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第97回  『 右脳インタビュー 』  (2013/12/1)


森 昌行さん
オフィス北野 代表取締役社長

  

1953年、鳥取市生まれ。青山学院大学卒業後、テレビ制作会社に入社。「アイドルパンチ」「ビートたけしのスポーツ大将」などを担当の後、オフィス北野の設立に取締役制作部長として参画。1992年代表取締役社長に就任。

主な著書
「天才をプロデュース?」新潮社 (2007/05)
 

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは森昌行さんです。森さんはオフィス北野の代表取締役社長であるとともに、プロデューサーとして、世界中から絶賛される北野映画を支えています。まずは映画作りを始めたきっかけなどお伺いしながらインタビューを始めたいと思います。
 

 映画は偶然の産物で、北野武の初監督作品となった「その男、凶暴につき(1989年)」は、元々は深作欣二監督の作品として企画され、たけしさんは主役として加わることが決まっていました。しかしスケジュールや条件の問題で深作監督が降板することになり、もう御破算になるだろうといった時に、たけしさんが『俺だったらこのスケジュールで映画作れるんじゃない』と冗談みたいに言ったら、当時の配給会社はそれで行こうと。この時期、異業種から監督になるのが流行っていたこともあって、ビートたけしが映画を撮ったというイベントで十分ではないか、助監督などに優秀なスタッフをつけて、彼らが実際には回して…、あくまでイベントとして作ればいいと考えたようです。だけど、私にとっては「ビートたけし」の延長線上では新しい挑戦に臨む意味がなく、監督は本名の「北野武」であるべきで、単なるイベントに終わらせてはならない。「ビートたけし」のお笑いとは反対側にシリアスな「北野武」の世界を創り、その振幅が大きければ大きいほど、ビジネスチャンス、芸の幅、見え方、捉えられ方が広がる…それが私の考え方でした。しかし、配給会社は「北野武なんていう名前は誰も知らない」と反対しました。結局、ポスターは全部「ビートたけし」となりましたが、映画のクレジットは「北野武」を通しました。また配給会社は反対しましたが、我々は勝手に2作目を想定して、どんどんプランを立てていきました。結局4作目の「ソナチネ(1993年)」までポスターから「ビートたけし」の名前が外れることはありませんでした。当時、たけしさんは「なぜ北野武なのか?」と聞かれても「ただ何となく」と答えていましたが…。北野武という存在を認知してもらうには長い時間がかかりましたが、今の若い人たちは北野武を知っていても、ツービートを知らない人の方が多いくらいです。
 そうした中、たけしさんのバイク事故(注1)は、こうしたものを大きく揺るがしました。まず銀行取引が非常に難しくなりました。毎月キチンと借入金を返済していたにもかかわらず、ある銀行から担保がないからといきなり全額の返済を求められました。直ちに全額を返済し、その代わりに2度とうちに来て欲しくないと…。そこから無借金経営にかえていき、また資産の売却も進めました。またあの時はTVの出演も難しくなり、更に映画をやろうといった時にも配給会社の多くが手を引きました。ならば自分たちでやろう。映画はテレビのような認可事業ではないのですから…。それに一部の出資者たちやソフトメーカーが北野映画を支持してくれました。それで「キッズ・リターン(1996年)」という映画を作り、また自分らで配給も行いました。その翌年には、「HANA-BI(1997年)」で金獅子賞(ヴェネツィア国際映画祭の最高賞)を受賞、その後の作品ではメジャーでも配給してもらえるようになりました。
 

片岡:

 海外進出を考えるようになったのは?
 

