平成17年(2005年)4月1日施行の「犯罪被害者等基本法」は、「近年、様々な犯罪等が跡を絶たず、それらに巻き込まれた犯罪被害者等の多くは、これまでその権利が尊重されてきたとは言い難いばかりか、十分な支援を受けられず、社会において孤立することを余儀なくされてきた。」という反省に基づいて、「犯罪被害者等の権利利益の保護を図ることを目的」とする法律です。この法律の目的達成のための様々な具体的施策については次々回(第32回)以降で検討します。たとえば、昭和56年(1981年)1月1日から施行されている「犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律」に基づく「犯罪被害者等給付金」の支給とか、平成20年(2008年)12月1日から施行されている「被害者参加制度」とか、近く施行される予定の「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」の「平成19年度改正」に基づく「損害賠償命令申立て制度」などです。
今回と次回で検討するのは、現在のところ日本では問題になっていませんが、アメリカではしばしば問題となっている「Son of
Sam Law(サムの息子法)」です。Son of Sam
Lawとは、要するに、犯罪の加害者が、その犯罪実話を売り物にして得た利益を、その犯罪の被害者に支払わせる法律です。なぜSon
of Sam Lawと呼ぶのでしょうか? Son of Sam Lawは何が問題なのでしょうか?
1977年(昭和52年)の夏、アメリカのニューヨーク州で一連の猟奇的殺人事件が起きました。すべての現場にはSon of
Sam(サムの息子)という犯人の署名が残されていました。Son of
Samとは一体何者なのか。マスコミは興奮しました。ほどなく、犯人David
Berkowitz(デービット・バーコビッツ)が逮捕されました。バーコビッツの独占手記を買おうとする希望者たちが殺到し、購入希望価額は巨額となりました。たとえば、McGraw-Hill(マグローヒル)出版社からの申出額は25万ドルだったそうです(注1)。そこで、ニューヨーク州議会は大急ぎで、当時の犯罪被害者救済法(注2)の改正を行ったのです。この1977年の改正法を俗にSon
of Sam Lawと呼ぶようになりました。1977年8月11日付けで発効したSon of Sam
Lawは、おおよそ、次のような内容でした(注3)。
@ |
犯罪者とその犯罪に関する実話を基にした出版の契約をした者は、その契約の写しを犯罪被害者救済委員会に提出し、その契約に基づく支払金をまず同委員会に寄託しなければならない。 |
A |
同委員会は、この寄託金を5年間、その犯罪の被害者に対する補償金の支払いのために保管する。 |
B |
その犯罪の被害者は、この支払い金の寄託の日から5年間、補償を求める裁判を起こすことができる。勝訴判決があれば、これに基づいて寄託金から直ちに補償金の支払いが受けられる。 |
C |
5年が経過した時点で、補償問題に関する訴訟が存在していない場合には、寄託金の残高は直ちに犯罪者に返還される。 |
このようなSon of Sam
Lawに対しては、その制定当初から、様々な形で犯罪者側からの反撃がありました。何が問題だったのでしょうか。次回(第31回)では、Son
of Sam Lawを巡るアメリカの裁判闘争の歴史を見ることにしましょう。
脚注
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注1 |
Matter of
Johnsen (David A. Berkowitz), 430 N.Y. S. 2d 904 (1979).
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注2 |
1966 Executive Law Article 22.
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注3 |
このニューヨーク州のSon of Sam
Lawを真似た法律が、その後に(1991年10月までに)41州で制定されている、とのことです。New York
Times 1991年10月16日版、B8面。
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