― 目次 ―
はじめに 汝自身を知れ
[資料] ギリシャへの金融支援を巡る交渉経過
1.ギリシャ財政破綻危機の実相とEU通貨「ユーロ」の宿命
(1)歴史的経過に見るギリシャ財政破綻のリアル
(2)共通通貨「ユーロ」の宿命
2.ギリシャ危機が誘う中ロのギリシャ接近
おわりに ギリシャ危機は対岸の火事にあらず
はじめに 汝自身を知れ
7月1日午前0時、IMFは、ギリシャ政府がIMFからの融資債務(約15億ユーロ(約2040億円)の期限内(6月30日)返済を履行しなかった事態を受け、ギリシャを先進国初の「延滞国」に指定しました。言うならばギリシャは事実上、デフォルト国家になったと言う事です。同時にEU(欧州委員会)等による金融支援も同日失効したのです。
さて、支援再開に向けた債務者ギリシャと債権者EUとの交渉経過については後出[資料]にある通りですが、7月16日にはEU側が支援再開の条件としてギリシャに要求していた緊縮政策を、ギリシャ議会が財政改革法案として可決したことで、同国への金融支援が動き出すことになりました。既に、欧州中銀(ECB)はギリシャの銀行への追加資金供給、欧州連合(EU)は70億ユーロ(約9500億円)のつなぎ融資に合意、20日に期限を迎えるECBへの国債償還に必要な資金の手当てが可能となったのです。尚同日、IMFは延滞扱いとなっていた債務の返済を受けたと発表。かくして、支援ドタバタ劇の第1幕は終わりました。
政情不安と財政難が続くギリシャに欧州主要国が介入し、それをギリシャ国民が複雑な感情で受け止める、そんな構図は、実は200年前から繰り返されてきているのです。メディアに拠ると、1820年代から1930年代だけで少なくとも5回のデフォルトがあったと言います。 因みに、1830年代、バイエルン王国(今のドイツ南部)がギリシャに金融支援した際も返済が滞り、その返済交渉に50年間も要したと伝えられています。言うなればギリシャは財政破綻を繰り返す「常習国」と言うものです。
7月13日未明の合意の直後、多くのメデイアでは、ギリシャの屈辱(humiliation of Greece
)、絶大な力を誇るドイツの勝利(triumph of an all-powerful
Germany)、欧州の民主主義の壊滅(subversion of democracy in Europe
)と言った見出しが躍っていましたが、興味深かったのは7月14日付 Financial
Times に載ったコラムでした。
`Germany’s conditional surrender ’
(条件付きだが、今回の合意はドイツの降伏だ)と題したコラムでは‘
そんな事はナンセンスだ。降伏した国があるとすればそれは「ドイツ」だ’、とする一方、‘ギリシャの行動の自由を制限しているのはEUの非民主性にありと言うが、ギリシャが破産していると言う事実にある、It
is the fact that Greece is burst
’と、言いのけるのです。そして、あのカール・マルクスの言葉‘History repeats itself, first
as tragedy, second as
farce’(歴史は繰り返す、最初は悲劇として、2度目は茶番として)に照らし、今回の
ギリシャ債務に関する合意は‘茶番と悲劇を同時に演じみせるもの’と一括するものでした。
元よりEUからの金融支援が再開されたとして、ギリシャの再建には依然、巨額の資金が必要となる点では問題の先送りである事には変わりない処です。というのも、問題の本質はギリシャ経済の8割が観光、海運といったサービス業にあり、経済を持続あるものとする競争力ある産業がない事にあるのですが、これまで既に2度、2010年4月、そして2012年2月、金融支援を受け、その都度EU側から義務付けられた歳出削減を実施してきたことで、経済が疲弊してきているだけに、これを回復させる上で相当の資金の注入が予想されるからです。
