知財問屋 片岡秀太郎商店  会員登録(無料)
  chizai-tank.com お問い合わせ
HOME 右脳インタビュー 法考古学と税考古学の広場 孫崎享のPower Briefing 原田靖博の内外金融雑感 特設コーナー about us  
 

大塚正民の考古学と考古学の広場

第69回:マーシャル事件判決と荒涼館:その1

2012/5/1

大塚 正民
大塚正民 法律会計事務所
 

「マーシャル事件判決」とは、アメリカ合衆国最高裁判所が2011年6月23日に言い渡した判決(注1)のことです。「荒涼館」とは、イギリスの作家チャールズ・ディケンズが1852年から1853年にかけて発表した社会小説(注2)のことです。
「マーシャル事件判決」の法廷意見を書いたのは、首席裁判官ロバーツですが、その法廷意見は、「荒涼館」からの引用で始まっています。

−「時がたつにつれて、この・・・訴訟はすっかりこみいってしまったので、もうだれにもさっぱりわけが分からなくなってしまった。・・・弁護士同士が五分間でもこの事件について話し合えば、訴訟のもとになる事実に関して、ことごとに真っ向から意見が対立せずにはいない。この事件には、かぞえきれぬほどの子供たちが生れて関係し、かぞえきれぬほどの若い人たちが結婚してつながりを持ち、・・・」そして、悲しいかな、当初からの当事者たちは、「死んでつながりを絶っていった。」その間、「えんえん長蛇の列をつくった〔裁判官たち〕が来り去り、・・・」それでもなお、この訴訟は「いぜんとしてわびしい姿を・・・法廷にさらしつづけ」ている。これらの引用は、この「マーシャル事件」について書かれたものからの引用ではない。チャールズ・ディケンズの「荒涼館」からの引用である。しかし、もしディケンズが、この「マーシャル事件」について書いたとしたら、こういう表現になっていたであろう。−

なぜ、ロバーツは「荒涼館」から引用したのでしょうか。それは、この「マーシャル事件」と「荒涼館に出てくるジャーンディス対ジャーンディス事件(注3)」が似ていたからです。そこでまず「マーシャル事件判決」とはどのような判決かを見ることにし、つぎに「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ることにしましょう。

「マーシャル事件判決」のあらまし
今回の「マーシャル事件判決」は2011年6月23日に言い渡されています。上告人がSternという人で、被上告人がMarshallという人です。前者は、Vickie Lynn Marshallという死者の遺言執行者で、後者は、Pierce Marshallという死者の遺言執行者です。実は、これより6年前に別の「マーシャル事件判決(注4)」が2006年5月1日に言い渡されています。この時の上告人はVickie Lynn Marshallで、被上告人はPierce Marshallでした。そもそも、この訴訟は、Pierce の父J. Howard Marshallと結婚したVickie (義母)とPierce(義理の息子)との間のHoward(父)の遺産を巡る紛争に基因していました。その経過は、おおまかに言えば、次のとおりです。

  1. 1982年6月、Howard(父)が信託その1を設定し、ほとんどの財産を自分の死後Pierce(息子)に移転する旨の取決めをした。

  2. 1991年10月、Vickie(注5)がテキサス州ヒューストンのストリップ劇場で踊り子をして働いていた時、石油富豪のHowardと知り合いになった。

  3. 1993年2月、Vickieは先夫Billyと離婚し、1994年6月27日、Howardと結婚した。当時Howardは89歳、Vickieは26歳であった。

  4. この結婚直後に、Howard(父)は信託その1を撤回不能の信託に変更した。

  5. 〔Vickie (義母)の主張によると、Howard(父)は、Vickieと結婚したら、別に信託その2を設定し、その結婚の存続期間中に信託その1の信託財産の価値が増価した分の半分を信託その2の信託財産とする、との意図であったが、Pierce(義理の息子)は姦策を弄してこの意図の実現を妨害した。〕

  6. この結婚から13ヶ月後の1995年8月4日、Howardは死亡した。

  7. Howardの死亡後に数週を経ずに、VickieとPierceとの間で Howardの遺産を巡る法廷闘争が始まった。

  8. 2006年5月1日、前回の「マーシャル事件判決」の言い渡し。Vickieを敗訴させた下級審判決を取り消して、事件を第9巡回区連邦控訴裁判所に差し戻し。

  9. 2006 年6月20日、Pierceが死亡し(未亡人Elaine T. Marshallが遺言執行者)、2007年2月27日、Vickieも死亡した(弁護士Howard Sternが遺言執行者)。

  10. 2011年6月23日、今回の「マーシャル事件判決」の言い渡し。Vickieを再び敗訴させた第9巡回区連邦控訴裁判所の判決を維持。

********
まさに「荒涼館」からの上記の引用にいうような状況だったのです。つまり、当初からの当事者たち〔VickieおよびPierce〕は、「死んでつながりを絶っていった。」その間、「えんえん長蛇の列をつくった〔裁判官たち〕が来り去り、・・・」それでもなお、この訴訟は[〔Vickieの遺言執行者であるStern対 Pierceの遺言執行者であるMarshallという形で〕「いぜんとしてわびしい姿を・・・法廷にさらしつづけ」ていたのです。次回(第70回)では、「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ることにしましょう。


脚注
 
注1

Stern v. Marshall, 131 S. Ct. 2594 (2011).
 

注2

Charles Dickens, Bleak House(1852−53) 邦訳:青木雄造・小池滋、荒涼館1〜4、ちくま文庫(1989)による。
 

注3

原文はJarndyce and Jarndyceで、上記の邦訳ではジャーンディス対ジャーンディス事件となっていますが、BBCのドラマでは、ジャーンダイスと発音されています。
 

注4

Marshall v. Marshall, 547 U.S. 293 (2006)
 

注5

Vickieは、この訴訟で一躍有名になり、彼女の経歴を述べた記事も多く出ています。たとえば、http://en.wikipedia.org/wiki/Anna_Nicole_Smith (最終検索:2012年4月30日);
http://www.allydirectory.com/Biographies/anna-nicole-smith-biography/ (最終検索:2012年4月30日)。
 

   
   


大塚正民弁護士へのご質問は、こちらからお願い致します。  <質問する

  質問コーナー(FAQ)
  

ご質問は、編集部の判断によって、プライバシー等十分配慮した上で、一部修正・加筆後、サイトへ掲載させて戴く場合がございますので、予めご了承ください。

本メールの交換はすべて編集部を介して行われます。

すべてのメールには、お返事できない場合もございます。ご了承下さい。

 

 

 

chizai-tank.com

  © 2006 知財問屋 片岡秀太郎商店

更新日:2012/10/30