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第100回  『 右脳インタビュー 』  (2014/3/1)


黒田 玲子さん

東京理科大学教授、東京大学名誉教授
国連事務総長科学諮問委員、元内閣府総合科学技術会議議員
スエーデン王立科学アカデミー会員
 

  

1947年宮城県生まれ、お茶の水女子大学理学部化学科卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。ロンドン大学キングス・カレッジ化学科・生物物理学科Research Fellow/Honorary Lecturer, 英国がん研究所研究員, 東京大学教養学部教授、大学院総合文化研究科教授、総長特任補佐、経営協議会委員等を歴任。現在、東京理科大学総合研究機構教授、東京大学名誉教授。教育改革国民会議、文部省大学審議会、文科省中央教育審議会、総務省独法評価委員会, ユネスコ国内委員会委員、総合科学技術会議議員、HFSP 科学者委員会委員、ICSU(国際科学会議)副会長、内閣府男女共同参画推進連携会議議員等を歴任。2013年、国連事務総長科学諮問委員に就任。猿橋賞、日産科学賞、山ア貞一賞、文部科学大臣表彰、ロレアルーユネスコ女性科学賞等を受賞。日本学術会議会員、スエーデン王立科学アカデミー会員。

主な著書
『生命世界の非対称性-自然はなぜアンバランスが好きか』(中公新書)中央公論社 1992年
『科学を育む』 (中公新書)中央公論新社 2002年
『社会人のための東大科学講座 科学技術インタープリター養成プログラム』石浦章一、黒田 玲子、長谷川 寿一、藤垣裕子、松井孝典、村上 陽一郎 共著 講談社 2008年
 

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは黒田玲子さんです。黒田さんは研究者として卓越した業績を上げ続けるとともに、我が国は勿論、世界の科学政策へも多大な貢献をなさっております。まずは黒田さんの代表的研究の一つでもある「逆巻きの巻貝」についてお伺いしながらインタビューをはじめたいと思います。
 

黒田

 巻貝が右巻きになるか左巻きになるかはたった1個の遺伝子が決めると昔からいわれていました。普通1個の遺伝子が生物の特徴を決めるということはありません。たった1個の遺伝子が生物の左右を決めるなんてすごいと思いませんか? ただ、昔から言われていた「1個の遺伝子」はメンデルの遺伝子で、現代の遺伝子とは異なるのですが、私達はそれが現代の遺伝子でも1個であることを突き止めました。胚が4細胞から8細胞に分裂する第3卵割という非常に早い時期に、新しく出来てくる4つの細胞が右に回転するか、左に回転するかで、貝の左右巻型が決まることがわかっていましたが、それが巻型決定遺伝子と強く連鎖していることも突き止めていました。それで、8細胞期の受精卵の細胞の位置関係の右左を逆転させてみたらどうなるのか…と、考えたのです。私は絶対にいけると思ったのですが、当時、ポスドク注1や技官たちは笑ってできないよといって半年間近く取り組んでくれませんでした。「これ面白いから、やってみようよ」と吹っ飛んだアイデアをよく言っていましたから…。でも結構当たるんですよ、直感ですが。でも、単なる当てずっぽうではありません。様々な状況証拠を考えたらこれしかあり得ない。できるかどうかは分らない、でもやってみないと分からないのですから…。そうして巻貝の受精卵を受精数時間後に、細いガラス棒を使って直接本来とは逆の方向にそっとねじったところ、殻の巻型だけでなく、内臓の配置や形まですべて本来と逆、鏡に映した形の貝になったのです。また、遺伝子を操作してはいないので、その貝が生んだ子は本来の、遺伝子で決められている巻型に戻りました。つまり、遺伝子操作をすることなく、物理的な操作によって遺伝子の働きを上書きしました。ネイチャー誌注2にも掲載され、世界中で使う教科書にいずれ載るよといわれました。
 私はこのようなキラリティー(鏡像異性)、つまり右と左の研究をやっています。これには巻貝のような生物学と、化学があります。研究の説明をする時に、わかりやすいように、「靴と靴下」をよくあげます。靴は左右を履き間違えると気づきますが、靴下は履き間違えようがない。なぜでしょうと聞くと「靴下には左右の違いがないけど、靴には違いがあるから」という答えが大抵返ってきますが、それだけではありません。私たちの足にも右と左の違いがあることが重要です。つまり右と左の違いがあるものと、右と左の違いがあるものが相互作用することが必要です。「靴と靴下の三つの原理」と名付けたものを作ったのですが、一つ目は、靴下と違って、靴は左右履き間違えるとすぐ気がつく。二つ目は、子供がお父さんの靴を履いても大きすぎてぶかぶかだから左右の差が分からない。3つ目は、靴下は脱いだらもとの形に戻るけれど履いているときには左右差のある足の形になる。靴下も長く履いていると、親指のところが薄くなってついには穴が開き、左右差ができるというものです。これを科学の言葉でいうと、『@キラル(左右非対称)なものはキラルなものやキラルな電磁波と相互作用すると左右の差が現れる。Aキラリティーの差が現れるには、同じ大きさ、ディメンジョンでなければいけない。Bキラルではないものにも、キラリティーを動的に誘導することができ、またそのキラリティーを固定することができる。』です。靴下は履いているときには左右差のある足の形をしていますが、脱いだらもとの形に戻ります。これをダイナミック・キラリティーといいます。でもずっと履いていると親指のところが薄くなって左右が分かるようになる。つまりダイナミック・キラリティーがパーマメント・キラリティーに変化したのです。
 