この際、ギリシャには経済再生への見取り図をも描き、disciplineを以って構造改革に向かっていく覚悟を示していくべきと思料されるのです。ギリシャの哲学者、ソクラテスが言った「汝自身を知れ」とは、今のギリシャに向けられた言と思うばかりです。
さて、7月4日付The Economist はその巻頭言、「Europe’s future in Greece’s
hands」(ギリシャの手中にある
欧州の未来)において、(7月5日の)国民投票の結果に関わらず、EUは永遠に変わると、断じていました。
では、ギリシャ問題の今後をどう考えていくべきか。その推移の如何は日本にもインパクトを齎す処です。そこで、ギリシャ財政破綻の危機を齎した実相と、そこに見る問題を、歴史的経過の中で捉え直し、今後の展開の可能性につき、以下考察したいと思います。
[資料] 「延滞国」指定後、ギリシャへの金融支援を巡る交渉経過:
[6月30日]
ギリシャ政府は返済期限の6月30日午後には金融支援の2年間延長や債務再編の求める新たな提案を提出したが、ユーロ圏の財務相の緊急会合は、ギリシャ政府の「反緊縮」姿勢が変わっていないとこれを拒否。結果、7月1日、ギリシャは「延滞国家」に指定される。
[7月5日 ] ギリシャ政府は、EU側が支援融資に当って要求していた‘緊縮政策’を受け入れるべきか、否か。7月5日
国民投票を行った。その結果は‘NO’。 そこでチプラス首相は、これがギリシャの民意としてEUに対して緊縮姿勢の緩和や債務減免を含む金融支援を改めて求めていく事になるものと考えられていた。
[7月7日]
ユーロ圏首脳会議は7月7日、ギリシャにEUの求める支援につき新たな提案をするよう明示。EUは緊縮策受け入れが支援の条件、という立場を崩すことはなかったと言うもの。
[7月9日] ギリシャ政府は7月9日夜、金融支援を受け入れる条件とされるEUが求める増税や年金の給付抑制などを含む財政改革案を債権団に提示。が、その改革案とは、ギリシャ国民が反対したEU側の求める緊縮政策案を上回る内容と言われている。しかも、ギリシャ国会はこれを総認。
(注)勿論、それは6割の国民がNo
を出した先の国民投票への裏切り行為とも映る処。では、この翻意はなんだったのか。債権団の決意の固さをギリシャは読み間違えた結果で、支援を得るためにはEUへの妥協やむなしと判断したものと伝えられている。では、あれだけ騒いだ国民投票はどうなったのか。新提案を受けたEU側には当初、改革案にある緊縮政策を進める強い意思と、覚悟があるのかと、これまでの言動からチプラス首相に対する不信感が強くあり、その成り行きが懸念されていた。
[7月13日] EU首脳は7月12日、ギリシャの新提案検討の為、緊急会議を開催。17時間に及ぶ審議の結果、13日未明、3年で820億ユーロ(約11兆円)超の支援を決定、その見返りとして、ギリシャに対し主要な財政改革関連法案を7月15日までにギリシャ議会で法制化する事、そして即時実行することで、合意。
[7月16日] ギリシャ議会は14日、チプラス首相より提出あった金融支援を受けるに必要な財政改革法案を7月16日未明、賛成多数で可決。これによりユーロ圏各国はギリシャへの金融支援再開のための手続きに入った。正式決定は8月の見込み。その間の「つなぎ融資」も決定。これでギリシャの破綻はひとまず回避されることになった。
1. ギリシャ財政破綻危機の実相とEU通貨「ユーロ」の宿命
(1)歴史的経過にみるギリシャ財政破綻危機のリアル
2001年、ギリシャは自国通貨「ドラクマ」を捨て、地域共通通貨「ユーロ」に参加しました。そのお蔭で、ギリシャの信用力は向上し、海外からの借り入れも容易になり、当時のギリシャ人の多くは、避寒地リゾートしてギリシャで過ごすドイツ人達の豊かな生活スタイルを羨望の眼で見ていたと言われていましたが、「これでドイツ並みの生活ができる」と夢を見たと言われています。
