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大塚正民の考古学と考古学の広場

第74回:荒涼館とディケンズ:その3

2012/10/1

大塚 正民
大塚正民 法律会計事務所
 

「荒涼館」(Bleak House)は、イギリスの「大法官裁判所」(the Court of Chancery)を題材にしています。第70回で引用しました山本史郎「名作英文学を読み直す(注1)」でも述べられていますように、「・・・時代のゆがみに対応するはずのチャンスリー自体にも、ご多分に漏れず、数百年来の組織の疲労が蓄積していた。1850年頃のチャンスリーでとくに問題になっていたのは、審理の著しい遅れである。・・・遺産相続の事件を代々遺産相続していくという、当事者たちにとっては笑うに笑えない事態だったのだ。裁判費用は係争中の遺産から支払われるから、裁判によって食いつぶされ、自然消滅した遺産もあった。・・・ディケンズの「荒涼館」はまさにこのような「法の遅延」がテーマだ。」という訳です。つまり、「法律図書館にある法律的文献ではない証拠」の1つとしての「荒涼館」によれば、1850年頃(ただし、第72回で引用しましたホウルズワースによりますと、正確には、1827年頃(注2))の「大法官裁判所」は、つぎのように描かれています(注3)

  1. まず、「第1章 大法官裁判所」において、作者自身がこう述べています。「いくら[ロンドンの]霧が濃くなろうとも、いくら泥とぬかるみが深くなろうとも、この大法官裁判所という有害きわまりない老無頼漢が、衆目の一致して見るとおり、今日おちいっている暗中模索とあがきの状態には及ぶべきもない。(注4)」ということで、以下延々と当時の大法官裁判所の「だらけ切った」審理手続の描写が続きます。そして「これが大法官裁判所なのである。この裁判所のために亡びかけた家や荒れはてた地所が、国中いたるところの州にある。そのため心身をすりへらした発狂者がいたるところの精神病院にいるし、そのため死んだ者がいたるところの墓地にうめられている。また、そのために破産して、かかとのつぶれた靴にすりきれた服で、借金したり物乞いをしている訴訟者が、どの人の知合いのうちにもいる。この裁判所は金持で力のある者に、正しい者の精根を完全につきはてさせる便宜をはかっている。また財政や忍耐力や勇気や希望をひどく消耗させ、頭を錯乱させ、胸をはりさけさせるので、ここの弁護士たちのあいだでも、高潔の士はみな次のような警告を与えたいと思うことであろう−事実、しばしばそうしているのである。『人からどんな不当な処置を受けても、ここへくるよりはむしろ黙って我慢しておいでなさい!』」と結論しています(注5)。 

  2. そして、「第8章 多くの罪を覆って」において、現に大法官裁判所で審理中の「ジャーンダイス対ジャーンダイス事件」の訴訟当事者の1人であるジョン・ジャーンダイスがこう述べています。「あの事件は・・・遺言書とそれに基づく信託財産に関する訴訟なのだ−いや、かってはそうだった。だが今ではただ訴訟費用の関する事件にすぎないのだよ。私たち関係者はいつも訴訟費用のことで出頭し、退出し、宣誓し、質問し、訴状を提出し、反対訴状を提出し、弁論し、印を押し、申立てをし、審査に附託し、報告書を出し、大法官閣下と輩下一同のまわりをぐるぐる回り、衡平法に従ってワルツをおどりながら、あじけない死に就くのだ。重要な問題は訴訟費用なのさ。ほかのことはすべて、奇怪千万にも消え去ってしまった。(注6)」ということで、以下延々とこれまた当時の大法官裁判所の「だらけ切った」審理手続の描写が続きます。そして「それで何年も何年も、何代も何代も、万事こういうふうに、たえず始めから何度もくり返されて、決して終わることがない。それに私たちはどんな条件があっても、この訴訟から逃れることができないのさ。というのは、訴訟の当事者にされていて、いやが応でも当事者でなければならないのだ。」と結論しています(注7)

  3. ところが「第65章 新たに出直す」において、事件は急展開します。ジョン・ジャーンダイスが後見人となっているエスタ・サマソンは、大法官裁判所でつぎのような場面に遭遇します。「私たちがそばにいる人に、何の事件ですか?とたずねますと、その人は、ジャーンダイス対ジャーンダイス訴訟事件ですよ、と答えました。どうなっているのですか?とたずねますと、その人は、『わかりません、だれにもわからないんですよ、でも私の見るところでは、けりがついたらしいですな』と返事をしました。今日の審理のけりがついたのですか?とたずねますと、その人が答えました。『いいえ、すっかりけりがついたのですよ』すっかりけりがついたのですって!(注8)」以下関係者たちと弁護士たちの問答が続きます(注9)
    「今日の審理の模様を教えて下さい。」
    「今日の審理の模様ですか−そうですな。つまり、ええ、たいした審理もなかったのです。−・・・」
    「例の遺言状は本物だと認められたのですか?それを教えて下さい。」
    「ええ、できれば喜んでお教えしたいのですがな。しかし、その問題にまで至らなかったのです。・・・」
    「・・・つまり、全財産は結局裁判の経費で消えてしまった、というわけなのですね?
    「まあ、そういうわけだと思います!・・・」
    「そして、そのために訴訟は自然消滅となってしまったというわけですか?」
    「たぶんそうでしょうな。・・・」


脚注
 
注1

山本史郎、名作英文学を読み直す、講談社選書メチエ、2011年2月10日第1刷発行。
 

注2

William S. Holdsworth, Charles Dickens as a Legal Historian. Yale University Press, (1929). その79頁には、「荒涼館の第3章に描かれた大法官がLord Lyndhurstであるとすると、ここに描かれた場面は1827年頃のことであり、Lord LyndhurstがLord Eldonの後継者として大法官に就任した年ということになる。この時期は大法官裁判所としては最悪の時期であって、前年1826年に公刊されたChancery Commission報告書が、大法官裁判所の恐るべき現状(a monstrous state of affairs)を暴露したにも拘らず、立法府はその後の長期間にわたる改革に未だ着手していなかった時期である。当然のことではあるが、荒涼館が大法官裁判所の歴史に貢献した点を考慮するにあたっては、この1827年という時期を忘れてはならない。つまり、荒涼館に描かれた大法官裁判所の場面の時期と荒涼館が公刊された時期とを区別しなければならない。荒涼館は、1852年3月から1853年9月にかけて公刊されているが、この公刊時期までには、大法官裁判所の大幅な改革はすでに完了しており、さらに大幅な一連の改革が行われようとしていた時期であった。」とあります。
 

注3

以下の邦訳はすべて青木雄造・小池滋、荒涼館1〜4、ちくま文庫(1989)によります。
 

注4

青木雄造・小池滋、荒涼館1(9頁)。
 

注5

青木雄造・小池滋、荒涼館1(10〜11頁)。
 

注6

青木雄造・小池滋、荒涼館1(190頁)。
 

注7

青木雄造・小池滋、荒涼館1(191頁)。
 

注8

青木雄造・小池滋、荒涼館4(359頁)。
 

注9

青木雄造・小池滋、荒涼館4(361~363頁)。
 

   
   


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更新日:2012/10/30