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第91回  『 右脳インタビュー 』  (2013/6/1)


望月 浩一郎さん
 
弁護士 虎ノ門協同法律事務所 

  

1956年、山梨県生まれ。京都大学法学部卒業、1984年 弁護士登録
日本体育協会 ジュニアスポーツ法律アドバイザー
日本オリンピック委員会第三者特別調査委員会委員
日本高等学校野球連盟 高校野球特待生問題有識者会議委員
日本スポーツ法学会 理事(前副会長・元事務局長)、日本相撲協会:(野球賭博問題等)特別調査委員会委員/ガバナンスの整備に関する独立委員会アドバイザー/(八百長問題)特別調査委員会委員
等を歴任。
専門分野 : スポーツ関係、医療事故、過労死・労災職業病事件

著  書 :
「スポーツ法学入門」 共著、体育施設出版 1995年 
「スポーツの法律相談」 共著、青林書院 2000年
「スポーツのリスクマネジメント」(共著、ぎょうせい 2009年
その他、論文多数。
 

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは弁護士の望月浩一郎さんです。本日はスポーツ問題についてお伺いしていきたいと思います。
 

望月

 過労死や労災職業病等の問題を取り扱っている弁護士事務所にいた時に、労災で背中の骨を折った患者さんの相談で、埼玉のリハビリテーション病院に行きました。その患者さんから「この病院の患者には富豪と平民と貧民がいます。貧民の患者さんの相談にものってください」と言われたのです。言われた時には、私は、意味がわからなかったのですが、「平民」は交通事故でけがをした人、ある程度の補償がある。「富豪」は仕事中にけがをした人。労災補償が受けられ、重傷の人は年金となるので補償が手厚い。「貧民」はスポーツでけがをした人。自己責任と言われて補償はわずか。中学生・高校生で頸髄損傷による四肢麻痺になったりすると本人はもちろん、家族も本当に大変でかわいそう。「だから、先生、面倒見てあげてよ」と言われたのが、スポーツ事故に取り組むきっかけでした。その後、アンチドーピング関係では我那覇和樹選手の代理人を務めたり、スポーツでの暴力問題、大相撲の八百長問題、そしてスポーツ団体のお金の不適切な管理の問題・ガバナンス問題などにも関わってきました。
 

片岡:

