前回(第69回)では「マーシャル事件判決」とはどのような判決かを見ました。つぎに「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ることにしましょう。
「荒涼館」のあらまし
山本史郎「名作英文学を読み直す(注1)」は、「荒涼館」の絶好の案内書です。以下は、同書からの引用です。
―「荒涼館」というのは「ものわびた館」という意味で、イギリスの大きな屋敷につけられた名前である。・・・この屋敷の主人はジョン・ジャーンディスという初老の紳士だ。「ジャーンディス対ジャーンディス」というチャンスリー〔大塚注:大法官裁判所のこと〕で何世代にも渡って係争中の遺産相続訴訟があるが、このジョン・ジャーンディスはその当事者の一人である。ジャーンディス氏は、訴訟と離れて過ごすことを処世訓として生きてきた人だ。あるとき、ジャーンディス氏は、同じようにこの訴訟に巻き込まれている二人の孤児(つまり親戚にあたる二人の若者)を呼び寄せ、自分が後見人となって、いっしょに荒涼館で暮らすことにする。二人というのは、リチャード・カーストンというハンサムで純真で頭の良い青年と、さながら一輪の薔薇の花のごとく可憐な少女エイダ・クレアである。リチャードには財産があるわけではないので、ジャーンディス氏は何とか定職に就けてやろうと努める。法律を学ばせようとする。海軍軍人はどうかと試みる。陸軍にも入れてみた。だが、どこに行っても、リチャードは長続きせず、数ヶ月でまたぞろ荒涼館に舞い戻ってしまうということの繰り返し。・・・リチャードは能力があり、チャンスにも恵まれているのに、「ジャーンディス対ジャーンディス」が解決すれば自分には財産が入って左うちわの人生だという意識があるので、職業に身が入らない。しばらくすると職業のことは完全にリチャードの頭から抜け落ちてしまい、自ら弁護士を雇って、いよいよ訴訟事件にのめりこむ。恩人のジャーンディス氏との仲が悪くなり、荒涼館から飛び出し、訴訟事件に四六時中専念するという生活になってしまった。そのうち、密かにリチャードを愛するようになっていたエイダはリチャードと秘密結婚し、ロンドン市中の陋巷〔大塚注:ろうこう→狭くて汚い裏町のこと〕に住むリチャードのもとで暮らすようになった。子どもが生れる。リチャードはいよいよ貧乏になるとともに、いつまでたっても埒のあかない訴訟に焦燥感を募らせていく。やがて、「ジャーンディス対ジャーンディス」に大きな動きがある、結論がもうすぐ出るという噂が立つ。リチャードにとっては待ちに待った瞬間だ。ところが、何とアナウンスされた結論とは、裁判費用によって遺産が使い尽くされ、訴訟は自然消滅したというものだったのだ。リチャードはショックのあまりに憔悴し、こと切れてしまう。―
「荒涼館」の意義
以下は、同じく上記の山本史郎「名作英文学を読み直す」からの引用です。
―イギリスの通常の裁判所では古くから「コモン・ロー」が用いられていた。これは判例に基づく不文法である。・・・裁判所が判断の基準とするものは過去の判例の集成しかないのである。・・・「コモン・ロー」では明らかに生じている不正や不公平を修正すべく「エクイティ」(衡平法)が作られた。それに基づいて裁判を行うのが、チャンスリーと呼ばれる裁判所だった。そして、チャンスリーがカバーする範囲には、遺産相続の争いが含まれていた。ところがである。19世紀のイギリスは近代化が大きく進み、社会の制度、政府組織、政治形態など様々の面で金属疲労を起こしていた。ちょうど現在の日本の状況に似ている。時代のゆがみに対応するはずのチャンスリー自体にも、ご多分に漏れず、数百年来の組織の疲労が蓄積していた。1850年頃のチャンスリーでとくに問題になっていたのは、審理の著しい遅れである。・・・遺産相続の事件を代々遺産相続していくという、当事者たちにとっては笑うに笑えない事態だったのだ。裁判費用は係争中の遺産から支払われるから、裁判によって食いつぶされ、自然消滅した遺産もあった。・・・ディケンズの「荒涼館」はまさにこのような「法の遅延」がテーマだ。―
前回(第69回)で引用した邦訳の共訳者である青木雄造教授も「本来の機能を失って自己の責任をはたさず、形骸と化した制度、機関、階級、人間に対する批判を、ディケンズはジャーンディス対ジャーンディス事件の直接、間接の関係者が辿る運命を通じて行っている・・・」と述べています(注2)。