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第107回  『 右脳インタビュー 』  (2014/10/1)


友野 典男 さん

明治大学大学院教授 情報コミュニケーション研究科
 

  

1954年埼玉県生まれ。早稲田大学商学部を卒業し、同大学院経済学研究科、明治大学短期大学などを経て、現在に至る。専攻は行動経済学、ミクロ経済学。
主な著書
『行動経済学 経済は「感情」で動いている』 光文社新書  2006年
『ファスト&スロー(上・下) あなたの意思はどのように決まるか?』 ハヤカワ・ノンフィク
ション文庫 ダニエル・カーネマン (著) 村井章子 (翻訳)、友野典男(解説) 2014年
 

 
片岡:

 今月の右脳インタビューは友野典男さんです。本日は「行動経済学」についてお伺いしたいと思います。
 

友野

 早速ですが、標準的経済学が前提とする「経済人」とはどのような人々だと思いますか? 彼らは極めて合理的に行動し、他人を顧みずに自らの利益だけを追求、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけでなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々です。私は、それが現実の経済を表せているとは思えません。人間は二つの情報処理システムを持っていると言われていて、その一つがシステムT、直感的、連想的、迅速、自動的、感情的並列処理、労力がかからない等の特徴を持っています。もう一方はシステムU、分析的、統制的、直列処理、規則支配的、労力を要するといった特徴を持ちます。このシステムUで経済活動は動いているというのが西洋の伝統に則った経済学の考え方でした。しかし、最近の研究で、システムUだけではなく、直感や感情等も経済活動に大きな影響を与えていることが分かってきました。それらを取り入れたのが行動経済学です。このような視点からいえば、アベノミクスの最大のメリットは、今後景気が良くなるのではないかという期待感です。景気が良くなっていくと思えば何となくお金を使います。そうなってくれば予言したことが実際に成り立つ。だから「悪い」「悪い」というよりは遥かに良い。ただし、もう少しムードが定着する、つまり実際に給与が上がるとか、企業の設備投資が増えるという裏付けが少しできてから消費税の増税をすべきでした。バブルと同じで、予想だけでは、裏切られたと思うと、すぐに崩れてしまいます。
 

片岡:

 人はネガティブなものにより強く反応する傾向があるそうですね。
 

友野

 例えば損失回避性というものがあります。4月以降、値段が増税で上がるから損をしないように安いうちに買う、これは合理的な行動です。しかし沢山買いすぎて食べきれず、賞味期限が切れてしまった、トイレットペーパーを山ほど買って仕舞うところがないとか、そういうことをするのも人間です。増税に伴う駆け込み需要を経済学者が予想していましたが、車等の耐久消費財に関する予測は出しても、こうした日常消費財まで過剰に買ってしまう、気分的に買ってしまうといった事は組み込んでいません。ですから実際の駆け込み需要は予想以上に大きく、また増税後の反動もそうです。
 

片岡:

 数字には具体的にどのように表れてくるのでしょうか?
 

友野

 今までの予想のモデルに、心理的な影響を何パーセントと加味するかといった計量的なことはまだいえません。仮に結果として予測値との差が数字として出てきても原因を特定するのは難しいでしょう。勿論、データが蓄積されて来ればある程度分かるようになってくるのですが、そこまではまだ出来ていないし、そもそもそのような研究を行っているところがあるのかどうか。大規模な統計は我々のような研究室ではなかなかできません。そういう大規模データを持てるのは役所か総合研究所等ですが伝わってきません。役所は保守的ですから…。行動経済学について話して欲しいと、政府機関や委員会等、色々なところ声を掛けられるのですが、一番受けが悪かったのが財務省です。財務省は日々標準的な経済理論で仕事を進めていますし、特に偉い人は、長年自分がアイデンティティーを感じているものを否定されるのですから…。一方、民間の経済団体や若者は、マーケティング関係の人だけでなく経営者等も物凄く興味を持ってくれます。
 

片岡:

