012年8月1日)
 

注3

http://blogs.wsj.com/health/2008/09/29/japanese-statin-discoverer-gets-his-due-with-lasker-award/(最終検索2012年8月1日)
 

注4

http://www.upenn.edu/commencement/event/honbio.html(最終検索2012年8月1日)
http://endoakira.jp/news2012.shtml(最終検索2012年8月1日)
 

注5

http://www.hmc.harvard.edu/investment-management/performance-history.html  (最終検索2012年8月1日)
 

注6

http://japan.pimco.com/JP/Experts/Pages/MohamedEl-Erian.aspx(最終検索2012年8月1日)
 

 


右脳インタビュー

 

 

 

chizai-tank.com

  © 2006 知財問屋 片岡秀太郎商店

更新日:2012/10/30