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第84回  『 右脳インタビュー 』  (2012/11/1)

浜 矩子さん
同志社大学大学院 教授・ビジネス研究科長

  

1952年 東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所所長兼駐在エコノミスト、三菱総合研究所主席研究員・経済調査部長を経て、同志社大学大学院ビジネス研究科長に就任。また政府の金融審議会、国税審議会、産業構造審議会の委員などを務める。

主な著書
【誰も書かなかった 世界経済の真実 地球経済は再び斬り刻まれる】 アスコム 2012年
【中国経済 あやうい本質】 (集英社新書)  集英社 (2012/3/16)
【財政恐慌 ついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した】 徳間書店 2012年
【「通貨」を知れば世界が読める】 (PHPビジネス新書)  PHP研究所  2011年
 

 
片岡:

 今月のインタビューは浜矩子さんです。まずは先日、東京で開催されたIMF(International Monetary Fund、国際通貨基金)注1・世銀(World Bank、世界銀行)注2の総会ついてお伺いしたいと思います。
 

 今回の総会も、相も変わらず「財政再建は成長に配慮しながら」というメッセージが出て、「またこれですか?」という感じです。結局、節度と成長の何れをとるか、まともな答えを出さず、総じていえばどちらかというと成長をとるべきだろう…と、実に敗北主義的、安直な成長主義で、中央銀行が国債買取専門機関となることを容認したかのようです。では、なぜIMF総会がシャープなメッセージを出せないかというと、IMFの存在自体、時代錯誤性が強いからです。IMFにはもともとパックスアメリカーナの通貨側面の担い手という面がありますが注3、そのパックスアメリカーナそのものが去りて久しく、守るべきものがなくなったにもかかわらず、存続していること自体が展開力、発想力を制約しています。
 

片岡:

 中国の周小川中銀総裁、そして謝旭人財政相のIMF総会の欠席は、尖閣問題だけでなく、そうしたバランスの変化も関係しているのでしょうか。
 

 やはり尖閣問題が主だと思いますが、それを凌駕する希求性、重みをこの会議が持っていれば参加したはずです。つまり、それだけIMFのグローバル時代における位置づけが判り難くなっているということです。例えば、領土問題、このものすごく古臭い問題が21世紀のグローバル時代に亡霊のように復活してくるのをどうすれば通貨金融経済という観点から回避することが出来るのか。グローバル時代における通貨金融協調とはどういうものであるべきかというように、ぐっと焦点を定めたアジェンダが設定され、皆で知恵を出すという会合になればトーンが違っていたはずです。
 1964年にIMF総会を日本で開催してから、半世紀たち、日本は世界最大の債権国となりました。そして日本が長期間金融緩和を続けた結果、その過剰なマネーが世界を巡り、今回の経済危機の一因となるなど、日本は世界的な資金需給の状況を変えることができる位置付けにいます。そういう意味で大変責任が重く、それを自覚した権威をもって、アジェンダをセットして議論をリードする…これが議長国としての日本の役割でした。しかし、今回の総会は、東京でやっていることを忘れてしまうようでした。
 

片岡:

 本当に残念なことです。さて、次にグローバル時代の特徴などをお聞きしたいと思います。
 

 本来、グローバル時代は協調、協議、支え合い、分かち合い、助け合いの時代になっていかないといけません。しかし、我が身可愛さで、あまりに国益を前面に出して防御的、攻撃的過ぎる姿勢をとると、対峙、対立の構図となり、反って国益を損ないます。ヒト、モノ、カネが国境を越える時代においては、「国益」という言葉の意味も大きく変わってきたと捉えるべきです。例えば、どの国もグローバル・サプライチェーン等に組み込まれ、嘗ては「外」だったものが、何時の間にか「内」になり、「内」だったものはどんどん「外」にこぼれ出していく…。そういう中で、「福は内、鬼は外」の発想では皆不幸になります。こうした時代をどう生きるのかというテーマがシビアな問題として目の前に迫っています。
 

