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寄稿

少子化による教育費や住宅費の減少
支出減をどうみているのか経済学者に問いたい

2010/10/21

佐伯 弘文
シンフォニアテクノロジー株式会社 相談役

 

 これまで多くの経済学者や経営評論家、或いは、ジャーナリストからGDPの減少や給料の減額について耳にタコが出来る程聞かされてきた。
 全て、何か手を打たねば日本経済、ひいては日本はダメになるとの悲観論が圧倒的に多いが、果たしてこれは正論なのであろうか。私は経営者であっても、経済学の専門家でもないので詳しいことは分らぬが、一庶民として常に疑問に思ってきたことがある。それは彼らは常に収入のことは言っても、支出の減少については何一つ言及していないことである。申すまでもなく各家庭にとっては、GDPより個人の可処分所得の方がより重要なのである。
 国家も家庭も経済は収入と支出のバランスで成り立っていることには変わりはない。収入が減っても支出が減れば別に問題はない筈である。勿論、国家収入が減るというのは、国家経済なり国民経済といった総合国力が、衰退に向かっている一面を示しているといえる。従って国家全体についていえば、経済の衰退は国力維持の面からも大問題であり、特に経済官僚が経済の振興と増税等収入源確保に必死になるのは理解出来ぬ訳ではない。
 しかし、各家庭経済ともなれば話は別である。確かに最近日本のGDPは約十年前の水準にまで下落し、日本人の給料は額面上は全般的に毎年減少し続けているのは事実であろう。 
 しかし、同時に我々日本人の人口は減少し続け、現在は現状の人口の維持に必要といわれる一夫婦当り子供の数2.1を割り込み、1.57〜1.58程度で推移しており、この少子化に大騒ぎしている。この少子化現象は何を意味するのか。国家経済全体への影響は別として、家庭経済的にみれば、それは一家族にかかる教育費や生活費が、遅かれ早かれ大幅にダウンすることである。私の育った子供の頃の一家族の平均子供数は5〜6人であった。軍人確保のため、国の「産めよ増やせよ」の政策も多少影響したかも知れぬが、それがごく普通の家族の姿であったと記憶している。
 考えてみれば、時代背景による生活レベルの差を無視すれば、子供を五〜六人育てるのと1〜2人育てるのとでは、教育費や生活費に大差が生じるのは明白である。勿論、昔の教育は今のように多くの子供が大学迄いくことはなかったし、中卒、高卒で就職する人が多かった。また、多額の費用のかかる進学塾も余りなかったし、子供にピアノやバイオリンを習わせる家庭も極く稀であった。 
 その意味で昔と正確な教育費の比較は難しいが、今の大学教育が本当に自分に必要と思い進学している人がいったい何人いるであろうか。学力で高校レベルと大差のないお粗末な大学がゴロゴロあるといわれる現在の大学など、本当に卒業するに値するとは思えない。要するに、多くの学生は親と子の見栄だけでムダ金を使い、大学に進学しているのではあるまいか。勿論、学生を採用する企業側にも大卒、高卒、中卒と区別しているのも、大学進学熱に影響を与えている面もあるかも知れない。
 また、教育費だけではなく食費や衣服費や住宅等、いわゆる生活費全体のコストも減少するのは当然のことだ。最近は昔に較べ皆贅沢になり、余分なお金がかかっているのも事実であろう。しかし、そういうお金をかけられるというのは、経済的余裕があるからである。
 一方、住宅の方は、子供が1〜2人になれば、成人し結婚した後、子供は一部の貧しい親は別として、いずれかの親から家はタダ、若しくは安く貰えることになる。うまくいけば夫婦の両方の親から家が貰えることになる。私の場合も娘二人いるが、古い家も含め二軒あるので、彼女らは私からそれぞれ家一軒タダでもらえるのは間違いない。彼女等の夫も長男で一人っ子か二人っ子であるから、多分そちらからも家は貰えるであろう。今すぐ貰えなくとも将来遺産として数千万円の価値はあるであろう。そのため、今、必ずしも自分の家を持つ必要もない。
 普通サラリーマンの大きな支出項目は、子供の生活費を含む教育費及び住宅ローンの支払いである。今の子供達が大人になり、多少時間のズレがあっても、これらの負担から年毎に徐々に開放された場合、経済的に極めて楽になるのは明白である。
 多くの経済学者は、この視点も含めて日本人が将来本当に貧乏になり、哀れな生活に突き落とされると考えているのであろうか。国家全体を見ても、高齢化による社会保障費や自国防衛のための軍事費等の増大はあるにせよ、現在日本の社会インフラもかなり充実し、メンテ費用は別として更なる大規模な公共工事も必要がなく、支出が減る部分もあるのである。
 勿論、家計の支出は、最近の統計によれば徐々に支出項目が変わってきているのは事実であり、昔、余りなかった交通・通信費や光熱費や非消費支出(直接税や社会保険料)などが増大し食料費や衣服費等が徐々に減少している。
 例えば、食料費は1963年には全体の33%だったものが、2009年には約半分の17%までに減少している。逆に、昔はなかった携帯電話やインターネットや海外旅行の如き時代の流れによるものもあり、交通・通信費は3%から11.5%となり、3倍超の増加となっている。また、非消費支出は9.3%から22.1%と、約2.4倍に増加している。今後、長寿化の影響で、多少親の生活費や医療費の増加はあっても、子供の教育費や住宅ローンの負担に較べれば高が知れている。日本人は心配性で、なかなかお金を使うことはせず、大部分を貯金に廻し、そのため親は子供にかなりの額の不動産その他の遺産を残し世を去っている。お陰で少人数の子供たちは、昔に較べ一人当たり4〜5倍の遺産を貰い、今後金銭的にはかなり楽になるに違いない。また、デフレの影響で物価もかなり下がっている。
 年次が過ぎる毎に、徐々に子供数の減少の影響がいろんな支出面で出ることは当然のことであり、支出の減少分を別な面で、例えば塾通いや意味のない大学進学等でムダ遣いしなければ、家庭経済は可成り楽になっていく筈であり、収入が減ったとしても、一昔前のレベル迄落とさなくても、日本人の生活そのものが急速に貧しいものになっていくとは思えないのである。ムダ遣いするが故に、いつも家計が苦しいといっている家庭も多い。結局、一部例外を除けば個人所得ベースでは、それ程ひどいことにはならないのではないかと思われるのである。
 また、何故、収入面ばかりにスポットライトを当てる一方で、支出面の減少について専門家は誰も言及しないのか。経済学にFLOWの経済学と、STOCKの経済学が存在しているのは何故か。それは多くの学者が政府の各種審議会のメンバーに名を連ねているが、一方、官僚は自己の権力拡大と天下り先確保のために、常に支出増大を願う立場にあるため、そうした官僚に嫌われまいとの遠慮からではないかという人もいる。或いは、個別の家庭には特殊事情が多すぎて一般化できないためなのか、或いは、昔と生活レベルが違い過ぎて比較が困難なせいなのか、正直、全く不可解といわざるを得ない。この点につき、専門家の率直な意見を聞かして戴きたいものである。
 

 

 

 

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更新日:2012/09/15