「荒涼館」(Bleak House)は、イギリスの「大法官裁判所」(the Court of
Chancery)を題材にしています。この「荒涼館」によれば、1850年頃(ただし、第72回で引用しましたホウルズワースによりますと、正確には、1827年頃注1)の「大法官裁判所」は、つぎのように描かれています注2。
@ すでに第74回で引用しましたように、「第1章 大法官裁判所」において、作者ディケンズ自身がこう述べています。「いくら[ロンドンの]霧が濃くなろうとも、いくら泥とぬかるみが深くなろうとも、この大法官裁判所という有害きわまりない老無頼漢が、衆目の一致して見るとおり、今日おちいっている暗中模索とあがきの状態には及ぶべきもない。注3」ということで、以下延々と当時の大法官裁判所の「だらけ切った」審理手続の描写が続きます。このような描写が、当時の大法官裁判所の実態であったことは、現代の信託法の研究者たちも認めています。たとえば、「衡平法と信託」の著者ハドソンは、当時の大法官裁判所の実態を濃い霧で包まれたロンドンに擬えたこのような隠喩(metaphor)は妥当であって、「当時の大法官裁判所の評判は清廉とは程遠いものであった。」と述べています注4。
A これまたすでに第74回で引用しましたように、「第8章 多くの罪を覆って」において、現に大法官裁判所で審理中の「ジャーンダイス対ジャーンダイス事件」の訴訟当事者の1人であるジョン・ジャーンダイスがこう述べています。「あの事件は・・・遺言書とそれに基づく信託財産に関する訴訟なのだ−いや、かってはそうだった。だが今ではただ訴訟費用の関する事件にすぎないのだよ。私たち関係者はいつも訴訟費用のことで出頭し、退出し、宣誓し、質問し、訴状を提出し、反対訴状を提出し、弁論し、印を押し、申立てをし、審査に附託し、報告書を出し、大法官閣下と輩下一同のまわりをぐるぐる回り、衡平法に従ってワルツをおどりながら、あじけない死に就くのだ。重要な問題は訴訟費用なのさ。ほかのことはすべて、奇怪千万にも消え去ってしまった。注5)」ということで、以下延々とこれまた当時の大法官裁判所の「だらけ切った」審理手続の描写が続きます。そして「それで何年も何年も、何代も何代も、万事こういうふうに、たえず始めから何度もくり返されて、決して終わることがない。それに私たちはどんな条件があっても、この訴訟から逃れることができないのさ。というのは、訴訟の当事者にされていて、いやが応でも当事者でなければならないのだ。」と結論しています注6。くわえて、1873年裁判所法(The
Judicature Act
1873)によって大法官裁判所が廃止されるまでは、衡平法による裁判は大法官裁判所で、普通法による裁判は普通法裁判所で、それぞれ別個独立して審理されていましたから、この別個独立の審理制度が裁判をさらに遅延させていたのです。この点について上記のハドソンは、「荒涼館」からつぎのようなジョン・ジャーンダイスの批判を引用しています。「大法官裁判所が普通法裁判所に質問を出せば、普通裁判所は大法官裁判所に質問を出し返す。普通裁判所がこれができないといえば、大法官裁判所はあれができないという。そしてどちらも、なになにができないと、たったそれだけいうには、Aのためにこの事務弁護士が指図してこの法廷弁護士が出頭し、Bのためにあの事務弁護士が指図してあの法廷弁護士が出頭しという具合に・・・注7」
B これまたすでに第74回で引用しましたように、「第65章 新たに出直す」において、事件は急展開します。以下関係者たちと弁護士たちの問答が続きます注8。
「今日の審理の模様を教えて下さい。」
「今日の審理の模様ですか−そうですな。つまり、ええ、たいした審理もなかったのです。−・・・」
「例の遺言状は本物だと認められたのですか?それを教えて下さい。」
「ええ、できれば喜んでお教えしたいのですがな。しかし、その問題にまで至らなかったのです。・・・」
「・・・つまり、全財産は結局裁判の経費で消えてしまった、というわけなのですね?
「まあ、そういうわけだと思います!・・・」
「そして、そのために訴訟は自然消滅となってしまったというわけですか?」
この点に関しても上記のハドソンは、遺言書とそれに基づく信託財産に関する訴訟で、「ジャーンダイス対ジャーンダイス事件」に似たものが少なくなかった、と述べています
。
脚注
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注1
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William S.
Holdsworth, Charles Dickens as a Legal Historian. Yale
University Press, (1929),の79頁: the time at which the
action of the story takes place must be taken to be in
or about 1827.
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注2
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以下の邦訳はすべて青木雄造・小池滋、荒涼館1〜4、ちくま文庫(1989)によります。
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注3
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青木雄造・小池滋、荒涼館1(9頁)。
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注4
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Alastair Hudson, Equity and Trusts, Seventh Edition,
Routledge (2012)の21頁:the reputation of the chancery
courts was far from spotless.
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注5
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青木雄造・小池滋、荒涼館1(190頁)。
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注6
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青木雄造・小池滋、荒涼館1(191頁)。
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注7
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青木雄造・小池滋、荒涼館4(361~363頁)。
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注8
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Alastair Hudson, Equity and Trusts, Seventh Edition,
Routledge (2012)の61頁:there are many similar
arrangements: in Bleak House, for example, the Jarndyce
children are anxiously waiting for the result of
litigation in the case of Jarndyce v. Jarndyce to know
what interests they will have under a will and its
related trusts created by a deceased relative.
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