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第118回  『 右脳インタビュー 』  (2015/9/1)


梅若 紀彰さん 

シテ方観世流能楽師、重要無形文化財総合指定保持者

  

1956年、故55世梅若六郎の孫として生まれる。祖父ならびに現56世梅若六郎に師事。現梅若六郎の甥。1991年梅若雅俊の養子となる。2010年、二代 梅若紀彰を襲名。600年の歴史を誇る梅若家において、現当主梅若六郎と共に中心をなす。梅栄会主宰。

 
片岡:

 今月のインタビューは能楽師の梅若紀彰さんです。さて、先程、お弟子さんの稽古風景を拝見させて戴きましたが、「型はこう」といった感じで、感情などについてのお話は殆どなさいませんでしたね。
 

.梅若

 能の練習は、まず型にはめてしまいます。型にはめて、皆それぞれ同じことをやって、それでいて人によって違う。それがその人が本来持っている個性だろうと。人と違うことをやるのが個性ではなく、同じことをやって、それでもそこから出てくるものがその人が持っている個性だという考え方をします。
 

片岡:

 確かに、成田山の蝋燭能では三人(梅若玄祥、梅若長左衛門、梅若紀彰)が一同に舞う場面がありましたが、皆さんが作り出す空気はそれぞれ個性的でした。またこの時は、動きが止まった瞬間の強烈な表現力が印象的でした。
 

.梅若

 立っている時でも、そこにただ立っているというのではありません。四方八方から最大限、引っ張られている緊張の中にあり、そしてどこかの力がゆるんだ時に動くというようなイメージです。だからこそ究極の演技は動かないということです。コマは回転し続けながら直立し静止しているように見える。能の場合も、物理的にも心情的にもフル稼働しています。勿論、感情が動いているといっても、それは風景がどうのというものではなく集中です。その世界に入ろうと思ってはいけない、もう入ってないといけません。
 ところで、能には面(オモテ)をつけるという大前提があります。面をつけて曲線的な動きをすると滑稽になってしまう。ですから基本的には全て直線的な動きになります。例えば、右を向くという時に、どうしても顔を右に向けたくなりますが、でも顔は動かさず、下半身だけを動かします。そうすると、勝手に上半身もついてきます。下半身だけで舞っているといっていいぐらいです。基本的には歩行が一番大切で、しっかり芯を通して、下半身がしっかり動くと成立します。ですから歩けるようになれば、ほぼ出来たと思っていいでしょう。型は後からついてきます。
 

片岡:

 能は「完成された」伝統芸能だというような言い方をされることがありますね。
 

.梅若

 観阿弥、世阿弥の親子がいたから、今の能があります。彼らによって芸術的なことも凄く高められて、こうしたものになったのは確かです。ただ、世阿弥の時代と、我々のやっているものが同じかというと、まったくといっていいほど違うものです。良い意味も悪い意味もあるのですが、江戸時代に式楽という幕府お抱えの演劇集団のような形になった時に、新しいものを作ることもなくなり、技術の鍛錬に向かっていきました。殿様の前で舞うのですから、演者にしてみれば、「間違うと切腹では…」と、なるべくシンプルにしたいという意識があったのも事実かもしれません。能では囃子だけで舞うところを曲のメインに持ってくることが多いのですが、例えば「中の舞」という舞があったときに、ある曲のために「中の舞」があるというのではなく、多くの曲でこの「中の舞」を用います。当初は、曲ごとに独自の舞があったのかもしれませんが、それらが淘汰される一方、「中の舞」は非常に高い次元で完成されていき、同じ「中の舞」を舞っても、曲によって全然違って見えてくるというところまで技術的に高められました。型もそうです。例えば「指し込み」という型があります。これは周辺の空気を集中させるような方です。ものを指して前に出る、突っ込むから「指し込み」というのですが、名前はそうですが、何か対象物を指すという意味を持つことはなく、集中を表す型です。いずれにしても、新しいものを作るということはなくなってきましたので、創造性という意味では遮断されてしまいましたが、技術的には飛躍的に伸びました。それは必要最小限のものだけ残して、要らないものを全部削ぎ落としていくという発展の仕方で、結果として、凄く特訓しやすいものになり、そういう意味でも「完成された」という表現をすることがあります。
 