 ロンドンで開かれる映画祭の招待状が来た時、予定していた米国のスケジュールが偶然キャンセルになったので、それではと行ってみると、我々も予想もしなかったような反響があって、北野映画に対する評価を実感できました。そこで初めて海外進出を考えた。一つの映画祭にはメディア、ジャーナリスト等の映画関係者が集まっていて、その人たちが色々な映画祭を回っています。それで一つ一つの映画祭を大切にすると、ネットワークがどんどんできてきました。それが北野作品を金獅子に導いた目に見えない礎となったと思います。
 さて、日本と米国では映画を作る作業自体は、変わらないのですが、それにともなうルールが違う。米国は契約社会、日本の場合は信頼関係だけで、それで酷い目にあうことも多い…。日本はそれなりに歴史があり、また配給会社を中心とする利権団体が自分たちの利益を守ろうとする中で、独特な仕組みが出来ています。このため、例えば米国には契約書のフォーマットがあっても日本にはありません。契約は勿論、製作でも、基本的なやり方が作品、プロジェクトごとに違い、体系化されていない。体系化されていないのですから勉強のしようもありませんし、米国の大学などで体系的に学んできてもそれを役立てることができません。それに日本の映画はアニメなど一部の作品を除くと殆ど輸出しておらず、輸出している場合もほとんど相手任せ、あくまでも権利処理のための契約書であって、一緒につくるときのためのフォーマットではないし、予算の組み方、契約の進め方…と全部違う。考え方が違うのですから…。また文化庁は、日本の著作権の仕組みを自賛しますが、海外の人間とコラボで映画を一緒につくると音楽著作権に関してはあまりに厳しすぎて、外国の方たちは辟易している。結局、日本の輸出している映画がそれだけ少ないということですね。
 

片岡:

 ハリウッドは、ウォール街を向いていて、だからこそ金融や弁護士など、それに見合う仕組みが創られています。
 

 ロサンゼルス、ハリウッドは映画を産業として捉えていて、アートではなくメイクマネーの巨大な装置。それを否定するものではありませんし、娯楽産業としてディズニーランドに象徴される世界観で作られています。
 

片岡:

 日本が得意とするアニメ分野でも、ディズニーは莫大な資金を投じて、レベルをドンドンあげてきました。
 

 入り口として、あの種の映画は絶対必要です。ハリウッド方式が良いと手放しでいうわけではありません。しかし国際競争力等と言いますが、これは単純に作品そのものの力というのではなく、金融や法律関係も含めてバックアップする体制など、そういったものの違いは非常に大きい。例えば日本ではエンタテイメントの分野に精通している国際弁護士は数がまだまだ少ない。結局、日本の映画はローカルコンテンツです。とはいえ、日本はこの人口の多さを背景に、国内で成功すれば、十分利益が確保されます。映画の年間興行収入は2000億円程度、フジ・メディア・ホールディングスの年間売り上げの3分の1に過ぎませんけれど…。確かにジブリの作品が100億円を超える収益を上げる一方で、映画産業そのものは、産業といっている割には、基幹産業としての力も構成もありません。そもそも日本の映画監督で、映画だけで飯が食える人はほとんどいません。外国に行くと「北野武は映画監督なのになぜTVにでるの?」とよく聞かれますが、外国では映画監督は非常にステータスが高く、TVに毎週出なければいけないなんて考えられないからです。その一方で、黒澤明監督は、世界の黒沢と呼ばれながらも、晩年の10年間は国内でお金を出すそうという人はあまりいませんでした。要するに日本国内では採算が合わないということで作らなかった。結局日本では映画監督という職業は道楽という認識からまだ脱していないのではと思います。
 

片岡:

 世界的に日本映画へマネーが向いた時期もありましたね。
 

 日本映画というよりも、誰々の監督作品へ…という言い方が正確なのですが、日本の監督の名前がその中にあった時代がありました。尤も、今は、一部を除いて世界的に映画が低迷しています。世界的な大ヒットはなくなっていますし、他の経済がダメなときに映画だけうまくいくということはありません。例えば、カンヌ映画祭やヴェネツィア国際映画祭に呼ばれていくことがあるのですが、ここ数年のヨーロッパマーケットの冷え込みといったら、崩壊寸前なのではないかと感じます。今の映画産業は量を優先させます。以前はパルム・ドール(、カンヌ国際映画祭の最高賞)を獲った作品にそれなりにお客さんが入った時代もあったのですが、今は買い手がつかない、公開されないなんてこともあります。現在アジア映画は、ヨーロッパでは市場性がなく、殆ど買い手がつきません。「HANA-BI」の頃は、賞を取ると価格が高騰し、海外の売上も無視できないくらいにありました。今は細やかなオプションに過ぎません。私たちの中では、国内でしっかりリクープ(出資金の回収)を果たして、利益を追求していかないと次の映画が作れないという危機感があります。
 

片岡:

 作家性の強い作品は日本でも難しいのでしょうか。
 

 シネマコンプレックスというシステムの中で、作家主義的なものを上映することがなくなってきていて、所謂アートハウス系のミニシアターも崩壊してきています。世界的にこの傾向があり、アメリカですらそうです。今や、シネコン以上にVOD(Video On Demand)が映画鑑賞の主流となっている。
 

片岡:

 自宅で見ることが前提となると、時間にしても、2時間がいいのか…枠組みそのものが変わってきます
 

 人間の意識、映画を見る意識はそんなに変わらないのでしょうが、ハードの面から急速に変化が起きています。ソフトビジネスといいますが、やっぱりまずハードを売る、そうしてはじめてソフトが売れる。国家的規模で考えればそちらが優先されます。米国では、劇場で映画を見る人が、かつてDVDに凌駕されたように、最近ではVODのようなシステムで映画を見る人が増えて、所謂興行のシステムが成り立たなくなってきている。通常劇場で映画を見るには、ひとり1枚のチケットが必要です。一方、VODでは一定の料金で何人が見ても同じです。こうしてリクープのハードルが高くなってくる。こうしたことは、音楽ビジネスの変化を通じてわかっていたはずです。でも、同じ轍を踏むんですよね…。ハードが兎に角できると、それだけで皆アタフタして、権利処理は後からとってつけるような状態だから、リクープメントのプランがちゃんとできないし、出資者に対する責任が果たせません。
 

片岡:

 一つの映画作品でどれくらいの予算が必要なのでしょうか。
 

 作品にもよりますが、少なくとも時代劇は5~10億、現代劇のアクションものだと、3億5千円くらいかかります。たけしさんの映画を撮る場合、隔週でTVの撮影を続けながら、その間の週で映画を撮ることになります。そうすると、スタッフや機材の負担が倍になります。だから、自ずとリクープラインが高くなります。しかし海外で高い評価を得ても、買ってくれるわけではありません。オファーがあっても作家性の強い映画は、かつてと違い信じられないくらいの安値です。だから日本市場をしっかり認識して、そこで、確実にリクープメントを果たせるように意識しないといけない。監督は当然自分が作りたいものを作ろうとする。作家ですから。しかし、プロデューサーとしては、それをそのまま受け入れられるほど、楽な時代ではありません。
 

片岡:

 プロデューサーは資金集め以外にどんなことをするのでしょうか。
 

 「TAKESHIS'(2005年)」「監督・ばんざい!(2007年)」「アキレスと亀(2008年)」を本人は3部作という言い方をしていますが、我々ビジネスサイドからいえば、作品がパターン化してきた苦しみから抜け出すために必要なプロセスと捉えていました。しかし、興行的には思わしくなく、次にエンタテイメントではなく、アートムービー寄りの企画を監督から持ちかけられても、この先もう映画が撮れなくなってしまうのではないかという危機感がありました。そこで「アウトレイジ」という、北野映画の一番得意とするバイオレンス作品を、出演者を全部変え、違う映画に仕上げ、「北野武は明らかに進化した」、「苦労の時代はあったけれども暴力映画を新しい手法でクオリティーの高いエンタテイメント作品に仕上げてきた」そう認めさせることが必要でした。しかしながら、ビジネスとしては、興行成績は想定していた数字には達しませんでした。それでどうしてもDVDを売って収益を上げるために、早々に第二作の制作を発表して「アウトレイジ」のヒット感を作り出そうと…。尤も、たけしさんには続編を作ろうという発想は元々なかったので、第一作は主人公の大友が刺されたところで終わっていました。しかし死体は映していません。だから生きていたとしても十分いけるんじゃないか…と私が提言し、更にキャスティングも大幅に強化して、続編を作りましょうと。そうして第2作「アウトレイジ ビヨンド(2012年)」の制作を、「アウトレイジ」のDVDの発売前に発表しました。その結果、DVDがドッと売れ、更に「アウトレイジ ビヨンド」も想定した観客動員数を超えました。ただいつもこんなことができるわけではありません。
 

片岡:

 失敗もありますか。
 

 例えばTV番組などで「タレントの好きなことをやらせる」といった内容のものがありますが、こうしたものは凡そ失敗しています。その一方、テレビ局のいろんな人間、ディレクターやプロデューサー、作家が考える「ビートたけし」像があって、それに基づいて企画がなされ、そこにたけしさんが自分の持ち味を生かしたというものが、面白かった番組として未だに語り継がれています。実は「ビートたけし」は、勿論、本人がいないと成り立たないけれども、同時に、そういう人たちによって作り上げられているともいえます。実際、あるテレビ局で、たけしさんの好きなことをしようという企画がありましたが、これは放映開始後、まもなく打ち切りになりました。ゴールデンタイムに数字(視聴率)を獲るには、小さい子供からお年寄りまで楽しめるものを作らなければいけない。しかし本人は必ずしも万人受けするものをやりたいと思っているわけではない。数字は妥協の産物がどこかにあって生まれるものです。そもそもゴールデンタイムに好きなことをやるという企画自体が成り立たちません。
 

片岡:

 一度の失敗でも大変な影響が出ることもあるのでは?
 

 勿論、良くないですよ。現行うまくいっている番組もあるのですから、それらに「最近のたけしはつまらない」と評価が飛び火するおそれもありますし、また今は書き込みだってあるのですから、非常に危険です。本来番組をやるのであれば、もっと慎重にやらないといけない。ましてテレビ離れが言われている今日です。スポンサーも黙っていませんし、タレント生命にも関わります。いろいろな活動をする中で失敗は沢山あるのですが、それをプラスに転じて考えていくしかありません。映画でも幾つか興行的な失敗はありましたが、それを持って北野武の失敗ということは、我々には許されません。それを抜け出し、より高いハードルを越えていくしかありません。
 

片岡:

 「アウトレイジ シリーズ」など、北野映画は暴力団をモチーフにしたもの多いですね?
 

 日本は銃社会ではないので、銃を使うとしたら暴力団か刑事ものしかありません。だから、暴力団同士の抗争をモチーフに、一種、人間描写も含めて、サラリーマン社会にもある下剋上みたいな世界を描けば広がりがでてきます。そこにカタルシスがあったり…。米国は銃社会ですから、映画で、普通の人が銃を使ったり、或は巻き込まれたりしても、まだリアリティーを感じることができるのですが、日本では、一般の人が銃を使うということ自体にリアリティーがありません。「アウトレイジ」も「アウトレイジ ビヨンド」も暴力団同士の抗争ですが、一般市民を巻き込んで無差別に殺戮を繰り返すような描き方はしていません。一般の通行人、民間人が巻き込まれるような抗争とは、犯罪の意味も、エンタテインメントとして描く、その意味も違いますし、そうした描き方は避けるようにしています。でもハリウッドは平気で描いてきました。ビルを爆破したり、一般市民を巻き込んで乱射したり…。
 また実在する組織の名前も使わないようにしています。そして彼らが、冷酷で無慈悲、とても怖い存在であるという描き方をしても、集団全体を滑稽な存在として描くこともしません。勿論、組織の中に、そういう人が中にいても、それは人間社会ですから当然です。しかし、全体をそういう集団だと描いてしまうと、それは私たちが描きたいものとは離れますし、遥かに怖い。これは気を付けないといけません。その辺が難しいと言えば難しいのですが…。また我々制作サイドでも俳優のコンプライアンスに関してきちんと意識して厳しくしています。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

   
   
 〜完〜(一部敬称略) 


インタビュー後記

 17年前の「キッズ・リターン」の続編となる、「キッズ・リターン 再会の時(2013年)」は、北野映画で助監督を務めてきた清水浩氏が監督として作ったものです。天才の作品の続編を任せる…事務所としても大きな決断です。森さんは制作現場に対して「なぜ今、キッズ・リターンなのか、この時代にこの企画をなぜやるのか、それが問われるぞ」と言い続けましたが、結局、最後までその答えを得られなかったそうです。「でも、口を出せばきりがない。任せていかないといけませんから…」と。「オフィス北野という組織にとっては(バイク事故を通じて)新機軸をつくれという絶対的な教訓があったわけで、それをどこまで真剣に実現させてゆけるかということが基本的な理念です。それがもし見いだせないのであれば、我々には、残念ながら、会社を続けることができません」と未来に向けた模索が続きます。
 

聞き手

片岡 秀太郎

 1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。



脚注  
   
注1

http://ja.wikipedia.org/wiki/ビートたけし

   
  (リンクは2013年12月1日現在)
   
   
 


右脳インタビュー

 
 

 

 

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  © 2006 知財問屋 片岡秀太郎商店

更新日:2013/12/01