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猪瀬 直樹氏
プロフィール
作家。1946年、長野県生まれ。1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人等の廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。政府税制調査会委員、日本ペンクラブ理事・言論表現委員長、東京大学客員教授、テレビ・ラジオ番組のコメンテーターなど幅広い領域で活躍中。 |
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著書 |
【道路の決着】猪瀬直樹著
小学館 2006年<新刊>
【この国のゆくえ〔戦う講座〕(1)】猪瀬直樹著
ダイヤモンド社 2006年<新刊>
【道路の権力】猪瀬直樹著 文藝春秋 2003年 文春文庫版が2006年刊
等多数(注1) |
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片岡:
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本日はご多忙の中、右脳インタビューにご登場戴き有難うございます。猪瀬さんは作家としてご活躍しているだけでなく、道路関係四公団民営化推進委員会委員(注2)としても国家の改革に挑んで来られました。道路公団の民営化(注3)では積極的にメディアを活用し、また逆に彼らによるネガティブ・キャンペーンとも戦ってこられたものと思います。
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猪瀬:
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この問題を語るには先ず小泉政権の成立が一種の政権交代であったことを理解する必要があります。つまり小泉政権は自民党の非主流派による少数政権与党で十分な権力を確立していません。これは郵政民営化法案が参議院で否決されたことを見れば明らかです。自民党内での支持者が少ない道路公団の民営化も議会に任せれば潰されますので、第三者機関を作るしかありませんでした。民営化推進委員は7人で構成されましたが、人数は問題ではなく小泉首相の代弁者が入ることが重要でした。実際、与党三党の幹事長から猪瀬を入れるなとの強い働きかけがあり、権力基盤の弱い小泉首相には私を滑り込ませるのがぎりぎりのところでした。だから民営化を実現させるためには民営化推進委員会を公開し世論を味方につけ、小泉首相の支持率で勝負するしかありません。一方、当局は情報を隠す傾向にあります。9342kmの整備計画に対し残りの未整備区間2000kmに20兆円かかると言いますが、投資計画や路線毎のB/C(Benefit / Cost :費用対効果)などありませんでした。B/Cはビジネスであれば収益ですが、道路の場合は便益を考えます。
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片岡:
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そうなると不確定な要素も増え、当然計画上のB/Cも余裕が必要なはずですね。
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猪瀬:
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B/Cは1対3くらい必要ではないかと思っていますが、公団に請求した時にはすべての道路で1:1.5を超えているという結果を出してきました。もちろん5や6といった道路もありますが、彼らには1.5以下は元々存在しません。それより少ないと道路を作ることが出来ませんから。これらを一つ一つ検証していくためにも正確なデータが必要でした。そこでサッカーの試合開始時のようにドサクサに紛れてさっと情報開示を勝ち取りました。またTV撮影までは至らなかったのですが、新聞・雑誌はフリーランスの記者も含めて委員会を傍聴出来るようにしました。さて、道路公団には大きく分けると4つの利害があります。一つは国土交通省の道路局です。次は道路公団の技術系、これは主に1兆円近い工事の発注に関する利権です。藤井総裁は落下傘として天下り、プロパーである技術系との関係を強めていました。その次は公団の事務系で、主に管理費8000億円に繋がるファミリー企業の利権です。ハイウェイカードなどもそうです。そして最後がJRの権力です。はじめは分からなかったのですが競合となる高速道路の値下げに反対しています。2002年の6月から民営化推進委員会が始まりましたが、各委員の利益代表的な発言が徐々に出て、また各方面よりリーク情報が流されるようになります。新聞は特ダネに弱くリークなどの内部情報があると直ぐに記事にしますので、それによって世論が誘導されてゆきます。逆に公開された情報は分析の結果得られたような重要なものでも記事になり難い傾向があります。
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片岡:
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ところで委員の報酬は30万円程度だと聞いておりますが、予算はどうだったのでしょうか。これだけのプロジェクトですから、人を配し権限を与えても、独自に調査・分析などを行なうような予算も報酬もないのであれば、各委員は利権の代表となるか総論的で実行力のない答申となる可能性が仕組みとして想定されていたものと思います。
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猪瀬:
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それはやはり小泉首相の権力基盤の弱さで、私を送り込むことが限界、とても予算までは難しかったのでしょう。それに今回は本当に稀なケースです。ハレー彗星のように変人・小泉総理大臣が登場し、国家のコスト・パフォーマンスを改善するために作家がこれに参画する。こんなことは滅多にありません。今回の件でお分かりだと思いますが、メディアの非難にも晒されながら戦い続けなくてはならず、また最終的な決着が付くのに5年かかりました。だから今後このような事に挑む人もいないでしょう。
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片岡:
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難しい状況は予想していたものと思いますが敢えて挑まれたのはどうしてなのですか?