 まず、我那覇選手の事件注1について経緯をお話下さい。
 

望月

 我那覇選手が当時在籍していた川崎フロンターレはフォワードの層が厚くて、彼はレギュラーに入れるか、入れないかという厳しいところにありました。彼は風邪をひいて投薬を受けていたのですが、2007年4月21日の浦和レッズ戦に出場。得点を挙げました。しかし、その後は風邪がぶり返して、2日間は絶食状態だったのですが、レギュラー争いの中で練習を休むわけにはいかないと言うことで、23日の練習にも体調不良の中参加しました。彼は、練習中にも満足に水を飲めないまま練習に参加したので、練習後は、脱水症状で全身倦怠感を訴えてクラブハウス内の選手を対象としたクリニックで診察を受けました。体温は38.5度。水を飲むこともできませんでした。チームドクターの後藤秀隆医師は、我那覇選手の脱水症状に対して水分補給が必要だと診断し、点滴を開始しました。薬品庫には100mlの生理食塩水しかありませんでした。2本目の点滴には、我那覇選手が満足に食事もとれていないことを考慮して、ビタミンB1を加えました。
 それをメディアが「ニンニク注射」と報じました。「ニンニク注射」はあるJリーグのチームドクターが疲労回復のために、ビタミンB1や様々な栄養素を加えた注射(点滴ではない)を実施していて、Jリーグはこれを好ましくないとして制限しているところでした。後藤医師は我那覇選手に対して、脱水治療という医療上必要な行為を行ったもので、医療上の必要性がない疲労回復目的で点滴したものではありませんでした。しかし、Jリーグドーピングコントロール委員会は、新聞報道を見て「あのニンニク注射を打った」と思い込み、きちんと調査をすることもなく我那覇選手と川崎フロンターレを処分してしまいました。この時の手続は、診療録さえ検討しないというもので、私たち法律家から見ると大変問題があるものでした。国際的なドーピング規定である2007年WADA(世界ドーピング防止機構)規程禁止リストM2.2は「正当な医療行為としての点滴」を許されるとしており、JADA (日本・アンチドーピング機構)及びWADAは、「正当な医療行為としての点滴」は「現場で処方する医師の判断に委ねられます」と回答しています。医師の判断を尊重しなければ、患者であるスポーツ選手が緊急時に必要な治療を受けられない事態が生じてしまいます。Jリーグは「ニンニク注射」というスポーツ新聞の見出しで、後藤医師の処方を「ニンニク注射」だと思い込んで処分してしまったのでした。
 その後、Jリーグ全チームのチームドクターが、Jリーグの判断は間違っているといって連名で抗議文を出します。JADAも遠藤利明文部科学副大臣(WADA常任理事)も後藤医師の治療行為はドーピングでないと言明したのですが、Jリーグは自ら誤った判断を是正することはありませんでした。その後、文部科学省がJリーグに、早期に解決するように指導し、JリーグはCAS(Court of Arbitration for Sport, スポーツ仲裁裁判所)での仲裁なら応じると回答しました。CASの仲裁は、原則ローザンヌ(スイス)で英語かフランス語での審理となりますので、一個人では費用負担が大変です。当時のJリーグにしてみれば、仲裁に応じるにしてもそれがCASだと言えば、一選手である我那覇選手がその費用負担はできないし、しかも6試合の出場停止は既に終了してしまっていたし、今更CASの仲裁を申し立てるというとは思っていなかったようです。私と伊東弁護士がJリーグにCASへの仲裁を申し立てると挨拶に行った時には、Jリーグは大パニックでした。
 当時、競泳の千葉すず選手の教訓注2でJSAA(Japan Sports Arbitration Agency, 日本スポーツ仲裁機構)注3ができていました。我那覇選手はJリーグに対して、費用負担の軽減を求めて、JSAAでの審理を再度求めたのですが、Jリーグはこれを拒絶しました。またCASの審理では仲裁地と言語が選べますので、我那覇選手は、仲裁地は日本、言語も日本語で行うことを提案しました。Jリーグは、日本で審理するところまでは譲ってくれましたが、日本語での審理は拒絶しました。Jリーグは我那覇選手を、JSAAで審理すれば不要な翻訳費用・通訳費用の負担という「武器」で最後まで攻めたのです。
 我那覇選手の事件には光と影があって、光の部分は我那覇選手が立ち上がって、救済されたこと。実費だけでも2000万円を超える費用がかかった。それは影になっています。JSAAでの審理でしたら、CASの審理の数パーセントの費用で、もっと迅速に解決できたはずですが…。
 

片岡:

 画期的な勝利で大きな一歩となりましたが、個人が協会と闘う難しさを浮き彫りにしました。CASでは、まだこうした問題の歯止めになり難い…。
 

望月

 我那覇選手は「3歳になる子どもがサッカー選手になりたいと言い出した。サッカーを裏切るようなことはしていない。わが子にもサポーターにも胸をはってサッカーを続けたい」と言いました。スポーツマンとしての誇りをかけた闘いでした。
 さて、JリーグはまだJSAAでの仲裁の自動受諾条項の導入に応じておりませんが、全柔連は今回の不祥事が続いたことでようやくJSAAでの仲裁の自動受諾条項を導入しました。JSAAでの仲裁を拒絶し続けているもう一つの大きな競技団体が日本陸上競技連盟です。陸連の代表選考では、マラソンが問題となる可能性が高く、これは日本代表選手選考を3つの大会で行っていることに起因します。世界の常識からすれば考えられないことで、米国だったら、一つの大会で選考しないなどという方法をとればすぐ裁判になると思います。日本で選考大会を三つにしているのはスポンサーとTVの放映権の関係で、お金優先で選手にしわ寄せをしていて、スポーツ仲裁の自動受諾条項を入れると、選手から代表選考をめぐって訴えられることを恐れているのだと思います。その点、日本水泳連盟は千葉すず選手の事件の教訓で工夫を重ねてきていて、まだまだ改善の余地はありますが、他の競技団体に比べると改善していこうという意識が高く、努力をしています。一発勝負、どんなに前評判が高くても選考会で不振だったら代表に選考されないのは当然、調整の失敗だとみられるのが当たり前です。2007年全日本選抜柔道体重別選手権大会で谷亮子選手を破りながら、実績を重視するとした全柔連の意向で北京オリンピックの挑戦に不可欠だった世界柔道選手権大会へ出場できなかった福見友子選手注4のようなことはありません。その柔道も今度、ポイント制にしました。今までは強化委員会の裁量が大きく、よくわからない決め方もあった。今後は透明性を高くするということは前進です。女子柔道強化選手による暴力告発問題注5で、あの15人が立ち上がったからこそ変わった…、次に福見選手みたいなことが起こったら、JSAAで争われることになるでしょう。今までは上が言うことに反旗を翻すなんて考えなかった人たちが、やっぱり違うといえるようになってきた。徐々にではありますが、意識がだいぶ変わってきています。
 

片岡:

 反旗を翻すと、やはり「外される」ようなこともあるのでしょうか?
 