 一般の人だけでなく専門家でも感情や直観に影響を受けているそうですね。
 

友野

 人は不確実な事象について予測する時は、初めにある値(アンカー)を設定し、その後で調整を行って最終的な予測値を決める傾向があります。その調整段階で、最終的な予測値が、最初に設定したアンカーに引きずられ、バイアスが生じるというアンカリング効果がおきます。グレッグ・ノースクラフトとマーガレット・ニールは、不動産の専門家と素人の被験者たちを4つのグループに分けて、住宅の詳しい情報や近隣住宅の価格を含む10頁もあるパンフレットとグループ毎に異なる希望販売価格を提示して、住宅の販売価格を見積もってもらうという実験を行いました。その結果、専門家も一般人と同じように希望販売価格というアンカーによるバイアスが生じることを示しました。しかも、実験後、被験者に、見積もりに当たってどの情報を重視したかを3つ書いてもらったところ、提示された希望販売価格を挙げたのは、専門家のうち僅か8%、素人は9%に過ぎませんでした。また行動ファイナンスの専門家であるロバート・シラー(注1)はアンカリング効果が株式市場にもたらす影響について「株価はファンダメンタルズに基づいて決定されるというのが標準的なファイナンス理論の主張であるが、投資家は適正な株価水準を知っているわけではないし、限定的合理性により知ることもできない。そこで株の売買に関して何らかのアンカーを手掛かりにして判断する。その代表的なものが、記憶にある最も新しい株価や良く知られた株価指標、他の銘柄の最近の株価…、或は株価収益率等もアンカーとなりうる」と述べています。実際、米国には行動経済学を取り入れた行動ファイナンス・ファンドがあり、なかなかの成績を上げているそうです。また面白い研究もあって、例えば天気が良いと取引が多くなるとか、月曜は取引が少なくなるとか、サマータイムがはじまった日はみんな寝不足で取引が減る…。そういうものを蓄積することでも、かなり気分や機嫌などが影響しているのが分かります。
 

片岡:

 そうした人間らしさが経済学に取り入れられてこなかった理由は何でしょうか?
 

友野

 大雑把にいうと合理的な人が勝つ、不合理な人は結局うまくいかずいなくなってしまう、だから合理性を追求すればいいとされてきました。尤も、もともとアダム・スミス(注2)やジョン・メイナード・ケインズ(注3)も人間は合理的だとは言っておらず、寧ろケインズは「大衆は動きやすいもの」「どちらかというと意味もなく、付和雷同、流行り廃りなどを重視する」等と述べています。しかし、その後、ポール・サミュエルソン(注4)やジョン・ヒックス(注5)らによって、経済モデルを物理学のようにきちんとした方程式で表そうとする今の経済学の基礎が確立されると、数式になり難いような心理現象等は切り捨てられていきました。私が研究を始めた時も「やめた方がいい」といわれ、学会発表をしようものならボロクソでした…。
 

片岡:

 どういう反発が多かったのですか?
 

友野

 簡単に言うと「合理的モデルは一つに決まるが、非合理的なものは色々あるから、バラバラで理論化できない」というものでした。しかし、実際には非合理的なものも一定方向にバイアスがかかるので実はある程度、理論化できます。また、今の経済学が現実離れしてきていることもはっきりしてきて、やはり合理性だけのモデルだけではだめではないかとなってきました。更に近年、心理学の理論や脳科学等の発達もあって、システムTも経済活動へ強い影響を持つことが分かってきました。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン(注6)も元々認知心理学者で、所謂、経済学者ではありません。このため経済学の分野ではあまり知られておらず、受賞しても、日本の経済学者の多くは「誰?」というような反応でした。カーネマン自身「経済学の正規の教育を受けたことがない人がノーベル経済学賞を貰った初めての例ではないか」と述べていますし、また普通ノーベル経済学賞は経済学で有名に研究業績も多い人に与えられており、カーネマンのノーベル賞は不思議なぐらい早く異例です。
 

片岡:

 米国は行動経済学を政策に積極的に活かしているのでしょうか?
 

