Chase Manhattan Bank(以下 “Chase”)とChemical
Bank(以下 “Chemical”)との合併交渉
ChaseとChemicalは、マネーセンターバンクとして、米国のみならず、欧州アジアの金融拠点でお互いに激しい競争を展開していたが、1995年8月突然、両行が合併することを発表した。両行の財務内容は共に健全であったが、より高いROEを追求する機関投資家からの合理化圧力に直面していた。Chemicalの頭取シップレー(Shipley)が仕掛け、Chaseの頭取のラブレック(Labrecque)が応じるかたちで、この合併は実現した。
これにより、2行合計で75,000名(グローバルベース)の職員は、12,000名削減され、年間15億ドルの経費の削減効果をもたらした結果、合併後の新銀行は、Citicorpを凌ぎ質量とも米国一の金融機関となった。
私は、1994〜96年の間、日銀ニューヨーク事務所長を務めており、たまたま事務所が、Chase本店と同じビルに入居していたこともあって、両行が経営統合を行うプロセスを具に見聞きすることが出来た。
まず、驚いた点は、合併が公表された当日から、Chaseビル地下1階の20台程度の公衆電話ブース(当時は個人用の携帯電話は未だ普及していなかった)が、転職先を探すChase職員で全て占拠されたことである。彼らは、自分の職歴を整理したノートを膝の上において、長時間交渉を行っている様子であった。
また、シップレー(Chemical)、ラブレック(Chase)の両頭取にお目に掛かり、合併の狙い、統合の進め方について親しくお話を伺うことが出来た。シップレー頭取は、父親も銀行(ブラウン・ブラザーズ・ハリマン)のトップであり、二代続いて日本の銀行とも緊密な関係があったため、さらにラブレック頭取とは、大家―店子の間柄で時折同行パーティーに招待を受けていたこともあって、お二人との間では打ち解けた雰囲気で、意見交換を行うことができた。株主である有力機関投資家との関係およびROEの引上げ等経営効率の改善策に関して、彼らの意見を聞いたが、最も印象的であったのは、両頭取が口を揃えて、“機能・店舗網等で重複度の高い両行を可能な限り速やかに統合することが、我々トップの最大の任務であり、それに最大限のエネルギーを注いでいる”と明言した点である。
さらに、シップレー頭取は、“機能が重複している外国為替、債券等の市場関係部門および海外主要拠点については、遅くとも60日以内に、新陣容を全て決定する。徒に決定を先送りすることは、不幸にして新銀行に残れなかった職員から、新しい職場を見つける権利を奪うことになる。これは、合併銀行の経営者として是非とも回避すべきことである”と語っていた。また、ラブレック頭取は、“当行は、合併を仕掛けられた立場であり、自行職員に新銀行でのポストを何とか確保してやりたいとの気持ちは強いが、最終的には、新銀行をベストの布陣でスタートさせるとの観点から選定する”として、苦しい胸の内を披瀝。
両頭取の個別銀行の利害を乗り越えた判断・行動により、新銀行Chase
Manhattanは円滑にスタート、その後も順調に発展し、2000年には名門J.P.Morgan銀行を実質的に吸収合併し、J.P.Morgan
Chaseとして世界第1位の銀行となった。
両行の合併成功の背景を探ると、
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ROE改善を強く要求する機関投資家を中心とする市場の強い圧力
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トップの迅速な決断と果断な実行力
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余剰部門の整理・合理化を可能にする弾力的な労働法制(ただし、個別の従業員を合理的な理由なく不平等に取扱うことは厳禁)
が挙げられ、いずれも、現在の我が国の金融界には欠如している。
なお、ラブレック氏は、合併後のChase
Manhattan銀行で社長兼COOとして活躍していたが、2000年10月突然逝去。原因は、肺がんとのことであるが、同氏はタバコを一切吸わなかった。銀行の合併とは、トップが生命を賭けて取組むものと見るのは、考え過ぎであろうか。