実際、自動車ローン金利などは、いきなりドイツ並みに安くなっています。国民も、政府も財布の紐が緩み、放漫財政に陥ってしまったと言うものです。特権階級は私腹を肥やし、納税者と徴税側のなれあいも横行していったのです。その間、最も基本となるべき産業基盤の脆弱さは変わることもなく、財政については外部からの資金調達で切り回してきたと言うもので、まさにバブルです。
しかし、このバブルは2008年、国の財政赤字粉飾が露呈した事がきっかけで崩壊していくのですが、国がデフレ・スパイラルに陥るとユーロに参加した事が裏目に出たというものです。これまでの、だまし、だましの経済運営が岐路に差し掛かった象徴がこのギリシャ危機と言うものですが、その姿を、時の経過を追って見ていく事としたいと思います。
・歴史的経過のなかで見るギリシャ問題
1992年2月オランダでのマーストリヒト条約により単一通貨制度が採択され、1999年にはドイツ、フランス、イタリアなど11か国でユーロ圏が発足しました。ギリシャは2000年のEU首脳会議でユーロ圏への参加が承認されたのですが、その際は参加基準(注)を満す状況ではなかったのですが、財政赤字の削減など財政の改革をアピールしたことで、承認されたという経緯があります。ただ、後日、申請時の財政赤字幅が不正な数字であった事、更にアピールした改革努力を果たすことなく今日に至った結果が、いまの危機を招いたと言うものです。
(注)ユーロ加盟国は「財政赤字はGDP比3%以内」とする事が条件づけられているが、違反しても厳しいルールや罰則の適用はない。その点、当時のギリシャの赤字はGDP比3.7%で、目こぼしされたと言うもの。現実は13%だった。
さて、ユーロ導入によりギリシャで起こった変化は金利でした。信用の低かったドラクマからユーロへの切り替えで低利での資金調達が可能になり、2004年のアテネ五輪に向けた公共事業やEU基金を活用した地下鉄整備、空港建設等の公共事業が至る処で進められました。因みに、2000年に4%だった経済成長率は2003年には6.6%に上昇、EU最貧国と言われたギリシャにとってユーロは経済成長の起爆剤となったのです。しかし借金漬けの好景気は長く続かなかったという事です。
というのも2009年10月、首相に就任したパパンドレウ氏は、前政権が多額の財政赤字を計上していなかった事を公表。それまでGDPの3.7%とされていた財政赤字幅を12.7%に修正したのです。その数字は参加基準から大きくかけ離れたもので、ギリシャ政府への信用は失墜し、国債の利回りは急上昇、自力での資金調達は困難となっていったのです。そこで、EU(欧州委員会),IMFなどに助けを請い、2010年以降2度に亘り、総額2400億ユーロの金融支援を受けています。但し、ギリシャ政府は、支援と引き換えにEUから求められた増税や公務員給与のカット等、緊縮策については、国民の反発を招くとして、その実行は不十分なままに遣り過ごされてきたと言うものです。
今年1月の総選挙で首相の座に就いたチプラス氏は、こうした緊縮政策反対を打ち出すことで国民の支持を得たものですが、これまでの5か月間、ただただ‘節約は嫌だ、借りた金は返さない’と暴走気味にあったことで政治の混乱は続き、チプラス政権とEUとの亀裂は深まる一方で、債務は膨れ上がり(注)、自力返済は困難になってきたというものです。
(注)ギリシャ政府の公的債務は3月末現在で約3120億ユーロ(約40兆円)
・ギリシャ危機を齎す「死の抱擁」
こうしたギリシャの実状を、6月27日付The Economist は‘The ties that bind’
と題するコラムで、単一通貨という「死の抱擁」によって身動きが取れなくなった結果と鋭く指摘するのでした。つまり、ギリシャと債権者(IMF、EC,ECB)は、基本的な考え方を大きく異にするにも拘わらず、単一通貨という「死の抱擁」の中にあって(in
the deathly embrace of their shared