望月

 今、スポーツ振興センター、JOC(日本オリンピック委員会)、JPC(日本パラリンピック委員会)、日本体育協会で、暴力などを受けた選手の相談・調査機関を作ろうとして議論をしています。一番気にするのは、訴えると「外される」と選手は思っていることです。女子柔道の15人も、「外される」ことを覚悟して告発に踏み切ったのです。それを如何に外させないようにするかというところが知恵の絞りどころです。不利益扱いをしてはいけないというだけではなく、今考えているのは、不利益扱いをした場合には、第三者機関が競技団体に対して勧告をできるとか、公的なところが指摘するような形で、守るようにしないと…。何しろ巧妙に外すということが必ずあるから、そこは一番気を使っています。
 

片岡:

 協会にNOといわれると選手はその世界では生きていけない…。
 

望月

 例えば柔道でオリンピックに出たいと思えば全日本柔道連盟に属さなければいけません。さて、柔道には講道館注6と全柔連の二つの組織があり、講道館は、一種の家元のようなもので、柔道の段位は講道館が出しています。その人が、8段になれるのか、9段になれるのか、それは家元である講道館の判断です。だから全柔連の2013年3月18日の理事会は、講道館名誉館長の嘉納行光氏が「一枚岩でやっていきましょう」と話したことで流れが決まってしまいました。そういう面で競技団体の意思決定機関である理事会が本来の機能を果たしていません。日本相撲協会やJOCの理事会も、理事はその出身母体の利益代表としては機能していますが、出身母体を越えて、本当に競技団体の固有の利益を守っているのかという点は検証が必要です。こうしたアスリートあるいはアスリート出身者を中心に競技団体を運営していくというのは間違ってないと思うのですが、アスリートだけだと、どうしても団体の内側しか見ない、必ず外との接点が必要です。外部の常識や普通の価値判断が反映するためには、アスリートが半分、外部が半分というのがいいのかなと思っています。
 

片岡:

 スポーツ協会には株主もいないし、メジャーな協会になるとTVの放映権、CMなどと巨大な利権を持つ独占企業でもあります。外部の人を入れるところまでは譲歩しても、半数をとなると、そこまでの力はなかなか…。
 

望月

 やはり不祥事が働いたときに、外圧がかかります。日本相撲協会もかつては外部理事がいなかったのですが、時津風部屋力士暴行死事件注7で批判を受けて、11人の内部の理事に加えて、弁護士の村山弘義さん(元東京高等検察庁検事長)と東大名誉教授の伊藤滋さんの二人が理事に、また吉野準さん(元警視総監)が監事に就任しました。彼らがいたから、ぎりぎり日本相撲協会は、野球賭博注8や八百長問題注9でも瓦解しないで乗り越えることができました。私はこの時、日本相撲協会は、食中毒問題等の対処を誤って企業再編に追い込まれた雪印と同じ道をたどってしまうかもしれない、そんな危機感を持っていました。これが国技館のフェンスの内側の人には十分伝わらなかった。世論がこうなのだというのはなく、自分たちの内側の情報しか入ってこないからです。同好会のようなものは自分たちで好きにやればいいのですが、スポーツ団体の多くは色々なところから補助金や助成を受けていますし、National Federationになれば、それは公益を担うだけのガバナンスや会計上の透明性が求められるのは当然のことです。
 

片岡:

 日本相撲協会について構造的な側面から問題点をお聞かせ下さい。
 

望月

 相撲の八百長問題はそれこそ落語や歌舞伎にも出てきます。2010年の八百長問題が起こる前にも、9回も国会に取り上げられたことがあり、12日目くらいになると怪しい取り組みが多いと国会でも指摘されてきました…。しかし、日本相撲協会は、一貫して、八百長は絶対にないと言い切ってきました。八百長問題は、今回の八百長メールで名前が出た11名の力士が考え出したことではなく、もっとずっと前から根深く存在していました。それを、「ない」と言い切ることで、目をつぶってきた歴代の執行部、理事、親方たちの責任が最も重いという指摘をしています。八百長が「あってはならない」というのと「ありえない」は違います。「あってはならない」が、いつの間にか「ありえない」になって、「ありうる」という前提で、どう八百長を許さない取り組みをするかという発想がなくなり、防止策も取れなくなってしまった。そのうち内部では「八百長」に目をつぶるのが常識という世界になり、蔓延して止めようがない。かといって、認めるわけにもいかない…。
 相撲で八百長が起こるのは動機があります。昔は「年十日で暮す、いい男」みたいな話がありましたが、今は年6場所あり、一度怪我をすると怪我が治る前に次の場所がはじまります。怪我をすると番付が下がってしまい馬鹿らしい…。そうなると15番全部真剣に戦うより、11番は6勝5敗くらいで星を読めるようにしておき、残り4番に集中するという方が怪我のリスクが少なく、星も読めます。また給与の面でも、そういう調整をしていく方が得だともいえる体系になっています。もちろん、勝利を重ね、上を目指す人は別ですが…。
 恵那司がやったのは十両の互助会の仲介役でした。特別調査委員会の調査では、証拠はつかめませんでしたが、幕内互助会や大関互助会も、動機の存在という点からは、あってもおかしくありません。また、こうした動機づけに対して、それを止める方の手当てもありませんでした。止める手当というのは、一つは「変なことはだめだよ」というものと、良い取り組みを褒める制度です。褒める方では最近、アンケートで「敢闘精神あふれる力士の投票制度」を始めています。一方、八百長の立証はとても難しいので、仮に八百長だと本人が自白しなくても、どう見てもおかしいというような取り組みに対しては外見的な判断でペナルティーを与えるような制度があっても良いと思います。ただし、日本相撲協会では審判部のメンバーはみんな部屋に属する親方ですので、中立性は担保されていませんので、この点の改善がセットにならないと十分な効果は得られません。
 

片岡:

 内部告発制度については如何でしょうか。
 

望月

 八百長の調査を行うときに、司法取引的な方法も提案したのですが、理事会が絶対反対で出来ませんでした。今後も簡単にはできないでしょう。
 先日、八百長問題で解雇された元幕内蒼国来が、力士としての地位確認などを求めた訴訟で判決が出て日本相撲協会側は敗訴しましたが、すぐに協会は控訴しない方針を決めてしまいました。この判決は調査対象であった恵那司の法廷証言の信用性を認める一方、蒼国来の故意による無気力相撲に全く関与したことはない旨の供述は信用し難いとまで指摘して、蒼国来が故意による無気力相撲を行っていた可能性が高いと判断したものの、処分事由となった取組に関しては、元春日錦が法廷において供述していないことを背景として、疑問点が残るとして、当該取組が故意による無気力相撲であるとまでは認定していないものです。別件の星風に係る東京地裁及び東京高裁判決は、いずれも調査対象者の法廷供述に基づき、星風が処分対象となった取組において故意による無気力相撲を行ったことを認定しています。蒼国来の上記判決では、東京地裁に提出された証拠が不十分であったとされており、その証拠の補充が可能であったものですから、当然控訴すべき事案でした。なぜ、春日錦は裁判所に出頭しなかったのでしょうか? また日本相撲協会が八百長を許さないというスタンスで事実を徹底的に解明していくという姿勢であるならば、どうして控訴をしないという結論をとったのか? 疑問です。この問題の発端は、元々力士による野球賭博問題です。野球賭博は、暴力団が運営しているものであり、仲間内の麻雀で少額のお金を掛けてやるものとは性格が違います。警視庁は、当初、相撲賭博のための八百長ではないか、つまり野球賭博で暴力団に弱みを捕まれた力士が、暴力団の指示で相撲の勝敗をコントロールさせられて、相撲賭博に関与していたのではないかと思い捜査を進めたようです。しかし、八百長は十両を中心とした互助会ということでしかないと言うことで、捜査を打ち切って、八百長メールをメディアにリークしました。ああいうリークの仕方が果たして許せるかという点は、法律上大きな問題です。捜査の過程で得た証拠を全然、違うところで使うことがあってもいいのか。捜査機関がそういうところまでやっていいのか…。
 ところで、今、日本相撲協会は公益法人を目指すと言っていますが、未だ、その申請を行っていません。公益法人の基準を満たすためには、力士の養成を公益目的にするなどしないと…。日本相撲協会では十両以上、わずか70人ぐらいが給料をもらえるプロの力士で、幕下以下は、養成対象のいわば研修生の身分で、若干の手当てが支給される程度です。そして70人のプロの力士以外に、100人以上の親方がいます。年寄は、給与を支払われる財団法人日本相撲協会の従業員であり、同時に評議員であり、その中から理事が選出されるという構造になっています。年寄株(年寄名跡)を持っていないと、日本相撲協会の評議員にも理事にもなれない。新公益法人制度ではこのような制度は、根本的に見なおさなければならないのですが、準備が本当に遅れていいます。
 

