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中国ビジネスの行方 香港からの視点
 

Shopping Mall も過剰

2012/11/1

湾仔

  1.  ハコ物優先でshopping mall 過剰

     先日香港紙に面白い記事が載った。現在世界中で3千万平米のshopping centerが建設中でこれは現存する英・仏・独のモールと同じ面積とのことだが、この半分は中国で建設中という。この数字は米系のdeveloperの数字だが注1、彼らは中国こそ現在最もshopping centerを必要としており、最有望市場として中国の不動産業者と組んで投資を慫慂していた。彼らの調査ではmost active development market は中国だとして、2011年には7.8百万平米のshopping spaceが開業し特に天津の2.45百万平米、瀋陽の2.17百万平米が巨大なものとしている。最も大きいものは瀋陽で、6つのshopping centerを建設中で、次いで武漢とのことだが、北京、上海のみならず180の地方都市での建設が加速中という。developerの謳い文句は中間層の台頭によって需要増が十分見込めるというものだ。米系開発業者と中国の不動産業者と組んでの開発だが、実際には地方政府はハコ物優先で土地の提供からその他便宜供与などもろ手を挙げて歓迎しているようだ。ハコ物を作れば土地を売却した地方政府と不動産業者に大金が入り、GDPも上がり一挙両得としている。 

  2.  世界最大のghost shopping center

     上述の開発業者の話では成都では数年で数多くのshopping centerが建設されたがvacancy rateは11.6%で殆ど専門店で埋まっているという。一方広東省の東莞市の新華南モールは市の中心から遠いこともあるが東京ドームの10個分という広大な敷地にモールを作り2005年に完成したが1500店舗のテナントは入居しておらず、巨大なゴミ捨て場と化している。「官僚の業績追求が作り上げた浪費」と揶揄されている。地方都市ではghost townはいくらでもある。例えば内モンゴルのオルドス市は石炭ブームの折に砂漠の真ん中に100万都市をつくったが、目下人っ子一人もいない状況で、このような例は至る所にあるが、ショッピングモールでもghost shopping mallがこれから続発するのだろうか。

  3.  shopping center からshopping mallに

     日本のようにshopping centerからmallに移行せずに最初からmallとして展開したのが中国だ、ただし、地方政府は土地の再開発を狙っているので、広大なshopping centerを造りそこにshopping mallも併設するケースは多数ある。改革開放政策と同時に北京では次々と欧米系のmallがホテルと共に林立した。自家用車もなく(今でもスーパーに近隣の人が相乗りしてくる官公庁の車が多いが)パーキングも不要で一家総出で一日過ごせる利便性がモールにある。良く見ると店を覗くが買い物はしていない。売れるのはFast Foodなど食事の類だけだ。

  4.  内需拡大は期待できるのか

     中国は巨大な市場となると言い出したのは、最初は米系の調査会社・金融機関だ。一部のアメリカ人は1980年代から巨大な人口と昼間からゾロゾロ街を歩く中国人を見て彼らが消費に走れば物はたちまちなくなると信じていた。彼らは実際に中国人がどのような生活をしているかは全く無視していた。ところが、実際にアメリカ型の消費経済は全く育たずに何年もたってしまった。一方、開放政策によって富裕層が生まれ、彼らの消費に期待が高まった。メデイアで流されるのは日本にもいない超リッチな人たちの世界最高級ブランドの消費状況などで実際の内需とはあまり関係がない。実際に高級品市場の20%は政府高官向けの贈答品で今年の場合11月まで人事が決まらないので誰に贈って良いのかわからないといった話まである。更に、中間層が何億人といった解説が出るとこれだけで巨大市場と見てしまう。これらの動きは米系の開発業者と米系金融機関さらにはマッキンゼーなどコンサルタント会社が中国に無数にある不動産業者と組んで強気な発言を展開しているとも言える。マッキンゼーは「大衆消費から新主流投資へ、急速に変化する消費者のリズムに追いつくために」と中国の不動産業者が喜びそうなキャッチフレーズを用意した。年収106,000元以上の市民を新主流消費グループとして、マイカー、高級品を買うグループとしている。一方、年収37,000元〜106,000元のグループを大衆消費グループとしている。2020年には都市住民の57%が新主流消費グループになると予測していた。shopping 開発のための予測にしても極めて楽観的だ。それでも米系業者は中国経済も減速と見て、早々とmallの売りに出ていたが日系はこれから展開しようとしていたようにも見える(尖閣問題でしばし休戦状態となろうが)、いずれにせよ開発業者は沿海部はさておき奥地に奥地にと誘導しつつある。内需振興についてはまた別稿で解説するとして、現状はハコ物優先で内需は二の次という展開となろう。
     
     

(参考)流通ゴッコ(日本では卸問屋が、中国では土地開発業者が主導した流通)

 本論とは外れるが日本での流通業=スーパーとかshopping mallの形成過程を見てみよう。日本ではダイエーとかイトーヨーカ堂がスーパーマーケットを開店したのは1950年代の終わりで1960年代の終わりにはshopping centerも出現した。一方、従来からあった流通の見直しも盛んとなった。特に中間流通の担い手である問屋は不要との声に一部の学者と卸が中心となって中間流通の必要性を叫んでいた。筆者は偶々この時代にアメリカに居り最下位の駐在員であったので専門外のこれらの卸の観光団の案内役となったことがある。この強烈な印象から当時のこれらの一団に「流通ゴッコ集団」という名称を付けた。学者は何とか理論づけを考えるもので、shopping centerの定義は“WANTとNEEDの接点”だという。I want to buyの場合は百貨店、I need to buyはスーパーに行く。そこで百貨店とスーパーが核となってshopping centerが成り立つという理屈だ。アメリカでは当時shopping centerが大流行で百貨店、スーパーの他に専門店、映画館、飲食店などが巨大な広場に集まっており、狭い日本では考えられない風景であった。難点は駐車場からすべて歩くとなると大変な距離となる。そこで outlet――shopping mallと変遷したのだろう。一方、卸の観光団はsupermarketにはneighbor, regional, communityの3種類あるはずだが、それをすべて見せろという。そんなことは知らないから、アパートの近所のスーパーから郊外のスーパーまで案内した。また、ある一行はcold chainを見たいという。冷凍食品の草創期で冷凍食品工場、冷凍冷蔵庫、配送の高速道路網、スーパーの冷凍倉庫、スーパーの店頭までが鎖のようにつながっているという意味で別に特殊な形態ではないが、おそらくそのような形態があると勘違いしたのだろう。いずれにしても大学の先生にとっても新分野で将来の有望な食い扶持となるので次々と珍説を発表していたようだ。一方、卸は代金回収業が主体であったようだが大型スーパーが誕生すると、卸の居場所はなくなるので彼らも必死に流通ゴッコに取り組んでいたようだ。全国に流通センターなるものを続々と立ち上げスーパーに欠品の出ないように細かく配送するなど、その結果が今日のスーパーの総菜売り場などのガラパゴス化の走りだ。但し、卸はその後も淘汰され何れメーカー・スーパーの直結となる運命にある。


 

編集者注
 
注1

http://www.cbre.com/AssetLibrary/Global Shopping Centre Development - Final.pdf :最終検索2012年11月1日
  

   


 

 

 

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更新日:2012/10/30