1914年サラエヴォで視察中の皇太子が暗殺されたのを契機に第一次大戦が始まった。
12月17日チュニジアで路上で物売りをしていた一人の青年が焼身自殺をした。これが、今チュニジア、エジプト、リビア、バハレーンで起きている政権揺さぶりの契機となった。背景には抑圧的政権への不満と生活苦がある。
チュニジアでは1987年から大統領の職にあったベンアリ大統領が国外に脱出した。1月25日からデモが活発化したエジプトでは、2月11日ムバラク大統領の辞任が発表された。1981年からの30年以上の独裁体制に終止符がうたれた。リビアでは2月カダフィ革命指導者の退陣を求める動きが活発化し、大混乱の中にある。何時カダフィの退陣が発表されても不思議でない状況にある。カダフィは1969年以来、実質的元首として君臨してきた。
こうして北アフリカにおいては20年、30年継続した独裁体制が民衆のデモを契機に次々と崩壊した。
体制変革を求める動きはアラビア半島にも飛び火した。バーレーンでは2月4日から、在任40年に及ぶハリーファ首相の退陣を求めるデモが続いている。イエーメンでも大統領の退陣を求めるデモが各地で生じている。それぞれの国にはそれぞれの特別な事情がある。共通しているのは長期政権化した政権に対する民衆の不満が爆発し、デモの形で政権を倒す力を持ったことである。
その背景には二つの事実が特筆される。一つはこれらの国の人口で若者の比重が極めて高いこと、かつネット情報が急速に普及したことである。30才以下の人口はチュニジアで52%、エジプトで61%、リビアで58%、イエーメンで74%である。そして毎日インターネットに接する層は50%を越える。人口で圧倒的に多数を占める若者がインターネットで新しい情報を入手し運動に結びつけた。
西側の多くの識者は、チュニジアの事件がこんなに多くの連鎖反応を起こすとはみていなかった。代表的人物にスティーヴン・ウォルト ハーバード大学教授がいる。彼は雑誌「フォーリン・ポィシー」で、何故見通しの間違いを犯したかを書いている(注1)。