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孫崎享のPower Briefing

福田内閣崩壊の原因

2011/7/1
 

孫崎 享
(twitter)

 日本では短命内閣が続いた。安倍内閣は2006年9月26日から2007年9月26日、福田内閣は2007年9月26日から2008年9月24日、麻生内閣が2008年9月24日から2009年9月16日、鳩山内閣が2009年9月16日から2010年6月8日という短命に終わった。この内、麻生内閣は総選挙に敗れ、鳩山内閣は普天間問題の混乱で終わった。しかし、安倍首相、福田首相が何故突然首相を辞めると言ったかは、明確でない。福田首相は「国民生活のために新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」と述べたのみで、何故突然辞任したか定かでない。
 福田首相が辞めた背景にどうも米国との関係がありそうだ。それを示してくれたのがウィキリークスである。ウィキリークスは在京米国大使館が本国に送った約5千本の電報を取得し、今朝日新聞がこれを独占的に保有している。これに基づき2011年6月17日付け朝日新聞は次のように報じた(注1)。「米ブッシュ大統領、洞爺湖サミット(2008年7月7日〜7月9日)時にアフガンへ陸上自衛隊陸自の派遣要求」「ブッシュ氏は首脳会談で福田氏に“アフガンに中身のある支援をする必要がある”と強い調子で要求。“陸自のCH47大型輸送機か軍民一体の地域復興チームを担当するか”と具体的に求めた。しかし福田氏は“陸自の大規模派遣は不可能”と返答した」。洞爺湖サミットの時ブッシュ大統領と福田首相の間に相当の緊張が存在している。
 ではその後、どうなったか。米側は福田首相の断りに理解を示し、諦めたか。あるいは、引き続き圧力をかけたか。後者である。
 ウィキリークスは自衛隊のアフガニスタン派遣をめぐる動きを更に開示した。サミット後の2008年7月15日と16日、東アジア担当国防次官補が訪日し、関係者に日本が行うべきアフガニスタン支援構想を提示している。その際米側は次の主張をした。「福田首相はCH47大型輸送機の派遣等を拒否したが、米国は依然これを重視している。よって米国は次の案を提示する。
(1)C-130(輸送機)およびCH47(ヘリコプター)の派遣
(2)地域復興チームへ自衛隊員等の派遣、
(3)40床からなる医療ネットワーク(複数)の設置、
(4)アフガン選挙資金へ2億ドルの拠出
(5)アフガン軍、司法機関強化へ200億ドルの貢献、
加えて日本の指導者および国民がアフガニスタン支援の重要性にコミットすること。」
 この提言に対して外務省幹部は一週間から三週間の間に回答する旨答えた。更にサミット前の6月17日付在京米国大使館発の電報では「福田内閣内の不統一では米側要請に答え、運用上および法律上の措置をとるのを妨げている」との判断を行っている。
 福田首相は「国民生活のために新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」と述べて辞任した。多くの日本人にはこの説明は意味不明だった。皆が唐突に政権を投げ出した福田首相を非難した。ウィキリークスのおかげで実態が判明してきた。福田首相は自分の首と自衛隊の派遣と巨額の資金提供を引き換えにしたようだ。
 先日何人かの大学生が家に遊びにきた。中に福田氏の母校麻生高校の卒業生がいた。彼によれば辞任一ヶ月後の同窓会で福田氏は自分は正しい決断をしたと自信を持ち述べていたという。

 


脚注
 
注1 http://www.asahi.com/special/wikileaks/TKY201106160680.html (最終検索2011/7/8)
 
 
 
   
   
   
 

 

 

 

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更新日:2012/09/15