前回(第70回)では、「荒涼館」とはどのような社会小説かを見ました。その際に参考にしたのは、青木勇造・小池滋訳の「荒涼館」全4巻(ちくま文庫1989年)と田辺洋子訳の「荒涼館」上下巻(アポロン社2007年)です。両者とも読みやすい名訳ですが、ことイギリスの法律制度という特殊な分野に関しては、「誤解ではないかと思われる部分」があります。
たとえば、イギリスの裁判所侮辱(contempt of
court)に関するもの。前者の第1巻の12頁には、つぎのような部分があります。
− 黄ばんだ顔色をした一人の被告は、これで六度目であるが、身柄勾留のまま出廷して、「身に受けた侮辱をそそぐ」ためにみずから申入れをしようと待ちかまえている。これはある遺産の管理人で、もともと会計の心得など、いっこうになかったと言われているが、収支の勘定をすっかり凝結させてしまったのである。しかし、仲間の遺産管理人たちがみな死んでしまったので、とうてい身に受けた侮辱をそそげそうにもない。そうしているあいだに、この被告の前途の見込みはもうなくなってしまった。−
この部分は、後者の上巻の17頁によりますと、つぎのように訳されています。
− 土気色の囚人が直々「侮辱罪の汚名を雪ぐ」申請をすべく、これが六度目、お縄のなり出廷している。が御当人、答弁に関してはついぞからきし存じ上げたためしのないと思しき膠着状態に陥った唯一の生き残り遺言執行者であるからには、金輪際、雪げそうもない。が片や、人生のお先は真っ暗だ。−
前者では、裁判所侮辱ではなく「身に受けた侮辱」となっていますが、後者では、「侮辱罪」となっています。これは「裁判所侮辱」が正しい。イギリス(アメリカもそうですが)の裁判所侮辱とは、「裁判所の権威を傷つけ、または、裁判所による司法の運営を害する行為」および「そのような行為に対する制裁」を意味します。「制裁手段は、拘禁と制裁金で・・・伝統的には、この制裁は、当該事件の審理に当たっている裁判官が職権で科しうるものとされ、制裁の程度も当該裁判官の裁量にまかされていた」のです(注1)。つまり、この囚人は、かって何人かの仲間と一緒に他人の遺産管理人だったのですが、仲間がみな死んでしまった後に、裁判所から遺産の収支の勘定の明細を求められたところ、もともと会計の心得がなかったので、そのような裁判所の命令に従うことができず、その結果、裁判所侮辱として拘禁された、という訳です(注2)。
もう1つ、たとえば、イギリスの女性参政権に関するもの。前者の第4巻の383頁には、
− でも〔大塚注:ジェリビー〕夫人は今度は女権運動をひっさげて代議士に立候補することになりました。−
とありますが、後者の下巻の537頁には、
− 今度は、女性国会議員選出権運動にしっくり馴染み−
となっています。しかも後者には、この点に関する訳注があり、
− この活動〔大塚注;女性国会議員選出権運動〕が国会で提唱されたのは1860年代だが、実際に女性が国会議員として選出されるのは1918年から。もちろんディケンズにとっては未だ牽強付会ぎみの発想。−
とあります。前者は、「女性が国会議員として選出される運動」としていますが、後者が指摘するとおり、これは「女性参政権運動」が正しい(注3)。