currency)、互いに身動きが取れなくなっており、こんな
状況をいつまでも続けるわけにはいかない筈だが、おそらく続けようとするだろう(Greece and the euro
zone cannot go on like this – but they probably
will)と、極めてクールな姿勢で事態の推移を見つめるものでした。そのポイントを、以下に紹介しておきましょう。
まず、ギリシャ経済の実状について同誌は、こう語るのです。ここ5年の2度に亘る救済と債務削減を経て、ギリシャ経済はピーク時の2008年から25%縮小し、失業率は26%で高止まりし、公的債務はGDP比180%近くに達している。行政は破綻し、腐敗と恩顧主義という古い悪弊がこれまでになく蔓延していると。加えて、チプラス首相は、資金確保の為に他国が立案した緊縮策に署名しなければならない状況にあって、これまでの政権と同じ状況だが、以前と違うのは、言い逃れと、憎みあいの5か月を経て、ギリシャと債権国の間にあった僅かばかりの信頼が完全に消え去ってしまったことが問題だと指摘するのです。
最初の救済が行われたのが2010年5月。その当時、EUの首脳がギリシャの債務を棒引きすれば、リーマンショックのような影響が広がるのではとの懸念があったためだったと言うのです。そうして生まれた救済プログラムは、その任に適さない3つの組織、EC(欧州委員会)、ECB、IMFをトロイカとして組み合わせ、問題のある救済策を監督させ、そもそもユーロに参加するべきではなかった国を救済してしまったと、指摘するのです。
そして、その救済トロイカの実態は、ユーロ圏を支える仕事をECBの量的緩和策だけに頼って、政治家はなにもしないとECBは苛立ち、ECでは、昨年11月就任したユンケル委員長は約束の雇用と成長よりも緊縮を口にするだけで、更にIMFについては欧州政治に巻き込まれて欧州以外の出資国を激怒させており、もはや欧州連帯の為に自らの信用を犠牲にする気はなくしている、と評するほどの状況だと言うのです。
更に、ユーロ圏のガバナンスについて、EU首脳会議で協議することになっている由ですが、これについても同誌は、ギリシャが危機に瀕し、英国がEUとの関係を再検討し、ロシアが東欧に脅威を与えているような現状では、経済統合の深化に関する新しい大計画を求める機運はほとんど起こりようがなく、大胆な条約改定に取り組む野心など絶対に求められないと断じるのです。
ユーロ発足時、ドイツ連銀をはじめとする懐疑派は、多くの警告を口にし、政治統合がなければ通貨統合はうまく機能しないと主張していたのですが、この主張の誤りを証明するためにユーロ圏は5年間必至で、手あたり次第の手を打ち、ギリシャやほかの国々に多くのダメージを負わせてきたと言うのです。そして、これからもユーロ圏の努力は続くだろうが、同誌コラムはその成功を祈る事しかできないと、言いのけます。まさに、現下のギリシャ問題を巡る深層心理を読む思いです。
・予て予想されていたギリシャ危機
ギリシャ危機問題は、前述事情からも分かるように当初から云々されていました。それは統一通貨ユーロを手にすることで有利な資金導入が可能となりました。ただ、ギリシャ経済の実態はと言えば、観光や海運と言ったサービス産業が8割を占め、特段の有力な産業を持つこともないまま、全労働者の2割を占める公務員給与を引き上げるなど、財政の規律は失われ、言うなればギリシャの経済政策はポピュリズムの中にあって、財政の破綻は見えていたと言う事です。それは、一国の財政政策と欧州の統一通貨政策との不均衡が齎す現実を露呈するものと言うものです。
・改めて問われる‘欧州の結束’
さて、ドラギECB総裁は7月16日の記者会見で「通貨同盟は不完全ゆえ不安定。それゆえ統合深化に踏み込まねばいけない」とはっぱをかけたと伝えられています。それは上述問題への本質を問うと言うものです。‘通貨ユーロの危機が何故に続くのか’です。