片岡:

 その年寄株が売買されていたというのですから…。また野球賭博・八百長問題の唐突な幕切れには問題の根深さを感じます。さて、相撲協会では時津風部屋力士暴行死事件も起きておりまた先日はバスケットボールでも暴力事件注10が起きました。次にスポーツと暴力、体罰の問題についてお聞きしたいと思います。
 

望月

 スポーツにおける暴力とのたたかいは昔から課題であることはわかっていたのですが、暴力をなくす取り組みはなかなか進まなかったのです。スポーツは恩恵として与えられるものではなく、その権利性を認めるとした2011年のスポーツ基本法注11の成立の過程においても日本弁護士連合会や日本スポーツ法学会は、「暴力を許さない」という立場を明記することを求めましたが、残念ながら「スポーツを行う者の心身の健康の保持増進及び安全の確保が図られる」という一文に含まれているということで明記はされませんでした。「スポーツを行う者の心身の健康の保持増進及び安全の確保」は、スポーツ団体の努力義務でもありますので、競技団体として暴力とたたかわないと法律上の義務違反となります。同じように、オーバーユースによる健康障害の予防も取り組まなければなりません。
 1970年代の教育の関係者の研究によると、学校教育に暴力が入ってきたのは昔の軍隊の影響ではないかと指摘されています。日露戦争で日本は勝ったけど、近代戦争を戦うには、様々な弱点も浮かび上がりました注12。例えば、夜、斥候に出すと何もありませんでしたといい加減な報告をするとか、塹壕から撃つ場合に、怖くて何も見ずに撃つので殆ど当たらなかったとか…、「野戦又は上官の監視を受けざる際の行動においては殆ど信用をおくに能わず…」と。要するに、言われたら絶対やると、どんなに理不尽なことでもやるという兵士を作らなければいけないという教訓を引き出しました。そうなると普段から理由を考えずにただ従わなくてはいけないという教育が求められました。初年兵教育や私的制裁もこの命令と服従の精神を身につけるのに役に立つとして推奨されたのです。
 さて、スポーツの世界では「水を飲むな」と「暴力」と「兎跳び」がセットになっていました。「水を飲むな」は1932年、1933年の陸軍戸山学校の研究がもとになっています。もちろん、軍隊では、そういうことが必要な場合もあるでしょう。しかし、それが「一滴とも水を飲むと、決心が鈍る」と精神訓と結びついて、軍事教練等の関係で学校に入り、また戦地から帰ってきた人たちが教員になって、これを持ち込んだのではないかと考えられています。この「水を飲むな」は、日本体育協会が大塚製薬(ポカリスエット)の協力を得て、しっかりした取り組みをして相当の成果を上げることができたのですが、暴力の根絶はまだまだです。
 これまで勝利至上主義がいけない、競技主義志向があるから暴力や体罰が起こるといわれてきました。しかし、よく考えると、これは、逆に暴力を振るえば強くなれる、暴力容認派と同じ土俵に立っている立場です。
 日本にはコーチ・指導者の協会がなく、コーチ・指導者が相互に、研鑽して自分たちの指導技術を高めていく仕組みがないことが暴力に頼る指導が改善しない原因の一つです。スポーツ医学もスポーツ心理学も進化しているのですが、コーチングだけは旧態然としていて経験と根性だけでやっている方が多く、自分がやってきたやり方だけを踏襲して他の人の指導の仕方との共有が少ない。外国では競技団体とは別にこうしたコーチ・指導者の協会があり、うまく機能しています。例えば水泳のコーチには、日本では自分のスキルを高めるためのトレーニングをする場がないから米国の協会に勉強に行く人もいます。また高校野球では指導者向けに甲子園塾というものを2008年からやっています。これは2005年に、当時2連覇した駒大苫小牧高の指導者が暴力を振るっていたというので、通知を出して、それ以来暴力問題に取り組んでいます。ただ実際は指導者による暴力だけでなく、部員間の暴力もその7倍くらいあります。なぜ多いのか? 日本高等学校野球連盟は、暴力はダメだというのをずっといっているのですが、実は小学校、中学校の間にリトル、ボーイズなどの野球活動の中で、十分に暴力を身に付けている。常に、高校に新たに暴力を身につけた選手が加わって来るものだから、高校野球で暴力を根絶するたたかいは、苦戦を強いられています。高校に来るまでの時代の暴力とのたたかいは殆ど取り組まれていませんから…。 
 さて、大阪市立桜宮高校のバスケット部の顧問は「赴任当時素行の悪い生徒が部に数名おりましたので、最初は説明してやっていたんですが、手を挙げることによって指導して、落ち着いたということもありました。」という誤った成功体験から暴力に頼る指導になってしまった。周囲も暴力を知りながら誰も止めなかった。大阪のバスケットボール協会も桜宮高校の暴力の存在を知っていながら止めなかった。教育委員会も悪い。生徒が亡くなる1年くらい前に公益通報で、桜宮高校バスケットボール部では体罰があるという通知が来た。教育委員会を通じて調べたら、学校長が15分くらい顧問に話を聞いて、「問題がない」との回答を得たことで、調査を打ち切ってしまっています。こうしたことは日本高校野球連盟だったらありえません。ちゃんとした報告が上がらなければ、再調査、再調査となりますし、報告が遅れると、例えば暴力に対する処分が、1カ月の謹慎であっても、報告が半年間遅れたことによる処分が謹慎3カ月になります。このように、隠蔽行為自体に厳しい対応をしているからこそ、他の競技に比べると隠蔽が多くありません。日本高等学校野球連盟は、このように暴力に対して毅然とした対応をしてきていますが、それでも暴力の根絶には至っていません。