片岡:

 その分、観客にも相応なレベルを要求しますね。
 

.梅若

 要求しますね。特に、日本画と同じように、創造する上での「余白」のようなものをとても大切にしていますから…。そうしたところが、謡い方も舞い方も西洋と決定的に違うところでもあります。また能は、劇の起承転結、それぞれ登場人物の葛藤といった面白さをあまり狙っていません。お客さんは皆、内容を分かって観ていて、演者のやり方の面白さや演者の成長の過程をも楽しんでいます。今の歌舞伎は純粋にお客さんに観せる世界ですが、能は習い事の世界とお客さんに観せる世界の中間にいるようなところがあり、お客さんの多くはお弟子さんでもあります。また昔は、例えば華族のようないわゆるお偉いさんがお客さんでした。いい意味でも悪い意味でも、そうした事がありました。しかし、今は、カルチャーセンターでも能を教える時代ですし、普通の演劇を観る感覚にもなってきています。
 

片岡:

 能の在り方も大きく変わってくるのでしょうか?
 

.梅若

 もともと伝統は、革新の積み重ねの上にできています。僕が入門した時と今でもずいぶん変わっています。凄く難しいなと思うのは、先輩方が「できた当時の感覚をわかっていないと…」とよく仰ります。わかりやすい例でいえば、「隅田川」という曲では、親が我が子を探して「それは難波江、これは又隅田川の東まで。思えば限なく。遠くも来ぬるものかな」という謡があります。今の人は何となく聞いてしまいますが、当時の人にとっては「行ったこともない大変な辺境に来た、もう戻れない」という感覚で、だからこそ「船に乗せて欲しい…」という切実な思いです。そういう感覚を現代の人はなかなか持てないし、和歌の素養がないと分からない曲もあります。そうしたものを、どう伝えていけばいいのか考えていかなければなりません。
 逆にそうではない方向もあります。今度、J.S.バッハのシャコンヌに合わせて舞います。これまでも何度かバッハで舞って欲しいと頼まれましたが、それを見ていた人は「西洋だった」と門付け袴だったにもかかわらず、まったく違和感がなかったそうです。また最近は麻衣さん(注1)の歌に合わせて舞いました。そうした新しいものを今度は、こちらからどんどん取り込んでいくことも必要かもしれません。
 

片岡:

 西洋音楽はどちらかというと、感情を押し出していく面があります。どのように合わせていくのでしょうか。
 

.梅若

 同じクラシックでも「モーツアルトはやり難いかな」といったこともあります。私の場合、曲の意味よりも、感覚的に「この音楽の流れには、この型がいい」というように作っていきました。つい最近、麻衣さん歌にも合わせて舞を作りましたが、「ある程度全体の流れは理解できても、意味が分からない部分もあった」といっていた方が、「現代の歌だったので意味が凄く分かった」そうです。
 

片岡:

 さて、先程の「隅田川」では、子供の墓前で念仏を唱える母親の前に子供の霊が現れるシーンがあります。世阿弥は子供(子方)を出さない演出を良しとし、その後継の元雅は子供を出す演出を理想とし、今も議論が続いているそうですね(注2)
 