前述の通り、これまで金融政策は一元化したが、財政政策はバラバラのままと言う事が問題とされてきました。然し、ドラギ総裁の発言は、それ以前の基本問題として、通貨安定の核となる筈の‘欧州の結束’が定まらない事、統合を深めようとする政治意識が弱まって来ている事、への批判であり、これらへの取り組みが進まない限り、解決を見ることはないと言うものです。 勿論、通貨の番人ECBに甘えた政策運営もそうした結果であり、ユーロの不安定要因たるを示唆する処というものです。
とすれば、中銀と政治の距離感や、国民の財政政策についての価値観も異なる処ですが、それでも、ユーロ圏各国の全てが通貨安定への強い信念を持つようにすること、つまり統合への結束力を高める事のない限り、債務危機からは抜け出すことは難しいことを示唆する処というものです。
今週、手にしたThe Economist (July 18) の巻頭言‘Pain without
end’では‘去る12日のEU首脳会議は、取り敢えずギリシャへの資金援助再開を決定した事で、Grexitは回避されたが、同時に、各国の主権と経済の安定を巡っての緊張を深め、通貨ユーロを貶めるような結果になっている。ユーロを機能させるには、ユーロ圏の財政をより強く統合させる必要がある’と再び指摘するのです。
と同時に、先のエコノミスト誌(7月4日付)に続き、ギリシャに今必要なのは、EUメンバーの意向を無視し身勝手な行動を起こすチプラス首相に代わる新しい首相だと、痛烈な批判を展開するものでした。
とすればGrexit問題が回避された今、EUは改めて‘欧州の結束’強化に向けた取り組みを模索していく事になるのでしょう。それはマーストリヒト条約の原点に立ち戻ると言う事でしょうか。EUはまだまだ苦悩の中、と言う処です。
(2)共通通貨「ユーロ」の宿命
ここで、EU通貨「ユーロ」を巡る興味深いフランスと日本の二人の学者の指摘を紹介しておきたいと思います。
@ フランスの歴史人口学者、エマヌエル・トッド:
彼は近著「ドイツ帝国が世界を破滅させる」(文春新書、2015)で、ユーロについて次のような指摘をしていました。
つまり、「ユーロに関して今日、明らかな事は、言語、構造、メンタリテイの面で共通点が結局、ほんの僅かしかない多様な社会が積み重なっている中では、この通貨は決して機能しない」と言うのです。そしてオランド仏大統領にした助言について、次のように語るのです。
「ユーロが今後存続して行けるかどうかについての検討委員会を設置し、そこに正統派の経済学者たちと、批判的経済学者たちと混合形態にするといいとして(具体的4名の氏名を挙げ)、そんな委員会が存在していれば、それだけでドイツに睨みを利かせ、ユーロ安へとプッシュすることになっただろう。然し、フランスの指導階層の知的・道徳的な至らなさの究極の証拠がここに現れた。極右政党を別とすると誰ひとり、ユーロの存続可能性という問題を提起しない。絶え間なくユーロを救うために、失業率をウナギ上りにし、所得を押し下げる結果になっている」と批判するのです。
A 経済学者、岩井克人:
経済学者、岩井克人は「2015年の資本主義論―ドルが基軸通貨ではなくなる日は来るか」(中央公論7月号掲載)と題する論文で、欧州通貨、ユーロに触れ、これがうまく行かない理由として、以下の2点を挙げ、ユーロの宿命を指摘するのですが、その論理の延長において現在の危機が理解できると言うものです。
その一つは予てユーロは米ドルに対抗する基軸通貨とする向きの多いなか、彼はヨーロッパにおける共通通貨と言うべきと主張するのです。(筆者も、予て同様主張をしてきたものです)つまり、この共通通貨と言うべきを、基軸通貨とみなしてきたことが、うまく行かない点だと指摘するのです。そして、ユーロ的なものが上手くいく可能性があったとすれば、それはドイツの通貨マルクをEUの基軸通貨として使う事だったと、言うのです。