 

片岡:

 選手間の暴力については如何でしょうか。
 

望月

 指導者が選手間の暴力を知っていて、それを容認したというような場合ですと指導者も責任を問われることがあります。PL学園野球部のように、何回も寮で暴力問題があると、対外試合を禁止するような処分もとられました。
 

片岡:

 つまり被害者や事件に関係のない部員も処罰の対象になっている…。
 

望月

 それは確かにおかしいことです。日本高等学校野球連盟は、対外試合禁止の処分は過去に比べると相当絞り込んでいるのですが、部員間の暴力事件で、被害生徒も対外試合ができないという結果となっているケースは皆無にはなっていません。私は法律家としては、もっときめ細かい処分-加害者だけを試合に出さない方がいいと言い続けているのですが、現場の先生は「お前が悪いことをすると、お前が試合できないだけではなく、他の部員にも迷惑掛かる」そういう指導をしていて、「それ(対外試合禁止の処分)を止めると指導ができません」と反対する教師が多くいます。私は、法律家としての立場と現場の声は尊重しなければならないという立場との葛藤です。教育的…といいますが、本来、学校も加害生徒に対して指導・懲戒をするわけですから、日本高等学校野球連盟が生徒個人に対する処分を躊躇することもないはずなのですが…。そもそも、「お前が悪いことをすると、お前が試合できないだけではなく、他の部員にも迷惑が掛かる」という形で、学校の運動部活動を使うのは本当に教育的なのかとも思っています。対外試合禁止の処分のあり方については、外部の法律家が疑問を投げかけ、現場の教師が擁護しているという図式が続いています。サッカーも相撲も柔道も学校も、競技団体の内側の常識と外側の常識が結構違うわけです。そもそも学校教育の中にスポーツを運動部活動という形で組み込むこと自体についても様々な意見があります。ドイツのように子どもたちのスポーツを地域で支えるという方法ですと、子どもたちも同じ野球でもクラブを選ぶことができるようになります。そういうことを含めて考えていくことが必要です。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