片岡:

 キラリティーはどういう影響を与えるのでしょうか。
 

黒田

 分子レベルの話にすると、私たちの体を作っているタンパク質は左側のアミノ酸だけで出来ています。一方、DNA、RNAは右側の糖からしか出来ていない。これは人間だけではなくて、哺乳動物でも、ナメクジでも、植物でも、バクテリアでも共通していて、おそらく40億年前からそうでした。ではなぜ、一方だけが選ばれたのか。それは生命の起源を問うすごく面白い話です。
 このように、生命体は分子レベルで見てみると左右一方のキラルな分子からできていますので、薬もキラルな分子ですと右と左で作用が大きく異なることがあります。例えば、一方は強い副作用があるが、もう一方にはない。サリドマイドがその例です。味も苦かったり、甘かったりする。靴と靴下の原理の@とAが働いているのです。ですから作用に差があれば、薬は左右一方だけにしないといけないし、仮に左右が同じ作用であっても、そのことを証明しなければいけないと1992年にFDA(米国食品医薬品局)が定めています。このため右と左を簡単に分ける方法や、測定する方法、一方だけ作る方法が重要となります。左右の一方だけを作る優れた触媒を開発したことに対し、ノーベル化学賞が野依良治博士に授与されました注3。私は固体状態の化学に取り組んでいます。溶液状態とは異なり、固体では分子と分子が非常に近くにあるので相互作用が大きいために、ユニークな現象が起きると考えたからです。これで、右と左が混じったものを簡単に分ける方法を見つけました。まだ新しい化学で、始めた頃は研究者もとても少なかったです。
 また、市販の装置では固体状態のキラリティーを測定できませんので、装置も作りました。それを作ったことで、アルツハイマー病やパーキンソン病の原因となっているタンパク質が凝縮していく過程を、タンパク質がキラルである性質を利用して測定することもできるようになりました。さらに、波長スキャンのいらないという、全く新しいキラリティー測定分光計も開発し、昨年、アメリカの特許も取得できました。
 

片岡:

 研究費はどのような状況でしょうか。資金力も研究を大きく左右しますね。
 

黒田

 生物系だけですと今は科研費200万円程度です。大学からの基本教育研究費は50万円だけです。ポスドクを一人雇うと5〜600万円ぐらいかかりますので、それは以前民間から頂いた奨学寄付金から出しています。これがなくなると終わりです。更に装置もだいぶ古くなってきていて、買い換えないといけないのですが予算がない…。そしてお金をかければ外注で、網羅的にやれる実験方法も出てくる…。私たちはずっと先端を走っているつもりですが、そうなると、アイデアに頼って自分たちだけで細々とやっているだけでは間に合いません。ですから今、研究資金の工面に頭を悩ませています。
 