友野

 オバマ政権には行動経済学の専門家がいます。一方、日本の政権にはそうした人はおらず、実際、政策に反映されたようにもみえません。そもそも日本には行動経済学の専門家が少ない。このあたりは米国の懐の深さ、ダイナミックさで、数学的合理経済学を推し進めてきたのも米国ですが、その一方でこうした新しい分野もどんどん取り入れています。その点、日本は、一つ確立すると凝り固まってしまいます。また米国では、例えばドライバーの前方不注意で交通事故が起きた時に、道路の設計や標識等、不注意を引き起こさせた原因までも争点となり、研究も進んでいます。しかし、日本は何でも前方不注意と言ってそこで止まっているような気がします。そもそも日本の心理学者も、臨床心理学に偏っていて、認知心理学の領域の研究はあまり進んでいないようです。
 

片岡:

 行動経済学の発展は今後どのようなインパクトを持つのでしょうか。
 

友野

 まず、誰もわざわざ「行動」などつけなくなってくるでしょう。つまり経済学そのものが人間の行動を考えた上で構築されたものになっていく…、そうあって欲しいと思います。また人間の行動について、合理性を前提とするのではなく、感情や直感、バイアスを考えるのは経済だけの話ではありません。例えば、上院議員選で、まずどの人が信頼できそうかと顔だけで選ばせ、それを実際の当選結果と比べると、強い相関があります。また日本では臓器提供の意思表示カードを持っている人は成人の10%くらいで、米国は28%、デンマーク4%、ドイツ12%、イギリス17%、オランダ28%といった感じです。一方、スエーデンは86%、オーストリア、ベルギー、フランス、ハンガリーポーランドは共に98%以上です。この違いは、日本や米国等の同意者が少ない国では、臓器提供の意思表示をしない限り提供者とはみなされないのに対して、オーストリア等の同意者が多い国では逆に臓器提供をしないという意思表示をしない限り提供の意思があると見なされるという初期設定の違いに原因があるといわれています。その他、ビルテ・イングリッチらの実験によると、経験を積んだ判事であっても判決が求刑(アンカー)に影響され、同一の事件に対して34ヵ月の求刑がなされた時と12ヵ月の求刑がなされた時とでは、判決に8ヵ月もの差があったそうです。
 このように政治、司法、行政、或は普段の社会的行動等、色々な分野に影響を及ぼし、研究が進んでいくと思います。本来は、人間行動学というのが基礎にあって、その上に経済学、政治学、経営学やマーケティング等があるはずです。今、行動経済学は基礎がないから、人間行動学にまで手を出しているので大変です。しかし、それができてくるとあらゆる分野に影響が及び、それぞれの分野の境目も小さくなっていくでしょう。そういう形に社会科学はなっていくのではないかと思います。これは願望というのかもしれませんが…。
 

片岡:

 戦争やプロパガンダなどにも利用されていくでしょうね?
 

友野

 カーネマンは敢えて戦争等に触れないようにしているように思いますが、戦争決定の判断やプロパガンダなどは、まさにそうなってくるでしょう。例えば、身近な例として、よく政府や企業がアンケート結果などを用いることがあります。民主党時代、「仕分け」のある事案について、その予算を削るのに賛成か反対か、ネットで意見を求めたことがありました。自由参加にすると、当然、強く意見を持っている人、つまり反対者の意見が多くなります。それで、その結果を持って「反対者がこんなにいるから…」と。本当にアンケートを行うのであれば、無作為抽出をしないと簡単にバイアスがかかってしまいます。他にも、選択肢の中に「強く賛成」「賛成」「どちらかというと賛成」等と、賛成の選択肢を多くしておいて、それらをまとめて「賛成」として発表することもあります。ですから「アンケート結果でこうなったから、こうしましょう」等というものは相当に疑ってかからないといけないと思います。
 またCMでも「街角で100人に聞くと、わが社の製品をX人が支持しました」といったものをよく見ます。こうしたものの中には、とりあえず100人に訊いてみる、数字が良くないなと思うと、また違う100人に訊く、そうして良い結果が出るまで続ける。100人くらいであれば、どちらかに偏ることはよくあることですので、良い結果になったところだけを利用する。そんな例はいくらでもありますし、また本来、アンケートでは、問題の提示方法や順番などによって結果が大きく変わりますので、本当は順番を変えたものなども交えてやるべきなのですが…。
 ビッグデータ解析でも同じように怖い面があります。悪く言えば、データ解析の専門家が集まれば、ある程度はどんな結果でも出せる気がします。山のようなデータの中で、理論的に、どれが重要、どこまでを範囲にしなければならない等といったものがないのであれば、クライアントの要望しだいで、右にも左にもできてしまう。ITCの進歩とともに、巨大なデータを扱うことができるようになりましたが、そこから結論を引き出すのは人間です。
 