勿論、そんなことはイギリスも、フランスも絶対に許す筈はなく、その点で、ヨーロッパ各国が平等だという思想の下、人工的な貨幣と組織を作った事が、様々の問題を引き起こしたと言うのです。そこでは米ドルが基軸通貨とされている生業、実体を指摘しつつ、強い通貨と基軸通貨とは別物とする考えを語るものでした。
もう一つは既に前述した処ですが、ユーロが上手くいかない理由として、各国が独自の通貨を持っている場合は、各国間の景気や発展の不均衡は通貨の相互調整によってなされるが、これがある国の通貨に統合されると何が起こるか、ですが、ユーロ以前のヨーロッパでは、例えばギリシャが不況になった際は、ドラクマが切り下げられ、不均衡が解消されてきていますし、他国も同様対応が可能です。
しかし、統一的通貨、ユーロが出来たことで、各地域経済との不均衡が生まれ、(その象徴がギリシャの財政破綻ですが)通貨の切り下げ、切り上げが出来なくなると、労働力が移動しなければ不均衡は解消されません。つまり、モノやカネの移動が域内で自由になっても、文化的な伝統を背負ったヒトの移動がそこまで自由になっていないため、不均衡は解消されないと言うもので、ここにこそユーロの矛盾の源があると指摘するのです。これはトッド氏の先の指摘にも通じる処です。
そして、共通通貨とは、経済全体の効率性を上げる代わりに、集中と過疎を起こす仕組みで、そもそもEUとは各国の独立性を重んじた構想である点で、ユーロの矛盾は、永久に続いていく事になる筈と言うのでした。つまりは、ユーロ通貨の宿命と言うものです。
序でながら、岩井の結語は極めて興味深いものでした。つまり、グローバル資本主義も基軸通貨制度も、様々な問題を抱えたポンコツ車だが、それでも英国のウィンストン・チャーチルの有名な言葉をもじっていえば「資本主義は最悪の経済システムだ、ただし、これまで存在したすべての経済システムを除いては」と言うのです。そして、人間は資本主義を失えば経済活動での自由と人間としての普遍性を失ってしまうとして、現代の資本主義を何とか少しでもマシなものにすべきと、指摘するのですが、至言というものです。
2.ギリシャ危機が誘う中国、ロシアのギリシャ接近
小国ギリシャが財政破綻の間際にあって、チプラス首相が開き直れる理由は何だったのか。それはギリシャが地政学上、地中海を睨む軍事的な要衝にある事、そして西洋文明の原点との誇りが、欧州はギリシャを見放す事はない、との自信の為せる処と言われています。
まず、ギリシャはNATOの加盟国だと言う事です。そして、地理的にはバルカン半島の突端にあって、混乱する中東、ウクライナ・東欧に対するNATOの最前線としてギリシャがあると言うものです。つまり「地中海の要衝」です。それだけにEUとしてはギリシャを追い出し、ロシアや中国に押しやることは絶対に出来ないと言う事情があるのです。今やGrexitの心配はなくなりましたが、一時、オバマ大統領が、メルケル首相はじめ主要首脳にギリシャがEU離脱することがないよう懇請したと報じられていましたが、その緊急性、重要性を感じさせる処です。
・ギリシャ接近を強める中国とロシア
こうした文脈において近時、中国とロシアの急速なギリシャ接近が注目される処です。周知の通り、中国は習近平主席の主導の下、国家プロジェクト「一帯一路」を進める事としています。その内のプロジェクト「海のシルクロード」の要所の一つとしてあるのが、ギリシャ最大の港、ピレウス港です。言うまでもなく中国製品の欧州各地への配送拠点となる処ですが、2010年、ギリシャ政府とはCOSCO(中国遠洋運輸公司)は35年のリース契約を交わしており、更に同港買収の話も伝えられている処です。2月の新春祝賀会では、中国はいつでも建設的な力を貸す用意がありと、李克強首相は公言するほどで、ギリシャは中国にとって重要な位置にあるとされ、ギリシャ自身、それを自覚する処です。