片岡:

 国と国との関係が対立の構図になると、外国にいる邦人、工場、市場…といったものが、ある意味で人質的に強かに利用されます。
 

 お互い様のところもありますが、しかし、そもそも人質的に利用するという発想自体がグローバル時代には相応しくないものです。その一方、こういう時代だからそのように利用されかねないのも事実で、政策責任者たちがだんだんバリアを高くすると、後ろ向きの世の中になっていきます。そうならないようにG20やIMF、WTO、G8等で、折に触れてお互いの問題意識をすり合わせ、知恵を出し合っていくと、各国のメンタリティーが動き、前向きな方向性も出てくるでしょう。今は、誰も一人では生きていけません、その力学をうまく活用していくことが必要です。そして、こうした問題は、結局、グローバル時代において国民国家というものが、どう身を処すべきかというテーマに集約します。ヒト、モノ、カネは容易に国境を超えるが、国家は国境を越えられません。国境なき時代なのに国民国家は国境を守ろうとして…。
 

片岡:

 結局、弱者は国境の内側に取り残され、特にグローバル企業と国民国家とのバランスが難しくなってきていますね。
 

 非常に厄介な問題で、法人としての形式的な地籍はあっても、それは体裁に過ぎません。企業は国境を超えるけども、人はそれと同じ広がりとペースでは国境を越えられません。国民国家の内側には国境を超えられないものだけが残り、それを支える負担は従来に比べて一段と大きくなり、どこも財政が厳しくなって屋台骨が揺らぐ…。ですから企業も社会的責任の意味や中身をもっと真剣に考えることが必要です。環境にフレンドリー、ソーシャルビジネス等を支援している、或いはそういう経営を実施していますというだけではなく、自分たちの経営の根幹にかかわる立地の問題等を考えるときにも、その功罪を幅広く考えるということが、企業にも求められる時代になってきているのかもしれません。結局企業も自分たちがモノやサービスを提供する市場が劣化して萎む、或は経済的吸収能力を失うとなれば、それは自滅へと繋がります。そうしたことを意識した経営の視野が求められるようになってきているのではないでしょうか。
 また、グローバル時代は、スケールの次元が変わり、従来型の経済力学の損益分岐点を大きく超えた世界に踏み込んでいるように感じています。今迄のやり方では財政は民間経済に対するレスキュー隊の役割を果たせず、破綻してしまいます。中央銀行もまた然り、従来型の金融政策を行うと、それは自国内においては効力を発揮せず、どこか他のところで予想外の結果を齎してしまう。例えば、日本で経済の活性化のために金融を著しく緩和した結果、反ってマネーは海外へ出て行ってしまった…。すなわち、金融緩和効果を国内で出そうと思ったら、金融を引き締めないといけないという異様な結論が出てきます。逆にバブル化している国がバブルを退治しようと思って金融を引き締めると、高くなった金利を目指して世界中から怒涛のごとくマネーが押し寄せてくる…。だからバブル化した国がバブル退治をしようと思ったら、金融を引き締めるのではなく、金融を緩和しなくていけないという驚くべき逆転現象が生じます。本当に目が回るような話ですが、こうしたことを踏まえて政策協調等も考えていくべきです。
 

片岡:

 具体的は、どうしたら宜しいのでしょうか?
 

 それが難しい…。少し乱暴な議論ですが、例えば、日本は脱デフレに挑んでいる間、期間限定で金融鎖国をして資本の流出入を規制して短期間に脱デフレを成し遂げるといったことを打ち出すような事を考えてもいいと思います。統制を奨励するようなことになるのは非常によくないのですが、各国の理解を得た中で、こういうことを期間限定ででも行わない限り、政策の漏れというのがどうにもならない時代に来ている感じがします。
 

片岡:

 為替は激しい綱引きとなるでしょうね。
 

 物凄く難しい問題です。外為規制が果たして実行可能なのかどうか…。過去において資本流出入規制を国が行うことは実際にありましたので、その経験を踏まえながら考えていくしかありません。通貨引き下げ競争にならないような、今までとは違う知恵が出てくれば、こういうことが当たり前となる時代が来るかもしれません。
 

片岡

 日本政府は膨大な負債を抱え、その殆どを日本の国民、機関が保有していますが、これについては如何お考えですか。
 

 それは経済の実体が非常にグローバル化しているのに対して制度、政治、行政が立ち遅れているからであり、後ろ向きの強み、敗北主義的、じり貧の構図で籠城のようなものです。ですから日本人しか国債を持っていないから大丈夫だというのは、論理が転倒していて、本当は大丈夫ではありません。日本人だって機関投資家は、これ以上格付けが下がったら自動的に売らざるをえなくなります。売らないというのが仮に本当であるとすれば、そのこと自体が日本の財政の硬直性の改善を阻み、猛烈なるモラルハザードが行われているという事を示します。これは戦後の復興開発のために設計された経済モデルを延々と変えずにやってきたことが一因で、さすがに財政投融資を通じた国債の買取はなくなってきましたが、郵貯を通じて国債にお金が回っていくという構図はまだ払拭されていません。
 

片岡

 もしも米の二大格付会社が日本の国債の格付けを引き下げたら…。
 

浜:

 日本国政府は吹っ飛ぶでしょう。国債を保有している機関は、そうなることを恐れ、またそれが現実的であるから皆売れない…。でも一回そうした方がいいのかもしれない。そして、その時に金融機関はどの程度までの債権放棄を甘んじて受けなければならないかということも真剣に議論した方がいいのではないでしょうか?  日本政府の弁済能力は、いきなり埋蔵金が出てきたり…、はっきり見えませんので一概に言えませんが、大雑把にいってGDPの200%もある借金は半分くらいにならないと話にならないでしょう。
 ここまで借金が膨んだのは日本人が買ってきたからです。他に買うものがなかったという面もありますが、買わせてきた、或いは外国人に買い難くしてきたという面もあると思います。例えば外人投資家が非常に使いにくいマーケットの状態を温存し、通商の世界でいう非関税障壁のようなものを設け、その改善を意図的、政策的に遅らせたとみられても仕方ない面もあります。
 嘗てのロンドンの証券取引所も同じように障壁がありましたが、ビックバンでそれを取り外しました。その結果、金融市場としてのCITYは栄えましたが、そこで活動している金融機関は殆ど非イギリス系金融機関となり、中小金融機関、特に地域をベースにした金融機関がなくなり、地場金融に大きなダメージが生じ、個人のちょっとした富裕層のお金の運用の行き場もなくなりました。規制や、裁量による隠れた規制等を全部やめると、こうした問題が出てきます。日本の場合、地場金融や中小企業金融への影響は経済の基盤への深刻なダメージとなりますので、そこは勘案しないといけないと思います。
 

片岡:

 さて、冒頭でパックスアメリカーナの終焉をご指摘されておりましたが、今、アメリカと中国の現状をそれぞれどのようにご覧になっているのでしょうか。
 

浜:

 アメリカは、借金で経済規模を無理やり大きくしています。そうしたことがなぜ可能かというと、ドルが過大評価され、アメリカにマネーが集まっているからです。今後は、この過大評価が解消されて、今の半分くらいの持続可能な経済規模になっていくことが求められていると思います。そういうドングリの背比べの時代になってくる中で、無理なく回せる経済規模に着地しないと、いつまでたっても不安定で巨大な借金を垂れ流す状態が続き、それは大きな債権国が出てくるという不均衡の構図を生じさせます。
 一方、中国は、これまでは威勢のいい天才子役でしたが、これからは如何に大人になるかがテーマです。今までは世界が中国を工場にしてくれて、その中で突っ走り、それが生み出す猛烈な成長力に頼ってきました。今後は、それだけでは経済を回せない状態になってきており、更に分配や協調も加えた三本足の中国にならないといけません。
 