片岡:

 ビックデータの場合、反論も難しいですね。しかもビックデータを持つのは一般に力が強い側ですね。
 

友野

 反論には、普通、同じデータを見て、違う結果を引き出すことになりますが、同じデータなんてそう簡単に手に入りません、だから悪用しやすい。そもそも日本は消費者教育が欠如していますし、批判力も弱い。売る方はプロで、会社にはノウハウ・データを蓄積、莫大な資金を投入、どんどん買わせようとします。しかし、消費者は「物を買うということ」等を殆ど教えられたこともなく、何の蓄積もなされないまま、買わされていきます。だからこそ、消費者庁が重点項目として消費者教育を行うべきだと思います。これは金融商品などでも同じです。米国ではコンシューマーレポートがあって影響力を持っているのに、日本では「消費教育」「暮らしの手帳」といった雑誌は廃刊となり、消費者団体も昔のような勢いがなくなるなど、逆行していて、知らないうちに、大企業のマーケティングやプロパガンダがどんどん進行しています。おとなしい日本人は益々言いなりになっていく…。直感や感情に踊らされるのは、教育レベルに依存する可能性も結構大きいかもしれません。少しでも「ちょっと待てよ」といえるようにすることも教育の一つの意味ではないかと思います。尤も、皆が無駄なものでも買う方が経済は繁栄し、皆が冷静で合理的になると経済はダメになるという面もあります。ある意味、資本主義の欠陥です。日本の所得水準が上がっても、幸福度は殆ど伸びていません。これまで経済学では、お金のために人は動いて、お金があれば幸せだというのが大前提でした。これからは、人間をちゃんと見て、お金以外の事も考える、これは行動経済学の役割だと思います。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

   
 〜完〜 (敬称略)


インタビュー後記

 友野さんによると「経済学を学ぶと利己的になる」というショッキングな実験結果もあるそうです。皆で力を合わせて仕事をすれば大きな成果が得られるが、誰もが他人の働きに期待してサボろうという誘惑もあるという公共財ゲームという実験で、経済学専攻者の平均貢献率は20%であるのに対して他の専攻者は49%。また一年以内にチャリティー等に寄付をしたかという様々な分野の大学教員1245名に対するアンケート調査では、まったく寄付をしなかったものの割合が、経済学者は9.3%で最高、他の教員は2.9〜4.2%であったなど、幾つかの実験でそうした傾向が表れているそうです。勿論、これには異論、否定的な実験結果もあるそうですが…。行動経済学、或は人間行動学の発達は、経済を表す新しいツール、人を動かすための効果的なツールとしてだけではなく、産官学それぞれの分野で、その光と影を人間中心に問い直し、豊かな発展を促して欲しいと思います。
 

聞き手

片岡 秀太郎

 1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。



脚注  
   
注1

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・シラー

注2

http://ja.wikipedia.org/wiki/アダム・スミス

注3

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・メイナード・ケインズ

注4

http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・サミュエルソン

注5

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ヒックス

注6

http://ja.wikipedia.org/wiki/ダニエル・カーネマン

   
  (リンクは2014年10月1日現在)
   
   
 


右脳インタビュー

 
 

 

 

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更新日:2016/03/29