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猪瀬:
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やれば出来ると思ったからです。拙著『日本国の研究』(注4)の執筆時に既にこういったことを調査していたので小泉さんにもお会いし、そのとき本質をお分かりだと感じました。この頃それを理解していたのは当事者の官僚くらいで学者は殆ど理解していなかったものと思います。その後、非主流派の小泉政権が誕生します。私自身は企画や演出くらいに考えており、まさか実際に自分がプレーヤーになるとは思っていませんでした。徐々に新聞記者などが来るようになって何となく押し出されて、与党三党の幹事長の反対にあった時に腹を決めました。そうして2003年には「幻の財務諸表」の問題が起きます。たった2,3枚の財務諸表だけがポッと出てくるなんておかしな訳ですし、コンクリートや用地代の簿価を前提とした評価法でした。しかしメディアは飛びつきます。10月には藤井総裁が解任され、12月には一定の決議を土壇場で決着させますが、松田委員、田中委員は辞任します。2004年の前半は「国交省顧問」や「フィクサー」などとメディアの袋叩きにあいます。この時期から総理と直談判して法案の詰めを行ないながら、社宅、保養所、談合などの問題点を突いていきます。
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片岡:
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非効率の温床を表面化させていくのですね。さて委員辞任が世論やメディアの反応を見越したものかはわかりませんが、それを機に論調が猪瀬さんのバッシングへと一気に向かったように思います。
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猪瀬:
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JRが仕掛けたものでしょう。彼らは嘗て国鉄時代に労働組合との暗闘を経験して来ました。そういった闇の部分がJRのエリートにも乗り移ったのではないでしょうか。
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片岡:
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バッシングについて官邸サイドからはサポートやアドバイスなどはあったのでしょうか?
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猪瀬:
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特にありませんでした。首相はドンと座って頷くのが役割です。
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片岡:
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自ら切り開いた訳ですね。さて猪瀬さんはTV等にも数多く出演しておいでですが、その時にはご自身で演出や企画をされるのでしょうか?
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猪瀬:
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新鮮味があり面白い場面を考え視聴率が取れるようなアイデアをこちらから提案します。作家ですからそういう工夫をします。TV等のスタッフは専門の知識や情報を持っていません。とにかくメディアしか武器がないのですから。そうして2005年の2月の委員会にTVカメラを導入します。既に他の委員は辞めていたので大宅委員の了解さえとれば良く簡単でした。その日は突然、冒頭の撮影のあともTVカメラが退出しないように致しました。もちろん冒頭撮影用では20分のテープしか準備しない事もありますので、事前にフジや報道ステーションにはテープを余計に持ってくるように伝えておきました。実はこの日は内田副総裁が30分だけですが委員会の招集に応じていました。この30分が勝負です。「かずら会」の闇[文字通り蔓(かずら)のように利権の絡み合う]について質問を受ける内田副総裁の表情をTVカメラが克明に捕らえました。そうして事態は一気に逮捕に向かいます。地検は潮目を見ていますので、こうした世論の流れを読み取ったのでしょう。
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片岡:
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民営化の潮流はそのようにして作られたのですね。それでは最後に、このようなタブーに挑む源泉をお聞かせ下さい?