 〜完〜 


インタビュー後記

 インタビューでは我那覇選手の在籍していた川崎フロンターレについて触れませんでしたが、象徴的な記事、出来事をご紹介します。
 まず2007年11月7日のプレスリリース「ドーピング問題および仲裁申し立てに関する見解」です。「現段階において当該静脈注射を打った行為が合理的な医療行為ではなかったという判断が出される可能性を否定できない以上、クラブとしましては我那覇選手を守るためにこれ以上争うことは妥当でないと判断し、最終的にJリーグの処分に従うという結論に達しました。つまり、仲裁申し立てをなした結果、最終的に静脈注射が合理的な医療行為でないと判断された場合、国際サッカー連盟(FIFA)、世界アンチドーピング機構(WADA)等から我那覇選手に対し、独自の追加処分(出場停止1〜2年)が下される可能性を否定することはできません」とあります。
 また後藤医師は、川崎フロンターレの意向に反してJSAAへの仲裁を申し立てたため、最終的に川崎フロンターレチームドクターの地位を失ったそうです。
 更に、川崎フロンターレは事件発生当時、Jリーグへ制裁金として1000万円を支払いました。その後、CASの裁定でドーピングが否定されたにも関わらず、その制裁金の返還は結局実現していません。
 望月さんによると「CASは、申立人が仲裁申し立てをしたことによって、申立人に対してより不利な仲裁判断がなされる仕組みにはなっていません。このプレスリリースは、川崎フロンターレの誤解によるものか、意図的に行ったものなのか、或はJリーグ側からの圧力に従ったのか、判断は難しいところです。しかし、その後、CASの仲裁判断が出た後も川崎フロンターレはJリーグに対して、制裁金の返還も求めなかったことなども考えると、Jリーグに対して必要な主張をすることができない体質を感じます」とのことでした。
 

聞き手

片岡 秀太郎

 1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。クライシス・マネジメントとメディアに特化したアドバイザリー事業を展開



脚注  
   
注1

http://sportsassist.main.jp/documents7/7-3.supporterreport2008.6.3.pdf

以下、Jリーグのプレス発表
川崎フロンターレおよび我那覇和樹選手に対する制裁の件(2007/5/8)
http://www.j-league.or.jp/search/?c=00001701&type=news&s_keyword=%89%E4%93%DF%94e
スポーツ仲裁裁判所(CAS)への返答について (2008/1/23)
http://www.j-league.or.jp/search/?c=00002193&type=news&s_keyword=%89%E4%93%DF%94e
スポーツ仲裁裁判所(CAS)裁定結果について (2008/5/28)
http://www.j-league.or.jp/search/?c=00002409&type=news&s_keyword=%89%E4%93%DF%94e
我那覇和樹選手(川崎F)の2007 Jリーグ ディビジョン1の出場停止処分の記録削除について (2008年/5/30)
http://www.j-league.or.jp/search/?c=00002414&type=news&s_keyword=%89%E4%93%DF%94e

以下、川崎フロンターレのプレス発表

我那覇和樹選手の報道について (2007/4/28)
http://www.frontale.co.jp/info/2007/0428_3.html
川崎フロンターレおよび我那覇和樹選手に対する制裁の件について (2007/5/8)
http://www.frontale.co.jp/info/2007/0508_5.html
ドーピング問題および仲裁申し立てに関する見解 (2007/11/7)
http://www.frontale.co.jp/info/2007/1107_6.html
我那覇和樹選手「仲裁申し立ての結果」について (2008/5/27)
http://www.frontale.co.jp/info/2008/0527_4.html
  

注2

http://ja.wikipedia.org/wiki/千葉すず
 

注3

http://www.jsaa.jp/
  

注4

http://ja.wikipedia.org/wiki/福見友子
  

注5

http://ja.wikipedia.org/wiki/女子柔道強化選手による暴力告発問題
  

注6

http://ja.wikipedia.org/wiki/講道館
  

注7

http://ja.wikipedia.org/wiki/時津風部屋力士暴行死事件
  

注8

http://ja.wikipedia.org/wiki/大相撲野球賭博問題
  

注9

http://ja.wikipedia.org/wiki/大相撲八百長問題
  

注10

http://mainichi.jp/select/news/20130529k0000m040081000c.html
  

注11

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/sports/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/24/1310250_01.pdf
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/
  

注12

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/318/1/KJ00000687166.pdf
  

   
  (リンクは2013年5月31日現在)
   
   
 


右脳インタビュー

 
 

 

 

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更新日:2013/05/31