片岡:

 格差問題については如何ですか。そのこと自身が競争力の源泉を担っている面がありますね。
 

浜:

 今までの論理では、豊かな人が増えるほど経済社会全体も豊かになります。しかし、今の中国は、成長を続けつつ、格差を解消するには内在矛盾があります。輸出と投資ばかりに依存しない成長の構図が欲しい、そのためにはGDPに占める個人消費の割合が高くしていかなければならない、しかし人々がある程度豊かになると、それはとりもなおさず、今迄の成長パターンが維持できないということを意味します。発想をうまく切り替えることが必要ですが、労働者の賃上げ、人権上の要求に対してそれを抱きとめるような思い切ったスタンスの変化はまだ出来ておらず、覚悟を決めてかからなくてなりません。
 その解決は大変難しく、今の形のままで何時まで行けるかも疑問です。本当は中国の今の形は全然効率が良くないのかもしれませんし、また内なる民族圧迫問題があり、そうしたものを抱えたまま一党独裁が続けられるとは到底思えません。政治は一つで、経済は多数というような状態は、相当程度限界にきており、10年持つかなという感じだと思います。また人民元という通貨はいつまで存続できるのか…。例えば、上海や香港の地域通貨が出てきても可笑しくありません。中国は単一通貨圏であるための条件が、ユーロと比べても比較にならないほど整っていません。域内経済格差は著しく大きく、それを埋めるための仕組みもできていません。中国は驚異的に不可能なことを強権的に成し得ていて、一定の資本・為替管理のもとにおかれている通貨だからこそできることで、金融や為替政策がオープンになってくると人民元は単一通貨圏ではありえません。また政治的な強権が通用しなくなれば、殆ど自動的に、抗い難い経済合理性に従って多通貨圏になるでしょう。日本のような国の場合は色々な地域が個別通貨を持ってもコンセンサスとして一国のままであり続けることが出来ますが、中国の場合、それは無理だと思います。なかなかドラスティックな展望が見えてきます。しかし、その方が自然で、今の中国はグローバル化時代と相性が悪く、どこを見ても現状を維持することも難しくなっています。今後はグローバル時代の環境にうまく適合したものが安定と発展の可能性を手に入れます。
 

片岡:

 どこがそれを手に入れるのでしょうか。
 

浜:

 まだどこも出来ていませんが、私は日本には、その可能性があると思っています。膨大な債権国であり、基礎的なインフラの整備度が高く、激変に耐えうる足腰があります。それこそ一国多通貨体制等、中央集権的な構図が揺らいでいくことに対しても耐性があります。だけど日本人はそうした自覚がなく、閉塞感に浸りきってしまっています。そうなると、考えることも辞めてしまい、せっかく持っている力も宝の持ち腐れです。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

 

〜完〜

 

インタビュー後記

 浜さんのいう「協調、助け合い…」は、後ろ向き、敗北主義ではなく、 自ら各国の理解を作り上げて脱デフレのために一時的な金融鎖国を実施するというように、戦略的な決断のもとに成し遂げられます。 マキアヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469 - 1527)の言葉に「他者を強くする者は自滅する」「弱体な国家は優柔不断であり、決断に手間取ることは常に有害である」と、そして「中程の勝利で満足する者は勝者であり続け、圧勝しか考えない者はしばしば落し穴にはまる」とあります。

  

聞き手

片岡 秀太郎

1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。クライシス・マネジメントとメディアに特化したアドバイザリー事業を展開

 
 

脚注  
   
注1

http://www.imf.org/(最終検索2012年11月1日)
  

注2

http://www.worldbank.org/ (最終検索2012年11月1日)
 

注3

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョセフ・E・スティグリッツ#IMF.E6.89.B9.E5.88.A4 (IMF批判の項目を参照、最終検索2012年11月1日)
  

   
   
   
   
 


右脳インタビュー

 

 

 

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更新日:2012/12/18