「マーシャル事件判決」とは、アメリカ合衆国最高裁判所が2011年6月23日に言い渡した判決(注1)のことです。「荒涼館」とは、イギリスの作家チャールズ・ディケンズが1852年から1853年にかけて発表した社会小説(注2)のことです。
「マーシャル事件判決」の法廷意見を書いたのは、首席裁判官ロバーツですが、その法廷意見は、「荒涼館」からの引用で始まっています。
−「時がたつにつれて、この・・・訴訟はすっかりこみいってしまったので、もうだれにもさっぱりわけが分からなくなってしまった。・・・弁護士同士が五分間でもこの事件について話し合えば、訴訟のもとになる事実に関して、ことごとに真っ向から意見が対立せずにはいない。この事件には、かぞえきれぬほどの子供たちが生れて関係し、かぞえきれぬほどの若い人たちが結婚してつながりを持ち、・・・」そして、悲しいかな、当初からの当事者たちは、「死んでつながりを絶っていった。」その間、「えんえん長蛇の列をつくった〔裁判官たち〕が来り去り、・・・」それでもなお、この訴訟は「いぜんとしてわびしい姿を・・・法廷にさらしつづけ」ている。これらの引用は、この「マーシャル事件」について書かれたものからの引用ではない。チャールズ・ディケンズの「荒涼館」からの引用である。しかし、もしディケンズが、この「マーシャル事件」について書いたとしたら、こういう表現になっていたであろう。−
なぜ、ロバーツは「荒涼館」から引用したのでしょうか。それは、この「マーシャル事件」と「荒涼館に出てくるジャーンディス対ジャーンディス事件(注3)」が似ていたからです。そこでまず「マーシャル事件判決」とはどのような判決かを見ることにし、つぎに「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ることにしましょう。
「マーシャル事件判決」のあらまし
今回の「マーシャル事件判決」は2011年6月23日に言い渡されています。上告人がSternという人で、被上告人がMarshallという人です。前者は、Vickie
Lynn Marshallという死者の遺言執行者で、後者は、Pierce
Marshallという死者の遺言執行者です。実は、これより6年前に別の「マーシャル事件判決(注4)」が2006年5月1日に言い渡されています。この時の上告人はVickie Lynn
Marshallで、被上告人はPierce Marshallでした。そもそも、この訴訟は、Pierce の父J.
Howard Marshallと結婚したVickie
(義母)とPierce(義理の息子)との間のHoward(父)の遺産を巡る紛争に基因していました。その経過は、おおまかに言えば、次のとおりです。
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1982年6月、Howard(父)が信託その1を設定し、ほとんどの財産を自分の死後Pierce(息子)に移転する旨の取決めをした。
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1991年10月、Vickie(注5)がテキサス州ヒューストンのストリップ劇場で踊り子をして働いていた時、石油富豪のHowardと知り合いになった。
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1993年2月、Vickieは先夫Billyと離婚し、1994年6月27日、Howardと結婚した。当時Howardは89歳、Vickieは26歳であった。
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この結婚直後に、Howard(父)は信託その1を撤回不能の信託に変更した。
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〔Vickie
(義母)の主張によると、Howard(父)は、Vickieと結婚したら、別に信託その2を設定し、その結婚の存続期間中に信託その1の信託財産の価値が増価した分の半分を信託その2の信託財産とする、との意図であったが、Pierce(義理の息子)は姦策を弄してこの意図の実現を妨害した。〕
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この結婚から13ヶ月後の1995年8月4日、Howardは死亡した。
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Howardの死亡後に数週を経ずに、VickieとPierceとの間で
Howardの遺産を巡る法廷闘争が始まった。
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2006年5月1日、前回の「マーシャル事件判決」の言い渡し。Vickieを敗訴させた下級審判決を取り消して、事件を第9巡回区連邦控訴裁判所に差し戻し。
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2006 年6月20日、Pierceが死亡し(未亡人Elaine T.
Marshallが遺言執行者)、2007年2月27日、Vickieも死亡した(弁護士Howard
Sternが遺言執行者)。
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2011年6月23日、今回の「マーシャル事件判決」の言い渡し。Vickieを再び敗訴させた第9巡回区連邦控訴裁判所の判決を維持。
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まさに「荒涼館」からの上記の引用にいうような状況だったのです。つまり、当初からの当事者たち〔VickieおよびPierce〕は、「死んでつながりを絶っていった。」その間、「えんえん長蛇の列をつくった〔裁判官たち〕が来り去り、・・・」それでもなお、この訴訟は[〔Vickieの遺言執行者であるStern対
Pierceの遺言執行者であるMarshallという形で〕「いぜんとしてわびしい姿を・・・法廷にさらしつづけ」ていたのです。次回(第70回)では、「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ることにしましょう。