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猪瀬:
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「ペンは剣より強し」という言葉がありますが、私はそれを心底信じ、論理とデータ、つまり言葉を駆使し証明したいと思っています。嘗て日本はそれを信じることが出来ず戦争へ向かいました。だからこそ論理と言葉を考古学のように掘り起こして証明していくことが必要です。そうすればこの国の行方は間違いないと思います。こうしたことは良質な読者を通じて自然と染み渡っていくものと思っています。プロパガンダではありませんから。私はこの5年間で論理とデータが勝てることを証明しました。実際に高速料金を値下げさせ、10兆円を削減し、また内田氏の逮捕につながりました。文学は批評家によって成果がわかりますが、ビジネスでは結果がすべてです。今回私は、MBAなどの経営力ではなく、言葉と論理によって売上高2兆6000億円、借金40兆円に及ぶ巨大組織の民営化に結果を出したものと思います。
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片岡:
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実現のために最も重要なことは何だったのでしょうか?
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猪瀬:
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最後は決断が決めます。それを促すには迫力が必要で自信を持っていないとだめです。そのためにも自分自身の分析への確証が欠かせません。
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片岡:
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道路公団の民営化という貴重なお話しを有難うございました。
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−完− |
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インタビュー後記
猪瀬さんの事務所の地下にある素敵な暖炉を囲みながらインタビューを行ないました。地上の部屋は資料が埋め尽くし、これまで委員会に提出した資料だけでも天井に届く程の分量だそうです。徹底した調査・分析で地道なプロセスを重ねながら戦略的にメディアを活用する。そしてあらゆる戦力と現実を躊躇なく受け入れ厳しい逆境でも勝利を信じて戦い抜く。そんな豪腕で気骨あるジャーナリズムの存在こそ、今の日本社会に必要ではないでしょうか。
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聞き手
片岡 秀太郎
1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。 |
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脚注
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注1 |
詳しくは猪瀬直樹公式サイトを参照。
http://www.inose.gr.jp/
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注2 |
詳しくは首相官邸のサイトを参照。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/index.html
道路関係四公団民営化推進委員会委員は下記の通り
委員長 |
今井
敬 |
新日本製鐵株式會社
代表取締役会長
日本経済団体連合会名誉会長(当時) |
1929年生まれ
新日本製鐵株式會社
代表取締役会長(現 相談役名誉会長)
日本経済団体連合会会長(現
名誉会長)
2002年12月6日道路関係四公団民営化推進委員会委員長を辞任
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委員長代理 |
田中
一昭 |
拓殖大学政経学部教授 |
1936年生まれ 京都大学教育学部卒。島根県庁、行政管理庁、農林大臣官房参事官、総務庁行政監察局長、総理府行政改革委員会事務局長を経て、現在、拓殖大学政経学部教授。
2003年12月22日道路関係四公団民営化推進委員会委員を辞任
【偽りの民営化―道路公団改革】 田中一昭著 ワック 2004年
【中央省庁改革―橋本行革が目指した「この国のかたち」政策研究シリーズ】田中一昭, 岡田彰共著 日本評論社 2000年
下記社団法人行革国民会議サイトに討論が掲載されている。
http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/toron/200402.htm
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委員 |
猪瀬
直樹 |
作家 |
上記プロフィール参照。
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委員 |
大宅
映子 |
評論家 |
1941年、東京生まれ(ジャーナリスト大宅壮一の三女)。国際基督教大学卒。評論家。株式会社日本インフォメーション・システムズ 代表取締役社長。地球的規模の環境問題に関する懇談会、医療保険福祉審議会、行政改革委員会、警察刷新会議、教育改革国民会議、衆議院議員選挙区画定審議会、税制調査会、司法制度改革推進委員会等の委員を歴任。
【いい親にならなくていい!―子どもが育つ教育の条件】大宅映子著
海竜社 2000年
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委員 |
