「荒涼館」(Bleak House)は、イギリスの「大法官裁判所」(the Court of
Chancery)を題材にしています(注1)。「法律図書館にある法律的文献」によれば、「大法官裁判所」に関する情報は、つぎのようなものです。
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大法官裁判所:歴史的には、「大法官」(Chancellor)によって主宰されたエクイティの裁判所(注2)。
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大法官:中世においてイギリス国王の書記局的存在であった「大法官府」(Chancery)の長として、統治全体について最重要の助言者であった(注3)。
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エクイティの裁判所:かってイギリスではコモン・ローの裁判所と別の裁判所が、実体法、手続法の両面ともにエクイティを適用していたが、Supreme
Court of Judicature Acts 1873 & 1875
(最高法院法)の結果、コモン・ロー裁判所とエクイティ裁判所が統合された(注4)。
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エクイティ:英米法の歴史的淵源のうちコモン・ローと並ぶ重要なもの。中世において、国王裁判所が運用したコモン・ローでは救済が与えられないタイプの事件であっても、正義と衡平の見地からは当然自分に救済が与えられて然るべきであると考えた者は、正義の源泉である国王にその旨の請願を提出した。これらの請願は、国王の下で統治作用の前面にわたって関与していたcuria
regis(国王の宮廷)の主要メンバーであったLord
Chancellor(大法官)に送付されることが通例となり、さらに後には直接大法官に提出されるようになった。このような請願を受けた大法官は、事件ごとに裁量で救済を与えていたが、そのような例が増加すると、人々の間に、ある事実関係があれば大法官ないしそのもとにあるChancery(大法官府)に行けば救済が得られるという期待が生じる。こうしてエクイティは、コモン・ローと並ぶ一つの独立した法体系とみられるようになった。そして18世紀には、エクイティもコモン・ローと同じように先例を尊重して裁判するものであり、その技術性においてもコモン・ローと変りのないものになっていったとされる。エクイティの分野として発達したものとしては、trust(信託)、specific
performance(特定履行)、injunction(差止命令)などがある(注5)。
つまり、「法律図書館にある法律的文献」によれば、「大法官裁判所」とは「コモン・ロー裁判所」では救済されない事件を「正義と衡平の見地」から救済する「エクイティ裁判所」であった、と理解できます。
ところが、前回(第72回)で引用しましたホウルズワースも述べているように(注6)、「しかしながら、これらの記録からは、たとえば、その時代の人々がそれらの事柄をどのようにして処理したかの説明とか、その人々の実像はどのようなものであったかとか、その事柄の背景または実際の場面に対するその時代の人々の印象はどのようなものであったか、などの情報を得ることは困難である。このような説明、実像、印象などの情報が無ければ、歴史の叙述はほとんど生気のないものになってしまう。」とくにディケンズが活躍した1820年代から1850年代の「大法官裁判所」は、当時の人々の印象では、「正義と衡平の見地」から救済を与える裁判所である、と見なされていたのでしょうか。実は、そうではないのです。そこで、「法律図書館にある法律的文献ではない証拠」の1つとしての「荒涼館」で描かれた「大法官裁判所の実像」を見ることにしましょう。