梅若

 世阿弥が子供を出したくなかったというのもよく分かります。理想を言えば出さなくて成立するのが一番良いと思いますが、現代では、やはり見えていたほうが良く、凄く可愛く声も良い子供が出てくるのであれば成立し、そうでなければ出てこない方がいいと思います。世阿弥がよく言うように「してみて、やってみてどうか」です。さて、古典のものでは、基本的に全員が集まって総稽古をするのは一回だけで、全くそういうものを行わないということも多くあります。シテ方はシテ方だけで稽古をして、ワキ方はワキ方、囃子方は囃子方と、それぞれが分業制になってます。特に、うまい人たちが集まってやる場合は、持ち寄って稽古をするというよりは、「ここは具合が悪いね」というところを流れ作業で調べる「申し合わせ」を行います。そして申し合わせと本番は全く違うものになります。能には指揮者がいませんし、シテはシテで主張する、地謡も囃子方そうです。せめぎあいがあって、その中で接点を見つけていく…。結局、合いすぎてしまうと、逆に面白みがなくなってしまいます。お客さんにとっても「ああ今日はこう来たか」、「今日はどこに向かうのだろう」というようなハプニングがないと…。また勿論、何回も一緒にやって積み上げていって、尚且つそれが良いというのも理想でしょうが、能の公演は、歌舞伎が松竹のようなスポンサーがついて一か月間の公演を行うというようなものとは異なり、基本的には一回きりです。しかもお客さんの数は多くても300人くらいです。また意外に感じるかもしれませんが、能は国からの補助も少なく、例えば国立能楽堂で催される会は、国が主催で、我々は依頼されて舞うわけですが、出演料は本当に僅かなものです。当然、採算は取れません。皆、お弟子さんをとって収入を得ています。ですから皆で集まってというような時間を何回もとることはできません。いいか悪いかではなく、そうなっています。尤も、今は、お弟子さんは押しなべて減っていますが…。
 

片岡:

 女性の割合はどの程度なのでしょうか?
 

梅若

 梅若は比較的門戸を開いていて、プロの女性も多く、またお弟子さんは圧倒的に女性が多いのですが、能楽界には頑なに女性を入れたくないという風潮がまだ根強くあります。ところで、ある女性が、自分用に少し小さい面を作ったのですが、不思議なことに、これが舞台にあわない。結局、その面は一度しか使わなかったそうです。私もびっくりしたのですが、明らかでした。長い伝統の中で、この大きさが生まれたということでしょうね。勿論、男性でも背が低い人もいますし、面にも大きめ、小さめがあります。その面は、私がつけてちょうどいい面をその方のサイズに合わせた比率で打ち抜いたものなのでしたが…。
 

片岡:

 能は、そこまで極められているということでもある…。今後は女性による新しい能の表現が生まれてくるといいですね。
 

梅若

 今は女性も活躍していて、例えば喜多流の大島衣恵さんは本当にうまい。しかし、「結局、能は男がやるように出来上がっている。例えば、どうしたって声が違う」などと頑なな人もいます。私は女性だけの地謡でも舞ったりもしていますが、違和感はありません。それでも「強さのようなものが足りないかな」という感じはあります。それぞれ、個性があっても良いのですが、最上を目指すのですから、最初からそこには行けないというような感じになってはいけません。女性だからこその良さが出るようなものを模索していかないと…。また例えば、女性の素人さんは、きれいな着物を舞台で着ますが、女性の先生は伝統に従って黒の門付け袴です。でも、女性の持つ華やぎは、美しい着物を着ている方が断然引き立ちます。そうした方向もあるのではないかと思っています。
 

片岡:

 貴重なお話を有難うございました。
 

   
 〜完〜 (一部敬称略)


インタビュー後記

 インタビューの後日、梅若能楽学院会館の能楽堂(注3)で、シャコンヌ(ヴァイオリン:河村典子)との協演が催されました。一切をそぎ落としてきたお能だからこそなのでしょうか、梅若さんの舞と河村さんのシャコンヌは、互いに自然と染み渡り、新しい小宇宙を生み出していました。そして、それは、もはや不可分なものとなって私の記憶を支配しています。
 

聞き手

片岡 秀太郎

 1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。


   
脚注  
注1

http://www.sing-mai.com/index.html

注2

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/zeami/gyouseki/sarugaku_details.html

注3

http://umewakanoh.exblog.jp/

   
  (リンクは2015年9月1日現在)
 


右脳インタビュー

 

 

 

 

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更新日:2016/03/29