「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」が横浜で開催されている。ポンペイはナポリ近郊で、様々な歴史を経て、末期ローマの別荘地として栄えた。79年ヴェスヴィオ火山が大噴火し町中が埋もれていたものが、発掘された。私は家の壁画を飾ったフレスコ画を昔から見たいと願い、今回やっと願いが叶った。
フレスコ画は予想通り詩情豊かなものであったが、今回発掘品や絵の内容で、ポンペイの生活水準を考えた。たまたま本年ロスアンジェルスの豪邸街ビバリーヒルズを見たが、ポンペイの家はこれに劣らない。フレスコに描かれる「海の幸」は豊かである。家々の浴槽設備は整い、彼らの生活水準は今日の誰よりも贅沢かもしれない。
紀元一世紀というと何か未開というイメージがあるが、そうでもない。生活水準が今日以上なら、考えていることも今日以上の可能性がある。
今、『日本人のための戦略入門』の本を書けないか、格闘中である。その中『孫子の兵法』の凄さを再確認している。
戦略論というと最も有名なのはクラウゼヴィッツの『戦争論』である。ここでは「戦争は相手にわが意志を強要するための力の行使」「この目的のため敵を無力化させなければならない」などを主張した。
しかし、核兵器の発達によって、米国、ソ連(ロシア)は仮に攻撃をうけても、攻撃を免れた核兵器で相手国を完全に壊滅できる。どうしたら、相手国が核攻撃をしないようにするかの発想で「確証破壊戦略」が作られた。軍事戦略は「如何に効率よく戦争するか」から「如何に戦争を避けるか」を学ぶ学問に進化した。
米国学者シェリングは『紛争の戦略』で「紛争をごく自然なものととらえ、紛争当事者が“勝利を追求しあうことをイメージするからと言って、戦略の理論は当事者の利益が常に対立しているとみなすわけではない。紛争当事者の利益には共通性も存在するからである」として、紛争を回避すること自体が国の利益なるという考え方を発表し、2005年ノーベル経済学賞を受賞した。
核戦争の理論で、如何に戦争を避けるかが中心になった。それを裏付けノーベル賞受賞につながる理論も出た。しかし、この考えは我々には馴染み深い。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」「用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」、孫子の教えである。
軍事戦略論をシステム的に完成させたのが1960年代の米国国防長官マクナマラである。マクナマラは戦略を作る過程を三つの段階に分けた。第一段階;目標を明確に設定せよ。第二段階;目的達成の計画を作れ。第三段階;システム的に計画実施を管理せよ。
孫子をこの分類にあてはめて見ると至言に満ちている。
我々は古代よりも圧倒的に優れた生活を楽しみ、思索に優れていると思っている。しかし実は古代の方が優れている場合が多々ある。謙虚に古の書物を紐解くと、我々の予想を超えた豊かな世界がある。
(注:本稿は5月17日北国新聞 「北風抄」に掲載されたものである。)
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