片岡:

 米国には、巨額の資金を投じて研究を加速させて競争を制する、或は実績のない研究者にもコンセプトだけでもしっかりとしたグラントを与える、そういう仕組みもありますね。
 

黒田

 日本は今、直接に経済効果がある、社会に恩恵を与えることが見えている…というものにお金が多く出るようになっています。そうなると私のような基礎研究では文科省の科研費以外、応募すらできません。長期的視点で見た時に、基礎研究がいかに重要かを、大学人は政府に一生懸命説明すべきです。もちろん、基礎研究を応用に飛躍させる努力を、基礎研究者が怠ってはいけませんが。私が総合科学技術会議の議員をしていた時は「基礎研究を大切に」とばかり言っていて、嫌がられていたようです。しかし、今は、イノベーションの必要性だけが聞こえてきます。イノベーションはもちろん必要ですが、イノベーションの前に、インベンションがなければイノベーションは起きません。イノベーションの元々の定義は結合で、色々なものの組み合わせで飛躍して新しい価値を生み出します。国がやるのは、もはや、iPS細胞に多額の資金をつぎ込むことではなく、ここまで来たらある程度は民間に任せ、それよりも、次の”iPS細胞研究となるような基礎研究“を育てることだと思います。今はこんな意見をいう人は殆どいなくなって、「これをやるといくらの経済効果がある」というような学者がふえてきました。
 

片岡:

 学際の基礎研究はより難しい面も多いのではないでしょうか。
 

黒田

 私はもともと化学屋で、生物を始めてからまだ十数年です。しかし生物の方が一般の人には分かりやすいこともあって、今は生物学者のイメージが強いようです。一人で両方やる人はあまりいませんが、私は好奇心で突っ込んでラッキーにも両方で結果を出せました。好奇心が服を着て歩いているようなもですから…。今でも、なぜ、どうしてと、何にでも興味を持ちます。ただし、こうした研究はJST(独立行政法人 科学技術振興機構)のグラントを貰えたからこそできたことです。私は東大の教養学部の教授でしたので、助教授がいた事がなく、助手もいない時もあり、学生も少なかったのです。JSTのグラントでポスドクを最盛期には5人雇うことができ、化学と生物学の両方の研究をやることができました。感謝してもしきれません。もっともJSTのこのグラントも今は様変わりしていて、「我が国が直面する重要な課題の達成に向けた基礎研究…」というようになりました。私が始めた時は「特許数、論文数を問わないから、日本発の学問や新しいコンセプトを作ってほしい」ということでしたので、大喜びでやらせていただきました。でも途中から、グラントの方針が変わりました…。私は元々化学者で、ある程度実績もあり、新しい装置も作っていましたから、化学での評価は比較的高かったのですが、生物の方はまだ結果もあまりなく、「化学屋に生物が分かるわけがないから、生物の予算は切って半分にしたほうがいい」と中間評価でおっしゃった方がいらしたと、あとで聞きました。それでも何とか続けられて、最後に結果を出し、Current Biologyという専門誌の表紙も飾りました。その後、ネイチャー誌に載る仕事も出すことができました。そして、今、もう少し頑張れば一つ大きな結果を出せるところまで来ているのですが、お金と人が不足して苦しんでいます。技術が進み、後から参入してきても、お金をかけて外注で網羅的に解析して比較すれば結果を出すことができるようになってきましたので、すごく心配です。科研費は、今は50歳位までなら取れるけれど、有名な先生は別ですが、55歳くらいになると極端に取るのが難しくなってきています。昔は逆で科研費は年取った人の方が取りやすかったのですが、今は逆に若い人に手厚くなっています。これは決して悪いことではないのですが。ただ、歳だけで判断されると歳をとるのはそんなに悪いことなんですか?と、言いたくなります。私は若い時より元気なくらいですが…。家に帰宅するのは深夜になることが多く、週6日+α仕事をしていて…。でも美術館や博物館の特別展にも行ったりしますけどね。あと10年あれば、化学と生物の橋渡しとなるキラリティーの研究がやれるかもしれないし、やってみたいです。
 