川本
裕子 |
マッキンゼー・アンド・カンパニー
シニア・エクスパート(当時) |
東京都生まれ。東京大学文学部社会心理学科卒。オックスフォード大学大学院経済学修士課程修了。東京銀行入行、マッキンゼー、金融庁顧問(「金融タスクフォース」メンバー)を経て、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。大阪証券取引所社外取締役。
2003年12月25日道路関係四公団民営化推進委員会への以降の欠席を通知。
【日本を変える-自立した民をめざして】川本裕子著 中央公論新社
2004年
【銀行収益革命―なぜ日本の銀行は儲からないのか】川本裕子著 東洋経済新報社 2000年
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委員 |
中村 英夫 |
武蔵工業大学教授 (当時) |
1935年生れ。東京大学工学部卒。帝都高速度交通営団、東京大学工学部土木工学科教授、運輸政策研究所所長、東京大学名誉教授、武蔵工業大学環境情報学部教授を経て現在、武蔵工業大学学長。土木学会会長、世界交通学会(WCTRS)会長をはじめ、国土審議会、交通政策審議会、社会資本整備審議会の各会長代理などを歴任。
2002年12月6日の道路関係四公団民営化推進委員会以降欠席。
【道路投資の社会経済評価】道路投資評価研究会著, 中村英夫編集 東洋経済新報社 1997年
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委員 |
松田
昌士 |
JR東日本 取締役会長 (当時) |
北海道大学法学部卒、同大学大学院法学研究科修了。日本国有鉄道入社後、北海道総局総合企画部長、再建実施推進本部事務局長を歴任。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)代表取締役社長、取締役会長を経て現在同社取締相談役。
2003年12月22日道路関係四公団民営化推進委員会委員を辞任
【なせばなる民営化JR東日本―自主自立の経営15年の軌跡】
松田昌士著 生産性出版 2002年
下記にリバティ・オープン・カレッジでの講演記事が掲載されている。
http://www.tfcc.or.jp/economy/matsuda.html
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また下記日刊建設工業新聞社サイトに各委員のインタビューが掲載されている。
http://www.decn.co.jp/rensai/rensai-bk/douro4p2/200209260103.htm |
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注3 |
最終的に道路関係四公団は2005年10月1日、民営化に伴い下記のように組織改編された。
・日本道路公団 |
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東日本高速道路株式会社
会長 八木 重二郎:新日本製鐵株式会社取締役
社長 井上 啓一:日本道路公団理事
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中日本高速道路株式会社
会長 近藤 剛:日本道路公団総裁
社長 高橋 文雄:日本道路公団総合情報推進役
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西日本高速道路株式会社
会長 石田 孝:コベルコクレーン(神戸製鋼子会社)社長
社長 奥田 楯彦:日本道路公団理事
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・首都高速道路公団 |
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首都高速道路株式会社
会長 長谷川 康司:トヨフジ海運(トヨタ自動車子会社)社長
社長 橋本 鋼太郎:首都高速道路公団理事長
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・阪神高速道路公団 |
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阪神高速道路株式会社
会長 田中 宰:松下電器産業副社長
社長 木下 博夫:阪神高速道路公団理事長
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・本州四国連絡橋公団 |
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本州四国連絡高速道路株式会社
社長 堀切 民喜:本州四国連絡橋公団総裁
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となった。また道路施設及び債務等は新設された下記の独立行政法人に一括して譲渡され、民営化会社に道路を賃貸する収益によって保有及び債務返済資金を捻出する。
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独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構
理事長 勢山 廣直:元東京海上日動火災専務
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注4 |
【日本国の研究】猪瀬 直樹著 文藝春秋 1997年
(初出「文藝春秋」96年11月〜97年1月号)
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(敬称略) |
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片岡秀太郎の右脳インタビューへ |