一方、ロシアは欧州への供給に向けた石油パイプラインの新設をギリシャ経由とする事としており、既にギリシャ政府との合意をみていていますが、欧州向け石油供給の機会を通じてギリシャとの経済関係の強化を狙ったものと報じられています。要はこうした外交戦略を通じギリシャの取り込み、言うなればNATOの一角を崩さんとしている様相にあるのです。元より、ギリシャもロシアもギリシャ正教、ロシア正教と、同じ正教徒というよしみを介してロシアはギリシャに近づきやすい環境にもあるとも言うものです。
更に、中国、ロシア等新興5か国(BRICS)が創設する新開発銀行(通称BRICS銀行)の第1回総会が7月7日、モスクワで開かれ、年内にも業務開始の見通しとなっています。もとより、これが周辺国外交の道具として活用せんとの意向が見えてきています。既にギリシャに対し金融支援の秋波を送り出してきており、米欧への対抗で結束する中ロが、安全保障の要衝、ギリシャの取り込みを図らんとする環境が進みつつある処です。日本の外交戦略にも関わる事ですが、さて、為政者は事態をどう把握しているのか気になる処です。
おわりに ギリシャ危機は対岸の火事にあらず
今回、ギリシャ観察を進める中、やはり気になるのは日本の財政でした。周知の通り、日本は今、国と地方を合わせた日本の債務(借金)はGDPの2倍程度もあり、債務危機に苦しむギリシャよりもひどく、先進国で最悪の状態にある処です。
勿論、ギリシャと日本を単純に比べる事は出来ません。EUやIMF の管理下に置かれるギリシャに対して、日本はまだ債務を国内主体で賄えていますし、何よりも観光や海運と言ったサービス産業の他には特段の産業も無いギリシャに対し、日本の産業の競争力の強いことは周知の処です。ただ、急速に進む少子高齢化は結果として貯蓄率の低下を齎し、個人金融資産は減少し、債務を国内で賄いきれなくなることが十分予想される処です。その点では財政の健全化というよりも財政の再建が喫緊の課題というものです。
さて、安倍晋三政権は、7月1日、成長戦略(日本再興戦略の改訂)と財政健全化計画を盛り込んだ経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針)を発表しました。勿論これらは、日本経済運営に当っての指標になろうと言うものですが、その中身を見ると、これで本当に再建に向かおうとしているのかと、その本気度が気になる処です。
骨太の方針に盛り込まれた財政健全化計画では、2020年度財政の黒字化を改めて目標に置いてはいます。が、問題はそのプロセスです。財政再建の基本は、周知の通り、成長による税収増、歳出の削減や抑制、そして増税の3通りですが、殊、歳出の合理化については、歳出の上限を「目安」に留めるだけで、まさに及び腰と映る処です。そして財源については経済の好循環(経済の成長)による税収増で財政を立て直すと言うのですが、さて、実質成長率が1%を割り込まんとする日本経済が、そうしたシナリオを受容するほどに、はたして高い成長が出来るものか。その意味では骨太に盛り込まれた成長戦略の物足りなさこそが危うさを示唆すると言うものです。財政再建への危機意識の薄さ、この点こそが最大の問題と思料されるのです。
7月16日、国会(衆院)では安倍晋三政権は、国民の多くの反対を無視して強硬採決を敢行、安保関連法案の成立を図っています。然し、今、日本に必要なことは安保法制の云々ではなく、日本経済の再構築、財政改革なのです。
ギリシャ危機は2001年、ユーロ加盟で低利での資金調達が可能となり、それが放漫財政を招き、更にはそれが、2004年のアテネ・オリンピックのブームに連動していった結果と言うものですが、2020年の東京オリンピックを抱え、暴走とも言える競技場建設計画など、今の日本にその姿は映るというものです。放漫財政のツケはいずれ払わされるのです。つまりは、ギリシャ危機は対岸の火事ではないのです。
以上
著者紹介
三菱商事、三菱総合研究所を経て、帝京大学教授、多摩大学大学院教授を歴任(専門分野:戦略経営論、グローバル経営論)