片岡:

 資金の出し手側は、内容をあまり評価できないようになってきている…。そもそも日本は、中身をしっかり審査する十分な予算をつけていないのでは…。
 

黒田

 詳しくわかりませんが、海外と日本では審査のコストが違うでしょうね。日本は、米国のpeer review(類似分野の研究者による査読)の悪い部分ばかり真似するともいわれています。本当にいい審査者は、論文をいくつ出しているかではなく、申請された研究の内容と申請者のポテンシャルを見て評価します。海外のグラントの評価委員をしたことがありますが、日本よりは「フェアだ」と感じます。
 

片岡:

 現代の科学は、可能性の見極めもそうですが、危険性の判断や管理の方法も難しくなってきていますね。
 

黒田

 現代社会では、科学を生活から切り離して考えることはできません。多くの恩恵を与えるとともに、社会構造すら変えてしまうこともありますし、事故が社会に与える被害も非常に大きくなっています。科学が進歩すればするほど、白黒がつかないグレーゾーンも広がります。人口問題やエネルギー枯渇、環境保全等、世界的な規模の問題が深刻化していて、科学技術によるブレークスルーがまたれています。1999年、ユネスコと国際科学会議(ICSU)が共催した世界科学会議で採択された「ブダペスト宣言」には「知識のための科学」「平和のための科学」「開発のための科学」に加え、「社会のための科学」という理念が掲げられました。これは科学者にとってのバイブルの様なものとなっています。
 

片岡:

 昨年、潘基文国連事務総長の提唱で設置された事務総長への科学諮問委員に就任されたそうですね。
 

黒田

 これから勉強もしなければいけないのですが、私たちの役割は、特にグローバル・サステナビリティーに関して国連が進める政策のプライオリティーを決めるとか、先端の科学の発展をポリシーに反映させる等と色々なことを求められています。今度、第一回の会議が開かれます。色々難しそうですね。利害が一致するわけがない国々が集まるのが国連です。科学者として、信頼を得るような提言をしていきたいと思っています。
 さて、私は総合科学技術会議の議員(議長は内閣総理大臣。議長を除く議員定数は14人以内として、関係閣僚・官吏のほか民間の有識者から内閣総理大臣が任命する)も務めていたのですが、これは、政府から独立した機関ではありません。日本にも首相の科学顧問の様なものを作らなければという話もあったのですが政党が変わるなどしているうちにうやむやになってしまいました。海外ではイギリスにも、EUにも、ニュージーランドにも、オランダにも性格は少しずつ異なりますが、科学顧問(scientific advisor)が置かれています。国連のScientific advisory board member(和訳:科学諮問委員会委員)になったので、科学顧問の役割・責任などについても勉強しています。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

   
 〜完〜


インタビュー後記

 インタビューでは触れられませんでしたが、黒田さんに日本の中小企業における研究開発についてお伺いしました。「面白い研究が沢山あると思うのですが、あまり把握されていなのではないでしょうか。地域の大学と中小企業が直接交流を深めるといいのではないかと思っています。広く見る目はどうしても必要ですから、いろんな研究会にも自ら顔を出して、“これはいける”というような感覚を研ぎ澄ましていただくとよいのかもしれません。」とのことでした。
 

聞き手

片岡 秀太郎

 1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。



脚注  
   
注1

博士号取得後、大学等の研究機関で、期間契約で研究に従事する研究員

注2

http://www.nature.com/nature/journal/v462/n7274/abs/nature08597.html

注3

http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/noyori/p1.html
http://sc-smn.jst.go.jp/playprg/index/741

   
  (リンクは2014年3月1日現在)
   
   
 


右脳インタビュー

 
 

 

 

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更新日:2014/03/01